伊賀史絵 著 「妖精の遺書」 パッケージング社

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著者 伊賀史絵

 昭和33年12月13日、大阪府高石市に生まれる。
 昭和40年4月、東羽衣小学校へ入学。自宅近辺の道路空地などを「妖精の原(ニンフの原)」「待ちぼうけが辻」「犬捨て街道」等と名づけ、空想の要素の多い遊びにふける。
 昭和46年4月、高石中学校へ入学。翌47年夏頃より、本格的な詩作を始める。
 昭和49年4月、大阪府立三国丘高等学校へ入学。さらに同年秋、大阪文学学校へ入学。
 昭和50年5月、8月の二回、詩誌「詩学」へ投稿。
 昭和50年2月、幻聴のため京大病院へ。やがて同年12月、愛知県コロニーへ。
 昭和51年10月15日、夜半、妖精の原で死す。享年17才10ヶ月。


序文


おもかげ 小野十三郎(詩人)

 伊賀史絵さんが大阪文学々校にいたとき、詩を見せてもらって、学校文集に短かい感想を書いた記憶はある。しかし、先だっていただいたお母さまの手紙で、それからまもなくして亡くなられたことを知ったとき、伊賀さんはどんなだったか、すぐ想い出せなかった。学校事務局の松田君に電話すると、松田くんから、スクーリングの日に一度か二度、会っていられるはずですよと云われた。そして後日、谷町の教室に行くと、彼は学校に保存されてる数冊の厚い写真ブックを持ってきて、その一冊に張ってある、在校当時の伊賀さんの姿が映っている写真を私に示した。それは三方五湖だったか、彼女が学校仲間と小旅行をしたときに、みんなと一しょにとった記念写真であった。少しピンぼけの写真に映っている一人の少女の笑顔を見て、ああ、このひとだったかと思ったが、それよりも、文学学校の生徒はみな若いとはいえ、その中に、高校二年か三年の女の子がいたのかという意外さのほうが強かった。これは、少なくとも当時私が見せてもらった伊賀史絵さんの詩には、高校生という年齢の若さを感じさせるようなものがなかったからだろう。彼女は、生前に、自分が十三才から十六才ごろまでに書いた詩をあつめ、それを「哀歌」と名づけ、ガリ版刷りの詩集を作って、母と、福岡さんというひとに捧げている。この詩集にある作者あとがきを読んで、私は胸がつまった。そこに引用されてるお母さまの言葉にも感動したが、彼女は自分の詩の書き方について、私は「自分の感情を正確に表現することよりも、ひとつの異質の世界を創造することに重きを置いた」と述べている。これである。私が伊賀さんの詩からも、また一度か二度相対していたときにも、思春期を迎えた一人の少女である彼女の存在を見失っていたのは。しかし、中学時代から高校時代にかけて書かれた日記にある在りし日の初々しい伊賀史絵さんのおもかげは、お母さまや、近親の方々と同じように、いつまでも私の中にあるだろう。老人の私が云うのもおかしいが、も少しでも長生きしていてくれたら、私たち、いい詩のお友だちになれたのに。

母が娘に捧げる冥福の鎮魂歌 岡田喜篤 (愛知県心身障害者コロニーこばと学園長)


 家族にとって、その誰かに死なれることは、自分が死ぬよりもはるかにつらい。
 私も八歳の折りに、三つ年上の姉を急性虫垂炎から腹膜炎という経過で失った。姉は長女であったことから、私を含めて兄弟の面倒をよくみてくれたが、何故か両親に叱られることが多かった。それにつけ込んで、私たち弟や妹は、姉をいじめたり、親に告げ口をしたりして、困らせることがよくあった。死後、私にはこの姉にまつわるさまざまの愛憎が、せつない。そして、永久に償うことのできない悔恨として想い出され、幼な心にも独り枕を濡らすという日々が続いた。生前の姉に抱いたことのある憎しみや争いの気持ちは全く消え失せ、すべてを許し許されたいと願いながら、改めて、込み上げてくる死者への思慕の情に、狂おしく悶えた毎日だった。
 この苦しさを、辛うじて救ってくれたのは、私自身の想念における死者との語らいであった。それは、相手を理解しょうとするひたむきな対話であったし、相手のすべてを無条件で是認しなければならないという衝動を、正当化する手続きでもあった。そして、自分が相手を理解し得なかったことの許しを乞い、自分に示してくれた、さまざまの思い遺りに対して、深い感謝を捧げるのであった。それは、私にとって、正に祈りといってよいものだった。
 批判も、争いも、憎しみも、人が互いに生きていればこそ存在し得るものであり、いずれか一方が死に至った時には、もはや成り立つことはない。表面的に見るかぎり、死者は敗者であり、もはや、人と競ったり争ったりする資格を失っている。しかし、これが肉身の場合には、残されたものが勝者で、死者が敗者であるとは言い切れない。いな、むしろ、生きている者こそ完膚なきまでの敗者であり、未来永劫、和解への道を閉ざされた断崖に立たされてしまうのだと思う。だからこそ、残された者は、死者に対して、ただ敬虔に祈るしか術がないのである。
 子を失った親の場合には、なおさらである。信仰厚かった私の父が、姉の死後、祭壇に額づいて、以前にも増して、長い時間、祈る姿は痛々しかった。家族の誰もが、父を労わる気持ちをもちながら、それをしなかった。それが父を労わることにはならないことを、よく知っていたからである。父は長い祈りの中で、死んだ姉と二人だけの語らいをもっていたにちがいない。誰もそこに介入することはできなかった。

 この世で、親子の関係ほど、宿命的で、強固で、微妙で、烈しい人間関係はないと思う。子は親を選ぶ権利を与えられておらず、親は子に対して、無条件に自己犠牲を前提とするほどに服従的である。ここには、他人が一切介入することを許さないほどの絆がある。親がどんなに愚かであろうと、また、どんなに間違っていようと、子はその親を、批判したり、憎んだりしこそすれ、その替りを求めることはない。子は親に一途な想いを寄せている。親もまた同じである。
 それにも拘らず、親子は互いに一方的な想いを寄せ合っていて、それが相まみえることがない時には、裏切られたと思ったり、理解されないと思ってしまう。いつかはきっと結びついている糸を探り当てるのにちがいないのだが………。

 伊賀史絵という、桁はづれに聡明な少女が、私を訪れたのは、昭和五十年も暮の十二月五日であった。時々襲ってくる頭痛や立ちくらみのほかに、霊魂との会話や目に映る鮮やかな諸象に、魅かれつつも悩んでいるということだった。豊かな情と繊細な感性を備え、訴え方は、ひかえ目で、それでいてひたむきだった。自分から進んで、脳波、知能テスト、心理テスト、その他の検査を希望し、これらを全て協力的に完了した。ここで、彼女の精神医学的分析結果を公表する意図は、些さかもない。ただ、彼女が知能指数一四〇以上という頭脳をもち、該博なる知識を有していることには、少なからず驚かされた。
 彼女は、さまざまの不思議なことがらに、親しさを抱きつつも、戸迷いと不安を感じ、私にも詳しくそれを説明した。彼女には、いたづらっぽい茶目ッ気もあり、愛すべき我侭さもあった。おびただしい量の本を読み、信じ難いほどの筆まめであった。彼女は異常であるかないかの問題は、ごく少さなことがらだった。はっきりしていたことは、その読書と文筆から、彼女がひたむきに、何かを理解しょうとしていたことであり、必死になって自分を理解してほしいと願っているにちがいないということであった。
 その半ばに、彼女は逝ってしまった。短かい年月の間に、多くの人が一生かかっても、形成し得ないほどの、観念の世界を、燃えるような華かさと奔放さで彩って………。

 彼女の急逝を知ってまもなく、私は偶然にも、井上靖の小説「星と祭」を読んだ。娘を事故で失った父親の心の軌跡は、いつしか、私の姉のことがらと私の父の心のそれでもあり、同時に、強烈なまでに、彼女とその母のおかれている状況でもあった。小説の中では、日本の古代にあった「殯(仮葬)」とこの期間に詠まれる追悼歌、つまり、挽歌のことが美しく感動的に描写されていた。
 このたび、彼女の母から、伊賀史絵遺稿の出版を決意したから、一文を寄せてほしいとの連絡を受けた。彼女の死後一ヵ月余りを経て、挨拶に来られた時の母の痛ましい姿は、私の脳裡にはっきりと刻まれている。母は何、日も、何ヶ月も、死に旅立ったわが子と語らい、そして祈ったことであろう。それは、まさに、殯であり、語らいは挽歌であったにちがいない。その二人の語らいの中から結論されたものが、このたびの出版ではあるまいか。
 母は、この出版をもって、殯の終焉に近づきつつあることを自らにいいきかせ、娘の死を素直に受けとめて、安らかに葬らねばならぬと自分自身に諭しているように思われる。この出版こそ、挽歌を詠い終えた母が、死者としての娘に捧げる冥福の鎮魂歌なのであろう。きっと、娘は母の美しくもせつなる祈りをききながら、永遠の魂の平和を得ているに違いない。

  昭和五十三年六月二十七日記


第一章 交換日記

昭和46年 中学一年

一九七一年 十二月二十日
 夕闇のとばりがおりる時、雨戸を閉めるのは私の仕事です。この仕事は私の大嫌いな仕事です。闇は恐ろしいものを秘めているように思われます。広い庭の沢山の木々は、すべて私の敵のように思われます。縁側の七枚の雨戸を閉めるには、とても長い時間がかかります。でも中学生になってから、あまり恐くなくなりました。そのわけは、またいつか。
 ところで、物語クラブを作りたいと思わない? 毎週か毎月くらいに、誰かが物語の案を出すの。たとえば「カリブ海で溺れ死んだ女」などを題にして、各人が物語、またはソネット以上の長い詩を書くの。そして回し読みして批評し合って……。これが私の夢よ。四組には物語と詩を書いている人、何人くらい居る? 三組には五人くらいだけど、その中で誘えそうな人は花田さんと杉山さんくらいよ。でも物語クラブはやりたいんだな。
 御飯ができたと知らせてきたので、これで。

一九七一年 十二月二十二日
 おくればせながら私の自己紹介。
氏名 伊賀史絵
ペンネーム 小川真理(真理を求めるのだ)
生年月日 昭和三十三年十二月十三日(金曜日?)
趣味 読書。創作。
将来なりたい職業 小説家。詩人。画家。俳句家。できたら母の後をついで名古屋大学の国文科を卒業したい。(カッコイイ)
性格 感情的でロマンチックなことが好きで夢想家でやさしく(?)て、親友を探している乙女なのであります。
宗教 新キリスト教 プロテスタント。
好きな国 イギリス。アメリカなんて嫌いだョ。
好きな学科 国語。数学。音楽。美術。家庭。(サボレルから?)
得意な学科 国語。数学。音楽
嫌いな学科 社会。理科。保体。家庭。
あだな イー。しのぶ。甲賀さん。フーちゃん。
好きな女の子のタイプ とにかく創作していること。
好きな男の子のタイプ 上品で落ち着いていて……ずばりいって一年のM君。

 私、今、他の人が晩ごはんをたべている時、ここにきて書いています。すごく早くごはんをたべちゃったの。そうしたら「史絵。ここにきて英語(学校のじゃないのよ)を読みなさい」だって。もちろん抗議を申しこんだわ。だって大人達って、おとなしいのはごはんを食べてる間だけでしょ? その時間を必死で作ったのに食事になんか行くもんですか。

 今日クリスマス。ツリーを飾りました。そして知っているだけのクリスマスの歌を歌いつくしてしまいました。今年はクリスマス・ツリーが一メートルしかないから淋しいな。
 何だか書くことがいっぱいあるようで、全然ないようで、わかんない。
 何故だか知らないけれど、向こうの方で「英語のテキスト早く持ってきなさい!」って、どなっているからマジメに書けないんだな。また三十分後に。

 三十分後。
 冬休みはお手紙で交換日記やらない?家を教えてね。切手代もったいないから走って行くのよ。近いんだもの。

一九七一年 十二月二十四日
 なぜかなぜか腹が立ってしかたがないのだ。何もそうからかわなくたっていいでしょう。そうM君M君と書くな。こちらは純情なんだよ。直め! それにまた髪型を変えたらチョンバーににらまれるんだ。何も好きで三ツ編やっているわけじゃない、チョンバーに叱られたからだ。「こんなに長くしていたら、だらしないじゃありませんか。長く伸ばしたかったら三つ編にしなさい。それが嫌なら切りなさい。」って、解った? 福岡さんだって髪切ったでしょ? 二年のM君、きっととても残念に思ってるよ。男の子って、だいたい長い髪が好きなんだから。
 通知表どうだった? 私、国語が5だった。(ウレシイ)ところが数学も音楽も4。得意な学科としてはいささか情けないな。三学期は数学も音楽も英語も5を取るようがんばらねば。でないと、家の戸籍上も生理学上も両親と定められている二人の大人に叱られてしまう。

 今日、ささやかなクリスマス。パーティーを開いたの。雨戸を閉めきり、タテヨコ十糎、高さ二五糎くらいの蝋燭を真中に置いて行ったの。聖書を読み、賛美歌を聞きながら詩を書いたの。するとこんな詩ができたの。


 暗き中
 三本の蝋燭の光の前に
 二人の乙女 ぬかずきぬ
 淋しき家にも聖夜は訪れ
 神への祈り 地上を覆う

 空にはひときわ 光る星あり
 天使の歌声 夜空に満ちぬ

 すべての人よ 神を賛美せよ
 聖なる今宵 神の日に


 毎年 蝋燭の光でクリスマス・パーティを行うのは習慣なの。

一九七一年 十二月二十六日 雨
 ねえ、ねえ、ねえ、おねが~~い。NさんにM君のこといわないで。Nさんにはどうしても知られたくないの。たとえ頭文字だけでもよ。もし聞かれたらT君とでもいっておいてね。これもM君の名前の頭文字だから。
 ところでサア。福岡さんの好きなM君てどんな人? やさしい? いつ知り合ったの? 私の方は話せば長くなるので書かないのだ。でもM君は私のことを知っていると思うよ。もし忘れていたら、悲しい――。初恋なのだ。

一九七二年 一月某日
 いろいろ質問されて、どれから答えたらいいか解んないから最後から順にね。
1 タイムトラベラーとても面白いから直ちゃんと同じく見ているの。
2 私の今年の目標は今だに考え中。今、考えて決めますと、こういうことになります。
 (1)人の心の微妙な動きを鋭く捕える目を養う。
 (2)小さなことにも深く考える。
3 私ってね。小さなことですごく喜んだり悲しんだりしてしまうの。自分や友達のいった小さな一言でとても悩んでしまうのよ。友達に何か頼んで鋭く断られでもしたらとても悲しくなり、そんな時はずっと手を机の上に置いて顔を伏せておくことにしているの。不思議に詩を書くとなおるわ。
 ところで直ちゃん。自己分析って知ってる? 六年の頃から私はよくそれにふけりました。
――自分はどういう人間なんだろう?
――自分の性格は何だろう?
――何故自分は生きていなければいけないんだろう?
 その間に私は人間の性格がとても複雑であることを知ったのよ。一番よく知っているはずの自分自身さえ、まだ本当に解っていないことに気づいたの。だから今でも時々自己分析にふけるの。そうすると、いつもじゃないけれど自分の性格を発見することがあるの。

一九七二年 一月某日
 私がさ細なことですごく悩んだことは書いたでしょう。物事をあるがままに受け取っていたら、私は四年前に自殺したわ。私だって十三年間に物事を良い方に曲解する術くらいは会得しているのよ。
 さて、私にはまだよくわからないけれど、活発で面白い人には二種類あるのじゃないかしら?まだよく分析できないけれど、その人たちは全然ユーモアの程度が違うのよ。KさんやAさんなんかは慣れていないせいか附き合いにくいのよ。何か一言真面目にいっても、すぐ物笑いの種にされちゃうんだもの。合わせようと思ったら合わせられるけど、後ですごく疲れちゃうんだ。その点杉山さんなどはずっと附き合い易いな。ちゃんとけじめがついているから。
 私―日本も原子爆弾をもってるって話だけど、もうないのよ。
 スリ(杉山さんのこと。スリ山ハゲ子)――何故?
 私―私が盗み出したから。
 スリ―やったわね。どこで爆発させるの?
 私―今地図を見て考えているところよ。
 スリ―そこらへんにでも落としときゃいいのよ。
 なんて恐ろしい会話をする時もあるし、真面目な時は詩の真実性について討論したり、他の人の性格の良し悪しを話し合ったりするの。だからいつの時も私のとても大切な友達。あれで割と女の子らしいところもあって「星のファンタジー」とかいう詩も書いているのよ。福岡さん、何故親友をつくろうとしないのかな。詩を書いている人、深い思想を持っている人って、割合沢山いるものなのに。

一九七二年 一月二十日
「星の王子さま」のことだけれども、私は小さい小さい頃(十センチよりは大きかった)から親しんでいたので別に深い感銘も受けなかった。その代わり、中学生前の春休みに読んだボーヴォワールの「人はすべて死す」には考えさせられたことがあったのよ。あたりまえの題だけど不思議な中身なんだ。これにちょっとばかり、凄く深い影響を受けた感じ。それから好きなのは稲垣足穂の「一千一秒物語」。

一九七二年 一月某日
 府県別試験良かった?私は組で最高が二つもあったので喜んでいるのだ。その一つはもちろん国語!
 私も千羽鶴を折っているのだ。でもこれはヒミツ。千羽鶴というものは人に手伝って貰わなくて自分ひとりでコツコツとやってこそ意義があると思うから。ところでねえ、折り紙代五十円くれない?今のところ財布が軽くて困ってんの。ョョョ……
 福岡さん、月見草って知ってる?月夜に大きな白い花を咲かせる夢幻的な美しさを持った花よ。ただし現在は多分無いだろうと云われている悲しい花。亜熱帯もしくは熱帯の花だと思うの。私の大好きな花なんだ。

一九七二年 一月二十五日
 暗い教室の中で聞いた。少年が死んだことを。雨の降る日の夕方。
 笑いさざめく声。流行歌のメロディー。その中で時計の針だけが無情に進みゆく。不思議なムードの教室で。
 四時三十七分。笑いがとぎれ、僅かな沈黙。コン……コン……のみでドアを叩く音。怖い……急に教室がとても暗いことに気づいた私。――これから悪いことがおころうとしている。ただ怖い……胸がつまったその瞬間、一人の男の不吉な声。
 「十一組のK君が死なはったそうや――電車に轢かれて――陸路先生が馳けつけて――浜寺病院で――今死なはったという知らせが来た……。」それから彼はもとの用務員のおじさんにもどる。「はよう帰りや……」彼は去った。ほとんど皆に気づかれもせず。静かに去った。
 いつしか私は立っている。樋上さんが急に教室の隅に行き―泣く。泣けない、私は泣けない。涙が出てこない。
 死んだ。電車に轢かれて。ついさっき。ああついさっき。今しがた私は何をしていたか?笑っていた。他の人は何をしていたか?歌を歌っていた。そんな時に一人の少年の命は昇天した。むごい……すべてむごすぎる。その少年の――未来が消えた時……。
 見える、少年の血みどろの死体が。私の前に。青ざめた顔の冷たさが身にしみる。しかしそれは幻だった。ああ、すべて幻であってくれたらいいのに!
 死んだ。少年は生きたかった。なのに死なねばならなかった。
 ――私は雨に打たれながら家に向った。それが未知の少年への私の償い。私の心の内に恐怖がある。その恐怖から逃れるためにたった一人家路につく。
 こわい……永遠にこの世に生きられぬ少年がこわい。
 門を入り、まっすぐ自室に赴く。弟がくる。紙片を持ってくる。その紙片を手に取る。手が震え紙は破れる。何もかも夢のようだった。弟は怒る。筆箱をふりあげる。が、何も聞えない。ただ弟の動作だけが目に入る。黒いそれが、視界の中で黒く硬い物体に変化し、恐怖が私の心を強く動かす。
 私は泣く。激しく泣く。弟が、いつ去ったのか、私は知らない。

一九七二年 一月某日
 福岡さんは蝶が嫌いだから、蛾も嫌いでしょう?でもね、とても美しい蛾もいるんだ。蝶はあまりにも軽やかすぎて、好きじゃない。それに何故か、ああいう小さい生き物は好きじゃないんだ。死ぬからいやなの。それに鱗粉だとか小さな毛とかが指にくっつくでしょう?そうするとぞっとするわ。夜集まってくる蛾は、蝶以上に大嫌い。バタバタしていて気持ちが悪い。けれども、一回だけ例外があるのです。一学期、体育館の裏で花田さんと一緒に居た時のこと。草むらの中に、一匹のとても大きな蛾を見つけました。肌色とピンクの、まだらの羽を、ゆっくり上げ下げしているその姿を見て、最初に感じたのは美の陶酔。神秘の世界へひきこまれていくようだったわ。気配に気付いてすぐ飛び上がって、ゆったりと鳥のように早く飛んでいってしまった。あの蛾はまったく美しかったと思っているの。
 この頃ずいぶんいやなことが続いている感じ。K君のことで相当ショックを受けたし、食欲はないし、英語のテストでは散々な点をとるし。

一九七二年 一月二十八日
 私はペンネームをいっぱい作っているの。怪奇小説時は杉本妖子だし、少女小説は杉田真奈美。うまくできた小説は、だいたい小川真理。でも、こわーい詩は、北田魔子でもいいと思っているの。ところで福岡さん、「階段」を読んで、恐怖感じた? もし感じたら、明日そう書いてね。一人で喜ぶから。でも即席で書いたから、文がなってないって感じ。そこはまあ目をつぶって……。この頃は恐い詩専門よ。ほら、こないだK君のことを書いたでしょ? あれからなの。ゆくゆくはポオのような詩人になろうかしら。いや、無理かな。才能がないよ。福岡さんみたいに、才能のある人はいいね。「友だち」っていう詩、ほんと、ぜったいすばらしかった。
 北川さんのお見舞いに行こうと思って二百円で花を買ったんだけど、そこで奇妙なことがあったの。チューリップを買おうと思って「一本いくらですか?」て聞いたら「五十円や」ていうの。そこまではまあいいのよね。「何にするんや?」て聞かれたから「お見舞いに持って行くのです。」て答えたの。そうしたら「少しまけたげるわ」といって色々花をとってくれたの。マアそこまでもいいんですよ。ところがその作ってくれた花束を見たら、チューリップ四本、あやめ二本、水仙二本、フリージア二本、蘇鉄みたいな葉三枚もくれたの、あの人、頭おかしいんじゃない?

一九七二年 一月某日
 私の尊敬している人は、と申しますと……
モンゴメリー……人の心の微妙な動き、乙女時代の空想などを、この人のように美しく書きたいのです。特に「エミリー・ブックス」なんか最高。「赤毛のアン」より素敵よ。深く艶のあるエミリーの性格が、とてもよく出ているの。作家になるとしたら、ルーシー・モンゴメリーのような人になるわ。
ポー……心理的恐怖の世界の大家ね。少女小説作家になれなかったら、エドガー・アラン・ポーのような怪奇作家になりたい。だって今のところ、一番うまく書けるのは怪奇小説だもの。
シュトルム……抒情詩のような透明な悲しみを、短編で表す人。詩も書いているのよ。この人の小説を読んでから悲しくなったの。でも素晴らしい悲しさ。こんな悲しい小説を書きたいなあって思ったわ。こんな、胸に浸み入るような小説はいいな。
ボーヴォーワール……本当はこの人の本、とてもむずかしいんですって。でも、この人の「人はすべて死す」を読んでから、生を厭うようになってきたと思うの。

一九七二年 一月某日
 この頃どうかしている。悩みごとがいっぱいありすぎるんだ。
 百合のように淑やかで美しい人。繊細で感じ易い人。薔薇のように深みがあり、激しい人。それが私の理想です。
 今、サン・テグジュペリ「夜間飛行」を読んでいるところです。

一九七二年 二月七日
 今日は、まったくもって腹の立つということがありました。英語の先生が休みだったので、私は「かげろうの日記」を読みながら、千羽鶴を折っていたの。普通私は、本を読みながらあたりに注意することはできるけれど、今日はその注意が全部鶴に向けられていたため、まわりは全然見えず、聞こえず、の状態だったわけ。しばらくそうしていた後、何となく第六感が働いて顔を上げたら、皆がニヤニヤしてこっちを向いているの。英語係が「本を読むのはいいけれど、鶴はやめろ」って言ったらしいのよ。穴がなくとも入りたいほど恥ずかしかった。
 それから、これもやはり今日のことなんだけど、福岡さんが日記を持ってきてくれたので、美しい笑顔をしてドアに馳けよったら、どういうわけか同じドアから入ってきた北田君が、私と目が合った瞬間、ニッコリしたの。不愉快である。
 登山のことだけど、私はどういうわけか班長になってしまったの。班員は才崎さん、花田さん、杉山さん、吉田さんの四名。何故この中で、山に弱い私が班長などになったのだろうと疑問を感じております。
 ところでね。この頃の男子はあやとりなんかをやっているでしょう? 気持ち悪いと思わない? まるで女の子みたい。あやとりの好きな男子なんて大嫌い。軽蔑しちゃう。
 Kさんのことだけど、Kさんは一人っ子だから少しくらい我儘なのは解るけど、彼女はちょっとそれが過ぎるみたいね。あの人は目立つのが好きなんだし、人の注意を自分だけに集めたいんじゃないかしら。だから一人で歌を歌う類のことも、かえって歓迎するわけよ。福岡さんはどう思う? Kさんの友達はIさんとか。おとなしい人ばかりでしょ? Kさんは私の性格を読み違えているのではないかしら。私はKさんに接する時は、猫をかむっていつもおとなしくしていますから。
 またまた話を変えまして、浜崎君のことだけど、私は冬休み中に浜崎君のある一面を発見したのであります。浜崎君はね。ニューセンターですごくまじめにアルバイトしていたわよ。ちょっとばかり見直した感じ。
 ちょっと宿題をしなきゃいけないの。バーイ。
 まどか様←この名大好き

一九七二年 二月九日
 万年筆にて失礼。夜のとばりがおりるまで(ということは、おばあさまがここにいらっしゃるまで)書かせていただきます。実は私の愛すべきシャープペンシル(名はヴィクトル)が、トイレに入った時、あれよあれよと見る間もなく、ポトンと(どこにかは解るわねえ)落ちてしまったのでございます。この夜更け、鉛筆で削るのも音がするので無理かと思いまして、やむなく万年筆で書いているのでございます。
 自殺について――自殺とは己に負けた人がやることだ、と人は皆こういいます。けれども私はむしろ、自殺をする人は己に勝った人だと考えているのです。私たちは、とりわけ鈍感な人は別として、一生に一度くらいは死にたいと思うことがあるはずです。そんな時、その人はすぐ自殺するでしょうか?そんなふうでしたら人間は絶滅してしまいます。辛い時、悲しいとき、命を断ちたいと思うのは人間にしかできないことです。貴女の所の犬が自殺したなんていったら貴女は笑い出すでしょう。人間はまだ野獣であった頃の本能を多分に持っています。生への執着もその一つです。だから自殺をする人とは、その本能に打ち勝った人――と考えてもいいのではないでしょうか。ということは、自殺は真に人間的な人間のすることとなります。「自殺をするのは簡単だわ」そういっている人は、自殺するときの自分を考えてみて下さい。貴方はナイフで喉を突きささなくてはいけないでしょう。その時の痛みを想像してごらんなさい。あるいは火事の中へ飛びこむのも一案です。焚火の煙にもむせかえるあなたが、それよりもっとひどい煙の中へつっこまなくてはいけないのです。できそうもないことでしょう。大抵の人間はここまで考えて自殺をやめてしまいます。けれどもやはり自殺する人間はあるのです。右に書いたようなことも辞さないほど、この世を厭わしく思っている人の心の奥にある悲しみ、苦しみはどんなでしょう。ここまで考えるに当って、自殺した人は、この世を去って、かえって幸せなのかも知れないと、私は思わざるを得ないのです。私には生きる権利があるように、自殺する権利もあることを嬉しく思います。
 悲観的になっている佳冬より
 真生へ

一九七二年 二月十三日
 私の家は何というか、非常に変な所で、厳しい家なのでございます。何故かと申しますと、私は絶対にこの家の中で堂々と本を読めないのでございます。またまた何故かと申しますと、本を読むと私は夢中になりすぎて、せねばならぬ用事まで忘れてしまうからでございます。また本を読んだ後、三十秒くらいはその本の中の世界を抜け出せず、夢うつつになってしまうからでございます。そこで私は小説、マンガは一切読んではいけないと祖母にいわれまして、それからすべてを箱に詰め物置にしまわれてしまったのでございます。それ故私が貴女にお貸しできる本は、弟の本箱からこっそり抜き出してきた本か、引出しの奥にしのばせておいたがために箱入りを免れた小さな文庫本だけなのでございます。またその時、私には読めないと思われていたムツカシーイ本も箱入りを免れましたが……。本を貸せないこともさることながら、本を読めないことほど辛く苦しいことは私にとってはないのでございます。それ故話は変わりますが、私が堀辰雄集を読むのに、あまりにも長くかかるのをお許しください。普通なら二、三日もあれば読めたでしょうに。本に夢中になりすぎた我が身が悔やまれてなりません。……というわけで、上記の本はやっと今読み終えたところ。
 ところで自殺は卑怯だと思う? 私には、何故人がそんなに夢中になって生きたがるのかわからないの。生きていて何になるの? 私達のこれからの人生は、楽しいかもしれない。けれど、悲しいという割合も同じようにあるわ。あるいは、その両方が交り合っている。ところで、人生の楽しさとは何かしら?私には特別楽しいということは思い浮ばないけれど、人生の辛さ、苦しさならまざまざと思い出せるわ。これから先、人を傷つけたり自分が傷ついたりして生きていくよりは、自分というものがこの世に居ない方がどれだけいいか解らない。結局自殺した方がいいと私は思うのよ。右のように書いたからって、私を自殺賛美者だなんて思わないでね。私の中の佳冬は自殺したがっているけれど、摩子の方は何ともいえないし、真理は真理を探究して生きて生きたいと思っているし、妖子でさえも大人になってから素晴らしい小説を書きたいと思っているんだから。つまり私の中には自殺したい私と、なんともいえない私と、真理を探索追究して生きていきたい私と、大人になって素晴らしい小説を書きたい私とが居るんだから。それからいい忘れたけれど史絵は現在のために死にたくないと思っているわ。今日はこのへんで。

一九七二年 二月某日
 雨の音って、いかにも心が落ち着くって感じしない? ストーブの燃えている個室で、ただ一人静かに雨を聞きながら机に向っていると、自然に小説ができてしまいそう。勉強もはかどること請け合いよ。そしてその後で雨あがり。すがすがしい大気の中を緑輝く原に出て頭を冷すのも一案。もっとも現実はそううまくはいかない。
 だからそのことは考えずに、話を変えまして、福岡さんは宝石の中では何が一番好き? 私はパール。つまり真珠なの。ダイヤモンドは華々しすぎて好きではないし、水晶は名はきれいだけどガラスみたいだし、色つきは着色みたいで好まないの。真珠はその点、上品で優しさがあって大好き。真珠にもいろいろあるけれど、ホワイト・パールがいいと思っているの。
 ところで、福岡様。折り紙は大好きですか?いつぞや貴女の所に折り紙の本があると聞きました故、できるものなら一度お借りしたいと思いますの。私、折り紙を好むこと、非常に、であるが故に、面白い折り紙がありましたらこのノート、または教室にてお教え下さりませぬか。人の顔ができるもので、面白いものがあれば良いのですが……。今のところ私、仏面、般若面、翁面、それに狐面くらいしか知りませんので……。

 このごろ詩はどんどん作れるんだけど、小説はさっぱり。案は腐るほどあるのに何となく書く気がしないのが現状よ。何かと悩みが多いのに日記も放ってあるし。
 ああ
 何と我が身のはかなき頃
 日暮れる太陽の如く
 ただ沈める
 誰故にか
という気分なの。溜息を吐くつもりで即席に作ったからおかしいとは思うけど、まったくその通りの気持なんだもの。あっ、ナイス!いい思いつきが浮んだ。昔風の言葉で書いてみようっと。(と詩のノートに向う)……一時間後、ついでに入浴して髪を洗ってまいりました。ここで詩をひとつ……

 夢から夢へ

 急に湧きおこった天使の声のように美しい合唱
 それも遠のいていき
 みじめな自分が目にうつる
 私は野原に座り
 どこからきたとも知れぬ女に尋ねる
 「何ていう名?」
 「前には私にも名前があったの。けれど今は思い出してはいけないのよ。」
 「なぜ?」
 女は青空を指す。
 私はこの女を羨んでいる。女は無知だ。
 「花って美しいけれど。本当は悲しいよ。だから涙を流してはいけないの。古い夕暮れのように黙っていなければいけないのよ。」女は続ける。
 「一日のうちにね。一度だけすべてが空白になってしまう時間があるわ。それに気がつくと、人は心に美を持つの。」
 ゆっくりと私はその女から去っていった。
 噫、また歌が聞こえる。
 これ以上このままでいたら自分をなくしてしまいそうだ。

 思いつきで書くと、やっぱり変な詩になっちゃう。才能ないのかしら? 悲しいわ。

一九七二年 二月某日
 おはよう福岡さん! 今日は私たった一人でベッドの上で書いてるの。何故かともうしますと祖母が居ないので(私はいつも離れで祖母と弟と寝ている)弟は母と一緒に寝ることにしたからよ。うちのお母様は、女の子がたった一人離れになんか寝るもんじゃないっていってたけど、こわくなんかない。
 さて、ところでゆうべ十時半、私はベッドの上で考えました。このままここに起きて、一時間ほどで三頁書くよりは、今夜このまま寝て、朝いつもより一時間早く起きた方が健康に良いんじゃないかしら? 実のところ、私は早起きが大好きなんです。あーあ(と溜息をついて)自分の部屋で一人で寝ていた頃は良かったのに!!
 ところで、今すごく変な夢を見ていたの。早起きをして良いところは、急にベルの音で起こされるから夢を覚えていられるっていうこと。他の一つは、勿論、時間が手に入ること。
 ところで、夢のことを少し書きます。あれ? どこだっけ? そうだ! 私は真面目に社会の問題をやっていたのだ。必死で川の名を地図に書き込んでいたの。勿論アングロアメリカのところ。そのうちにこんな問題にぶつかったの。「一つだけ東から波の打ち寄せる所がある。何処か?」何だか解んないから、メチャメチャな答えを書いておいたの。そのうち、ふと思いついたんだけど、東には極があるから(本当は北なのに)それが波に影響して(あり得ないよね)打ち寄せるかも知れない。そこは実地で確かめることにして、私はアメリカ大陸に降り立ったの。地図の上に足を降ろすと、地面はどんどん大きくなっていって、とうとうメキシコ半島が霞んで見えるほど大きくなったの。(でも実際よりははるかに小さかった……)そこで私は一人の男を地図の上、つまり北の海に置いたの。その男は死んでいたんだけど、あそこらへんに、ホラ、細々した島があるでしょ? それにぶつかって、どこにも行けなかったの。それでも少し東(本当は北)に行っているみたいだったから、ここだな、と思って満足した途端、私はすごく小さくなって、アメリカ大陸の人になっちゃったの。そこで色々と事件が起きて(それは省く)私は学校に行ったの。何だかとても嬉しくて、笑ってばかりいたみたい。ところが花田さんと杉山さんと一緒に校門を出たら、M君に出逢ったの。私はもう必死で笑いを噛み殺したわ。だって今のところ、M君の前ではションボリしていなければならないんですもの。(現実でもそうよ。)すれ違って階段を降りかけた時、急に何もかもが透明になってきて、私は、今、夢が終わって、眠りから覚めるんだなあって思ったわ。目覚めるときに意識があれば時々そうなるの。「これから急にまわりが闇になって、目をあけようとしてもあけられない状態が続く。そのうち、不意に目を押さえている力が弱くなり、目をあけるんだな」って。ところがところが、急に目覚まし時計がリリリリリ……ン、と大きな音で鳴り出したの。ゆうべ、用心の為に私がかけといたやつ。まったくもうイメージぶちこわし、これから何秒かの間は、暗闇の中を散歩しようと思っていたのに。
 眠りから覚める時の気持、ルーシィ達がナルニアから帰ってくる時、それから行った時にはこんな感じがしたかしら? すごく良い気持なのよ。
 あっ、もう七時五分。ベッドから抜け出さなくては。バーイ

一九七二年 二月十五日
 朝、九時三十七分。英語の時間。ちょっと!まだ山川先生こないの。ひょっとしたら今日休んでくれるかしら。昨日六時間目の英語なんか必死だったわ。あの先生ベルの音が聞こえなくて、いつもより二十分多く授業をやっちゃったの。でも外でウロウロしていた黒崎先生の顔って、面白かったよ。
 アッ、黒崎先生がきた!やはり山川先生はお休みかしら。……っと思ったら、やはりきてた。ワァ~~ン。(長い長い嘆き)

一九七二年 二月十七日
 前略。何故アンクレットが嫌いなの?(と急に書き出す。)私の考えでは、ランダルとベービスを束にしたよりずっとアンクレットの方がいいように思えるのに。私、ランダルは嫌い。何故かと申しますと、あまりにもありふれていて、月並みのことしか言ったりしたりしないもの。ベービスも同じ。ああいう型の人物は、いかにも”作り上げた”という感じがするの。色んな本でよく見かけるおきまりの男の子だわ。主人公はすべて美しく、勇気があり、正直で……なんて面白くない。私が少女小説を書きたがるのも、そう思うせいじゃないかしら?つまり私は完全な『人間』というものを創作してみたいわけよ。エルアンヌはその点、右にくらべれば少し個性的で、自分の思想を持っている人物だと思う。エルアンヌはランダルと領主との取引を面白そうに眺めていた場面、ディーンに落ち着かずモンゴメリー家の人々の方に戻って行った場面、城主に向ってもの静かに反対した場面などが好き。それから何故かアンクレットも好きなのよ。
 ところで福岡さん、折り紙好き? 私が大好きなことは前にも書いたけど、なんだか福岡さんの折り紙の作り方と私の作り方と、まるで違うんですよ。それで色々作って交換してみたらどうかと思います故お返事をお待ち申し上げます。また折ってノートにはさみたいのですが、私の折り紙のやり方で折りましてはさみますと、鼻がつぶれたり(つまりロダンの「鼻のつぶれた男」になってしまうのだ)身がゆがんだりしてしまうのです。ゴメンナサイ。

一九七二年 二月十九日
 私の心の中には色んな私がいるんだけど、それが全部極端に変わっていて、二人の私が一緒に出てくることはずいぶん稀なの。だから時々私ってすごく変わり者じゃないかって思ってしまうの。
 ところですごいニュース! Kさんが私と親友になりたいんですって。昼休み、私を呼び出して「親友になってくれない?」ってそういったの。ところが悲しいかな、私その時は”ゆかり”だったの。つまりすごくやさしい気持ちだったのだ。今から考えると、その時からずーっと日の入り時まで私あの人の魔力にかかっていたんだわ。と…… 何が何だか解らないだろうからもっと具体的に書くね。
 それは恐るべき金 日におこったことなのです。金曜日にいいことはありません。Kさんはその日私に親友になってくれと頼みました。そうです。これこそ恐ろしい魔女が私を重くまつわりつく網に引き入れるためのワナだったのです。(ちょっとやりすぎかな?妖子に書かせたからだ!)調子を変えて――三十三間堂(つまり三棟と二棟の間の二階の渡り廊下のこと)でそういわれた時、ひどくびっくりしちゃった。まさか無下にいやともいえないでしょ? だから「親友て作ろうと思ったってそう急にできるものじゃない」とかいう意味の事をものやわらかにいったの。「だけどそれは順々にやれば良いんじゃない? 、まず友達になる。お互いの家に行き来する。そうやってだんだん親友になって行くんと違う?」「そうね。でも……」「伊賀さん、ちょっとお話があるの。○○○○を買うからお金貸してくれへん?「いくらくらい?」「そうねえ、いくら持ってるの?」「四百円くらいなら。」「まさかこれ以上は要らないだろうと思って私はそう答えたの。だって○○○○は普通三十円から五十円くらいだったもの。「五、六百円要るんだけど。「なんでそんなに要るの?「うん。高いの買うねん。」「私は四百円しか貸せないけど、また友達に聞いといてあげるわ。  今から考えると、そんなにまでする必要なかったのに。ところでこれからもっと腹の立つ話になるんだけど、学校が終わってクラブに行こうとしたらKさんがやってきて「どうしても今日要る用ができたの。友達が待っているのよ。今日そのお金くれへん? 家まで貰いに行くわ。」そして私はどういう気になったかその通りにしたの。クラブを休んでね。――私、クラブが大好きで、どうしても休みたくなかったのに、Kさんが泣きつくやらおどすやらで、どうしてかそうしてしまったの。今考えても自分を叩いてやりたいくらいだわ。だって何もそこまでする義理はなかったし、クラブはどうしても出なくてはいけない時だったんだもの。でもそこで二人して家にもどりお金を取ってきて、ついでに私はノートを買わなくてはいけなかったので六十円貰って家を出たの。何故って途中からでもクラブに入りたかったから。そうしたらKさん、ジャスコまでついてきてねっていうのよ。もっとも○○○○は高いのになるとあそこらへんでしか売ってないけど。そして「電車賃は?」といって、私の持っている六十円をジーッと見るんだもの。もし途中に○○○○を売っている店がなかったら私ジャスコまでつき合わされかねなかったわ。そこで三百円の○○○○を買って学校へ赴いたの。そして私はクラブに馳けつけたんだけど、もう終っていたわ。そしたらKさんが、さっき買った○○○○をX君に渡してくれっていったの。私、いやだったわ。誤解されるんだもの。だから間接的に渡したの。そしたら怒ったの怒らないのって。本人に渡してくれっていったのにってね。一区切ついてから「裏から帰るの?」て聞いたから「裏から帰るんよ。」って答えた。だから二人で裏から帰ったら、そこらへん散歩しようっていうの。本人に渡さなかったお詫びに、だってさ。そしてそこらへんの店に行ってチョコレートを二五〇円も買ったのよ。一緒に食べようって。どうしても五百円以上要るっていうからノート代の六十円も一応貸しておいたのに。それで、「他の人の○○○○は買わなくていいの?」て聞いたら、(Kさんは二人の人に○○○○を買うって言っていたから)「うん、もういいねん。」だって。それにどうやら友達が持っているのも嘘らしいの。だってあれほど気にしていた友達なのにすっぽかして帰るんだから。後でもう一度お金のことを聞いたら、明日お母さんに三百円貰うからいいんですって。そんなに簡単に貰えるお金だったら……って思えてこない?それから私達はうら淋しい田畑を少しうろついたの。そしたらあたりは明るいのに日が今にも沈みそうじゃない?そこで私はもう帰る。ってKさんに告げたわけ。ところが今度はチョコレートを家に持って帰ったらお母さんに叱られるから食べてから帰るというの。そこまで付き合わなくても買ったのはKさんの勝手なのに。でも私はその近くの池の岸に座り、いくらかのチョコレートを食べたの。見ているうちに日は暮れたわ。そこで私は絶対に帰らなくてはならないってKさんにいったわけ。そうしたらKさんがいうには、「私、裏門から帰るのは初めてだからどう帰っていいか解れへんねん。家は堺なんだけど裏門から帰ると遅くなってお母さんに叱られるからこっちから送って行ってね。」その瞬間、私は”ゆかり”から”真理”に変わったの。あんまりですもの。私だってこれからすぐに帰っても怒られること間違いなしなのに。それをKさんと一緒に付き合っていたんだから。それに堺の方は全然知らないし、今居る所からさえ学校を頼りに帰れるかなってくらいだったの。「一人で帰ったらいいわ。」「送って行ってよ。」「嫌よ」「いいもん。私一人で帰るから。」遂にKさんはこういってむこうに向って一人で歩き出したの。その時私は悲しかったと思う? いいえ。私は嬉しさとほっとした気持のあまり、震えるような溜息を吐き、自分の家へと馳け出したの。妙に身体が軽くなったようなの。Kさんの母親は丁度アウグスツスの母親がしたように、自分の子への小さな願いごとをかけたんじゃないかしら。そのためにアウグスツスもKさんも不幸になったんだわ。その願いごとはこうよ。”誰も彼女に逆らえないように。”

一九七二年 二月二十四日
 今から書くことは誰にも言わないでね。花田さんの他は。こわいんです。怖くて怖くてたまらないから書くんです。これからここに書く事は皆本当のことです。実際に、今現在、出逢っていることなのです。実は……
 誰かににらまれているみたいで書けない。ねえ、福岡さん。福岡さんも私みたいに毎夜悪い夢にうなされて、その時見た夢がその通り現実になったらノイローゼになるわよ。はっきり書けば、A君の死も、未知の少年の怪我も(ホラ、朝礼の時、校長先生がいっていたでしょ?)私と花田さんには事前に解っていたの。―――夢でね。それが美術室の裏にある鳥居と、その鳥居と校舎を結んだ線上にある骸骨形の池などを考え合わせると非常におそろしい事実になってくるわけ。また気が向いたらもっと具体的に書くね。
 じゃあ、バーイ。  妖子

一九七二年 三月四日
 x+y=ax=bx=cx………………などと私は今必死で勉強していません。教科書も開いてないのが実情。でなきゃこんなもの書いているわけないよネ!何故って?これは私のささやかな反抗。いいえ、私は母とも父ともいさかいを起してはいないの。反抗しているのは自分自身へ。私は真面目に興味を持って社会の教科書を読んでいるの。題は「オセアニア。」ノートに沢山漢字を書きつらねているの。蝶、桜、鳳……云々。さぁ、明日の成績が楽しみよ。それからそれを見た時のお母さんの顔も。
 ひどい字、許してね。それに日記の書き方が前と変ってやしないかと心配なの。だってあれから色んなことがあったのですもの。
 嬉しいこともあったのよ。そのベストワンは、スリ(杉山さん)と夏、祖母の実家へ祖母、弟と共に一週間泊りに行くことが本決りになったこと。ちょっと子供っぽいかな?けれど私はそこへ、大人になりかけた子供、としてではなく、まったくの子供として行くつもりだもの。そこは山奥で、祖母から聞くところ、木登りに最適な大木がいっぱいあるんですって。私達は一日中外に出て、木陰に座り、ゲーテの詩を朗読し合い、冗談をいい合い、笑い合って楽しもうと思っているの。けれど弟がムードをぶちこわしはしないかと、とても心配……。

一九七二年 三月某日
 少しばかり憂欝な日。悪いことばかり起る日。明日が今日ほど悪い日でないように。明日は英語、家庭科、音楽。やる気なくしちゃうな。今日はすごく悪い日だった。もし自転車でもあったら散歩(いえ、散走)して気分転換したいんだけど、おあいにくさま、自転車がございませんので、家で勉強している他ないの。佳冬じゃないけど自殺したくなってきた。明日学校へ行きたくないな。何故かと申しますと、実は~~~というわけで、ああなって、こうなって、そうなって……というわけなの。まったく以て腹が立つのだ。と一人で怒ったってしょうがないけど。
 友に裏切られしこの心、悲しく沈みて……あ、花田さんがきたわ。じゃバーイ。

一九七二年 三月九日
 地球には悪があるの。地球には不可解なことが沢山あるの。ところで「悪」って一体何なの? 一般に、人の心又は身体を傷つけることを悪いことだという。けれどももっと深い所で、もっとずっと恐しい何かが蠢めいている気がする。それが真の悪だと私は思うの。それは一体何なのかしら?
 地球には公害があるわ。戦争があるわ。けれど私は、これを他人ごとのように遠くから眺めることしかできないの。それをなくすのは人類の為だということは解る。けれども星のきれいな夜、空を眺めてごらんなさい。この宇宙に比べてみれば、人間はビールスより小さい生物だわ。目に見えないほど小さい生き物が、小さな星の中で蠢めき、互に殺しあったり傷つけ合ったりしている。自分が少しでも良い思いをするためにね。何か滑稽じゃない?
 人間の心は実際は穢いわ。いつも自分が一番になりたくて、自分だけが幸せになりたくて苦しんでいる。真の悪は人の心の中にあるんじゃないかしら。その人間の心が一番恐ろしいものなの。

 学校の話題
 今日Kさんにめでたく(?)三一五円を返済して貰いました。♪♪♪♪♪♪♪♪♪(ベートーベン作曲喜びの歌)
 ところで今日の送別会、面白かったネ。歌が多かったようだけど、やっぱりそれは音楽部が一番。さすがきれいだった。H君の落語も面白かった。本職の落語家みたい。テレビに出たらいいのに。
 ところでテストどうだった? 私は国語を例外として他は悪かったの。奇数組の数学テストはすごくむずかしかったらしいわ。殆どの人が全部できなかったらしいの。(もちろん私もその例にもれず)数学なんか返して貰いたくないな。だって五〇点以下だという確信<?>があるんだもの。社会も絶対六〇点以下。(本当のことを申しますると、私六〇点以上とったことないの)最後の頼みの綱は英語。しかしこれも無理だろうね。アーア、こんどの平均、五二点だ。
 ところで――と。Kさんとの深刻な話って何だったの?「ねぇ。親友になってくれへん?」……そういうような予感がしたんだけど違ったかしら? ちょっと話がずれてきたので。

 妖子からまどかへ。
 超能力者の話題。 スリ(杉山さん)の悪い予感は必ずあたるの。テストの点、もすごくよくあたるわよ。それは筆跡で解るんですって。私も数学のことを考えながら横書きに字を書いてスリに見せたら、大たい七〇点前後でですって。また、その数学のテストに関して悪いことが起るんだって。さらにまたスリは、テストを全部返して貰うまでは親に見せない方が良いって忠告してくれたの。
 そういうことは私自身にも少しあるのよ。私、指先で色が解るの。少なくとも冷い色と暖い色の区別はつくわ。本当よ。
 それから例の夢の件。K君が死んだとき、私、詩にも書いたように相当ひどいショックを受けたのよ。何日か後、ある女があることをしなければその人をK君と同じ目に合わせるという夢を見たの。それから暫くしてA君が死んだのよ。次に花田さんが私の夢のと同じ女の人が、ある人にすごい傷を負わせた夢を見たの。その次の日、男の子が自動車に轢かれたの。命は助かったわ。最後に私は例の女が男の人を誘惑する夢を見たの。(変な意味じゃないのよ)もう少しで成功するって所で夢が終ったの。そしたら男の子が自転車を置いて逃げて、命からがら助かったって話を聞くじゃないの。そういうこと私すごく好きなんだ。でもこう何もかも符合すると何だか恐い。だって超能力者で幸せな人っていないんだもの。

――参考――
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一九七二年 三月十二日(日曜日)
 日曜日はいつも憂うつな日。なぜかは知らねど心佗びて、いつも頭が痛くなるの。けれどうっかり頭が痛いともいえないのだ。ピアノに行きたくないからでしょう、とか、勉強したくないからでしょうとかいって、怒られるだけだもの。そこで私はおとなしく教会へ行き(ここではバカを見た)ピアノへ行き(さんざんしぼられた)そして今これを書いているのであります。先週はとても友人のことで悩みの多い週だった感じ。今週はそうでないように。
 もうすぐ二年生。この一年を返り見て、私達の心がどんなふうに変ったか考えるのに、良い時期ではないでしょうか。私は以前にくらべて社交的になり、かつ、おとなしくなりました。以前に比べて、人間の心というものをよく知るようになりました。小さなことで心が如何に大きく傷つくか。ということを学びました。人がその友人に何を求めているか、ということもある程度解るようになりました。それは人様々ですが、ある人は真面目に話を聞いてくれる人を望み、ある人は冒険の仲間を望み、またある人は自分に忠実であることだけを望んでいます。この一年、私は自分の前に理想の女性なるものを掲げ、それに向って努力してきました。いくらかその目標に近づいたと思うと、私の心は喜びで満たされます。この一年、私は真にキリスト的な愛と献身を求め、その一端をつかんだような気がします。この一年、私は冷静と落ち着きと、何よりも本当に心の合う友達との語らいを見つけました。この一年、私は心から笑うことを覚えました。初めての中学校生活。これが私にとって意義深いものになるように私は願います。私は二度と帰らぬ中一時代を後にしてゆくのです。

一九七二年 三月某日
 赤軍派って哀れだと思うわ。あの人達にも初めは美しい理想があったはずよ。国家を良くしようとか……。それがいつのまにか殺人者の集団になってしまって。新聞を読んでいると、永田って人、精神異状じゃないかと思えてくるわ。あんなひどいことが平気でできたんだもの。どうも警視庁の檻よりは精神病院の檻の方が似合っている感じね。 けれども…(と、またいうのはあまのじゃくでしょう?佳冬よ、こんなことをいうのは)赤軍派がどうであろうとも、永田が日本に五百人居ようとも、公害で空が汚染されようとも、その為に人類が絶滅しようとも、太陽は相変らず東から登って西に沈むでしょう。戦争で地球が砕けようが爆発しょうが、シリウスは昨日と同じように輝き続けるでしょう。星たちと人間を比べてみる時、人間は何て小さく、はかないのかしら。別に地球が爆発した方が、人類が死に絶えた方がいいっていうわけじゃないけれど、そんなわけで公害とか戦争とかいわれても、どうもまともに受取れないの。福岡さんみたいに、そのことをまともに考え、詩にでも書けたらいいのにな。私は不真面目なのだ。

  青白く冷酷に
  氷よりも冷たく下界を眺めている星
  そのひえびえとした光を
  私は愛する。
  私の心はあまたの星よりももっと冷たく
  佗びしい。
  だから私は
  青く冷い星を愛する。

一九七二年 三月十七日
 シモーヌをどうもありがとう。お礼に私の好きなグウルモンの詩を貴女に捧げます。
 それからまた、私の詩「夢から夢へ」を好きになってくれてありがとう。あの詩が好きになるほど私の心を解ってくれる人はまだ一人も無かったの。花田さんでさえ「悲しいから涙を流してはいけないなんて、おかしい」と笑ったのよ。ワァ~~ン!
 私は時々、今までの記憶のすべてを消すの。というか、消したつもりになるの。そして、今までの自分から抜け出して、あらゆることに自由に空想をはばたかせるの。常識を超越して、本当に夢のようなことを思うのよ。きっと私って、よほど変っているのね。そんなことをして馬鹿みたいでしょう。いつもそういわれるの。けれどあの詩は、そういう夢の一部分なのよ。

 私は今「海から来た妖精」を読んでいます。私、この本のタイトルを借りて、「森からきた妖精」を書こうと思うのよ。「海からきた妖精」というのは……と説明するのはめんどうくさいから、明日持って行く。けれど美しい童話を期待しないでね。その本(?)は私宛てに書かれてはいるけれど、大人向きみたい。でも人生の真髄にふれる気がするわよ。(ちょっとのりすぎかな)

一九七二年 三月二十一日
 私はいつも目標を決め、それに向って進んでいるのよ。今のところその目標は≪責任感を身につける≫≪冷静になる(これが最大の目標)≫≪自分のことを人に語らない≫など。それが完全にできるようになったら最高なんだけど。そしたら後は成績をあげることだけね。私はいつも組で四、五、六番をうろちょろしているのよ。がんばらなくっちゃ。
 ジェーン・エアを読み返してみて、とても素敵だ。と思った所を写してさしあげます。

一九七二年 三月二十三日
  女が私を見つめている。
  ――いつも見つめている。
  瞳の無い目で見つめている。
  どんなにか、私はその目から逃れたかったろう。
  本を読む――女が見つめている。
  手紙を書く――女が見つめている。
  何もいわず、ただ見つめている。
  壁の奥からじっと見つめている。
  ある日
  私は女と背景を壁からひきはがした。
  ――女が見つめている。
  滅茶苦茶に切り裂いた。
  特に目の所を念入りに、細かく切りきざんだ。
  女の居なくなった部屋は、いつもよりずっと白かった。
  勝利に酔い痴れた翌朝
  私はせいせいしながら教科書を広げた。
  ――女が見つめている。
  壁の奥から見つめている。
  いつものとうり、見つめている。
  女の絵は焼いたが
  女だけが壁に残って
  ――私を見つめている。
  死んでからも見つめている。
  永久に見つめている。
  
 何故かふと、モジリアニの「黒いネクタイの女」に恐怖をおぼえたの。だって瞳が無いんですもの。気持が悪いの。

一九七二年 三月二十七日
 笑い疲れた、悩みの多い日。一緒に帰ろうという友を断って、たった一人淋しげな野の道を行きます。私は独り、独り……。あたりには誰も居ない。自分の感情に浸りきる瞬間私は孤独です。父も母も居ません。学校からの帰り道の僅かな時間は、夢の神殿に捧げられています。肉体を離れて……。汝にはこの思い解るまじや?(つまり、こんな感じしたことある、まどかは?)
 まどかにおすすめします。見知らぬ土地を歩くことを。たった一人で歩くことを。孤独は大きな慰めです。(アッ、ゴメン。一人歩きは嫌いだったっけ)
 ある早朝、何のあてもなしに自転車に乗って家を出、羽衣駅の前まできて、ふと思ったのです。外国人の孤独を味わいたいって。そこで私は、線路添いに続いた道を、どこまでも走っていきました。何時間かを走り、線路からはずれて道に迷いそうになりながら、“たった一人”の自由を思いきり満たしました。友人は一人も居ない。知人もいない。たよりになるのは私だけです。石津川の近郊をぐるぐるまわりながら、道に迷い道を忘れるその度に、“自分”が何であるか、はっきりつかみながら、小さな旅は終りました。そうです。これは私の小さな旅のお話です。

一九七二年 三月三十日
 貴女は日記をつけている? それともつけたことがある? 私はつけても続かないの。日記を書くことはいいことだし、つけたいことも沢山あるし、実際につけるのも楽しいと思うのだけれど、続かないのはそういう意味ではないのよ。つまり、つけ始めて半年と経たないうちに、父母や友が私の日記を見た、あるいは見た形跡を発見して、前に書いた日記の頁を全部燃やしてしまうの。そして、二度と日記などは書かないと心に誓って……また始めるの。そしてまた見られたかも知れぬ形跡を発見してやめてしまうの。なんだか馬鹿みたい。


昭和47年 中学二年

一九七二年 四月一日
 エイプリルフール!!
 祖母は病気なので、今年は母に嘘の集中攻撃をしているの。まず起きてきて、「おばあさん、とても悪そうよ」と母を心配させ、それから雨戸を開けて「雨戸がつかえたから手伝ってよ。」と見に行かせ、次に……もう書かないけれど、今日は家中に笑いが満ちあふれているみたい。

一九七二年 四月六日
 明日は始業式。嬉しい?私はすごく嬉しいの。(家にはうんざりしたから)けど、不安。(もし嫌な人と同じ組に…?)複雑な心境ね。私の理想の組は、国語の先生担任で、J子さん、H子さん、M代、M代、M子さんがいて……こんなに書いてちゃきりがないみたい。だって、とても沢山の人と一緒の組になりたいんだもの。

一九七二年 四月十日
 私の組には友人が一人も居ないの。それに一通りまわりを見まわしたところ、友達になれそうな人もいないみたい。(この友達とは親友のことよ。)何というか、一人ぽっちなのだ。それに時間が終る度に前のクラスの友と遊ぶわけにはいかないでしょ?やっぱり旧一年三組には真実の友はいなかったみたい。まどかの担任はいつも国語の先生ね。ちょっぴり羨しいカンジ。何故、私は本を読むのが好きなのかしら?何故私はある種の本を読むと、自分もこんな風に書きたいと感じるのかしら?
 心の中のものすべて吐き出したいわ。一人の親友に。真実の友に。友達のこと。恥ずかしかったこと。父のこと。母のこと。それから好きな人のことも……。この頃では私は何が好きなのか解らなくなっちゃった。黙っているのは辛いわね……何もかも書きたい!けれどいえば軽蔑されるかも知れない。私と同じことを悩んでいる人は何処にもいないのかしら?私の心を解ってくれる人は?私は変りすぎているのよ。そこで運命の女神は、それをさらに完全にするためにあの人をこさせたのだわ。
 四才の時から私は変っていたみたい。女神様。私は幸福でなくていい。ただ人並に一生を送らせて下さい。ごく平凡に……。せめて他人にはこんな思いをさせたくない。身を入れて聞き、同情し、同意し、人を傷つけないようにしょう。こんな決心の中から生まれたのは小さなやさしいゆりかです。ところで心理テスト協力ありがとう。何かまどかってとても個性的で誰とでも仲良くなるってことはないみたい。

一九七二年 四月十二日
 今日はまったく時間が無いんだけど、必死で書くね。私は三十才以前に死にたいの。青春――人生の中で最も楽しい時――のただ中で死んで行きたいの。この世って、何か虚しいわ。だから今死んだって決して悔は無い。私が真剣に自殺したいって思ったのは八才の頃なの。それから四年の時、いつも自殺したいと考えているくせにナイフも持ったことがないなんて……と思って、一度それを持ってみたことがあるの。ご心配なく。死ななかったわよ。正直いうと急に現実感がこみあげてきて、こわくなって……。どうせ死ぬつもりじゃなかったんだもん。けど我ながら恐ろしいと思う。あの頃がこれまでで一番辛い時だったと思うの。だってそれからあの頃ほど不幸だったことはないし……ね。実際、あの時の環境は、子供のものとしてはひどいものだったと思うわ。それから六年の時、自殺したほうがいいと思って――眠って自殺する夢を見たことがあるの。中学生時代は今のところ昔の何十倍も幸福だからそんな心配は皆無だけど。私ってどうしてこんなに変っているのかしら?平凡で、清らかで、絶対人の心を傷つけない少女になりたい。私のように辛い思いをする人がいないように……。(ゆかり)

 私、花田さんとそうだったように、まどかとそうであるように、とても親しい友は一組ではできそうにない。私に好意を示してくれる人はいるのよ。Oさんは帰り誘ってくれたり四つ葉のクローバーをくれたり、妙に親切にしてくれるし、Bさんも事あるごとに私を誘ってくれるんだけど、私に合う人は一人もいないの。BさんとかOさんとかは、私と合うんだけど、私に合わないの。つまり、私は自分がOさんたちと合うように“おしばい”はできるの。だけど私自身――本当の私自身にピッタリあう人はいないわ。私は顔を赤らめずに平気で好きな人のことを聞くこともできるし、ちょっとほのめかされただけですぐ赤くなることもできるし、一度赤くなってもすぐ元にもどることができるし早口でせっかちに大阪弁を使うこともできるし、東京の人みたいにきれいな言葉でおとなしく話すこともできるの。つまりすべて自由なのよ。それで私自身にはどれが本当の自分か解らなくなってしまったの。ところで私はゆりかになることに決めたの。けど困ったことが出てきたの。私は――ゆりかはその人がどんな話相手を望んでいるか解ると、その人が望んでいるような人になろうと思って、結局“お芝居”をするはめになってしまうの。“お芝居”なんていうと聞えが悪いけれど、私には色んな性格が少しづつあって、ゆりかの命令でそれがその時々に顔を出す、といったらいいのかしら。とにかく、色々な性格が少しづつあるということは、演劇をする面ではいいことなのだけれど……それにしても……。

一九七二年 四月十四日
 信仰について。
 私は神を愛しているの。少くとも父や母以上に愛しているの。それは損得からではなく、神が未知の世界のものであるから愛しているの。この頃時たま神が存在すると思うことがあるわ。そんな時、私は幼い頃の信仰を少し取りもどしたような気がするの。私が教会に行き始めたのは三年の四月。神の存在を微塵も疑わず、聖書を読むごとに自分の罪を考え、毎週まったく無邪気に心から神に祈ったわ。≪神様、私をお許し下さい≫と。私はキリスト・イエスより神を多く愛したわ。何故なら神は良き父であり、私の心のすべてを知っていらっしゃるもの。私の悩み、苦しみをすべて理解し、なぐさめ、私の罪を許して下さるの。私は何時でも何処でも祈るの。
 六年の頃、私、教科書を忘れたの。その時にはそれを友に知られるのが耐えられなく思えたのよ。そこで校庭で祈ったの。≪神様、どうか教科書を忘れたことで恥ずかしい思いをしなくても良いようにして下さい。しかし私の思うまゝではなく、み心のままにして下さい。もしも私が恥ずかしい思いをしなくてはならないのなら、み心の通りになりますように≫そうしたらその日先生が病気でお休みになったの。でもそれから私は忘れ物のことで祈るのはやめたわ。そんなありふれたことを神様にお願いするのは神を穢すような気がしたの。それからも時時御祈りしたけれど、たいてい神様は叶えて下さった。だから私は神のみ心に添うように、できるだけ清く美しく生きることにしたの。それは私が神を愛しているからであり、神を信じ、神によって生きたいと思っているからなの。

 追伸
 心が痛みます。――何故でしょう? もう終ったはずのことなのに、涙が目からあふれます。――何故でしょう? もとに戻った心なのに。
 愛を失った私……昨日までの悩みが無くなった代りに、愛を一つ失いました。私からの愛、心からの愛。からっぽにしたと思っていた心に、苦い薬が残りました。
 三日しか続かなかった、かげろうのようにはかない心。私はこんなに飽き易いのかしら?
 いいえ。その心の下をごらんなさい。十三年間、父母を愛し続けた心は一度もとぎれなかった。スリへの愛、まどかへの愛、自然への愛。
 だから、もう一度周囲をよく見て、友を選びなおしてごらんなさい。きっと私の心に答えてくれる「真友」が見つかります。

一九七二年 四月十七日
 ゆりかと佳冬、真理、妖子、真奈美の他に夢津美を加えようと思います。佳冬を二つに分けたものよ。大人っぽい空想の持主を佳冬、無邪気なのは夢津美。ところで今は夜

 天鵞絨のような夜は
 そっときて そっと帰る
 私のただ一人の友達です。 佳冬
 夜に入って行きたいの。
 けれど無理よ、夜ですもの。
 だあれも入れない。
 人間が夜に入ったら
 帰ってきても人間じゃない。
 涙でもない。  夢津美

 今日、すごく頭が痛いので早くから寝ているの。もしかしたら明日休むんじゃないかしら?

一九七二年 四月十八日
 病床にて。
 何か今日は半分ズル休みしちゃった感じ。
 私は大人が信じられないの。父も…母も…弟さえも…。父は一度、母は三度もプライバシーの侵害をしたのよ。だから私は父をもはや尊敬していず、母をもはや愛していないの。悲しいけれど真実よ。
 それにしても今日は学校に行かないで助かったわ。だって体育は私のもっとも不得意な「走り」だし、家庭科のテストはあるし……。昨日はそのせいで頭が痛かったのかなぁ?
 あれに聞えるは祖母の足音だ。じゃバーイ。

一九七二年 四月二十二日
 群衆について――
 夜七時半。天王寺のステイションを歩きながら、丁度ラッシュ・アワーが過ぎた頃で、まだ沢山の人が居た駅。その人は皆歩いていたわ。だからたちまちにして私の視界から消えていった。その一人一人の顔を見て私は思ったの。この人達は皆それぞれ悩みを持っているのだわ。その一人一人の悩みや苦しみを聞いて、力になってあげたい。心の中に蓄積しているものをすべて人に話したら、その人はどんなにすっとするでしょう。そうすれば私はその人にとって“役に立った”ことになるのよ。そんなことにも気付かず、ただ見ず知らずだということだけで人を信用せずにいる。人間ってあわれ……
 八時半。東羽衣のステイションに花田さんと二人で立つ。『さようなら』という五つの発音が私と花田さんの口の中で形成され、足跡も残さず消えてゆく。向うを向いて歩いていく花田さんの姿は、群衆に包まれ、花田さん自身、もうそんな群衆の一部分になり、去って行く。――去って行く。

 それから今日、私が花田さんにいった言葉。私は時々花田さんと、こういう会話をするのだけれど、いつも忘れてしまうの。鳳から東羽衣への電車の中でのこと。夜、美しい光がいかにも無雑作に散らばっていたので、私は花田さんに話しかけたの。
 史 きれいね。
 花 そうは思わないわ。
 史 何故?
 花 あれは臨海工業地帯の光よ。灰色の空の。
 史 でもあれは美しいわ。
 花 私も始めはそう思ったわ。でもあれは海を汚しているのよ。
 史 けれど……
 花 私は人工の物ではなく、自然の物が好きよ。
 史 私だってそうだわ。
 花 そうじゃないわ。
 史 あの光は、外から見て美しいようにと作ったんじゃないわ。それなのにあんなに綺麗じゃない……。
 ……後なんかゴチャゴチャ言ったんだけど、私が本当にいいたかったことはまだ言ってないみたい。私がいいたかったのは、たとえそれが海を汚している光だからといって、その美しさを無視するのはおかしい、というようなことだったのに。

一九七二年 四月二十三日
 モナ・リザの微笑、および現代絵画について。
 モナ・リザの微笑を見ていると、時には美しいと思うし(顔じゃないわよ)時にはうす気味悪くなるの。神秘的な感じを、全体の暗い色調が一層強めているみたい。この作品にはあまり共感をおぼえないの。勿論モナ・リザに口ひげを描き加えたデュシャンのような反逆精神もないけれど。
 私はいつもシュルレアリズムの絵を画くの。シュルレアリズムというのは、それまでほとんど省りみられなかった意識下の世界を絵に表わすことなの。(と本に書いてある。)私は想像画が好きで五月頃から画き始めていたのよ。それで、あの画家、この画家と調べて喜んでいたら、ダリの「建築的なミレーの晩鐘」という絵にぶつかったの。そしてその絵は、私の書きたいと思うようなムードにぴったりなの。それ以来スペイン生れのダリに夢中になってしまったのよ。「十字架磔形」「抽出しのついたミロのヴィーナス」などもその他の本で見つけ出したの。少し暗い絵だったけど、それでも好きなのよ。私の傑作(?)は、砂漠の中に三角柱の塔がそそり立っている絵。まわりには焦げた木、コンクリートの破片、殷れた電球などが山のように積み重なっていて、恐しい自然の災害のあったことを示しているの。けれど上にいくほど細くなっていく巨大な塔は、傷一つなく、今できたばかりのように美しく完全なの。砂漠の彼方には黒い人影があって、塔の足もとから鶏のような足跡を残して去っていく。空は緑色で、小さな燈々色の太陽が浮んでいる。
 学校で想像画を画いた時、この絵を出したら何故かもどってこないの。バカにされたような感じ。

一九七二年 四月二十五日
  私は今「白露日記」を書いているの。一三才の記録よ。
 『青年がその年齢において失敗しないやり方は、その年齢に特有の豊かな情感や情緒や、若々しい不安や動揺などを、幼稚だとか甘いなどと考えずにそのままで定着させることである。』(伊藤整著「小説の書き方」から)
 だから私はその教えに従うわけ。それに少女小説を書くことは十一才の時からの夢だもの。今日はもう遅いので。バーイ。

一九七二年 四月二十七日(木)
 ヴェルレエルの「X夫人に捧げる歌」を全部暗記してしまったの。ところで私だったらその告白は次のようになります。
 私が男としてまどかへの恋文
 僕には今までどうしてもトロイ戦争が理解できませんでした。しかしもしトロイのヘレンが貴女ほど美しい女性であったのなら、あの英雄達の勇ましい行動は当然といえるでしょう。美しい……いえ、貴女に美しいなどという言葉はあてはまりません。あまりにも平凡すぎます。華やかで、それでいて慎しみ深い。それを表わせるのは、あの古風で美しい「あでやか」という言葉だけです。
  (白樺の恋)

 私が女として将来愛する人に(Who!)
 貴方を知ってから私は自分を失いました。昼は貴方の姿を夢見、貴方と一緒の自分を想像し、夜は貴方のことのみ夢に見ます。私の心の白薔薇は恋の炎に染って真紅になりました。噫、その炎は、私の身体まで焼き焦がそうとしています。どうかこの胸の痛みを解って下さい。私の愛を受け取って下さい。愛しているんです。
  ひたすら愛する女

 ――なんてことは書かない!
 もしも大人になってからの恋がこんな馬鹿らしいことを書きつらねるものだとしたら、私大人になるのをやめるわ。私の告白は、相手の前に立って相手の目を真すぐ見つめて、率直に「好きです。」というだけよ。そしてそれから後はそのことに一切ふれず、実のある話をするわ。
 思うにね。私と同じ年頃の友達は、男の子の性質、気性も知らずに顔だけでよく好きだの何だのいえるわね。いいえ、好きなのはかまわないけど、激しいのになるとその人の夢を見たり、その人のことばかり考えていたり…Xさんなどは好きな人が見えるというので、休み時間中ずっと外ばかり見ているの。外側だけで好きになったんではちょっと馬鹿みたいじゃない? 私も今までその馬鹿みたいな少女達の一員だった。けれど右に書いたような(白樺の恋)(ひたすら愛する女)なんてのは絶対に書けない。一年前の私でさえ、そんなことは書けなかったでしょう。そんな言葉をやり取りしている男女を軽蔑します。

 神は私を笑うようにはお作りにならなかったらしいわ。私、笑うとすごく疲れるの。ためしに一日中笑わないでいてみようかしら。私は笑いを伴わないユーモアなら好きだし、自分でもスラすら言えるけど、三十分くらいならまだしも、一日中笑って暮すなんていや。第一冊から第二冊めの私の交換日記の書き方ひどいでしょ? 無理に笑おう。笑わせようとしていたらあんな風になるんだわ。もう疲れた……笑うのも、ほほえむのもいや。
  悲しみのゆりか

一九七二年 昨日の次の日の金曜日
 赤い表紙のノートを、私は一体何度開き、何度閉じたでしょう? そのノートには私の最上の物語、小説が載るはずでした。これは、実はある人に見せるはずのノートなのです。その人は、私と同世代の少女ではありませんが、私にとって大変重要な意味を持っている人です。けれど、そのノートにたとえ一字でも書こうとする度に、何かが私の手を止めるのです。ああ、私は今までどんな小説を書いたでしょう。傑作と呼べるほどのものが一つでもあったでしょうか?
 過去の小説は何とくだらないものだったでしょう。それを書きなおすのもくだらない仕事です。こんなものはあの人には見せられません。新しい小説を書く? 無理です。私は知っているのです。今書いた小説も、未来の私から見れば拙なく、くだらないものでしょう。私はあの人に才能を認めてほしいのです。それには長い頁数と、適切な言葉の使い方、文法の正しさ、それに素晴らしいプロットが必要です。ところが今私の頭の中にあるプロットは平凡なもので、けして奥行を見せません。だから何も書けないのです。一ヶ月後、いえ一年後、あの人は私に作品を見せてくれというでしょう。それをいわないことを私は欲しません。でも……

一九七二年 日曜日
 <誕生とは何か>
 議長 誕生について考えてください。佳冬から順にどうぞ。
 佳冬 誕生とは死に近づくことだと思います。死への第一歩。それでいて誕生は美しいのです。
 ゆりか 私は出題者に問いたいと思います。誕生とは、植物のそれでしょうか。人間のそれでしょうか。それとも家具、車などという人間の造化物のそれでしょうか? 佳冬は人間の誕生について発言したようですから、私もそれについて言います。誕生とは“生”の始まりであり、祝福されて然るべきものだと思います。
 真理 誕生とは一つの苦しみです。その苦しみは人間が地上に表われる前にさかのぼる深いものです。
 真奈美 誕生とは肉体を得た魂です。
 妖子 誕生……それは不安と恐怖と喜びのまじった神秘な何かです。
 夢津美 誕生とは人生に一度しかない死と生の一瞬のつながりです。女神が開いた小さなドアから魂が入ってくる僅かな、ごく僅かな「時」です。

一九七二年 五月二日
 この頃私は授業中全然真面目にしないので恥をかいてばかり…。何故かと申しますと、授業がすごくたいくつなので、現実に戸を閉ざして想像の王国で遊んでいるからなの。今日もMが帰った後で、Mはこの椅子に座ったかな?Mが座ったのでなければ誰かが座ったと思ったんだけど誰だろう?なんて、床に座りこんで考えこんでしまったの。結局その椅子は誰も座らなかったのよ。少くとも目に見える人はね。私は空想の世界と現実の世界との間の扉を作ったけれど、ただ一つ失敗したのはそこに鍵をつけなかったことなの。だから風が吹くとすぐにその扉は音もなく開くのよ。
 この間ジイドの本の中に現在の私にピッタリの言葉をみつけたの。モラリスト(人間探求者)。私はモラリストよ。
 私の一番やっかいな訂正しようのない欠点は、自尊心が強すぎるということなの。もっとも私の事を一番よく知っている祖母は、私が自尊心が強い、というより、もう既に大人の自尊心を持っていると、一年前に言ったのよ。私は大人の自尊心を持っている方がいいわ。だって自分に訂正しがたい欠点があるなんていやだもの。一つ一つ自分の欠点をなおして行きたいの。けれども今日その自尊心が顔を出して、私は貴女の家に手紙を取り戻しに行ったのよ。そうしたら≪時すでに遅く≫手紙はなかった、というわけ。
 ――個性について――
 個性的になりたいという願いは、ある程度私の中にもあると思うのよ。けれど私は少し変り者すぎていて、誰も私の中にある特異な性格を解ってくれないの。もうせっかくの友情にひびが入るから私はそのことを言うのをやめにしたけれど、それを解ってくれる人が理想の友達だわ。誰にも打明けられないなんてすごく辛いのよ。だから私は平凡な人間になりたいの。打明けられないことが無い人間にね……。

一九七二年 五月七日
 私のペンネームを少し変更します。私の中の色々な人たちはだんだん性格をはっきりさせてきたけれど、そうなってみると私の想像したのとはまるで違うみたいなの。妖子、夢都美を削り、妖子の代りに炎子を入れさせていただきます。それで私の中の私は、影山佳冬、秋野真理、白崎ゆりか、高田真奈美、水沼炎子の五人になったわけ。

 私は人を観察するのが好き。いとも簡単に嘘をいう人があるかと思うと、誠実すぎて損をしている人があるわ。私のような目(この頃はあまりそうではない)を持った人は、人の心を読み取ることにすぐれているんだって。時々直感的にその人がどんなことを思っているか、どんな嘘をついたか解るの。証拠はないけれどね。この間もMさんはごくあっさりと嘘をついたわよ。嘘にも色々あるのね。自分のわがままでつく嘘。人をなだめる為につく嘘。虚栄心のためにつく嘘。自尊心のためにつく嘘。エトセトラ……。

一九七二年 五月九日
 今日、今、さっき、“敵”に遇ったわ。その人は私との仲なおりを望んでいるんだけど、炎子と佳冬が承知しないの。炎子は高い自尊心と激しい心から。佳冬は自分の孤独を荒されるのを恐れて嫌なんだって。このことには真理は全く無関心。私は自転車に乗っていてその人は歩いていたの。私は勿論その人を追い越さなきゃ走れなかったので、遠くを見据えて追い越した瞬間、真理がその人を見もしないのは卑怯だといったので後ろを振り向いてその人を正面から見据えたの。そうしたら、まあどうでしょう。ゆりかが(彼女はいつもその人に変らぬ同情を示しておりまして)私の目に優しさをこめてしまったの!! ひどいじゃありませんか。私は許す気なんか無いのよ。(と怒っているのは炎子)。敵って誰かって?それをいえば真理(彼女は卑怯者が嫌いなの)は、私と口をきいてくれないわ。いいえ、ききすぎるかも知れない。すごーく叱られるかもしれない。だって真理はいつも正しいんだもの。

一九七二年 五月十一日
   断片
  小さな時間
  秒針は飛ぶ。
  夢の国のオーロラは
  遂に来ない。
  永久に来ない。
  私の心に燃えている
  黒い炎は危険です。
  だから行ってください。
  もう向うへ行って下さい。
  この炎は危険です。

 「ああ、行ってしまえ。みんな根こそぎ流されて」(山口洋子)
 今日はまったくやりきれないので、ノート一頁無駄使いさせて。

  疲れたので 星へ行ってきた。
  けれど一番冷い星さえ私には熱すぎて
  もう何もせず
  苦しんでいたい。
   炎子

  この苦しみが癒えるものなら
  魂だって望みのまま
  さあ、どうぞ!
  天使も悪魔もきてください。
  高い値段をつけた方に
  そっくり売り渡します。
  ああしかし
  それでも私の苦しみはなくならない。
  真二つに引き裂いてハートを持っていたって
  私の苦しみはなくならない。
  どす黒い血の塊が
  炎のように激しく 私ののどをふさいでいる。
  今私は、すべての人を憎む。残酷にも!
  彼らが私を憎んでいるから。
  そうだ。憎め!
  あの日は血の雨が降っていた。
   炎子

一九七二年 五月十六日
 まどか、ごめんなさい。非常に悪いと思っています。実は書いたところを余儀なく破り捨てなければならなかったの。へんなことを書いてしまったから。それに、今日はもう書く時間がないわ。いつもあんなに沢山書いていたのに。(というほどのこともない)中間テスト必死よ。私のお母さん、絶えず来ては、私が勉強しないでいるので角を生やして怒っているの。私の勉強はとても広範囲にわたっているので、お母さんには解らないのよね。

一九七二年 五月十七日
 もうすぐ中間ね。勉強しないよう頑張ろう。でも少しはすると思う。だって私の中の炎子はすごく負けず嫌いなんだもの。

  虎

 そこは霧の深い、不思義な街だった。ある日その街を歩いていると、急に一軒の家にひっぱりこまれた。彼等は私をひっぱりこむとすぐ、ただならぬ様子で雨戸を閉め、ドアに鍵をかけた。私は雨戸のふし穴から、そっと外をのぞいてみた。十秒もたたないうちに霧の中から現れた虎の群。彼らはつい先ほどまで私の歩いていた道を走っていく。いつ果てるともなく霧の中から現われ、霧の中へと消えてゆく……。
 そのことがあってから何日かたち、また何週間かたったある日、私は青年とその街の廃墟を調べていた。すると急に黒雲がたち、稲妻が光り、地には妖気が立ちこめてきた。が尚も私たちはそこを立ち去り兼ねていた。遠くで叫び声が聞えた。「虎がくるぞう。」かずかだがはっきりと。人々は我がちに家の中に逃げこみ、戸を閉めた。しかし私は以前の経験で、虎がすぐにはこない事を知っていたので、ゆっくり小さな廃墟のかけらをハンカチに包んだ。街路に面して、くずれかけた塀となって美しい廃墟の一部分が残っていたのだ。その時、遠くに黄色い点が見えた。もう遅い、と悟った私と青年は、その廃墟の塀のかげに隠れた。先頭の虎は気づかず通りすぎていった。次も、次も……。彼らの走っていく時間は無限かと思われた。しかし全部の虎をごまかすことはできない。群の中の一頭が遂に私たちを見つけた。彼らは私たちを取り囲み、じりじりとせまってきた。
 私は青年を眺めた。彼は古いお話のように私を守ろうとするだろうか。否、彼は一人で逃げようとした。そこで私は彼を見切をつけ、たった一人で消えた。私の身体は透明になり、もはやその街に存在しなくなった。私は助かった。しかし彼がどうなったか? そんなことに私は一切無関心である。

 ごめん。今日は話ばかり長くなってしまった。またこの次、もっとまともに書く。

一九七二年 五月十九日 金
 試験勉強やる気なし。そこでやらないのだ。まわりを見まわすと、皆真面目にやっているのに……ちょっと場違いみたいね。昨日、我が組の秀才と、学校の勉強の必要性について討論しました。結果はご想像にまかせるわ。
 私は好きな人の無い人間になりたい。けれど無理ね。私は何かに愛情を向けなくては生きていけないのよ。でもそれは友達では満されないもの。まだ、「これが親友だ」って確信を持っていえるほどの友が見つからないもの。どんな友にも私は“言ってはいけないこと”を持っているの。友達になってどんどん進んでいくと、いつも大きな壁に突き当るの。壁に突き当ると、もうその友は親友ではなく、ただの友達になってしまう。そこにはどうしても“言ってはいけないこと”があり、しかもその“こと”は私の心の中ですごく重要な位置を占めているの。たとえば死について、空想について、その他文字では書き表わせない色んなことについて……。その壁の向うまで行ける友が真の親友よ。私と貴女とはまだそんな壁につき当っていない。不思義なくらいね。ある一事の他は何でもいえるの。それは好きな人のことではない。好きな人のことも、そのうち言ってしまうと思うわ。ところで本題にもどりましょう。だいぶ横にそれたみたい。好きな人がいないと、悩みが半分以上減るし、夜はよく眠れるし、いいんだけれどな。
 ところでまどか。悩みのために眠れず夜を明したことある? 私はまったく無いの。いつも眠くなるので自然に眠ってしまう。
 何か今日は本題からよくはずれるので、このへんでやめておくわ。

一九七二年 五月二十四日
 また新しく人を作るの。すごく白くて気高くて、自尊心の強い人よ。何て名がいいかな。
 明日二十五日、昼休み、重大な話があるので誘いに行っていい? 明日がこなければいいのに、と悩む。とにかく明日ね。

一九七二年 五月二十六日
 私は“例によって例の如し”という言葉は割合好きよ。何かユーモラスなものを感じるから。今日、嬉しいことが三つありました。それからファンタジックな詩を一つ書いて……。
 昨日の郊外学習、バカらしかったと思わない? バスに乗りに行ったみたい。けれどある意味では一年の時の始めての郊外学習と同じくらいのすばらしさがあった。そして今日も……。
 スリのいった一言が、私に勉強意欲をおこさせたことまちがいなし。そこで今から英語の勉強よ。国、理、英は負けるものですか。(誰に?)こんどの期末は絶対に勝つわ。スリに負けても貴女に負けてもかまわないけれど、絶対に負けたくない人も居るの。

一九七二年 五月三十日
 友達というのは悲しみの種なのか。それとも……?いえ、もう書くのをよします。この交換日記が、歴然と私 の力を低下させているなんて……。信じられないけれど、それは事実。何か淋しい。
 今日の帰りがけのことについて少し……。
 あの時、私は確かに真奈美だった。ところが丁度あの小屋が私達の間に立ちふさがった時、急に私は清子に変ったのだ。今日、私は自尊心を傷つけられすぎていた。悲しかった……。(傷ついたのは貴女のせいではない。)清子に変った私は貴女の方を見なかった。まるで貴女が地上に存在しないかのように前を向いてまっすぐ歩んだ。平然と私は養鶏場の方へ曲って行った。しばらく行くうちに貴女の走る音を聞いたように思った。けれど私はふり返らなかった。もちろん私は、いやゆりかはふり返りたかった。そこで彼女(ゆりか)は私にふり返れと囁き続けた。もう曲り角だった。私はためらった。そこでふり返るのは清子、魔波、佳冬、炎子にしてみれば不可能に近いことだった。そこでふり返るのは、あの人にだけ許されている特権なのだ。そのある人だけはふり返り、互に目で無言の別れを告げて別れていくのだ。私は九十度違うゴルフ場の方へ目を向けた。それが私に許された最大のことだった……。

 今日、朝、心の中でまどかに話しかけたの。
 ――今日、私、少し遅くなりそうだけど早く来る?
 すると
――まだ寝てるの。今日は相当遅くなりそう。
 こんな答が返ってきたの。朝七時三五分から四十分頃のこと。
 それから教室で隣の人と詩を書いたの。その中に帰りがけのことを暗示したような詩があったの。私、未来を予知したのかな? その詩は次の詩です。

   さようなら

  かすかな声がしたけれど
  ふり向かなかったのです。
  蝶の飛び交う 白い野に
  たった一人で居たかったのです。
  姉のような貴女を慕っていたから
  ふりむけなかったのです。

  何か不思議ね。

一九七二年 五月某日
 今日私は少し悲しい気分に浸っています。貴女が来るといつもそんな気持になる。いっそずっと清子で通そうかしら。そうしたら少しはこの悲しみが癒えるかもしれない。淋しさ……。貴女が私に少し話しかけると、私はとても悲しくなり、自分を悔蔑的に見てしまう。今日貴女が帰った後で、私は手で顔を覆って心で泣いていた。私が貴女を門まで送って行かなかったのは、その時の気持が抑えきれないほど高まっていたから。悲しい顔を見られたくなかったからです。いいえ、私は悲しそうな顔などしなかったでしょう。それを通りこして皮肉的になっていたでしょう。だから貴女があの時帰ったのは丁度よかったのかも知れませんね。

 心を傷つけられると私は不機嫌になります。それから自分で悲しくなり泣いてしまいます。私は何を信じたら良いのか解りません。貴女でなくてもいいのです。誰でもいいから私を救って欲しい。私はすべてをうち明けたい。セルフ・コミュニケーションには飽き飽きしました。けれど、ある友に何もかもを話したら、私はその友を憎むでしょう。何故なら彼女は私の弱みのすべてを握っている恐るべき人だからです。

一九七二年 五月某日
 床について今日で三日目。この三日の間に私は一つの別れ道に出逢いました。この三日間の経験が私をまた一つ成長させたよう願っています。けれど恐ろしい気がしないでもありません。私はあることに気がつき、もう決してそれから逃がれられないのです。今私は、一K米以上離れた所から見た、あらゆる障害物を越えて見たある光景について考えています。あらゆる空間を通して、時間さえ通り越して見た光景。貴女に話したい気がしないでもありませんが…おそらく話さないでしょう。けれどもしそれが本当だったら私はすべてを高石中二年の――と――に話すつもりです。

一九七二年 風の吹く日曜日の午後
 毎日ずっと寝ているのはすごく必死よ。交換日記でも書かなきゃやりきれない。あのヤブ医者(悪いことをしたな。彼日曜学校の校長先生よ)私が薬を大嫌いなのを知ってか知らぬかでか三袋もくれるんだもの。私の病気、公害に関係があるとか。(それしか聞かせて貰えなかった。)なんか楽しい。(といったらおかしいかな?)
 安静にするべく離れに追いやられたので、辞書、詩、小説ノート、教科書(これは大人を欺くため)ドロップ、ジェーン・エア(上・下)棺桶島、その他いっぱい沢山荷造りしてきたの。ちょっと重かった。ついでに鉛筆削りもよ。その他、さし、鉛筆、五円玉、タテ笛も……。タテ笛は鞄の中に入っていたのでついでに持ってきただけのこと。マンガを持ってこなかったのが不思議!!
 ところで、「あのこと」ってなあに?日記に書いたことよ。もしや……と誤解する。ところで誤解と解っていて誤解するのは一体何でしょう? 例によって例のごとく、貴女に答えていただきます。
 今日は沢山聞いたけど、すべてちゃんと答えるべし。とても重大しごくな問題もあるから。
 すごーく頭痛がするのでこれで……。

一九七二年 とても静かな夜の日曜日
 今日私は、Xとノートをちぎって絵を画いたの。題は「田園」。この絵を見ていると、何故か心が和んでくるわ。すごく暖かく優しい絵なの。それは楽園だから季節を無視してあらゆる花を咲かせたわ。片隅に湖があってね。そこには黄しょうぶと水蓮が咲いているの。その端には一隻の小舟がもやいである。私はその小舟を「早乙女」と呼んでいるの。 私は清子が大好きよ。尊敬もしているわ。だって彼女はいつも彼女の見解で正しいことをやりおおせるし、その正しいことがすごく気高くて、高い自尊心の表れなんだもの。自分の嫌いな友の前に出た時も、彼女は超然としていられるのよ。彼女はそばにいる友達に自分の気高さを感じさせることができるわ。

一九七二年 六月六日
 私の性質について。
 ゆりか 極端にやさしい。気が弱い。受動的。感じ易い。いつも私に色々な課題を出し、それをなしとげるよう要求する。伊賀史絵の行いについて、激しく叱りはしないが反省すべきだと責めたてる。みんなゆりかが好きで悲しい思いをさせたくないと思っている。だからゆりかの願いはいつも聞きとどけられる。欲が無くて清純。
 佳冬 夢想的。孤独を愛する。深い。感じ易い。けぶるような瞳でいつも何かを考えこんでいる。その考えている内容はとても美しいもの。マイルド。現実の冷たい風に吹かれると傷つくので、いつも引きこもっている。真夏の熱い太陽には溶けてしまいそう。
 真理 真理を追求する。みせかけにだまされない。小さなことから色々と引き出す。物事を分析するのが好き。人の心の弱さをよく知っている。皮肉屋。真理を追求する。
 炎子 激情的。愛情が深い。自尊心が高い。激しい性格だが大部分の激しさをゆりかに取られてしまった。ゆりかはその激しさを自分をよくすることに向け、今では炎子はあまり表に出てこない。
 真奈美 軽薄。ユーモアがある。浅い付き合いの人を沢山作る。
 清子 孤独を愛する。自尊心が高い。(少し高すぎる。)深みがある。気品、威厳がある。彼女は人の心など気にしない。いつも一人だから。その心は白すぎるほど白く、汚れがない。悪を行うよりは死を選ぶ。目つきは鋭く、遠くを見ているようだ。一口にいえばとても白く気高い。真面目であり、何かを問われればごく簡潔に返事をし、自分を偽らない。冷静で冷い。
 妖子 とても気味悪い絵を画く。超能力にあこがれる。根は残酷でも何でもなく、スリルを味わうのが好きなだけ。

一九七二年 六月十七日
 貴女の姿が見えました。はるか彼方に……。小夜香のごとく秘やかに。あの時貴女は本当に小夜香になっていたのでは? と思うくらいに。とにかく昨日はひどいわ。相当待っていたのよ。貴女の帰っていく姿を見て、少しまさか? と思いました。

 この頃木炭が手に入ったので木炭画に凝っているの。学校へ一、二本持って行って写生をしようかと思っています。でも少し手をふれたら消えるので必死よ。
 後で少し聞きたいことあり。真面目に答えること。
 みんなどうかしているの。炎子もゆりかも。清子は殆ど出てこないし佳冬はいつも一人で私に考えごとをさせるし(休み時間はいつも)どうかなってしまいそう。相当人づきあいが悪くなったみたい。いつも他のことを考えていて何も食べる気しないし……空想もいい加減にしないとね。
 この時期は相当辛い思い出になりそう。でもそんな時にかぎって教訓は多くあるものです。悲しみの彼方から。まどかへ。

一九七二年 六月某日
 どうかしているのは佳冬。今にも殺されそうなのは清子。心が空しいのは真理。疑っているのはゆりか。出席簿一番のバカににらまれているのは妖子。そのバカが超能力で炎子を殺す。レイモン・フォスカは立ち上り、私を殺そうと立ち上り……昔々のお話です。
 遠い昔、カルモナにレイモン・フォスカという名の一人の男がおりました。
 彼は悪霊と知りつつ
 不老不死の妙薬を飲んだのです。
 それが彼の呪いとなりました。
 死にたくなっても死ねもせず
 生に飽き贅沢に飽き、すべてをしつくしてたいくつになり
 噫!
 それでも彼の前には
 今まで生きたのと同じだけの
 生きねばならぬ長い年月がある。
 永久に生きる……
 彼にとっての幸せは
 彼にとっての呪いとなりました。
 このお話はまだまだ続きます。
 誰が作ったのでもありません
 遠い昔に作られた
 遠い昔のお話です。

一九七二年 六月二十八日
 私は炎子を誤解していたわ。ただ激しいばかりだと思っていたのよ。この頃解ってきた。私の性質を良くしたのはゆりかではなく、ゆりかはその炎子の住んだ私。本当に私の性質を良くしょうと真剣に願っているのは炎子。彼女は激しい…けれどその激しさは悪への嫌悪。世の中と人の心の中にあるすべての悪を憎む激しさ。彼女はいつも正しい。(真理じゃないのよ。)彼女がその炎で私を焼き焦がすのは、私の虚栄心が人の心を傷つけた時、嘘をついた時、etc…。正しいことをしている時は少しも怒りはしない。誰にでも愛する人と憎む人とはあるが、一番激しく人を憎む者……それは炎子。一番激しく人を愛する者…それも炎子。愛する人は色々と変ったが、憎む人は変らない。炎子はとても激しくある人を憎んでいる。それは私。私は自分自身を憎んでいる。私は何年も炎子に苦しめられてきた。悲しい……いえ、嬉しい。何故なら彼女は常に正しいから。炎子は私の中で、もっとも純粋で悪を嫌う人。

一九七二年 七月一日
 英語の時間。何故か席替えしても、ちっともまともな所へ行かないのでやや悲観的。いつになったら落着いて交換日記が書けるのか。今も必死よ。後ろは上井さんだけど、その他はほとんど男子ばかり、特に横に……ま、おせっかいでないだけましかな。ひどい男子がいるもの。こちらに関心を持ってないからいいようなものね。

一九七二年 七月十二日
  いつも苦しみが私を満している。
 苦しみが、苦しみが、僅かのすき間もなく私の心を埋める。
 ああー、のがれたい。のがれたい。向こうへ行って!
 おまえが行けば苦しみも行くのよ。
 さあ、ひと時も無駄にせずに。

一九七二年 七月十四日
 虚無の世界から抜け出すひと時があるはず、私を元気づけてくれるのを、私から奪い去らないで下さい。私から奪い去らないで下さい。
 雨の降る日に濡れて帰れる人は幸せです。母が居なくばそうできたものを。母は無理やり雨も降っていないのに私に傘を持たせたのです。学校へ置き、あのまま濡れて帰ろうかとも思いました。結局私は傘をさして歩いていったのです。濡れて帰れない私の心の弱さ……。
 クラブのこと。心ならずも部長になられたのでいろいろ心配なことがおありでしょう。私もこれからという時にやめねばならず、貴女に申しわけありません。できれば陰ながらお手伝いしたいと願っておりますが……。

一九七二年 七月十八日
  この頃 少うし大人に近づいた私。
  何があったのか
  言うのが少し困難で
  ちょっとばかり淋しいし
  不思議な何かを知ったような
  とても奇妙な感じなの

 学校へ――。途中で小さな死とめぐり遇いました。羽をたたんだ蝶の死骸が道の端に倒れていました。

  青い蝶を見かけたら
  ついて行くの。
  白い野原の中に
  一人ぽっちで置かれた時のために
  ただ浮いている
  いく千万もの霊たちよ。
  呼びかけると
  山々は沈黙した。

一九七二年 七月二十七日
 昨日は加太の一つ手前の、磯の浦に行って来ました。海に引きこまれるようで、海自殺も悪くないと思いはじめています。いつかこうして歩いて行けば、波が彼女を沖へと押し流していくでしょう。

一九七二年 八月十一日
  自殺を考え始めた時から
  心が透明になってきました。
  白い蝶は私が死んでも生き残るでしょう。
  ついて来ることを許さないからです。
  孤独が私を惹きつけています。
  すべての人との縁を断ち切り
  青い野原に佇んでいたい。
  何も待たずに……。

 人は死ぬために生まれたのです。何のために生きていくのか、これを知るために色々ひっぱり出してみた時、こんな言葉が目につきました。
 「妖精は女を特に尊敬している。女は、運さえよければ十分受苦的に生きられる。この世に生を受けた負債を、愛と、献身と、出産の痛みと、待つ悲しみとで償おうとする。運の悪かった女は、いたし方なく学問を身につけ、医者になり、判事になり、出世する。」
 「海から来た妖精」(母作)より
 しかし私はそんなに待ってはいられないのです。まだ若いうちに生を受けた負債を返そうと思ったら、それは自殺の苦しみ、死への悩み、そんなもので返さなければしかたがない。  九月に学校で貴女と逢えるかしら?私には本当に見えるようにある情景が浮かびます。  ある日の昼下がり、誰もいない午後、机の中の遺書、かたずいた部屋、離れに居る私。七錠の小さな個体を飲み干して眠りに入る。開けはなされたガス栓、ベッドに倒れた私。実行は何時になるでしょう。遠からず、中学を卒業する前に……。
 何の為にこれからのうんざりするほど長い年月を生きねばならぬのか。私は何の為に食べて生き、何の為に書き、何の為に眠るのか何も解らない。その中でそのくり返しを永遠に続けてゆきたくない。中国山脈の真ただ中の高原で私は決心する。機会があり次第自殺しょう。少くとも高校進学前に!!
 この頃手首の傷が増えました。

一九七二年 八月十三日
 貴女の手紙が着いたのはお昼も間近い時でした。私は丁度母からの手紙を読み返し、名古屋の祖母の思い出にふけり、気がつけば食事の仕度の時刻。仕度が終り、昼食を前に貴女の手紙を開きかけた私。けれども初めの二、三行を読んで、すぐそれをしまいこみました。エプロンのポケットに……。こんな所で読むにはあまりにもったいないような……単調な私たちの生活の中で手紙は素晴しいカドラ(贈りもの)です。そこで食事を始めた杉山さんには「親書の秘密です。」と一言。手紙はポケットへ。私は今、杉山さんとの山の中の共同生活を楽しんでいます。前からの契約通り、私はスリとここ吉川へ来ています。やがて食事も終り、私はNo.1、貴女の手紙を開く。
 一八日、六甲へ立ちます。そこで一泊。百万弗の夜景とやらを眺めて帰る予定です。

一九七二年 九月四日
 四年前、私は孤独でした。友達は一人もありませんでした。クラスメートと口をきくことさえ恐くてできなかったのです。話しかけるなんて、とんでもない! その孤独は一年間続きました。貴女にはこんな思い出がありますか?一人の友も、話し相手もなく一年間!!何も言わないで学校に来、何も言わないで帰る……。
 昔の私を知りたいのならそう言って下さい。いつか語る時もあるでしょう。私の心の底にいる暗い私は、そのことですぐ傷ついてしまうのです。今まで私は、その私をしっかりしまって鍵をかけていました。今もそうです。しかもその私こそ本当の私であり、感じ易く、傷つき易く…それも極端に……。何故私は本当の私をしまってしまったのでしょう?彼女に友がいないからです。彼女のために彼女に合う友を捜しているんです。むりやり自分を軽薄にして――。

 自殺

  結晶が
  それは白いと決っているのですが
  私の
  散らかしきった机の上にあって
  宙に浮遊しながら すべての物と
  適当な間隔を保っていました。
  その中に死を捧げたいと思ったのは
  いつの頃からだったでしょう。

一九七二年 九月八日
 貴女に五月以来ずっと隠していたことがあります。心霊術についてです。これまで母にしか打明けたことはありません。母はとても心配して私に……簡単に云うと、話すのをやめろとのこと。
 一九七二年(つまり今年)四月下旬、始めて直径三〇センチの円の中に十字を引いたものと、糸に吊した五円玉で”守護霊”と話をする。五円玉がゆれて、霊は私の問に答える。
 五月下旬、脳波を取られた影響で手が敏感になり、勝手にノートの上をすべり字を書く。直接霊の声が聞えて、私は始めてダイレクト・ボイスができるようになる。
 波乱の三ヶ月。恐怖の連続。今まではそのことについて、何か話す余裕がありませんでした。

一九七二年 九月某日
 私は生れた時から本の間で暮していました。本といえば、あちこちにころがっていましたもの。
 二、三才の頃夜寝る時には、母に文庫本のグリム童話集から色々な話を読んで貰い、一緒に文字をたどって行き、漢字を憶えてしまいました。私達の家族は皆本が大好きで、色々な本を買います。大きくなってからは、その度に私は母の本棚から本を取って読んだものです。一人閉じこもって本を読むのが好きでした。テレビよりずっと……。一昔前には私が母に代って弟に”金魚とザルと卵の話”をしてやったこともあります。母はまた歌が大好きです。「荒城の月」のアルトなどは母の歌うのを聞いて憶えたものでした。小さい頃の母はいつも歌っていたような気がします。掃除中でもいつでも……。母はまた音楽、絵、創作などが大好きです。父も、音楽はどうか知りませんが、右のことが好きです。ステレオを買い、カルメン、椿姫、その他色々のレコードがそろったのも、母のおかげです。私はよく父母の画いた絵を見て楽しみました。少し父の絵の方がうまかったみたい。楽しい年月でした。私は一人娘として十分甘やかされて育ったものと思います。ああ追憶の流れ、愛の重荷!
 すべての赤ちゃんは、神がまだ人間に絶望していないというメッセージを持って生まれてくるのです。

一九七二年 九月某日
 回想
 貴女は気がつきませんか、素晴らしいものが私達を取り囲んでいる事を。友情の絆で結ばれた人々。花田さんもスリも貴女も皆素晴らしい人! 両親の愛。祖母の愛。いつまでたっても真青な顔をすることを忘れない弟。神の大きな力強い愛。それから私を見守る霊の目。そしてもっと素晴らしいのは私が皆を愛することができること。
 借りている小犬、ボック。私の手を噛んでしまった時、うろうろ逃げて行ってうつ向く犬。「つけ!」といっても、ちっともゆっくり歩いてくれなかったボック。ほら……あの日私がころんでしまった時、すまなさそうな顔をしてもどって来て、足の痛い私に合わせてとてもゆっくりついて来てくれた。水をかけてやると、必死に身体を震わせて嫌がって逃げ出したっけ。弟にとびかかってころばせてしまったあの日。……あの頃。
 もう三年生になった弟。今あの小さな頭の中で何を考えているのかしら。いい姉になってあげたい。
 母。とても理解のある母。スリと一緒に空き家に入ってローソクをともして遊んだこと、立ち入り禁止の水源地にしのびこんだこと。妖精の原に落とし穴や、血(赤絵の具)をつけたピストルや、その他いろんなしかけをしたことなどを話しても、ちっとも叱らない。面白そうね。と目を輝かせる母。
 父。花曜賞を貰って一緒に喜んだ。本を出そうと相談する父。
 花田さん。一年の時、夏休みに理科の研究を代ってやってあげた。その代り地図帳を半分やって貰った。今年だって……ね。
 スリ。いたずら仲間。今年は社会のワークブックを丸写しさせて貰った。その代り国語をみせてあげた。「待て!逮捕する!」吉川で螢を追っかけまわした。六甲山で、ゴメンね。スリ。私は少し疲れていたの。部屋から引っぱり出されてしまったっけ。
 そして貴女。傘をささず、二人で雨に濡れて帰った。目をつぶって歩いて、とうとう溝に落っこちてしまったわね。何故靴をはかなかったの?別に片足で歩いたってかまわないのに。「清く激しい」なんて羨しい。私のあこがれよ、私も清く激しくなりたいな。みんな素晴らしい人!!
 ストップ! 霊のことを忘れてたの。にしてはおとなしく黙っているけど病気?(と霊に問う)。何となく霊までが守護霊に見えてきた。そう、良い霊に。私にはまるで解らない。声があるからにはその声の発生源があるはず。けれど霊なんて信じられない。といっても「私が直接手に入れた資料十万件を厳密に分析しただけでも、私は霊魂の存在を認めざるを得ない」とはシャール博士の言葉???

一九七二年 九月某日
 ああ……私を救って!この恐怖から。ああ霊界から私を引きあげて! 私はすごく怖いの。もっと前に書くべきだったのね。私はとても恐しい体験をしたの。何度も死ぬと思った。私は死を日常茶飯事として承認していた。私は人間の世界に生きてはいなかったのよ。いつも数人の霊が私をとり囲んでいる。部屋に入ると霊気が満ちていて、その霊がいっせいにこちらをふりむくの。私は一人で霊と戦うの。せめて同じ体験を持った友人がいたら共に語り合い慰めあえるのに私は一人なの。だから怖いのよ。まるで人間じゃないみたい。貴女は答えることができる? 私は誰なの?霊って実在するの? 私はこのまま成長するのかしら?

一九七二年 九月某日
 私は自分をコントロールしなければなりません。悩みは私が作り出しました。だとしたら無くせるはずです。私は好きこのんで悩みを作りました。今はその”おあそび”をやめねばなりません。毎日与えられる悩みがあります。よけいなことは頭から追い払いましょう。今私の精神的活動は随分活発です。毎日二年一組の友達の心の動きを計算しています。この組に友達を作りたいのです。しかもできるだけ私に合う友達を。少くとも学校の多くの人の前では、私は一人ぽっちでいたくありません。いつも一緒にいる友はできました。しかし今そのグループが分裂しつつあります。Fさんと一緒に居れば確かにこれから友達に困ることはありません。ただKさんとの方がもっと深い話ができるでしょう。歯車がまわります。この次の休み時間にはKさん達とお喋りしましょう。

一九七二年 九月某日
 真理が授業中協力してくれないので、恥をかいてばかり。真理は今”生”を追究しているの。何の為に人間は生まれるのか?死ぬ為に?苦しむ為に? 貴女のご意見を聞かせて下さい。私は人間の生が意味を持たない、という考えに達しました。極端に幸福になるのでもなく、極端に苦しむのでもなく……。

 私の名 伊賀史絵
 生年月日 一九五八年十二月十三日
 この頃時々 急激に自分を確かめてみたい気持におそわれるのです。

一九七二年 九月某日
  過去を消しましょう。
  未来を消しましょう。
 現在の私、どの私になろうかしら? どんな性格でもよりどりみどり。自分から見てこんな私。クラスメートから見てこんな私。色々な性格達が私を支配するのではなく、私が彼女達を征服したい。どんな性質にでも私はなれます。さあこれから私はX。過去なく、未来なく――。

一九七二年 九月某日
 私は決めたの。将来詩人になります。かも知れない、ではなく、現実に。この頃詩のむずかしさが解ってきました。詩にもストーリーがなくてはなりません。先日、私は無駄な悩みをなくす、と書きました。そしてそれについて苦しみました。気がつかないうちに私は私の決めた範囲外のことを考えているのです。過去をなくして現在に生きたいと思いました。その気持ち、それだけでは詩にならないのです。詩にも結末が要ります。何日も悩んだおかげで、私はそのことを深く考えることができました。色々な心の動きを基に、思い出を埋めるというタイトルで次頁の詩を書きました。あの詩には深く考えた重みがあります。そして、その日のうちに私は深く考えねばならぬという教訓を学びました。
 母はずいぶん私の詩を褒めてくれました。いつも同じ詩なら、いつも同じ上手さならかまわないのに、心の中に思うことが変ると同時にもとの詩が書けなくなるのです。これから私は研究していきます。小さな心の襞まで完全に表わせる詩を。そして、あの言葉が日毎に解ってきました。”詩を書くことは、自分の血をしぼり出すように苦しいことだ。

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    (省略・詩集―209―頁参照)

一九七二年 九月某日
 どうぞ召しあがれ、ミルクのたっぷり入ったチョコレエト。いえいえ、毒は入っておりませぬ。

 私が無限を持っているのではありません。私がとても嫌いなものだから。死ぬこと以外の無限は苦しみの根本です。どうしようもない不可抗力に従って私は生きています。友に多くを望むのは危険です。それは下手をすると離別のもとになります。二年一組。この熱気に吸いこまれてしまいそう。
 写実主義者になって、目に写ったものすべてを書きたい。思ったことをそのまゝ書きたい。それを押えて関係のないものを組み合わせてその心を表わさねばなりません。むずかしい……ですね。
 やはり私にとって一番大切なものは夢と空想です。夢の中では私は誰にもいいわけをする必要がありません。強く歩くことができないのなら死にましょう。死んでもいいのなら忘れましょう。忘れたければ空想しましょう。空想も麻薬に似ていると思います。空想している間は楽しくても現実に立ち帰れば苦しい……。そう、私は麻薬常習者です。

一九七二年 十月四日
 すべてが去り、後には書くことだけが残されました。
 あれから何年たったのでしょう。あの日、まだあの人らしかったあの頃、あの人と友達になりました。あの人は人を傷つけない人でした。今、あの人の心の変化がはっきり解ります。私のせいともいえるでしょう。私は、変りにくく、強い個性の人としてあの人を望んでいました。今あの人が期待を裏切ったので私はもうあの人を求めません。友達になる意思も失せて、すべての人と友達になる意思が失せて、あとには古い友人関係を求める意欲もおこりません。空が曇って、教室が暗くなってきました。私の心が闇を求めるように、天候も暗さを求めるのでしょう。
 私は地球が大嫌いです。人間も嫌い。だから人間に生まれてしまったからには人間らしくない人間になりたい……。

 私の性質の中で特筆すべきことは、下品を嫌うということです。下品なことには我慢がなりません。私は下品な人を憎みさえする場合があります。
 六年の時、下品なことをしていたという理由で、四人の一番親しい友達と絶交しちゃったの。ちょっと極端!私達五人は他のことではすごく仲が良かったのだけど、一度にまとめて絶交!みるも嫌らしいことをしていたので吐き気がしてきたの。まあ別に後悔はしていないわ。あんな仲間になるなんて、考えただけでも嫌だもの。

一九七二年 十月某日
 私は今色々な劣等感を持っていますが、それについてはあまり悩んでいません。一番大きなのは背が高いこと。でもあまり悩むことはないの。くだらないことですもの。第一悩んだってしかたがないじゃありませんか。バカバカしくて……。そこで私は今殆ど劣等感では悩んでいません。むしろどんなことでも悩まない性質です。何かについて悩むのは、成長にとって素晴らしいことでしょうが、私は自分の好きなことしか悩みません。悩みについて贅沢者なのです。演劇部を活発な部にしたかったら、私はそれについて考え、行動に移します。活発な人を見て自分がそうでないのを恨む場合――劣等感ですね、ある種の――、私はどうしたら活発になれるかを考えます。いつも明るく人と対応する等……。そして次の日に実行すべく、その日は安らかに眠るでしょう。

一九七二年 十月某日
 貴女は今度も中間テストの勉強をやらないつもり?反抗は少年期、あるいは少女期の表れです。多くの少年達は反抗を自分の誇りにしています。私も以前貴女の反抗を羨しいと思ったことがあります。きっぱりと反抗することが、とても立派なことであると思ったこともあります。貴女の真似をして、家での勉強を一切やめようかと思ったことがありました。しかしそこでそうしなかったのは、やはり私も貴女と同じく逃げるのが嫌いだったからといえるでしょう。”勉強を何故するのか解らない、だから勉強しない”と適当な理由をつけて、勉強から逃げることがいやだったのです。自分を正当化して”何かをしない”ということは、やらないことが悪いと知っていて”やらない”よりなお卑怯なことです。無理やり自分をごまかして勉強しないことになるからです。もしも貴女が勉強が大好きで、どうしてもやめたくないのを無理やりやめたとすれば、ある面から見れば少しは正当になるでしょう。しかし一方が馬鹿げているからといって、他方は必ずしも素晴らしいこととはいえません。勉強することが馬鹿げているとしても、しないことは学生である私達にとってなお馬鹿げていると思います。私は深い教養を受けたいと思います。そしてそのためにできるだけ学校を利用するつもりです。

一九七二年 十月某日
 私は何時も極端にいきすぎる傾向があります。時には自分のことを非常に残酷に書き、時には優しく書きます。多分私は激し過ぎるのでしょう。そしていつも極端な両面を持ち合わせています。それがほとんどいさかいを起さず、隣あわせに住んでいます。貴女は私とトランプの七並べをやったことがあるでしょう?一方では残酷なほどすべての札を止めておきながら、他方では絶対に相手を破産させない……。自己研究の面白い題材だと思います。人には皆そんな面があるのでしょうか?それとも私だけが変っているのでしょうか?ただ一ついえるのは、人間的な欲望を極端に嫌っていること。例、食欲、怒り、金銭欲等……。

一九七二年 十月某日
 如実的な一切のことが書けないのです。しばらく私を放っておいて下さい。

一九七二年 十月某日
 少し錯乱状態。
 あの方どなたかしら?色の割と白くて、背の少し低い、右の絵のような方。(髪はまちがっているかも。)如何にも弱々しそうで、淋しそうな困ったような微笑を持つ方……。
 私の中で何かが爆発しそう! どうしたら良いのか真千に尋ねてみる。

 少し朝は狂っていたの。今でも勉強がどうの、進学がどうのって書く気はしないわ。疲れているの。どうしようもなく――ね。気が重いわ。泣きたい感じ。
 私は何を求めているのかしら?友達?それとも……。けれど私の中で何かをもとめてやまない心。無限の可能性を秘めた新らしい友人関係? まあね……。けれどまだある。何かが……。死――でもない。もっと刺激の強いもの。死でさえ今は眠りのようにおだやかなものになってきました。そう、今やっと解りました。私の求めているもの、手首の赤い血。帰ったら早速切ってみましょう。それで救われるかも知れない、友達でもなく死でもなく、あのスリルと痛みを私は求めているのだわ。

 貴女が自由を求める時、私は激しい束縛を求めます。自分を縛りつけてやまないものを求めます。私は自分の性格を形作ります。高く伸びることにあこがれる時、さらに低く自分を抑えつけ、人間性を極端に抑え、自分の欲を無に帰そうとします。だから私は犠牲と献身を愛するのでしょう。
 不自由に手足をくくって水底に沈めようとかかるもの。そうしておくれ。

 フェスティバルホールでカルメンを観た夜。大阪市にて。
 今私はちょっとばかり興奮しています。目の前には海を描いた緞帳が垂れています。私はふと、いつかこれと同じような幕の後ろで、友達とクスクス笑ったりしながら、位置について前奏曲を待ったことを思い出しました。幕が開く時の胸の高鳴り! 客席は思いのほか暗く、人の顔はほとんど目に入りません。そこで私は踊るのです。バレーの発表会の時のことです。
 あ、ブザーが鳴りました。もうすぐカルメンが始まります。暗くなりました。字が見えないわ。(と書くのやめる。)
 第一幕終り。カルメンは素晴らしい声でした。あんな声は聞いたことがありません。あの歌も笑い方も……何て素晴らしい人なのでしょう。それにくらべればドンホセは馬鹿です。
 ゲーテのI・Qは一八五か六だとか。秀才といわれ三国ヶ丘などにどんどん入って行く人は一二〇~一三〇。京大生の平均一三〇。だからゲーテってすごくI・Qが高かったのだね!!

一九七二年 十月十八日
 男の子の行くプラモデル店で夜光塗料を買いました。スリのよく行く店。五糎の瓶に一本二十円也。少しは光るようね。
 貴女はこの間私に絵を下さいましたわね。丁度その前日、私も絵を画いたのです。学校へ持って行けば丁度交換の形になったでしょう。今はその絵が嫌いになったので丸めて放ってあります。

一九七二年 十月某日
 トンビは馬の鳴き声にあこがれ、それを一心に、真似たので、とうとう本当の自分の声とも違う、馬の声にも似ても似つかない。あんな奇妙な声になってしまいました。貴女は私の字にあこがれるつもり?皮肉ならまだしも、日本語を使い間違えているのでは?私が貴女の字の美しさを知っているのと同じくらい確かに私の字の雑なことを私は知っているのです。

 この頃私はある不思議なことを体験しています。今、私の組にはコックリさんがとても流行っています。それが問題なのです。私はコックリさんをしながら頭の中で色々なことを考えました。コックリさんとは何か。人間の守護霊なのか。なら二人のうち、どちらの霊が一円玉を動かすのだろう?そうすると決まってコックリさんが帰ってくれないばかりか、曰く、うらめしい、頭が良い、巫女、等々の言葉をたどってゆくのです。少し複雑な心境。それに加えて彼(?)の声が聞え出したからたまりません。耳をふさいでおきましょう。

 この頃朝早く起きてドロボー(?)稼業をしています。つまり鍵をこじ開ける仕事。朝七時十五分に家を出て学校へ。示し合わせた友と二こと三こと。七ツ道具(ドライバー、釘抜き、ピン、その他細かいもの沢山)を手に現場へ直行。ピンで長いことひっかきまわした末、今日は鍵の形をとっただけで退散。これができればクラスの為にもなる仕事。でも先生には絶対ヒミツ……。

一九七二年 十月二十二日
 昨日まで私は何時爆発するか解らない原子爆弾をかかえていました。でも今日は違う。今日の私は深い目を持ち、相手を凝と見つめるくせのある生真面目な娘。
 私は考えています。学校のこと。人生のこと。死のこと。生のこと。それぞれについて議論のできる人、小さなことを深く掘りさげて考えられる人、本当に何時も深い話のできる人を私は夢みています。
 イマ ヨル
 ワタシ アノヒトノトコロヘ デンワヲカケル
 「モシモシ ワタシ フクオカナオコ アノヒトイマスカ?」
 「イエ イマルスデス。イルスデス。」

一九七二年 十月某日
 今日はテレビを久しぶりに見ました。試験の終った日不思議な開放感が私にそうさせたのでしょうか。でもそれよりもっと素晴らしかったのは「マノン・レスコウ」を一日で読み終えたことです。今日は半日、本に首を突っ込んでいました。でも心の飢を満たす、とはいえないようですね。というのは、昨日も「破戒裁判」を一日で読み終えたところだったのです。それから一昨日は終日京都の仏像を研究していました。確かに私は勉強家ではありません。花田さんが来た時も、私は一人活字を追って、彼女だけに勉強させておきました。私は時々解らない所を教えてあげるだけ。最後に「伊賀さん、まるで家庭教師みたいやね。」とか。「だって自分は何もしないで、人にばかりやらせているんだもん。」

一九七二年 十月二十六日
 今日は帰ったとたん、悲しい知らせに合いました。我が家に迷い込んできた小鳥イアーが飢え死にしてしまったのです。餌は与えていたのですが口に合わなかったもよう。祖母の名をとって名付けられたこの小さな小鳥に、私はしきたり通り、深く掘った穴に山茶花の白い花びらを敷きつめ、お墓の用意をしました。死体は水色の柔かい紙に包んで穴に置かれ。さらに山茶花の花びらで覆われました。羊歯の陰に、今では二つの十字架を立てた塚が小さくうずくまっています。

一九七二年 十月二十九日
 今、弟が泣いています。母が弟を叱っているのです。あまりに可哀そうなので私も少し涙が出てきました。この頃私は弱くなったのでしょうか。今まで私は両親を必死でなだめていました。母は少しひどいことをしすぎたようです。でも当然かも知れません。私も意志さえあればあのような行動に走らなくても良かったと思います。とうとう部屋で謹慎をいいつかってしまいました。そこで私はこのことを冷静に考え直してみましょう。
 私が両親をなだめたことは、ある程度は良いことでした。でも少しなだめすぎたのでは?無論両親はそんなことでは心変りはしないけど、弟には優しくしすぎたみたいです。彼は当然な罰を受けているのですもの。父が少し良いことを言っているみたい。やはり両親は正しいのでしょう。思いの矛盾はいつも私の中に表れているのです。
 少し関係のないことを書いたみたい。宗教の問題に移りましょう。私はこの頃、すべての神は一つである、という考えに取りつかれています。何故ならもしキリスト教が真の宗教で、その神だけが主であるとしたら、何故他の神を信じるこんなに多くの人々が存在し得るのでしょう。神は一つであり、すべての人はただ一つの神の声のみを聞くことができるのです。他の宗教が皆真の神をあがめるものではないとしたら、何故彼らはあれほど熱心に無い神に向って祈るのでしょう。呼び名は違っても全人類の神は唯一人の神でしかあり得ないのです。私は神によって生きているとはいいません。また私が神を愛しているともいいません。ただ一生を神の教えに従って生きぬくことができたらどんなに素晴らしいことでしょう。それなのにいつも私の頭は人間のことでいっぱいです。

 貴女にある一事を話すのを忘れていました。本当は書くべきでないと思ったのですが、私が貴女に知ってほしいのは私のいい面(あるいは悪い面)ばかりではなく、本当の私なのです。早々にそのことに気がつき、再度ペンを取ります。
 十月六日、放課後。私はどうしょうもない気持で教室の中に立っていました。友達の言葉が私の胸を突き刺したのです。そのままそうしていたら私はあの灰黒緑の私になり、喋り方を知らない陰気な私になってしまったかも知れません。とにかく思考力を失って立っていたのです。私は自分を制御するのに相当な時間のかかること、このままここに居れば自分を取り戻さない内に最も悪い私をさらけ出して皆に不快な思いをさせることが解っていました。私にはそれが避け難いことに思えました。その時急に「若草物語」のある章が浮びました。そして心の中にまったく観念的に、しばらく教室を出て行って心を鎮めようという考えがおこりました。「そうしたらいいわ」という内心の声を聞きながら渡り廊下に向いました。そこで私はありったけの激しい心をぶっつけて泣きました。いいえ、涙を流しました。すべてを涙に捨ててしまいたかったのです。やがて私は涙をふき、教室に戻り、彼女に微笑みかけました。「ごめんね。つい本に夢中になっていたの。」「ごめんね。私もきつかったわ。」こうして私達は微笑を交したのです。

一九七二年 十月某日
 ベートーベン作曲、歓びの歌。でもこれが本当に喜びを表現しているとは思えない。喜びは胸の奥からどんどん突きあげてきて、持っているのが苦しいほど大きなもの。いえ、危険のつきまとったものかしら。だって…どういい表したら良いのかしら?自分だけで持っているとやりきれなくなるものね。それで笑ったり踊ったりしたくなるの。でないと居ても立ってもいられないから。それができない時には教室に真すぐ立って目を輝かせているの。その瞬間、自分が天から選ばれた者のような気がして、他の一切がつまらなく見えるの。私は私だけのもので……そして輝いている!
 私は激しい気性なのかな?何故って喜びで目が見えなくなることがあるもの。喜びだけを感じて他の一切が消えてしまう……。
 不思議なものね。いいえ私だって喜びを感じるくらい、いいんだわ。誰にも迷惑はかけませんもの。それくらいの特権は誤ちを犯し易い人間として許して貰ってもいいわ。私はこれから、わざと私の中からあふれ出る喜びの泉を塞ぎ止めたりしないことにするわ。今まで必死に抑えていたの。馬鹿でしょう。人間らしい気持だから、というだけの理由でね。今は人間であって良いと思うの。そう、私は人間です。人間です。人間です!

 不思議な笑いを浮べて私は自分が書いた所を眺めました。少し興奮しすぎね。冷静に考えて、さあ、どうしょう? このまま喜びにひたっているか。それとも戦うか。何故戦うのかと聞きたげな貴女に、喜びは純に感情的なものだからです。そして感情に委ねられた人間は、自分をコントロールすることができないからです。
 貴女はどう思いますか? と聞かれて真剣に答えを考える必要はないと思うの。私はただすべての人と共に喜びたいの。すべての人を私の喜びにひき入れたいの。といったらまた誤解されそうね。そこで私は茶目っぽく親愛なる我が解決済みの問題に引き入れただけだといいわけしておきましょう。

  今宵の貴女の眠りが安らかなものであり
  聖母様の熱き御愛が貴女の心の内に宿れば
  貴女の生涯も自ずとまた
  光り輝くものになるでありましょう。

 花について(ポートワインを飲みながら)
 私が好きな花は貴女にお書きした通り薔薇と百合。今日難波でカトレヤを見ました。その美しさ……そこに私は百合と同じく何か心にふれるものを感じたのです。さて問題をはっきりさせる前に、私の好きな花をはっきり書いてみましょう。
 燃えるような黒みがかった薔薇。汚点の一つもない白薔薇。
 ろう細工のような白百合。カトレヤ。
 私はこんな花が好きなのです。この中で現実の薔薇は抜いてもいいかも知れません。というのは私の好きなのは”理想の”薔薇だからです。美しく整った形を持った赤または白薔薇。そこが問題なのです。こんな花が好きだからには私は派手な人間なのかしら? 派手で明るく、軽薄で高慢……。私がこの花から連想するのは私のもっとも嫌うこんな女性でした。私はそういう人を嫌っているのに何故こんな花が好きなのかしら? もしかしたら私は自分ではそうした所の一つもないと思っていながら、その実そんな面のかたまりの愚か者であるのかも知れません。そうでないことを願いつつ花の共通点を並べてみました。(注)私はこれらの花達(特に百合、カトレア)を見ると胸の高鳴りを覚えます。
☆作りあげられた美しさ
 自分の心を自分の気に入るように変えることはあるけれど、それは自分の側から見て正当でありたい、まともでありたいとの願い……。
☆個性が強い
 勿論個性的な深みを持つ人間にはなりたいが、一生は平凡に送りたい。
☆誇り高い
 必死で高すぎる誇りを直したので、今では外から見ると普通。けれどやはり根本からは直っていない。
 どうもこう書くと合う点ばかり見つけてしまうので違う面から……私はどうして桔梗やマーガレットを好きになれないのかしら?それは、何かしらもの足りないから。とすると私は百合などの強い個性からくるある種の激しさが好きなのかしら?特に百合が好きなのは人をよせつけないであくまでも清らかな激しさを秘めているから……。けれど私は誓って活発で派手な人にはなりたくない。むしろ清楚で地味で、人を寄せつけない人になりたい。

 教室にて
 黙って目を輝かせて私は考えています。ゆう子。この頃友達がいないのね。いつも独りなのは孤独が好きなせい?それとも合う人が居ないの? 今、この瞬間、エスプを信じて貴女に微笑みを贈ります。貴女の心が安らかなものでありますように。
 今、スリに「伊賀さん元気になったね。」といわれました。ああ、今日は素晴らしいのよ。先生を割と公平な目で見ることができたし(いつものように軽蔑せずに済んだ)先生だって人間ですもの。
 今、ぼんやりと新しい組のことを考えていました。早く組替えをしてほしいわ。今同じ組になっている人は皆だいたい解ってしまいました。たいした人はいません。早く無限の可能性を秘めた新しい人と知り合いたい!

一九七二年 十一月六日
 お元気ですか。今日の課題は「恋詩」です。私はこの種の詩を好みません。また書くことも嫌いです。恋詩ばかり専門に書く友もいますが……。何故嫌うのかというわけは理論的にいくつも挙げられます。まず恋詩を書くことは自分の心を偽ることだからです。自分本来の感情ではなく、古来から類型的に伝えられてきた複雑な感情をそのまま書くのですから、上手くできて流行歌の歌詞くらいにしかなりません。どれを見てもまたかと思うような月並みなことしか書いてありません。「X夫人に贈る」にしても「よく見る夢」にしてもそうです。
 でも、どんな少女にも一人二人の「好きな人」はいるのです。それではそんな時に書く詩、またはこれからの恋詩はどうなってゆくでしょう。私が一番好きな恋詩は「一さしの花」です。この詩には一ことも通常使われる恋の言葉はありません。その詩はだいたい次のような言葉で始ります。

  ひとさしの花
  その中でひろげられる
  静かな抗争……

 私もこんな詩を書きたい。美しく豊かな……。
次は私の恋(?)詩です。

  紫の手

 わたしの中に
 うすまる
 水の夢。
 落着いた紫の手のひら。
 その中で
 あくまでも静かな
 手にうつる瞳。
 水の面に
 とどまっている私自身と影。

一九七二年 十一月八日
 誤解につぐ誤解。頭痛がしてきたわ。
 自分の気持を偽るっていうのはね。私達と同じ年頃の女の子が
  私は誰にも捕まらない自由な小鹿
  けれど貴方には捕まえてほしい
 とか
  さようならはいわないで別れて行こう
 とか、その他もっとひどいことまで書き散らしているってこと!知りもしないことをね。少し吐き気。私はよく男嫌いといわれるけど、女嫌いにもなりそう。

 もう一人の私について
 私は現在の日本が嫌いです。一時代遅く生れすぎました。平安時代、婦人はいつもつつましく、おくゆかしかった。親が決める結婚。男尊女卑…。その時代に生まれてくればよかったと思います。お茶。お花。静かな愛情……などといったものに縛られて暮らしたい。内部に激しすぎる炎を持ちながら外見はしとやかな日本女性……。
 夢を見ました。私は中世の騎士の服装をしていました。戦っていました。勿論恐かったのです。死ぬかもしれないし、怪我をするかも知れない…。 けれど、それでも命を賭けて戦いたかったのです。その勇気は心霊力によって身につけたものでした。戦って私はついに相手を倒しました。すぐに私は城の中で美しいものに囲まれている貴婦人になっていました。マーガレットの花を長い髪に飾り、なよやかに美しく……それは私のもう一つの姿でした。ジキル博士とハイド氏ならぬ水沼炎子と白鷺亜清はこんな風にしてお互い同一の人間の中で発展していきたがっています。

 本当の友達とは? 理想の友とは? 底知れぬ深みがある人。尊敬できる人。今私は夢見ます。深みがあって下品を嫌い……そんな人がきっと私を導いてくれるでしょう。

 前略
 神様。私が死にましたらお願いします。
 白百合の花を私に注いで下さい。

一九七二年 十一月九日
 私は皆からそういわれるの。伊賀さんは男嫌いだから……。でも、いいえ、私はすべての男子を軽蔑しているのではないのよ。私は自分が尊敬できる人でないと好きにはなれないの。限りない深さと激しさを持った人、私以上に激しくてしかも意志が強く。感情に押し流されるということのない人。弱い人はいや。
 それから誤解のこと。ごめんなさい。私は希望を持っているの。今はもう残り少なくなった希望だけど。もし数学占いのWho?の人が私の想像し得る人間像のもっとも好ましい姿、心をしていたら、私はその人と友達になれると思うの。私は今深い話をする人に飢えているの。だから私は今、その人と同じ組になれるよう祈っているわ。その人の性格が知りたいから。もしその人が深い心を持っていなかったら、私はその人を軽蔑するでしょう。でもWho?の人は、少女達のよく云う”好き”ではありません。

 私は強くはないわ。私は貴方が羨ましかった。人の気もちにふりまわされることがなく、人がどうであろうと自分は自分だもの。だから私もそうなりたかった。そしてなったわ。ある程度はね。程度を超えると利己的になってしまうもの。もし私に強い所があるとしたら、それはあの恐ろしい世界から私が持ち出してきた遺産よ。もとから持っていたものではない。恐怖のただ中で何ヶ月かを過ごしたかったら霊たちと話してごらん。
 ユメヲミマシタ。ワタシハエスパーデタタカッテイマシタ。キョジンタチト。ワタシハスベテノエスプヲダシツクシテタタカイマシタ。ジブンノスガタヲケシタリ……。コワカッタケド、タタカワネバナラヌノデタタカイマシタ。
 この頃よく戦う夢をみるの。何故かしら?

 お元気ですか? 今日私は貴女に反抗と自由について書こうと思います。貴女は先生が嫌いだからこういうことをするといいました。貴女は自由でありたいといいました。でもむやみに反抗するのが自由でしょうか? 自由とは自分のやりたいことができるということです。貴女は今本当にやりたいことをしているのかしら? 自分の意志でこちらの方が好きだからやっているの? 例えば、私は短い靴下が女学生らしく清楚なので好きです。だから先生がそれを好ましく思おうと嫌おうと、おかまいなしにそうしています。それが本当の自由じゃないかしら? 貴女は反抗する前に、自分がどちらを好きなのか考えてみたことはあって? 先生に、わけなく反抗するのは利己的に考えても良くないと思うの。もしかしたら先生の選択の方が好ましいかも知れないでしょう?そういう場合、貴女は自分でも意に添わないことをなし、しかも先生にも苦い思いをさせていることになるわ。先生も一個の人間として尊重されるべきだと思うの。それを、何もかまわずただ反抗するのは、先生に対する甘えを貴女が持っているからじゃないかしら? 自分は先生とは違う。だから反抗する。そういう考えがあるのでは? お互い、自分の本当の意見を忘れないで、自分を見失わないで生きていきましょう。こんな事を書いている私さえ見失いがちな自分を。少し生意気な事を書いてしまいました。すみません。でもこれは私の意見よ。

 貴女は不思議な方ね。この学校で、私には貴女以上の友は見つからないでしょう。私はいつも貴女と歩きながら話す必要を感じます。その話し合いは、私の考えをはっきりさせ、私の心を静かにします。休み時間、放課後、早朝、それから帰る時などいつでも誘って下さい。私の家の前を通りかかった時でもかまいません。いつか、貴女の暇な時、どこかへ行きませんか? 山へ、海へ、あるいは高石市内を散歩して話したいと思います。自然に囲まれた所をさまようのも一案。または貴女の思い出の堺や大阪へ行って、貴女の口からそれを語っていただきたい。暇な時知らせて下さい。一日、半日、いえ、一時間でも結構です。

一九七二年 十一月十三日
 私はもし幸福であれば恋文を書くことはないでしょう。何故なら私の好きな人は恋に超然としているからです。その人は誰も愛さぬ人です。その人は氷のように冷たく、しかも心の内に炎を持っています。
 しかし私は現実にその人を好きになるとは思えません。何故ならどの例をとってみても、少女が子供の頃胸に秘めていた理想の人物に出逢うことは稀だからです。出逢ってもいくらかその人間像はゆがんでくるでしょう。しかも私は、後年出逢ったその人を「世界一」の人と思い、幼い頃の理想像を「何と子供だったのか」と嘲けることでしょう。
 今ふり返ってみて、例の影響の大きさに驚きました。いえ、もちろん良い方のです。もし夏休みの恐怖がなかったら、私は貴女と静かに話すことはなかったでしょう。
 今、一時五分。貴女に一つだけ聞いておきたいこと。貴女は何の為に生きるのか。本当は今日書こうと思ったのだけれど、もう遅いので……。ボンヌイ。オー・ルヴォワール。
  貴女の友、そして苦しんでいる史絵

 まだ書いてなく、これから書きたいこと。
☆何故男子を軽蔑するか。 ☆慈しみの愛と尊敬の愛とその他の愛 ☆何の為に生きるか ☆横井庄一さんの結婚について ☆部屋の叫び ☆演劇について、その喜び ☆星の輝き……幸せすぎる私 ☆これからの道

一九七二年 十一月十七日
 拝啓 お元気ですか? 今私は暗い闇を知っています。あれから私は色々なことを考えました。好きな人のことも。私には今、好きな人はいません。好きになるだけの価値のある人がいないのです。しかも私は苦しんでいます。

 教会にて。
 私は主の祈りを唱えながら息苦しくなりました。神って本当に実在するのでしょうか。他の人達のように単純に神を信じることはできません。私は、全能の神のすべてを受け入れることはできないのです。神はどんな幸福を私に与えて下さるのでしょう? 私にとって真の幸福。それは二つあります。一つは自分の心との戦いです。より深く、献身的な心を求める……といっても解ってはいただけないわね。ジイドの狭き門をお読み下されば解ると思います。
 もう一つは他の人との完全なる愛情。同じ所に居るだけで満足を感じ、その人に犠牲を捧げることのみを喜びとする心が私の内に芽生えた時。そしてその人も私と同じ気持であること。が、この時には私はもう一つの心を犠牲にせねばなりません。即ち「すべて立派な行いが、幸福の中で何としぼんでしまうことでございましょう」(「狭き門」より。)そうです。私が持とうとした、そして少しは持ちかけていた「立派な行い」が、幸福の中で何としぼんでしまったことでしょう。つまり”完全なる愛情”が、何と立派な行いをぬぐい去ってしまうことでしょう。
 私は死を怖れません。本当にです。そのことを私は夢で知り嬉しく思いました。夢の中で強い恐怖にうち勝つことができたからです。またいつかお話しましょう。今日は遅いので。(それから悩みのことも。)

一九七二年 その次の日
 昨日から一日たった今日です。そして貴女の持つ小さな願いと問に、真面目に答えるのはおそらく貴女に対して無礼でありましょう。問題をはっきりさせましょう。貴女の出した問はこれです。
 私は手紙によって貴女に勝手なことを望みました。すみません。ご迷惑かしら?貴女にとって私がふさわしいか?お答え下さい。
 おこがましくも……おこがましくもです。私は「迷惑ではありませんでした。貴女は私にふさわしいのです」などといえるでしょうか。私こそ――伊賀史絵こそ貴女にふさわしい友かどうか疑問なのに。私こそ貴女に右の問を出すべきなのに。そして、ふさわしいか。ですって? 思い出して下さい。貴女の考えに私が感嘆しなかったかどうか。この日記に私がすべてを書かなかったかどうか。貴女との会話が他の誰とのそれより充実していなかったかどうか……。貴女は私の深友であり、心友、神友、信友……です。(必死)
 (あ、忘れていたわ。親友。)
 私は死を恐れないと書きました。否、私は死を怖れています。にもかかわらず私にその恐れを克服することができるでしょうか。夢の中ではどうにか――でも現実には?

 レイって何? 声だけの生きもの? ニンゲンを支配しているの? レイっていいの? 噫!レイって沢山いるの? みんなしてアタシをからかったの? レイってアタシタチより進んでいるの? もとからここにいたの?それとも地球に、人間の心の中に移ってきたの? じゃあ宇宙人?   コワイワ………

 お元気ですか?今日は一日中暇な時を過ごしました。その中で昨日下さった貴女の暖いお手紙、どんなにかなぐさめになったことでしょう。私も貴女をある意味で求めています。私は私独特の愛を以て貴女を求めてきました。貴女の手をしっかりと握り返します。ダンケ・シェーン!(ありがとう)。私達の手で今の友情を真友にまで育てていきましょう。これからだんだんに……。

 私が今、何故男子を軽蔑ぎみなのかというと……まず、私の考えに従えば、男子は女子より思索的であるはずです。しかし大部分の男子はそうではありません。何故彼らはもっと無限の彼方へ考えをむけようとしないのでしょう。もっとも私は男子の内面はまるで知らないのですが。
 もう一つは男子の挙動です。私は少しましだと思う男子を観察(?)します。そしてたいていは失望して自分のからに閉じこもるのです。ある人は笑いすぎます。また意志が弱いのです。仮面ライダーに夢中なのもいます。ひどいことを平気で人に話すのもいます。靴が汚れた時「どうしてくれるんや」とつっかかっていくのもいます。こんな人達を私は総じて下品と呼びます。そういう挙動をする男子を見ていると本当に寒気がしてきます。そういう挙動をする女子は、別にジンマシンができるほどではないのですが……。
 ある本に、女子は相手が男子だというだけでその一挙一動に魅力を感じる。と書いてありましたが、私はその反対です。むしろ吐気をおさえるのに必死。だからそんな感じをおこさせない人がいるとしたら、その人だけが私に合っているのでしょうね。今のところ、私はすべての男子に絶望していますが……。

一九七二年 十一月二十四日
 相手をつきはなして、それが友でしょうか。いいえ、友なのです。それこそ私の友の姿なのです。貴女は私にとってずいぶん重みをもっている方です。昔から私はいろゝな友を持ってきました。本当にお互いのためにつくし合う友を持ったこともあります。机が隣どうしになった時には二人のものをごっちゃにして共同にするほどの仲の良さでした。夏休みは毎日一緒だった上、毎日文通しました。朝七時に私が彼女の家に手紙を届ける。すると十時に返事がきて一時に互の家で遊ぶ。あるいはプールへ。手紙はご丁寧にも暗号。今でも覚えているわ。やはり私は友に恵まれているのでしょうか。でも貴女とは、この人とのように親しくなりたいとは思いません。貴女は貴女。他の人とは一緒にしたくありません。

一九七二年 十一月某日
 私の読んだ本には、女は人よりきれいな物を持ち、人よりきれいな服を身につけ、人よりきれいな顔を持ちたがると書いてありました。その時私は思ったのです。――私はそんなことはないわ、と。でも、いいえ、そうではありません。私は人より清楚でありたいと願い、人より質素でありたいと思っています。これは前者と同じではないでしょうか。私は他の人と変りない人間なのかも知れません。いいえ、そうなのでしょう。

 母にみつかってしまいました。手首の傷。私は泣き出しそう。母がどんな目で私を見たか……。怒ってくれたのならまだ良かった。そうでなくてもこの傷はいい加減私の重荷です。やりすぎてうんできたみたい。でも後悔はしていません。私はそれに価するのです。とはいえ、ダイヤ型の傷は手首には目立ちすぎますね。まったくとり返しのつかぬことをして自分を傷つけるなんて、貴女にはおすすめできないわ。私もめったにしないのだけれど。これで三回目よ。第一回は五年の時。二回目はこの夏休み。けれどもある償いのために、私にはどうしても必要だった。絶対に……。というところが激情的なのかしら。

一九七二年 十一月二十七日
 この頃私に、色々な考えが浮んできます。そうしてそのつど私は息苦しくなってきます。物事がよく解れば解るほど……。けれどやはり私は旅をしながら「どこかに美しい村はないか」と尋ねて行きましょう。
 ある人に会うと、私はいつも詩が書きたくなります。

一九七二年 十一月二十八日
 「たといまた、私が自分の全財産を人に施しても、また自分の身体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ一切は無益である。愛は寛容であり、愛は情深い。またねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みを抱かない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そしてすべてをしのび、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」
  コリント 十三 三―七

 こんな愛で他人を愛せるでしょうか。いいえ いいえ、私はこんな愛を好みません。
 ある友がキューピット役をしていました。これで何人の友を引き受けたかというほどの実践家。その人がこれとはなしに手紙を書きながら語ったのですが……「自分の方が幸福ではないとキューピット役はできない。それくらいいわれても信じていればいいんでしょ? 私はあの人のすべてが好きや……それでいいの。信じられなかったらってそんなことはないわ。すべてを信じてこそ」……妙な考え方だと思いました。私には絶対いただけない考え方です。まず第一に、私はその人の性格を問題にしたいと思うから。その人は……妙な人です。不良(おとな)グループの一員では?と思うの。その人は私にだけは色々なことを話します。万引に誘われたこともあります。妙な……本当に妙な……。明日は彼女とニチイに行く約束をしています。あの人をもっと知ったら貴女のいうように彼女を普通の人間にすることができるかも知れないと思って……。(彼女の話では我が校に彼女の万引の仲間が数人いるとか。この間、そのうち一人が捕りました。)

一九七二年 十二月一日 晴
 ソクラテスのように、ヘッセのように、私もまた自分を探究していきたいと思います。私は自分が嫌いです。いいえ、なおしてみせます。私の気に入らない点はきっと。――またひとつ成長しました。一つの考えを持つと、私はそれを実行します。
 意志が強いということはすばらしいことだと思います。私はそんな人に憧れます。あるいは、私自身がそんな人間になることも憧れています。未来の夢? 今そんなものはほとんどありません。将来は? しかるべき高校、大学を出て、多分普通の事務員になるでしょう。そんなことよりもっと身近かな今日と明日が、今、私に重みをもってきました。私に与えられた課題は、如何にして自分と闘うか、です。

一九七二年 十二月某日
 土曜日はお休みだったのですか?鐘が鳴るまで待っていたのにいらっしゃらなかったみたい。今日は何故か「机の中に入れといて」とことづける気がしなかったの。何となく貴女がお休みになるような気がしたので。
 それはさておき、この頃予感がよくあたるわ。母が私の部屋へくる時もパッとひらめくもの。

 今日、ある人のことについて考えています。朝、私はその人と話していました。≪無意識にならなくても、自分のすべての筋肉の力をぬけば口が勝手に開き、低い声でものをいう≫ということです。霊媒になれるのでは? 彼女は「流産した女の人を見ると、すごく沢山の赤ん坊がまわりで泣いているのがみえる」といいました。少し興味があったので私も彼女をすかしてみました。すると彼女の頭の上に、鋭い刃物が見えたのです。後で彼女にそのことを話すと、彼女はこう答えました。「うん。そうや。私は一生刃物から逃れられない。でも貴女に忠告しておくけど、あまりそんなことを人にいわん方がいいよ。さもないと命を失いかねないから」
 私はもっと問いただしてみました。
 「私ならいいけど、男の人で頭の上に刃物やのみ、お金があるのをみつけて、それを友達にでも話すやろ。それを知られて、もしそれが本当だったら殺されかねない。そういう気の荒いのが仲間に居るからな。もっとも私の仲間の一番気の荒いのはテキサスに行っていて三年に一度くらいしか日本には帰らないけど」
 さらに、「お金が一番あぶないんや。お金の為には何でもするって奴がな」
 手首の傷を見つめながら
「私にしたって絶対普通の人のような明るい未来がある筈ないんや。まあ私は好きでこの職業を選んだんやけどな……」
 ニチイに行く日はのびのびになっています。そろそろ家に帰らなければいけないからと彼女はいいます。(彼女はいつもは親戚の家から通学しているのです。)
 私はあまり人の霊などを見ていると、五分くらいで頭痛がして吐き気をもよおします。やっぱり人間のやることじゃないのかしら?

 本を読んで感動すればそれを書くノートが欲しくなる。それを話す相手が欲しくなる。本当にその点、双子なんて羨しい。けれど自分が二人居るなんて、どう考えても嫌です。本当に、青春なんて悩みだらけなのですね。
 今少し頭痛がします。他人の霊なんか見るからでしょう。(それともそういう運命?)時々私がわけもなく頭痛をおこすのは、禁じられた世界をのぞきこんだからかなって感じもします。霊と話すのは普通じゃないことだから、それも禁じられた世界? でも私は思うんです。すべての人が幼少期に霊と話をしたら人間はもっと深い存在になるんじゃないかって。私は、普通でいけば五年ほどかかる成長を、霊の世界で送ったひと夏でおえた心境です。あれからやっぱりもとの私じゃなくなったんだ……という気も。できたらもう少し大人になった時、もう一度あの……≪洗礼≫というのかな? 強いて名附ければ≪悪魔の洗礼≫を受けてみたい。だけどその故にこそ、今の青春を引きのばして味わいたい。今ならば精一杯深く生きられるのですから。学生時代って、人生で一番幸福な呑気な時代だと思います。でも年を取れば取ったで、それはそれでいいのかもね。とにかく私には希望があります。大人への希望が。今私は、深い一個の大人となるための準備をしているのだと思います。いつか私は大人になる。その時より立派な大人になるために、今傷つきながらきたえられて行くのだと……。

 「道」――覚えていますか? 東羽衣小学校卒業記念写真集。あの頃も私は生きていた。写真を見て思います。みんな子供だったんだなあって。なつかしい人が私を見つめている思いがします。私は絶対に人生を歩いて見せます。「二度とふり返らず、冷たく……」それが最良の方法なのですから。

一九七二年 十二月五日
 私がまわりに悲しみをふりまいているなんて、もしそうならそれは大変興味のあることでしょう。私は毎日一回か二回はすべてを否定して叫びたくなるのです。いやっ。いやっ! それから自分の叫びに驚き、私は何故このようなことすら自制できないのだろうと悲しくなります。もがけばもがくほど自分を低めてしまう無力感にとらわれて、もう黙っているほかはないのです。
 私は友に、私のすべてを理解してほしいとは思いません。私は人に、私のすべてを与えたくはないのです。

  アデュー

 青いトンボの目は
 もうその世界で
 さまようものを
 見つけられない
 針金のように
 青味をおびた
 蝶の五本の指は
 彼女のハープをかきならし
 あの人は細かくゆれながら立っていた

 人皆寝しずまる夜更け……ともいいたげな朝。私は静かに床を離れました。交換日記を書くために私の計画していた時間です。朝五時。明るい夜です。何を書いたら良いでしょう?私には解りません。この静けさの中で私の心は飛びます。ハイネ……ゲーテ……ヘッセへと。
 私は率直に、自分をそのままに生きていきたいと思います。けれど私の決まらない個性は、ある時ごと私を区別します。私は多分他人にとても影響され易いのでしょう。それから少しセンチメンタリックに考えて、こう思っています。私は誰か強い個性を持っている人を待っているのだ。その時に私のあいまいな部分が決る……と。
 友達について少し考えてみましょう。私は貴女と(もしなれるなら)真友になりたいと思います。でも貴女のすべてを知りつくしたいとは思いません。いつも私以上の深味を持っていて下さい。底知れぬ深味を。もしも貴女が、他のあまり親しくない友だったら、私は貴女のことをすべて知りつくして嫌だとは思わないでしょう。でも貴女は私にとって大切なMy friendなのです。 これを書いているうちに、幾多のパラドックス(逆説)が私の脳裏に浮んできました。自分の書いたことに自信が持てなくなったのでやめます。またいつか語ることもあるでしょう。

 今、ふと空を見ました。水色にほんのりピンクがかかって、車の音が通り過ぎます。もう朝なのね。遠くから汽笛の音も。
 昔、高石浜寺臨海工業地帯はなく、高石は静かな漁村でした。ニューセンターは無論無く、すぐに電車の線路がみえます。私が泣くと、祖母は私をおぶって電車を見に、今ニューセンターのある荒地に出たものでした。夕方は緑の水着を着て、海で泳いだ(?)ものです。(少し訂正。海で足をぬらしたものです。)貴女にも昔の高石を、この静かな漁村を愛してほしい。もう七時。一番早い祖母が起きてきました。だからもうやめねばならないけど、また明日、早ければ今日続きを書きましょう。

 私はとうとう追憶に対して顔をそむけねばなりませんでした。あの頃の私の幸福さ。そしてそれ故に増すその頃の私へのあわれみ。軽蔑。そういったものを受けて、昔の私への重みは更に増しました。

一九七二年 十二月十一日
 毎日私は自分を改革する必要を感じます。そして改革する度に私の心の外見と内部は、共に静かになっていきます。これでいいのでしょうか。もとあった激しさはほとんど見あたりません。昨日、今日と、私の心は叫ぶことを忘れました。毎日急激な速度で私の心は変っていきます。
 ――夢を見ました。
 私ハ小サナフネデ、ホソイ水路ヲユク。マワリハ密林ノ壁。前ニハタッタ一本の水路……
 夢はまだ長く続きます。でも私は一本しかない道を本当に真すぐ進んでいるのでしょうか。水の流れに流されているのではないでしょうか。
 朝。
 明日は私のBirthday。試験の次の日と思うと嬉しいような悲しいような……。心晴れて(?)誕生日を迎えられるように、との神様のおはからいでしょうか。すぐ後にはイエス様の誕生日と父の誕生日がせまって、我が家では十二月は一倍お金を使う月です。その次に母、スリ、弟、花田さん、祖母……と財布が忙がしいわ。十二月中旬から三月までは誕生日期間。いわば私の誕生日がその幕開けでしょう。
 八時です。この頃登校は八時十五分。(テストの時だけ)。ちょっと気まずいことがあって教室に入りたくないから。
 土曜日、マリーが帰ってきました。ゆう子とは別の私の友です。いつか彼女のことを語りましょう。彼女と私とがつき合い始めてからもう五年になります。姉のような架空の友です。

一九七二年 十二月十三日
 誕生日です。
 十四才の私から十四才の貴女へ。
 貴女に私の貰ったプレゼントを公表しましょうか。
 最初は貴女からノート三冊。(ありがとう!)
 花田さんから綺麗なレポート用紙と星の模様のノート。それから写真のような絵のある封筒。まだあるのよ。螢光シール五十枚。奇妙な形の消しゴム。
 夕食は豪華なところで骨付き肉。六時半からBirthdayPartyが始まります。今は五時半。また一時間後にね。(その時皆からプレゼントを貰うの。)
 夕食後。グレープフルーツを銀のスプーンで食べてから。サア、お待ち兼ね。「白い月」を片わらに、プレゼントを受けとりましょう。祖母からは手紙とバースデー・ケーキ。弟からノートと鉛筆と消しゴム。母からはチョコレート一箱とシモーヌ・ド・ボーヴォワールの「美しい映像」!

 私は体あたりで愛を示すことはないでしょう。子供の頃は本当にその傾向が強かったのですが……。貴女に詩を差しあげることによって、私は貴女にまた大きな疑問を提出してしまいましたね。悩んで下さい。人は悩めば成長します。貴女も成長して私なんかを追い越して下さい。私は高いものに憧れます。貴女が私から遠く高くあればあるほど、私は貴女を尊敬し、より熱烈に貴女を求めるでしょう。
 私は生きています。生きている限りは精一杯真すぐに進んで行きたいと思います。自分はできるだけのことをした、と思いながら死んでゆきたいのです。私はいつも空に向って手をさしのべています。もっと伸びる余地を認めながら……。
 小さい頃、私は随分扱い易い幼児でした。めったに泣かず、感情はいつも自分の心におしこめておきました。いいつけは盲目的に実行し、とても受動的でした。物事はすぐにあきらめました。たとえば家の人が留守でも、「泣いたって帰ってくるわけはないのだから……」と。聞いたことは簡単に信じ(しかも少しばかり想像で誇張して信じ)絶対に守り、その反面根気がいいともいわれました。

 貴女の書いた所を読んで……素肌でぶつかる友……でも、貴女が好きでもない少女が貴女を求めてぶつかってきたら、貴女はその人を押しのけるのではないでしょうか。いいえ、これは皮肉ですね。
 私は自分から求めて花田さんを、Iさんを得ました。私は自分を語ることによってあの人たちの心を知りました。私は教室で物語を書き、自分の趣味を人に伝えることによって貴女を惹きつけ、小説を書く他の人を惹きつけました。貴女は交換日記にユーモアを書くことによって下手な私のユーモアを見ました。そして私は同じく真面目に書くことによって貴女の真面目な言葉を得たのです。これはあの聖書の言葉をほうふつとさせるではありませんか。貴女も自分で何も友に拒まず、その人に体当たりの大きな愛を持ってはどうでしょうか。無駄に終るかも知れません。でも人に求める以上、自分はそれ以上のものを与えて然るべきだと思うのです。といっても、私が貴女に何か言う度に何かを求めているなどと思わないで下さいね。私はただそうしたいだけなのですから。

一九七二年 十二月某日
 拝啓、お手紙、いえ交換日記ありがとう。貴女と私との友達の考え方に違いを感じます。おそらく二人の経験してきた友情の違いでしょう。それが貴女のいう”ズレ”でしょう。貴女は私の心を、多分後でとはいわず、今すぐ知りたいでしょう。
 この一年間、貴女は私の中に色々な性格を認め、私は私の中に色々な性格を認めました。その中で、もうなおったと思えた激しい性格はやはり私のものでした。多分私達の隔たりはそこからも来ているのでしょう。私は自分の心について貴女に話すことができません。軽蔑されそうにも思えるのです。しかも解っては貰えないでしょう。
 私達は話し合う必要がありますね。あるいは私は貴女について大変大きなまちがいをしているのかも知れません。水と油……私が水で貴女が油でしょうか。それともその反対?私は燃え上り、しかもひややかでありたい。

一九七二年 十二月某日(土)
 何かを感じると、何かを考えると、殆ど私はいつもこの日記に向ってしまいます。書くノートがあるということは人間にも不思議な作用を与えます。
 夜です。私はふと鏡の中に自分の面影を見ました。そしてびっくりしました。暗いのです。いつからこんな陰りを持ったのでしょう?それは少女の顔でも若い女の顔でもありませんでした。人生の醜さをすべて知りつくしたような顔。醜さを肯定し、しかも醜さに人知れず立ち向っている顔。
 私はまちがっていたのでしょうか?自分の心から愛を追い出してしまったのはいけなかったのでしょうか。愛……いつだったかしら?私が自分に、少女達のよくいう男の子を好きになることを禁じたのは。
 ああ、真友が欲しい。すべてを話せる友が。福岡さん、貴女もそうでしたね。私の心の友になってくださるというのでしょうか?私でも……私だって、貴女にわだかまりもなくすべてを打ちあけて力になってもらい、貴女にすべてを打ちあけて貰って力になってあげたいのです。ムリね。
 今まで私を理解してくれる友はいませんでした。私は貴女にこれまで理解して貰えなかった一部分を理解して貰えたのだから、それだけで幸わせ。これ以上望むとこれまでの友情まで無駄になってしまいそう。貴女が羨ましい。
 冷静になって……福岡さん。貴女の誠意を無駄にした私が悪かったみたい。今度は私の方からお願い。もう一度親しくなって下さい。何といえばいいのかしら。私がいけなかったみたいよ。一度でいいから、たった一度でいいから「あの人にはこんなことはいえない」という制限のつかない友が欲しいと思うの。どんなことをいっても同じくらいの大きさで受けとめて真剣に考えてくれる人が。そうしたら私も私とは合わないその人の考えをすべて受けとめて、あたたかくその問題に頭をかかえるの。
 …ごめんなさい。私本当は興奮しやすいの。結局少女なのよ。私も。友人曰く、「へえ、貴女でも興奮するの?あの冷静な貴女が?」ですって。

 やりきれない気持で日曜日を過しました。そしてその慰安を聖書に求めました。
 「私は命じる。み霊によって歩きなさい。そうすれば決して肉の欲を満たすことはない。何故なら肉の欲するところはみ霊に反し、またみ霊の欲するところは肉に反するからである。」
 肉とはこの場合本能のことと思います。でもいいえ、本能は天の指す道と相反してはおりません。母の愛は神の欲するところではありませんか。しかもそれは人間にとって他の欲と同様どうしようもないものですのに。母は息子を愛そうか愛すまいかと迷うでしょうか?いいえ。迷うまでもなく彼女は愛さずにはいられないのです。本能によって。
 いいえ神様………というより、はたして神はこの世に存在し得るのでしょうか? 問題がそれました。でも私は思います。愛は人間の本能のうち、他人からして一番都合の良い感情なのです。(愛すれば他人は喜ぶでしょうが)他人を喜ばせるのは、はたして良いことなのでしょうか。「喜び」という感情は、罪なものではないでしょうか。いいえ、悪くはなくとも、良し悪しのない一つの感情に過ぎません。しかしごく稀には人の心を本当に暖かくする行いがあります。私達はそれを求めねばならないでしょう。神よ。貴方はおっしゃいます。――立法の全体は「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」という一句に盡きるからである――と。そして私は愛がその暖い行いの根源になるとも思えてくるのです。願わくば神よ。私に他人を愛する心を贈り給え。

 あれから色々考えてみました。私は思うんです。「友情とは丁度二つの林檎のようにたった一点で深く交わるもの」という言葉があります。相手のすべてを独占するのは友情の破綻につながるものと思います。自分と同じように他人を解ることを貴女は願っているのですか? では貴女は自分を友にすることができますか?私はできません。そんな友とはもう考えを深め合うこともできません。相手の考えがすっかり解ってしまうのですから。私にとって貴女の未知数が魅力になっているのです。私はその未知数を知り、かつ自分のものに吸収しようとします。その度に私は成長します。相手も私の中にある未知なるものを吸収して成長します。そのようにしてお互知らない所で行われた成長は、さらにもっと深い未知数を作り合います。もしも貴女の友が成長しなかったら、貴女はいい加減飽きてくるに違いありません。だから願います。成長を続けて下さい。永遠に。私は貴女のすべてを解りたくありません。
 心の友になるのは結構です。色々な考えに基づいて、色々なことを私に話して下さい。しかし私達が親しくなりお互い握手するとしてもそれはある不思議な隔たりの上でのものにして下さい。私の作った私達の間の大きな壁を急には毀さないで下さい。なお、これはあくまで私個人の考えですから、貴女の考えもきかせて下さい。質問受け付けます。

一九七二年 十二月二十日
 足があるなら歩いていきましょう。

一九七二年 十二月二十九日
 クリスマスの飾りつけを取りました。少し淋しいような感じです。この間教会の洗礼式に参列しました。京都からいらっしゃった牧師様が、我が教会の高校男子三人に水でバプテスマをお授けになりました。膝まずいた三人の男子は(そのうち二人は確実に)涙ぐんでいました。洗礼を受けるというのはそれほど彼等にとって大切なことなのでしょうか。続けて聖饗式。これは後ほど。

一九七二年 十二月三十一日
 「石川啄木の悲しき生涯」を読み終えました。読んでいるうちに幾多の特有なパーソナリティーを持つ人物が浮んでは消え、創作欲にかりたてられました。これらの人々を”生かして”みたいのです。
 私は自惚屋です。しかもその自惚を、まだ少女だからと年の衣の下にかくして自ら育てているように思われるのです。私はかつて何らかの目的に対して少しでもまともに努力したことがあったでしょうか?? 疑問です。貴女は私の書いたことの五十%は差し引いて考えねば、私というものの個々の感情を知ることができないでしょう。私は自分を大人のように見せかけ、大人のように考えるふりをし、(その実それが子供らしい事なのですが)その見せかけの自分に酔っているのです。
 除夜の鐘が今、鳴っています。この一年私達も大きく変りました。来年は私達のテンポも、もっともっと早まるでしょう。今年もあと僅か。雪のない大阪の除夜です。風ひとつないおだやかな除夜です。こうして静かに鐘の音を聞いていると、この一年起った色々なことが思い出されます。
 私が自発的に書いた最初の絵、知っていますか? 題は「自殺」。次に「死んだ女」。そして「給水塔」「温室奇観」気持の悪い絵ばかり……これらを画く中で、私は私のどうしようもない苛立ちのエネルギーを使っているのかも知れません。

一九七三年 一月二日
 直子様。元日もすぎ今日は二日。名古屋へ行きます。その中でまず今の標語は「苦悩に負けるより快楽に負ける方がずっと恥だ」
 もう一つ心に残った句があります。「すべて人間の一生は神の手によって書かれたお伽話にすぎない。」私達の生は小さなお伽話でしかあり得ないのです。宇宙からくらべれば、ほんの短い一生を生きながらなんだかんだと醜い争いを……。下らないこととは思うけれど、またこうも思います。短い一生、たったそれだけの間なら精一杯生きていっても良いのではないか……人間ひとり、その生涯が有意義ともいえる戦いに明け暮れしたのであれば、その人は幸せだったといえるのではないでしょうか。

 絵について
 ここ名古屋市の祖母の家には色々なものがあります。「狭き門」を読み終えた今、私はダリの画集に首をつっこみました。最初の四枚、ダリらしくない絵が(私の期待したダリらしくない絵が)続きます。もっとも他の人は「彼にしてはまともな絵」というかも。特筆すべき作品はなかなか表れません。七番目、これを見て私は「やった」と思いました。「記憶の固執(柔かい時計)。」意表をついた作品です。「ガラスの晩鐘。」「死の騎士。」「引出しのあるミロのヴィーナス。」ストップ! 私は「食用家具の離乳」を忘れていました。四角い穴を開けられた漁婦。それを松葉杖が支えています。「ナルミスの変貌」。これも私の好きな作です。でもどういい表したらいいのか……「ピカソの肖像。」これを見て私はまただしぬかれたような気がしました。私が今度画こうと思っていたテーマの一つがいとも簡単に、しかも効果的に書かれているのです。私は首を半分切られた乙女か、首にまっすぐ刃物がつき通っている少女を画こうと思っていました。「ポルト・リガトの聖母。」清らかな聖母様。青や水色に包まれた絵です。この辺からダリのカソリックへの回帰が強くなります。聖母と幼いキリストの胸の空洞は聖なるものの象徴とかわり、祭壇がバラバラになって宙に浮いているのは物体の不連続性を示すもの。「ルリ色の微粒子の昇天祭。」聖女が今まさに昇天しょうとしています。透明な教会とキリスト。紫と青に包まれた聖母……。「大いなる聖地サンチアゴ。」これは本当に青と白ばかり。さわやかであり、また偉大です。
 本当にダリの絵は一つの物語です。私は彼の絵を読みます。
 その絵から、私の願いの様々な音が聞こえてくるような、そんな絵を画きたい。

一九七三年 一月九日
 毎日裏門からただ一人で帰る時、この枯れ果てた光景は私のもっとも好きな草原情歌にそっくりだと思います。もの悲しい哀調を帯びたメロディー。毎日私は歌い始めます。「遙か離れたそのまたむこう……。」一番を歌い終ると母がそれを受けます。アーァァァァ……この音が私の何かを吐き出させてくれます。そうして私は、私が幼い頃もっともよく憶えたあの歌詞に入ります。「お金も宝も何も要らぬ……。」 私は毎日歌います。部屋をかたずけながら、台所で手伝いをしながら……。私が歌いはじめると母がアルトをつけます。もの心つく頃から母は歌っていました。だから私も歌うのです。するとたいてい母は残念がります。何か楽器を習ったらいいのに。何でも良いからやってみる気はないか、と。その度に首を横にふります。「まだ心から好きな、飽きない音色を持つ楽器がみつからないの。」と。

一九七三年 一月十七日
 もしも私が少年だったら、私はいつも戦っていよう。もしも私が少年だったら世界中の女の子を軽蔑する。もしも私が少年だったら自由に大胆に行動しよう。もしも私が少年だったらこの世で一番真すぐな人間になろう。
 こう考えて眠ったら、こんな夢をみました。
 私は反抗して、一人で家を出て、一人で火を焚き、一人で生焼けの魚を食べた。私は反抗して三人で家を出て三人で火を焚き、三人(一人は篠原さん、もう一人は谷本さん)で魚を焼いた。皆は反抗して私と共に家を出、私を中心に一つのグループを作り、私が指導して皆で火を焚き皆で魚を焼いた。
 最初は淋しかった。だから魚は生焼けで切ない味がした。三人で働いた時は楽しかった。私の経験が役に立つのが嬉しかった。最後は物憂かった。私の意志ではなく、ただ皆の為に色々教え、働いた。でも私の心はそこにはなかった。

 私は今からYou のBirthday Presentを計画しているの。貴女は私のBest friendsの一人ですもの。モナ・リザの微笑(勿論本物)でも贈ろうかしら? それともピカソの「座るアルカン」がお好き? ダリの「夕暮の老人」?これはダリの十四才の作。母はこれを見て「やっぱり天才だったのね。」といいました。

一九七三年 一月十九日
 君よ知るや南の国…… 時々無意識に私の口をついて出てきます。それだけこの歌を好きなのです。母から教えて貰いました。歌劇ミニヨンの中でくり返されるリフレイン。時がたつにつれて草原情歌も好きになります。
 私は高校に入り、もしあったら乗馬クラブに入りたいと思います。
 私にはけして真友はできないでしょう。変り者だから。私にでき易いのは親友。

 井倉先生のお話にすごく感動しました。私も大人になったら戦地へ行って写真を撮ったり難民の手当てをしてあげようかなって少し思っちゃった。

一九七三年 一月二十二日
 雨が降ってきました。いいえ、もう止んだわ。前の頁に高校進学について書いて下さったわね。なんだか貴女も(そして他の人も皆)がんばっているなって感じ。私などは呑気すぎるのでちょっと必死。なるようになるだろうなんてね。本当にそう思っているの。どうせ三年になればどこへ行くかなどは先生が決めてくれるわ。人並みで良いと思うの。学問で身を立てる気はないし、切羽詰った目的もないもの。良い高校、良い大学、いい生活……何のために?私の考えが生意気なのかも知れないけれど、結局「何のために」の一句にぶつかってしまうの。私がそれほど勉強好きではないからこんな疑問にぶつかるのかしら。他人以上に、常に他人以上に、というのはあまり人間的な世界ではないわね。

一九七三年 一月二十六日
 デモが暴力でないとは私もいわないわ。確かにこの頃の一部の左翼の堕落には目にあまるものがあります。これまで私はデモを軽蔑していましたが、今現在私が大学生なら、私の当然の義務としてデモに参加するでしょう。
 病床にて。私は今花田さんとの共作「ポエム」を書いています。今の所、題はありませんが、ポエムという妖精の少女の物語です。でもこれを書き始めてから二、三週間後に、花田さんからとてもついていけない、といわれてしまいました。私の心の中には後から後から色々な発想があふれてくるのですが、花田さんには「私には一つもそんなものが出てこないので…」といわれてしまいました。私にもかなり一方的な所があると思います。でも本当にあふれ出るいくつものストーリーをどうしたら良いのでしょう? しかもその発想は、花田さんが居ればこそ物語として書きあげられるものですから。
 私にとって、貴女も杉山さんも花田さんも不可欠なのです。貴女が居ればこそ深く考えられるし杉山さん(スリ)が居ればこそ活発でいられる。そして花田さんが居るから殊更に創作熱をかきたてられるのです。でも二年一組に居る私の友は、皆たよりない人達ばかり。無性に何かにすがりつきたくなります。この場合すがりつくのは占いくらいではないかしら?花田さんと私とは星占いでは最高の相性だとか……。
 No rose Without a thorn, out of sight, out of mind.
 我が悪辞書からこの言葉を引き出しました。どうもたいくつです。
 このあいだ、ある人が自殺しました。その時私はこの言葉を身にしみて思ったのです。「本当に恐ろしいのは自殺そのものではなく、その直前にその人の心に起ったことです。」貴女はどう思いますか。
 「これこそ自殺の話を読む時、我々に骨の凍る思いをさせるものなのだ。窓の格子に吊り下っている弱々しい死体ではなく、その直前にその心の中で起ったこと。」

一九七三年 一月二十七日
 クラスの七人の友から手紙がきました。お元気ですかって。お見舞いにしては面白い書き方もあったものです。

 もっと圧力の強い深海へ行きたいと思います。ここでは圧力が弱すぎて、私の体は破裂しそう。
 この頃私は、いつも何かを掴みたくて手をのばしてみます。時々茶色い手が私の手を掴み握り返してくれるという幻想を抱きます。だが私はそれが人間の手であるが故にその手をひっこめてしまうのです。貴女の悪友がこのノートに求めるものは何でしょう? 日記でしょうか? 自己反省でしょうか? 貴女そのものでしょうか?気持の吐け口でしょうか?その悪友は貴女に甘えて貴女の興味のないことばかりを書いているのです。もっと責めて下さい。

一九七三年 二月一日 午後 快晴
 生きるということは耐えぬくことだと思います。冒頭にこんな言葉をぶっつけて、きっと貴女はとまどってしまわれるでしょう。耐えて耐えて耐えぬいて強くなるんだと、よくないことが起る度に自分にいいきかせています。
 貴女が前頁に書いた一つの事件が、貴女の成長に役立つように祈ります。でも私は貴女を導く友になれるかしら? ご期待に添えるように努力してみます。貴女も私を導く友になって下さい。

一九七三年 二月三日
 実力テストがあまり悪かったので父に叱られてしまいました。席次が何と三十六番。ほんと。スリに聞いてごらんなさい。ちっとも勉強しないから、福岡さんにもきっと負けたわ。 some day, My room に来て下さらない? 歓待します。そこで私が書き写した貴女の詩や貴女の描いた絵をお見せするわ。でもここ数日はご容赦!とても散らかっているの。

一九七三年 二月八日
 雪です!私達は皆大騒ぎをしました。一番大騒ぎしたのは私とノンちゃんとソンちゃんくらいかな?雪よ、降れ!降れ!降りつくせ!雪を見るや否や、私達は手に手をとって馳け降りました。そして最初に……いいえ、何もしなかったのです。あまり歩くと雪が踏まれて積らないから。頭の上に雪を積もらせたかったから。そのうちたいくつになったので、トランプをしました。(校則違反?)戸外でやるのは少し必死でした。
 明日は登山。新品のジャンパー(紺)を着て金剛山に挑戦。アイゼン、手袋もそろえました。(勿論お菓子も)その次はマラソン大会。もちろんすべて参加します。そういえば朝のマラソン、その時私は少し逆らって、ずっと口を閉ぢて馳けたの。割と楽よ。とにかく私は組の女子の中で一番肺活量が大きいんだから、それを利用してね。

 私は自分(伊賀史絵)の外、何にもなりたくないの。私は伊賀史絵として生き、伊賀史絵として死んでゆきたい。たとえ伊賀史絵が敗北者であろうとも、たとえ今の私が不幸であろうとも私の歩みは私のものだ。私は生きている。今それが解る。私は今、苦しみながら誇をもって存在している。私は今沈んでいるが、だからこそ幸福が解るのだと思う。私は誰をも愛さず、すべての人を愛している。

 私は今でも時々自殺を思うの。自殺は私がたった一つ残しておく退化の道。この世にどうしてもいたたまれなくなった時、私は溶けしぼみ、微生物より小さくなり、消えていく……。

 登山、楽しかったわ! 皆私のタフなのに驚いていたみたい。私は友人達の水筒を三個とナップザックを二つ持ち、ジャンパーをかかえてあげてロープの端を持って皆をひっぱってあるいたの。そのロープには多いときで四人、少い時で一人の人が掴っていたの。(もっとも時々ひっぱられて倒れそうになったけど。)そのようにして楽々と(本当よ!)山に登りました。一番必死だったのがバスの中。座っているだけでクタクタ。今思いだしても吐き気がするわ。やっぱり乗り物より歩きがいいな。中国山脈できたえた足ですから(?)ご存知でしょう?私の本籍は岡山県上房郡賀陽町吉川なの。)螢を追いかけたあの川辺……桔梗を捜し歩いたあの山道……肝だめしを計画したあの山奥の墓地……笑って歌って踊ったあの山頂のキンポウゲの中……思い出は限りなく心を誘います。そして、今苦しんでいる私。

 月曜日は英語のテストです。

一九七三年 二月十四日
 かなり必死! 私、やはり英語がだめね。あまり好きではないし……でも英訳は好きよ、なぜかは知らねど。
 勉強って身体に悪いの? 私はほとんどやってないんだけど、大切なのは授業だと思うの。(と授業中に書いている。)授業さえまともに聞いていればいいと思う。私がいえた義理ではないのだが、他人の話を聞いていると家でほとんど勉強しなくてもできる人と、とても勉強しているのにできない人があるみたい。どうも不思議! 勉強の仕方かしら? もっとも私は甚だ不出来な生徒ですので勉強の仕方など解らない。我流でやっています。

 自殺……このもっとも甘美なる一言よ。私が今日まで生きながらえているのは殆ど死によってです。死は私を支えてくれる友です。昨日は私の死の記念日でした。中一のとき、十八才の二月十三日に自殺をするという予言がなされたのです。勿論信じてはいないけれど、私の大切なよりどころとはなっています。昨日、私は自分一人でこの日を祝いました。いつでも死ねると思うからこそ、今日までの生に耐えてきた。ということは弱いことなのでしょうか。

 今三年生の教室の前を通りました。もうすぐ私はこの教室に入るんだと思うと喜びにふるえます。新らしい組、新らしい友。とはいえ、この二年一組で、今頃素晴らしい友ができました。岸本優子さん。学年一との噂のある人。今私の隣の席です。いつまでも隣の席でいて欲しいと思います。(あまりよく喋ると先生方が目をむくでしょうか?)私達は本当によく喋ります。お互いに智恵を出し合って、ああでもない。こうでもないと問題を解く時の楽しさ!数学の時間も理科の時間も、解らない所を教え合いそれを深めて行きます。何故こうなるんだろう?何故?何故? そうして先生に質問に行く時もあります。すると先生は「こんなことは三年で習うんだが……」等といいながら、嬉しそうに教えて下さいます。今私は成績の上で岸本さんを追っています。無理だと思うけど。

一九七三年 二月十六日
 子供の頃の未来の夢を少し書きましょうか。私は村はずれの一軒屋に住むの。白い壁の二階建てで中は暗く、背後には森があります。私は皆に変り者と見られながらそこに一人で住むの。時々ごく親しい二、三の友が尋ねてくるだけ。友がくると、私は友と永久に終のない真紅のバラのアーチの中を歩くの。アーチが円形になっているから永久に終らないのね。アーチの中には白い小さな椅子を置くの。ベンチみたいなのではなく、座ると人がバラの中に埋もれてみえるような椅子が良い。椅子は向い合せに二つあって、その一つに私が座ると友も座る。そして私達はバラに埋もれているお互いを見出しながら深い話をするの。その時、友は私の真友なの。そうなったら私は幸せです。もう何も望まず、何者にも乱されない静かな生活が始まります。そう…私のもう一つの性格さえなければね。
 けれど私はもう一度、もう一人の自分を空想しなおします。その私はうって変って大勢の人にふれる激しい生活をしています。私は行動し、全世界に呼びかけています。公害を正視せよ! 私は書き、書いて書いて書きまくって、公害問題、黒人問題、戦争についてもう一度人々に見直させる……
 どちらを選ぶかしら?今のところどちらともいえません。何故って後者になるには半分盲でなければいけないような気がするの。後者的人間として進もうとする時、どんなに多くの疑問に立ち向わねばならないか? まず第一に死が存在している。人間が多くの罪もない動物を殺して生きているという事実、動物達の死は考えないで、ただ自分の同朋の不幸のみを騒ぎたてるということは、一種の利己主義ではないかしら? しかたがない、食うか食われるかだという人間は、しかたがない、金持になるためにはPCBくらいは、という人間と五十歩百歩では?
 また前者になるためには良心が麻痺していなければならないみたいです。前者の私は友と討論を重ねて考えを深めていくことができると思います。けれども、世の人間の苦しみを見て見ぬふりして、自分だけ花に囲まれて「生きている」といえる?

  そうして飛んでくる白い蝶 白い刃
  私はたった一人で貴女を呼ぶ
  こだまだけがはね帰ってくる
  その朝
  もう一度 もう一度だけ
  あの原で死んでみたい

一九七三年 二月二十一日
 今日、貴女と話して静かです。私の心のさざ波が消えました。もしも貴女が私と話す時、またこのノートに何かを書く時に自分を無理に曲げていないのなら、私達は友達以上の友達です。私は少しも自分をつくろってはいません。
 雨が好き。雨が降ると私は物狂おしくなり、雨が降ると戸外にとび出して踊りたくなり、冷たい光をあびて踊りたくなり、雨が降ると傘を捨てて大地に膝まずきたくなります。この茶色い野の雨は、ことのほか美しいのです。

一九七三年 二月二十四日
 美術の授業が楽しみになってきました。ダリ、ムンク、ルッソー、エルンスト……シュールレアリズムの人々に学ぶのよ。注、私もシュールレアリストのつもりです。
 今日友達とかなりふざけました。岸本さん、上井さん、篠原さん、阿部さん、北村さんと私。笑いぬいたみたい。その反動で今静かなのかしら。でも笑っていても心は満たされないわ。とすると私はこのノートによって心を満たしているみたい。今本当にあのバラのアーチの中の私に憧れます。あそこで私は深い話ができるから。
 父がとても嬉しそうな顔をして帰ってきました。待ち望んだ詩集が届いたからです。十年も若返った顔をして「ふうちゃん、これ」と私に見せびらかしました。父は何もいわないけれど私が俳人になる事を望んでいるのだと思うの。そして母は私が幸せであることを望んでいて、祖母は私がいい学校を出たいいお嬢さんであることを望んでいるのだと思うの。

一九七三年 二月二十七日
 朝のイメエジは、淡いパステルカラー。さわやかな青、甘いピンク、わけの解らぬ白い霧。その間から眼球のように血走った太陽が登る。
 私の理想の組は、私の目標の岸本優子、深友の福岡直子。同志よ!杉山晴子。妹ウー阿部百合子。姉ブー篠原純子。(私はフー。これで三匹のブーフーウー)詩の友花田純子。未知の人永瀬美代子。Myself伊賀史絵。親友よ!樋上由美子……ということはなく、この中の最低一人が居る組、なのでもなく、知人が居ない組であることも望まず、しかも何かを望んでいるのでありました。
 今、後輩が尋ねてきました。平谷さんと上金さん。私は後輩達の中では平谷さん、渡部さん、高坂さんが好きです。それは部長としていけないこととは思いません。本当にいい人達なんですもの。あれから一年。あの人のような部長になりたいと、角谷先輩を目標としてから一年たちました。

一九七三年 三月一日
 貴女に返すべく、No.2のノートを手にとって読みました。よく下らないことを長々と書いたものね。読んでいると以前の自分の笑顔が見えてきて、なつかしさで涙が出てきそう!あの頃は子供で無邪気で……今の私ほど影がなかった。
 好きな人ができたとか。おめでとう!(お祝いをいうのもおかしいわね。)私も今日オルゴールの中のHeからの手紙を出して妹ウーに見せました。こういうレターを他人に見せるのは大変無礼なこととか。でもこの場合暗号でしたので……。
 以前の交換日記を読んでいてほんの少しあの頃を思い出しました。熱いのでもないのに毎夜汗をかきながら眠った私です。最後の力をふりしぼって(とはいえ、できたのは耐えることだけ)半分死んだようになって霊との付合いを立ち切ったの。本当はまだ完全には立ち切れていないかも知れない。

一九七三年 三月四日
 「アクロイド殺人事件」「夢を掘る人」を読む。トランプ占い五回。そのまま朝。今朝はテストの点が楽しみ。何点下がるか?

一九七三年 三月六日
 流し雛の風習は私もよく知らないの。願い事を書いて川に流すらしいわ。一度やってみたいと思うのだけれど、川は駄目ね。公害の基だもの。私だったら何を願うかしら?美しい詩が書けること……。

一九七三年 三月八日
 嘘って、もっとも醜いものだとは思いませんか?貴女は友に嘘をついたことがあるでしょうか?私は友に嘘をついたことがあるでしょうか?否ともいいきれず、さりとて然りとも答える策なく、いたずらに記憶の糸をたどりながら、しかと確かめるような恐ろしいこともできないのです。

一九七三年 三月 日曜日に
 私の詩「地理」はリズムもあるし、言っていることもよく解ると好評。彼の先生はこの詩が一番良くできたと見ておられるもよう。工業都市を批判した詩です。
 机にいっぱい落書きされた名前を見て、オネマはニヤッと笑いました。それから私の机に彼女の好きな人の名を書きました。一部の人達はそれが私の好きな人の名だと信じています。「好きだろう」ですって。とんでもない!

 貴女は他人に頼らずに生きていけますか? 私? 頼らないように努力してみます。
 でも、背のびしても届かない。届かないから生きていけるんだけど、時には友だちに支えてもらいたいよ。でもそんな友はいないんだ。聞いてくれるけど、気違い扱いも誤解もされたくないし、本当にいやなんだ。結局孤独って今の私に似たようなものかな。

一九七三年 三月 水曜日に
 ガラクタの中を捜してみると、思わぬものが見つかります。クルミ、ローソク、エミリーの求めるもの…そしてトウシューズ。トウシューズをはいて、少しシェネをしてみました。やはりふらつきます。年のセイかしら?

 私は、あの茶色い野に溶けていくようにして死にたいと願います。年ごとに茶色い野への愛情は深まっていきます。春の野は好きではない。あまりに美しくあたたかいから。夏のあの野は、あまりに緑が多すぎる。秋の野は甘くセンチメンタルすぎてもっとも嫌い。冬!雪の降らぬ、枯れ果てた茶色い野が一番好きです。
 お手紙いただきました。十九、二十日は部活動があったの?私は十九日、家庭科の買い物もサボッて二年二組の前を四時半までウロウロしておりました。七組に行けば貴女も帰ったというし…我がクラブ員が一向に姿を現わさぬので憤懣やる方なく帰りました。実は三月二十四日はYMCAの入学試験なの。送別会なら主役は送られる人?だったら二十六日くらいに日を替えるの無理かしら?それから会費はクラブの費用でもできるのよ。余った分を来年に持ち越しても良いのだけれどそうすると来年の部費の割当てが少なくなるの。今日相談してみたいんだけどいかが?

一九七三年 三月二十四日
 通知表の行動・性格の記録。真面目でよく努力している。探究的な態度を持ち、進んで新しい考えや方法を作り出そうとする、ですって。どこでこんな判断が出てきたのかしら?先生は性格のことは何もおっしゃらず「君は作文等を見るとよく考えているようじゃないか」と性格のことを少し言っただけ。
 拍手と友に演劇部をさりました。前には長い道があり後ろには重い思い出を残し、いつまで続くのか、生命には限りがあり、せめてそれまで死を待ちましょう。

一九七三年 三月二十六日
 YMCA合格!合格者は僅か十四人でした。(受験生の約1/3)その中に私の受験番号(13)もあったのです。(いい数でしょう?)
 今日は祖母の誕生日でもありました。ああ、今日は好い日です。最後まで好い日で終らせたいから、これから英語の暗記に取りくむところです。でも今私が考えているのは別のこと。明日私は、ある人を好きになるかならないかを鑑定します。感情に溺れないよう、十分きびしく判じましょう。まず理性で決めるのです。私は自分の感情を抑えつけてしまうことが意志を強くすることになるのだと考えているの。

一九七三年 三月二十七日
 これから私は、はたして順調に自分を伸ばして行けるでしょうか?今すごくあやふやな状態です。今日私は「きっと手に入れてみせる!」と口走りました。もしかしたらこころ走ったのかも…。今まではある物が手に入らなくても何となく「運命だ」とあきらめていた私ですのに。そういう私が恐い。

 存在してもしなくてもいいような時間ばかりが無限に私の背後へ堆積していく。いやらしい空しさ。その中で私はただ働き、何の意味もなく喋り、そして生きている。これはもはや<生>ではない。もし私に力強い戦慄と共に暗い絶望が訪れるなら、どのように勇気に満ちて生きていくことができるのであろう。事実は<絶望>というものさえ存在しないところに、このいやらしい腐食的な暗さの源があるのだ。そうしてこのいやらしい暗さがキエルケゴールのいう<死にいたる病>なのであろう。
  石原吉郎「日常への強制」より

一九七三年 三月二十九日
 一昨日の幸せは理由なきものでした。今は?今はとても幸福。毎日一時から五時半まで杉山さんと遊びくらしているの。互に嘘八百を並べて家をぬけてきます。一方私は、高校入試問題にもとりくんでいます。


昭和四十八年 中学三年

一九七三年 四月一日(エイプリル・フール)
 粋なノートを入手しました。今、英語の本を和訳しております。苦心惨憺、英訳には英和辞典だけではなく、国語辞典も要ることを知りました。今日三人の従兄がはるばる愛知県からこの家を訪れました。長く滞在する予定みたい。

 一年間離れていたのにある友との友情が少しも衰えていないのが解り嬉しく思います。でも以前のように毎日入りびたりではなく、交互にお互いの家を尋ね合うことになりました。でも近々どこかの空屋を捜して、そこを出逢いの場所にしたいと思っています。『えんま女王』がうるさいので。

一九七三年 四月二日
 ここ数時間、私は借りて来た猫のような気がします。角力取り顔負けの大男と髪を長く伸ばした高校生、私より背が高く太い少女の三人の従兄の中では私は縮こまっている他ないので…陰気な私は逃げることのみ考えています。

一九七三年 四月五日
 友情って何でしょうか?今日ブー、ウーと買い物にいきながら考えたのです。何時も腕を組んでいつも一緒で…それが友かしら?NO!親しいけれど親友ではないと思う。私とあの二人の間には、似かよった所はほとんどなく、あるのはクラスメートの意識だけ。とはいえ、私達はやはり友達です。今日百五十円級のノートを、四十円で入手しました。

一九七三年 四月六日
 この春休みは私にとって最上の休みでした。心波立つことはほとんど無く、三人の従兄の入来は生活に活気を与えました。私の従兄は皆男みたいな口のきき方や態度です。(上の二人は現実に男)一番上は大吉、現在大学一年。やっきになって私に数学を教えこもうとしました。しかもその教え方たるや…三年の教科書をつきつけて、「ここを読んで理解しろ。そして問題をやれ」ですって。あれでよく塾の先生が勤まるものです。次男、薫。高校三年。東大入学を期待される頭の痛い年です。長女要子。高校入学間近か。私と同い年のせいか仲が良く、小さい頃から喧嘩ひとつしなかった。杉山さんを気に入って、「かわいがってやる」とスリのくるのを手ぐすねひいて待っていました。時々閻魔大王(大吉)の出す問題をこっそり解いて貰いました。

一九七三年 四月八日
 タタタターン、ベートーベン作曲「運命」。明日は組替えが発表されます。アーメン。心は嵐のように騒ぎ、限りなく落着きなく…という感じ!とにもかくにもエキサイトしております。もしも…?もしも…?ブーを誘って行くのですが、おそろいの鞄を下げたブーフーウーはきっとみものでしょう。噫!噫!よけいにエキサイトしてきた。史絵よ落着け!
 その夜。
 トランプ占いって不思議ですね。友と同じ組になるように何度繰っても叶えられず、私の内の静かな熱情のすべてをかけて繰ったトランプがあくのですから。当る、当らないは別として、いつもそうなのです。ですから私はこの熱情をかけて友と同じ組にとカードを切ってみましょう。

一九七三年 四月十一日
 お手紙有難う。井出先生って割りと良いこといいますね。でも生徒を甘やかし過ぎます。彼、不思議と革新的なことはいいませんね。苦労してますよね。
 当分占いから遠ざからなくっちゃ。私は占いに毒されています。頼りすぎています。生半可な気持は捨てましょう。どうせやるなら夢中でね。
 あまり書けなかったお詫びに「日常への強制」をお貸しします。最後の3だったかしら日記風の所、割と興味のある文章ですよ。
 ここのところ忙がしくて必死!でも一組の人良い人ばかりよ。貴女もこの一年、心身を投げうって授業に夢中になったら?先生をにらめつけられるからストレス解消にもなります。充実した毎日です。でも授業中に交換日記を書けなくなったのはかなり痛いのです。
 追って。今頃英語の先生、私のテストを見て笑っているかしら?トムとベンとどちらが年を取っているかという問題があったでしょう?私はそれに
I don’t know. Because I don’t know Tom and Ben. But I think that Tom is older than Ben.
て書いたの。マルになっていると思う?それともペケ?

一九七三年 四月十三日
 「橋のない川」いい本です。六年の時三巻まで読みました。貴女に是非読んでいただきたかった本よ。
 そろそろ勉強を始めましょう。せめて授業くらいは真面目に聞きましょう。貴女も短大になど行きたくないのならまともにしましょう。学問を深くきわめたいと思いませんか?それには勉強して、まず基礎を身につける事です。高校入試はすぐそこ。私は「入試の為の勉強」を始めます。考えてみると入試にも良い所がありますね。私みたいな怠け者を勉強に駆り立てるんだから。入試の為の勉強が真の勉強でないなどとは思いません。何にも追い立てられず、自由に好き勝手に勉強するとしたらそれは趣味です。苦しまなくて何が手に入るというのでしょう。「ガリ勉」を、何故人は嫌うのかしら?私のつき合ったガリ勉家は、皆、物事を深く考える頭の良い人ばかりでした。その人達の友情には普通では得られない理知的なものがあります。この頃、そんな人達の多い高校へ入りたいと思います。入試では家庭科だけで十点も加算されるのですよ。しかも平常点とか、中間、期末の点です。三年になってから私が家庭科の時間に一番前に座るなんて信じられますか?でも今年こそは、と思います。今度は私までが美津代のようになってしまったなどと悲しまないでね。むしろ喜んで下さい。私はこれを成長と呼んでいるから。ガリ勉家になりつつある自分に誇りを持っているから。貴女と同じ高校に入りたいの。お互いがんばりましょう。
 これからここに書く文も短かくなっていくでしょうけれど悪く思わないでね。鐘が鳴ってから先生がくるまでの僅かな時間とか、すべてをやり終えた夜更けに書いているの。勉強はまだそれほど本腰を入れてやってはいないけど、これからだと思っています。

一九七三年 四月某日
 日曜日の午後いっぱい使って確率の実験――とは表向き。実は十円玉を使って念力(サイコキネシス)の訓練をしておりました。十円玉百個、「表になれ」と念じて投げること十五回。一回目、百個のうち五三個表を向く。二、三回目同じ。四回目から段々上ってゆき、遂に六十個を記録。ここがピーク。疲れが出ると下がる一方。
 私の開発した方法は残留思念。
 理想法――十個全部表になれと念じると平均五、六個上を向く。
 目標法――八個、九個と目標を決めると平均七、八個上を向く

一九七三年 四月二十日(金)
 ここ一ヶ月色々な本を読みました。ホーソンの「緋文字」(すばらしい本!)「遠い部屋、遠い声」。レマルクの「凱戦門」。「太陽系帝国の危機」これは勉強疲れをいやすためです。私の読書欲は絶頂にあります。読みがいのある部厚い本を貸していただきたいと思います。

一九七三年 五月一日
 私は志賀直哉のような小説を書きたいの。彼の「正義派」を読んで、これだ!と思いました。地味だけれど深い小説ね。でも今は「幻の国から」で手いっぱいです。反面ヘルマン、ヘッセにも憧れていて、妙なものばかり書いています。
 先日の検査で視力は0.8と0.5でした。丁度家に0.8用の母の目鏡があったのでかけてみたところ何と良く見えること。すっかり気に入って「かける」と宣言しましたが、母は反対し、一度眼科医へ行くことになっております。

 私は眠っていました。ふと人の気配がします。祖母が私を起こしにきたのです。目を開けるのが嫌なので私は頭を動かしました。「早く起きなさい。」灰色の着物を着た祖母は、柱に手をついていいました。私はそのまま眠りこみました。
 私は目を閉ぢていて祖母が見えたのです。これが夢でないことは後で確かめました。その日、祖母は灰色の着物を着ておりました。私は祖母を”指で”見たのかしら?同じようなことが昼にもありました。

 再びノートに向います。古い交換日記を読み返していたら「恋詩について」というところがあったの。そこでかなりひどいことを書いていたみたい。今では見解は変りました。でもヴェルレエヌはまだ我慢できるとしても、相変らず流行歌の歌詩は嫌い。ゲーテとかハイネの詩も面白くないのよ。あたりまえすぎるから。ひねくれた詩の読みすぎかしら。何だかすべての表現が一つのパターンにはまってしまって新奇さがないの。

一九七三年 五月四日
 今日は。家庭科の時間です。教室は騒然としており、空は憂愁を含んだメランコリックな微笑を私達に投げかけています。いかがお過ごしですか? 藪内先生はいい方ですね。気に入りました。とっても丁寧に教えて下さるんですもの。そのおかげ(?)で、私は他人の二、三倍早く作業を終り、余暇活動(交換日記)をしております。
 夏=毛虫 なんて気がします。私は杉山さんと、杉山さんの隣の家の毛虫退治をしました。松の木に吊した私用のブランコも、もう取りはずさなくては……。私の目の高さくらいの随分高いブランコなの。これに乗るにはとてもややこしい過程が要るの。しかも古い縄で作った私製なのでいつ切れるかも知れずスリル満点! 眺めが良くて、乗っている間は貴女にお勧めしたいと思うのだけれど無理ね。ものすごくおてんばな人でないとだめ。杉山さんでさえ一人では乗ることも降ることもできないの。それ故私専用です。私はもちろん乗れますとも、慣れておりますから。

 愛と恋とはまるで違うと思います。私、後者の方は御免こうむります。少なくとも最大限避けて通りたいと思います。私は気の弱い弟を、我の強い母を、哀しんでいる祖母を、おおらかな父を愛していると思います。弱い友、子供っぽい友、成長している友を愛しく思います。人の心を大切にしたい……。

 私の作った格言
☆悲しみと幸福とは殆ど同一だ。近くで見れば悲しみであり、遠くから眺めれば幸福だ。
☆自分が気違いだと思っている人間の中に気違いはおらず、自分が罪人だと思っている人間の中に罪人はいないように、自分が天使だと思っている人間はもはや天使ではない。

一九七三年 五月某日
 昨日安井先生が来たの。そして私の成績を出して「府験(実力テ)だけだったらギリギリ三国へ行けるかもしれない。しかし内申も入れたらむずかしいだろう」ですって。ということは希望があるということなのだ。泉陽、鳳なら十分行けるって。まともに勉強したら千分の一パーセントくらいは行けるかも。友はとても喜んでくれた。いいなあ友達って。

一九七三年 五月某日
 精神病院の前を通ると鶯が鳴き出しました。つつじも今はもう枯れて、萎れた沢山の花房はまるで老女のような趣を示しています。さわやかな朝。空は青く、仰ぐほどに青く、そのまま私は虹の橋にさしかかります。この橋は教会の帰りにここで友と祈りを捧げてからは私の友達なのです。その橋を渡り、川縁を更に奥へ。毎日形が変る川の中州は今日は菱形です。
 吉田さんは童話が大層上手です。題は「フープ」。なんて なんて上手いのでしょう。さすが本の虫だけあります。読んでいて心温まる思いでした。本当に私達くらいの年令になると、書く人はとても上手に書きますね。たとえば佐々木さんの「愛の追求」。私はこの中の「美しくない愛などはない。美しすぎる愛などもない。真の愛には差別がない。(大意)」という所に感銘しました。皆よく考えている。私もがんばらなくては。

一九七三年 五月中旬 中間テストの前日

 この一週間はかなりきつい感じでした。日曜日にはデイ・キャンプもあったし……。原始にもどって火を焚き、その上に飯盒とバケツを吊ってカレーライスを作るのですが、何か黒い得体の知れないものが入っていたり……私のついで貰った分の中には、ビニールの切れ端が入っていました。大奮闘の末、何とかカレーシチューのようなものができましたが、味が薄かったので、やめろっと云うのに野上さんが塩ばかり入れて……とうとう品評会では最下位になりました。すごーく煙いし、火には気をつけなきゃいけないし、岡田の海坊主は軍手のまま人参をぶった切るし……(本当!両手で包丁を握って、そこへなおれ!覚悟!て感じ。)そこで私達は午後のレクリェーションの時、岡田を徹底的にやっつけることにしました。彼は司会をしていたので私達はしめし合わせて「岡田の一日」という劇をしたんだ。すべて班の男子がやったので私達は笑ってばかり。やる方も幼稚だけど考える方も相当幼稚といった劇です。ただ二人しぶい顔は、本物の岡田と(てめえら殺してやる!)劇の岡田(あー恥かいた)。

 身も心も透きとおるような淋しさ。淋しい……何故かは解っているのです。

一九七三年 五月十八日 中間テスト
 音楽の時間にバッハとモツアルトをごっちゃにし、モツアルトの欄に「小フーガト短調」と書きました。
 保体のノートを私がおとなしく出すと思いますか?とーんでもない。全然書いてないのに。私も真面目になることにする。だからこの次から、とは思うのだけれど………。
 私、皆と友達になるのはやめます。特に親しい友を作ることはやめます。やかましい人は嫌。友達が居ないと本当に淋しいけれど、かといって皆とつき合っていく気はしないのです。Y(YMCAの略)ではとても楽しいのに。きっと友達の質が良いからね。ますます三国へ行きたくなりました。でも失望するのは嫌だから、せめて高校に期待しすぎないようにしましょう。私は身がまえる。さあ、創作の世界まであと一歩。書くことを媒介としないでは友は作れません。

 何故かここに居ると、何か絵を書きたくなってしまいます。母の部屋です。絵具が何色もパレットの上に出してあって、水が汲んであって、筆が沢山出そろっているのだから当り前だけど……。母は今、絵本を書いているの。題は「長い長い坂のお話」。

 私は高校に入れないんじゃないかしら。とても遊んでばかりいるもの。今日「詩学」がきました。吉原幸子に共鳴。でも半分も読まないうちに父にとりあげられてしまいました。そこで家族全員の同情をかっています。「読みたい気持は解るけど」と父。「まあ疲れているんだ。休ませておやり」と祖母。「少しくらい休んでもいいわ。」と母。皆私が勉強しているものと思っているので、やりにくいことおびただしい。良心が痛んで、しばし本を開いて暗記に勤めるのですけど、すぐに空想してしまうの。Yへ行くのが唯一の楽しみです。クリスチャンの学校だからチャペルがあります。間に十分の休憩があり、その時下の売り場でファンタを飲むの。(時々、いえたいていおごってもらう。)帰りには鳳をすぎてから(鳳まで七人くらいで帰るので)吉田さん、柏原さんに餌、じゃないチョコレートを分配します。たまにN(知ってる?九組のバカなマヌケ男)が一緒になります。はじめは馴々しくするのでびっくり。いつも柏原さんの後ろにかくれます。私はいつも吉田さんから、精神的かたわ(テレビを見ないから)天才的ひま人(教科書の詩を暗記しているから)などといわれます。

一九七三年 五月二十二日 憂愁の日
 「中三時代」をとるのをやめて、自費で「詩学」をとることにしました。前者は内容もとてもひどいし、あまりマスコミに影響されたくないと思うもの。
 テストどうでしたか? 前回より各十点近くはあがっていると思うの。でも国語は似たようなもの。英語、悪かった。帰ってから泣いたのよ。まだこんな点かとおもって。勿論前よりは上ったけれど、教科書全部暗記したにしては嬉しくない点。

一九七三年 五月某日
 佐々木さんていい人です。今二人で創作に夢中です。数々の迷作を作ろうと意気込んでいます。クラスでは寂しくてしかたがないの。私は書いていない人とは友達になれないのよ。他のことには興味ないもの。本当にないの。いやになるくらい。他人の噂にもスターの話にも興味ないし、狂っているのかしら? 皆の話が面白くないの。

一九七三年 五月二十六日
 死、それは私にとってはとても単純で簡単なものだと思います。だから死なんかとひきかえられないものの二つや三つは持っているわ。その一つは私のこころです。絶対に誰にも与えません。にもかかわらず何でもいえる友が欲しいと願っている贅沢な私です。
 今日堺の図書館へ行きました。

一九七三年 五月二十九日
 別に私は”生”より”死”を肯定しているわけではないのよ。”生”は継続されており”死”は一時です。私は死後の世界を信じません。私にとって”死”は許しであり悲しみです。私は自虐的な意味で「生を愛し」、何パーセントかの怠惰によって生につながれ、また古代の絶食のように自分を苦しめるために生きています。私にとって”死”は最大の”許し”であり、”生”は”受難”です。大きな比率を示すのは――そう、”生”です。
 以上考えた結果です。よく考えて貴女のただ一つの答を出して下さい。貴女の考えを聞きたいの。「議論」なるものをしてみませんか?

一九七三年 六月一日
 五月の始め頃、保田先生に呼びとめられてクラブのことを必死で頼みこまれたのよ。それからも何度も何度も……。もちろん演劇部をつぶしたくはない、私がもりたてたクラブだもの……。しかし、もし私がもう一度クラブに顔を出すとしたらそれは叱りに行く時よ。一たんやめたのに指導に行くのはちょっと……。私の方はやりたいくらいなんだけど、クラブのためには良くないと思う。そういうわけでクラブに出たくはないのだけれど、どうも一度言わなくてはならぬことが多すぎるみたいです。でも感情的には事を運びたくないし、色々悩んでいる現状です。
 死について(その反論)
 「生は難く、死は易し」この言葉が私の持論と矛盾するとは思えません。だって私は生は苦しみの種であり、死は簡単だと云ったのですもの。私が今理性的に生を選んでいるのは全くそのためなのです。どんな風に死ぬか、がではなく、どんな風に生きるかがが問題なのです、私が苦しむこと、苦しみに耐えて強くなろうと努力するのは、それがそのまま私の定めた自分の行き方のプロローグとなるからです、私は私の生を平凡にあらせたくない。苦しみぬいた後で死を迎えたいのです。私も彼の少年のように、生を無駄に捨てたくはありません。自分は生きているという証しをはっきり自分の心に刻みつけておきたいのです。その為にあのような死に方は、いえ、自殺そのものも極力避けたいと思います。
 一年に一冊の割で詩のノートが増えていくの。今はNo.3よ。

一九七三年 六月三日
 貴女の書くことを見ていると、すぐにもクラブにとんで行きたくなります。できれば今日投書箱を持って行きたいと思うの。貴女の考え大賛成です。一年生だってクラブ員よ。尊重しなくては!(おちつけ!←自分に)あまりにもひどい内情にびっくり。でもみんなの気持解るのよ。私自身ものもいえぬような自閉症だったから。
 私は一生を詩にかけたいと思うの。もうずっと前からその決心ができていた気がします。詩は私の中の半分を占めています。活字やノートから離れた私はあり得ません。空想しない私はもっとあり得ません。
 精神病でいえば私はきっと躁欝病ね。それもかなりすすんだ……。とても気分の変化が激しいの。
 それから私、何も黙っている人好みじゃないわよ。ただ、物ごとを深く考える人でないと本当の友情は生れないのよ。
 今度雑誌「アヴァロン」を発行します。気分刊誌(気分により発行)です。貴女も投稿しませんか? 載ったら賞状と賞金を差し上げます。紙幣は忍者銀行発行です。
 今日はスリ発行の新聞、「NEW情報」を読みました。それによると長らく照明の代りをしてくれた村田氏が逝去されたそうです。毎日くるからとても楽しみ。♪♪♪♪貴女も何か出したいのなら明日このノートに。

  幾世紀を待っていた私に
  あの海はこぼれようとしており
  私を殺したあなたの優しさは
  ひと筋の告白によって贖われねばならない
   「勇気」より史絵

 
一九七三年 六月八日
 私にとって詩は創る喜びであり、筋肉をひきはがす苦しさだ。だから許して下さい。私の詩と私の自己主義を……。
 今日はすごく笑ったわ。明日の分も明後日の分も。私は空白になって笑ったの。
 やなせたかしというと、貴女はオーソドックスなのが好きなのね。私は好きではないの。単純すぎて深みがないというカンジ! (いえた義理ではないのだけれど)

一九七三年 六月十一日
 心から笑うってどういうことかしら? 自分の理性と良心と感情の質問を受け、なおかつ自然にあふれてくる笑いなのかしら? いいえ、そんなものではないみたいな気がする。貴女はどんな意味でその言葉を使ったの?確かに私は”心から笑って”いなかったわ。多分貴女の尺度でも私の尺度でもね。貴女の慧眼の見た通り?

 私はもうここ、この位置での私が固定してしまったという気がするの。私の本質的な何かは決ってしまったみたい。だから私のこれからの成長は”もっと広く”ではなく”もっと深く”なの。
  点在した『今』
  それをつき破って伸びた
  血まみれの小指
  私を縛っているものは理性であると思いたい。
  今は自分の内部にだけ耳を傾けていたい。
 平凡な生死は貴女と同じく私にとってもむずかしすぎます。平凡に、幸せに暮らしていても、私はいつか激しいものの中に身を投じていきそう。ほんとです。周囲から見ると私はずいぶん落着いてみえるようだけど。非凡な生死で私が一番怖いのは、非凡な不幸です。そこには平凡な不幸にある大きな安心感(他人も同じ苦労をしているという安心感)がありません。でもそれが怖いからこそ私はそこへ飛びこんでいくかも知れません。理解りますか?
 貴女のやなせたかしに対する感情は、さしずめこんなところですか?
  ……前略……
  知っていたことばなのに はじめて聞いた
  見たことのある夢なのに あなたがそれを言葉にした
  あたしの持っていない思い出をあなたが作る
  あたしはその分だけ怠 になり
  正しい泣き方をあなたにまかせる
  ……後略……  (吉原幸子)
 やなせたかし――気にもとめなかったマンガ家です。でも貴女をそれほど感激させた詩集に興味があります。是非見せて下さい。
 やなせたかしの詩は、あまりあっさり、はっきりしすぎているような気がします。技巧が殆どなく(それともそれが技巧?)幸せ、幸福、悲しい、辛い、苦しいっていう言葉が五頁に一つは見つかるんじゃありませんか?私が知りたいのは、どんな風に苦しいのか。どんな風に悲しいのかという、その人独自の個別的な感情です。やなせたかしはナイーブすぎて「ああそうですか」で終ってしまう。

一九七三年 六月十五日
 もしかしたら私は佐々木さんと友達になれたのかも知れない。もしも私が霊界をさまよわなかったなら、私はあの人と友達になれたかしら? もしも……などということを聞いてはいけない。とアスランはルーシィをいましめました。「だがこれからどうなるかを聞くことはいいのだよ。」私はあの人と仲良くなる”努力はできます。でも友よ。私からこの寂しさを取ったら何ができるでしょう?
  飢えている もう一人のあなたは
  それでもなお パンを押しやり
  しらじらしくおびえている自分の心を抱き続ける
    --―史絵
(また詩を書いてしまった。許せ。)でもすごくいいかんじ。何かが吐き出されたような気持よ。不幸な生活や苦しみの中から生まれた詩は良いものである確率が大きいのよ。(気違いじみた理論。)だから私はあまり自分を幸せにはしたくないわ。

一九七三年 六月十九日
 私は書くことと読むことと空想することを仲介としないでは友達なんか作れない。自分が恐いの。どんどん極端な人間になって行こうとしている自分が……。今はもう、皆と友達になろうという努力を捨てようとしている私――。淋しいということ、悲しいということと孤独の誇らしさとどこが違うのだろう?月並な歌でなく
  粉みじんにつぶれた皿の前で私はいう。
  おまえの何もかもが、もう私にとって
  神に傷つけられた手首でもないのだよ
  と…………。
 神様のお許しになる時までの刻み打つ最後の一粒は遠いね。

 実力テストどうでした? 何と英語と国語とが同点!それなのに段階で±3も違っているのよ。マアいいわ。できるだけ点取虫になろう。英語の勉強なんてしなかったもんね。

 私は、私が他人に与えるイメージに気を使ってしまうわ。私は落ちついた清楚な人と見られたいわけ。前に言ったでしょう?私の理想は三重の心と。外は優しく落着いており、中は氷のように冷徹。そのまた内部は炎。それは私の憧れであり目標であった。一つの目標に向って進むことは大きな楽しみでした。でもそれで良かったのかしら?

一九七三年 六月二十三日
 このところ私の勉強態度について母からお叱りを受けました。受験戦争に身を投ずる者は一心不乱に勉強せねばなりません。いわんや気分刊誌の編集などはもってのほか――ですって。勉強に集中したいけどできない自分が歯がゆいの。点取り虫になりたい。夏休み、がんばらなくては。

一九七三年 六月二十九日
 高校へ、色々なことを知るために入ります。大学へ、色々なことを追求するために入ります。学問に生命をかける人間にもなってみたい。一番動物的な人間が、一番人間らしい人間に憧れるのだろうか? 私は人間以上の人間になりたい。人並な人間にはなりたくない。私が平凡に生きた時、私の命も、私の詩人としての命も終ります。だから平凡に生きることはイコール死、あの憧れの死でもあります。私は学ぶ。深く学ぶ。疲れきった身体に鞭打ち、追究をなしとげて知識を頭に入れる。やがてそれは私の詩の中に実を結ぶでしょう。詩のための私で、私のための詩ではないと考えたいのだが、しかし本当の原点はどちらにあるのか。私も貴女も知らないこのような曖昧な世界で、やはり私は進学する。それはあまりにも当り前で、私にとってプラスづくめで、そうして色々なその良さが数えきれず、疑問を持つ余地もないのです。

一九七三年 七月二日
 数学を丁度四十問終えて、ひとしきりサァーッと降った雨は私の心だけを濡らし、貴女を想いました。私よりずっと複雑な性格の貴女です。
 夕食後。母は私の詩を鈴木六林男先生に見せたということです。嬉しいような、ちょっと腹の立つ話です。私の詩がもし良いものなら私は顔を輝かせ、下らないものなら赤面するでしょう。自分の詩の値うちも解らない私です。

一九七三年 七月某日
 友へ。私は変っているのかしら? でもそのことに貴女は不安を抱かないし、私もまた変っている自分が好きだ。友と話が合わなくとも、多くの友と話が合わなくとも良い。そのためにたった一人の友がいる。
 (少し笑って)でも私はそのたった一人の友もいないのよ。強いていえば貴女にお喋りしているだけ。私の一番深い友はきっと貴女ね。後は適当よ。私は今以上を貴女に求めたくもないの。
 テストあまりよくなかった。平均88よ。貴女に良いニュースがあるの。つまり国語95。ぬかされちゃった。おめでとう。
 私ってとても固苦しい女の子だけど、ごめんね。私は私でしかあり得ないんだもの。にしても貴女の点すばらしいわ。もう少ししたら、私貴女を目標にしなければいけなくなるかな? がんばってね。

一九七三年 七月某日
 テストはとても私の精神状態にとっていいの。だってね。テストがないと何か気がゆるんで……。今実力テストがなかったら、私はきっと手首を切るか、わざと一人になって自分を苦しめるか、それとも、そう、誰かを好きになったかもよ。この頃時々好きになるように自分の心をしむけるの。だってたいくつなんですもの。テストがあると私の精神は平均を保っていられます。テスト万歳!

  純白の空の下を 女の子が駈けてゆく
  ふり返らなくてはいけないのにふり返らず
  歌えないのどで 歌を歌いながら………

  妙な姿勢でふと立ち止り
  女の子は大地に話しかける
  わたしだけに解る言葉を用いているうちに
  気がつくと女の子は もう女になっている
   模擬テスト会場にて 史絵

 純粋とは一つの病気である。愛を併発してそれは重くなる。(吉原幸子)
 But I don’t think so. 私は純粋でありたい。
 模擬テストの帰りに考えました。私の詩はこれでいいのでしょうか。このままの作風に浸っていては進歩がないのでは? ではどんな詩を書けばいいのでしょう。私の内にあるものは悲しみです。私を通り過ぎていくものたちの中で冷やかに心にとどまるものは悲しみです。もっと悲しい詩を求めなくてはいけないのかしら。

 昨日先生に馬鹿にされました。つまり職員室に入ると滝先生が私を呼びとめて「伊賀さん作文もう少し借して貰える?」とおっしゃったの。(ト書き)私、あやうく喜びかける。
 「もう二、三度読み返して見たいねん。なんかむずかしいね。」だから私は嫌みでなく「下らない事を書いてすみません。」とあやまったの。必死で書いたのに………。

一九七三年 七月十七日
 友へ。
  真すぐに私を通り抜けてゆくものがありました。
  いつも隅に立っている私は
  けして輝こうとはせず
  そのままの位置で神を求めているのです
  恐ろしいことがあるという確かな予感を見つめながら
  急ごうとはしない私です。

 いろいろな思いは私の心をすべて浸しており、何から書きはじめたらよいか解りません。かなしいのです。私はあまりに幼い故、この悲しみについて語りたくはないのです。私が十四才であることは不思議な事実のように思えます。十四才だからこんな感情もあるのかしら。――前夜。私は名状しがたい思いに満ちゝて、それらすべてを貴女に、いえ、空想のノートに綴りました。この感傷を貴女はお笑いになるでしょう。そんなことをしていても、その思いは今なお私の心を苦しめるのです。何と沢山の言葉があなたに、いえ、このノートに向って語られ、しかも記されずに終ったことでしょう。
 今、本を読んでいました。その本の中で主人公アントニオと一体になり、アヌンチャタを恋しました。私は自分の中に男の心を感じ、それを疑いませんでした。昨日のことです。今は運命について考えています。ついさっき読み終った第二部は、いろんな意味で私の心を掻き乱しています。でもこのノートに向った時、私の心は片言しかしゃべれなくなったのです。感情の流れるままに書き記そうと思った私の心は不遜でした。神の御母よ、我を守り、許し給え。

一九七三年 七月二十四日
 友よ。私は変ってしまいました。一時の感情にせよそれは事実です。友よ。こんな感情に左右されている私を笑わないで下さい。たとえ明日は別の気持になろうとも、現在嘘をつくいわれはないと思うのです。
 私が貴女に打明けるには、このノートがずいぶん役に立っていると思いませんか。このノートがあるからこそ、たとえ片方がもう片方を軽蔑したからとて表面に表れずすむのです。私たちは文字の上だからより容易に嘘をつけるし、より正直に本音を伝えられるのです。もしも私達が交換日記というこの形式を思いつかなかったら、私は今の半分も思ったことがいえたかしら? この日記がなかったら私はもっとつまらない人間になっていたでしょう。

一九七三年 七月二十六日
 悲しいことがあって泣ける人は幸せです。夢の中の私はいつも泣いています。湧き上る涙は盡きません。そして自分でその粒の大きさに驚くのです。

 今度、皆で自炊して四、五日遊ぶつもりです。裏の家があいたのです。定員いっぱい四人です。
 社会プリント十枚は二十三日、国語プリント十枚は二十四日、共に一日でやってしまいました。今ワークブックに必死!

 私の好きな人は未だ変りません。「自分ながらバカみたい」とは言葉の中の言葉です。いいえ、私はそのことで自分を褒めています。それはさておき、気はすすまぬのですがそのことについて少し書きます。かなり前、このことで貴女に変人視されたけど、私は平凡な人は好きになれないの。あの人の友達が少い所と、物を書いている所が気に入っているの。といって、今特別好きになって、耐えきれずに書いているのではないわ。冷静になって好きになるべき人を好きになったという感じ。だんだん性格がのみこめてきたし、それにもう潜在意識みたいになってしまったもの。もうずっと前から次のような日が続いています。
 ――ある朝目を覚ますと、自分は二、三週間前から同じ人の夢ばかり見ていたことに気付きます。かなり苦しんで、私は自分をひきはがしてむりやりその映像を締め出します。そうして遂に一日内至二日、あの人を全く思い出さない日ができ上ります。それからずっと、たまには思い出し、大部分忘れている日が続くのです。今は丁度この状態の所です。理性はこのくらいなら許してくれます。否、プライドかも知れません。
 付、私は知っています。あの人の親友のI君が(修学旅行中いつも一緒に歩いていたI君が)私の写真をとっていたことを知っています。また同じ修学旅行中に、私が写真機を持つ友の手をおさえていたこともあの人は知っています。一メートルと離れない横を通りすぎかかった時、友が「せっかく写真をとってあげようと思ったのに」とはっきり言ったのを一語あまさずあの人は聞きました。ああ、こんなことを貴女に書いたのは罪深いことです。神よ。許し給え。もう絶対に書きません。よもや一度書いた所を消すほど意思弱くはありますまい。しかし恥ずべきことです。私は他人が知られたくない行動を友に書いて喜んでいるのだから。あの人の前に完全でありたい私が。
(ページを変える)
 噫、私は何て典型的に書いたのでしょう。貴女はこの私に別れを告げて下さらなくては。最初は理性が、今ではプライドと良心がすごく腹を立てています。最後の行なんか実に見事じゃありませんか。雑誌の笑い話の欄にどうかしら。

  討つ

 逃げていく白い海を追いながら
 追いかけないために
 重いロープで
 手や足を縛めてみるのです。
 いつのまにか
 私を支えてくれる
 蝶達を
 最後の意志で殺し盡くして
 いつも引裂かれている私は
 祈るしかなくなるのです。

 今絵を画いているの。(水彩で)でも少しうまくいかないのよ。いつか私の部屋にきていただきたいわ。何日くらいが都合が良いですか?八月三日から七日までは無理みたい。友と裏の家で自炊するから。その他ならいつでも。
 オンディーヌ、いつかお貸しします。できたら七月三十一日くらいに持っていきますね。夏休み中なら少しはお暇でしょ?
 今日はごめんなさい。少し変なことを書きすぎたわ。故意じゃないの。ついのってしまったのだ。

一九七三年 八月二十五日
 私も貴女に同感よ。激しく燃えたいの。いいえ、私には今、私自身の生き方をしているという自信があるのです。私がこんな風に言い切るのは浅はかなことだとお思いでしょうね。でも、私が「燃えている」と思えばそれでいいのです。すべては自分に始り、自分に終るのですから。
 友よ。生きるという事は本当に難しいことですね。殊に貴女の掲げる激しく生きるということは。自分の好きな生き方をしていると思っている人には自己存在の自覚は要らないのです。

 高校は出来れば三国に行きたいのです。入れるかもですって。この間の実力三科で女子六番、全体一九番を記録したので少し望みが出てきたところ。でも中学浪人なんて嫌だし私立には行きたくないし……悩む。クラブは絶対文芸部。が演劇にも興味あるし……分身の術なんて無理かしら?

 読書の頁です。赤と黒。(スタンダール)。ルージン(ツルゲーネフ)。テス(ハーデイ)。外燈(ゴーゴリ)。おだやかな死(ボーヴォワール)。ペスト(カミュ)。招かれた女(ボーヴォワール)。情念論(デカルト)。竹取物語。呪われた画家(?)(作者忘れた)魔女(同忘れた)河童他(芥川龍之介)。パンセ(パスカル)これはただ今私の意見をノートしながら読みかけ。今思いつくだけでこれだけ読みました。でも、なんかまだ読み足りないような、いい本があれば借して下さい。

 新しい交換日記帳如何ですか?これで良いかしら?手ざわりはなよやかで、大きさは小さめだけど頁はざっと七四頁。行が細かい所が気に入ったの。一番気に入ったのは、ちょっと変った表紙の造り。名古屋の松阪屋で入手しました。いいでしょう。これを使って……とおしつける。題は「永久」です。卒業も近い折私達の友情が永久に続くように。気が早い?

 私の中に二人の私がいます。一人は命令し、一人は服従します。命令する私Aは、私が適度に行動するようにいつも見はっており、私が不幸であるように気をくばっています。ああ、こんな風に書いても解ってもらえないわね。
 またもとの支離滅裂になるくせが出てきたわ。もうやめよう。
 私は自分に満足しています。これまでの自分の運命にもこれからの自分の運命にも、また、たといどんな不幸がおそいかかろうと満足です。ただ、悩みなく幸福になったら、きっともう一人の私Aが許してくれないでしょうね。私は、自分に強い不満を持っている私に満足しています。

 そういえば今日、十一組は「定休日」でしたね。済みきった教室の空気が胸のあたりで震えました。生徒のいない教室は、歌えない鳥のように喉元にこみあげる思いを秘めているようです。平らな机が、第二の床のように空気を押しあげていました。その空間が恐ろしかったのです。

一九七三年 八月二十九日
 お早う。今日から字を丁寧に(一般的標準からいうと見苦しくないように)書くことにしましょう。
 私はいつも言いたいことの半分も書けないの。一つには言うべきことがとても厄介で複雑だから。他の一つは言っても良いかどうか判断のつき兼ねることがよくあって、途中でごまかしてしまうから。最後に書きながら頭だけ先走りしてしまって 自分が何を言おうとしたのか忘れてしまうからよ。
 昨日「長い坂」上・下(山本周五郎)を読みました。主人公・三浦主水正←お気に入り。
 今日、私の噂を聞きました。私はとても変り者と思われているのですって。私という人間がどうしてもつかめないとか。いろいろ。また聞きなのですが、「あの人、人間かしら」といわれたのにはまいりました。(ところで私は人間かしら?)
 何も欲しくない。ただ友達だけは欲しい。心を許せる友がいないというのは辛いことですもの。

一九七三年 九月五日
 私、色んなことを書こうとしました。でもみんなタブーなんです。どうして貴女はそんなに理性的でいられるのかしら? 意志が強いの? 私はいつも泡立っているみたいに色んな内部の声があふれているの。必死で書かないの。心の中が絶えず嵐のようなもの。

一九七三年 九月十日(月)
 生は一時的なものよ。人間の本体が、本当に骸骨(死)なのか生なのかは解らないけれど、生は暗闇にさしこむ一条の光かも知れないと思います。あるいは死がその光かしら? 輪廻の考え方を知っていますか?当然知っているでしょうね。一年の時、二人であの道を帰りながらお話をしたもの。その考えによると生は永遠であり死は一時にすぎないことになります。生と死と、どちらが人間の本体なのでしょうか。答えられません。とにかく一休は間違っています。皆間違っています。誰も本当に正しいことをいえる人などありません。でも私、本当はもっと単純なものだという気がするんです。
 「詩とメルヘン」入手。ゾッとする。すぐさま二度と買うまいと決心。一読してすぐ解ったわ。これは失沢宰の詩じゃない。彼の詩はもっと透きとおっていて、あっさりと男らしい。やなせたかしにものすごく腹が立った。なんと女々しく通俗的にこの詩を書き替えてしまったのだろう。こんな詩が”矢沢の詩”として読まれることが残念です。
 「日本沈没」上・下(かなりおもしろい)と「高見の見物」(「我輩は猫である」と酷似。しかし主人公はゴキブリです。)を読みました。貴女は関東が大地震にあったと聞いたら、どんな反応を示すかしら?私は泣きたい。沢山の人が死んだのだから。私の両親、祖父母、兄弟姉妹友人が死んだのと同じだから。私っていつもそうなんだ。この間も佐々木さんのことで一緒に泣いてしまったの。最後に佐々木さんの方が笑い出して「あんたが泣くことないでしょうに」だって。
 保体でオリンピックの話がありました。私は見せて貰ったはずなんだけど……と記憶をさぐりますと、こんな映像が浮かびました。――沢山の人が国道ぎわに並んでいる。私は母に抱かれて国道を眺めている。人が走っていた――母に聞いてみると、国道二十六号線をアベベ選手が走った時のこととか。でも数えてみると私はまだ一才だったはずだ、と半信半疑。

一九七三年 九月十二日
 過労による頭痛にて一日寝たきり。何も書けなかったの。

一九七三年 九月十四日
 私の空想はとても子供じみているの。例えば私が誰かの身代りになって死ぬとか。好きな人のことも、とてもよく空想します。空想の中で私は好きな人と、生き甲斐とかそういったことを議論したり、創作を見せ合ったりします。佐々木さんは「伊賀さんは好きな人に本当の親友を求めているんじゃないかしら?」といったけれど、その通りです。私は現実の生活では満たされない不満を、空想の中で満たしているのだと思います。だから空想の中の私は大変よく泣いたり、時には皆の前で何もかも洗いざらい喋ったりします。そんな空想のあと、たいてい目に涙を浮べています。
 吉原幸子の詩を読んで、とても羨ましいと思っています。私はこんな詩は書けない。私は失ったものを悲しむだけです。

  長い長いお話

 つつみきれない秘密を持って
 旅に出た人がありました。
 日照りが続き、村が飢饉になった時
 旅人はやってきて
 惜しげもなく秘密を村人に食べさせました。
 海王青はまっ青にそれを見ていました。
 その日から
 急に景色が遠くへ行ってしまいました。
 海も山も目をそむけて
 見ないふりをしていましたが
 旅人は骸骨になっても
 やっぱり緑色の時計に刻まれているのです。
 女の子は本当に青ざめて
 旅人に暖かい私の血を飲ませてあげようかしら
 と考えていました。
 これが長いお話の最初でした。
 
一九七三年 九月二十日
 昨日「人間失格」を読みました。最後に主人公は精神病院に入れられてしまうの。私ももう少ししたらそのあたりに入るとか。病名は”対人恐怖症”。

一九七三年 九月二十二日
 友へ。今日路上で気違いを見ました。私もいずれああなるんだなあと思いました。急に恐ろしくなりました。

 ある女の人が電車に乗りました。一ヶ所電車の窓が破れていました。雨が吹込んできます。女の人は他の人がそこに坐らなくてもいいように、自分からそこに坐りました。ところがその友がいうのです。「貴女は残酷な人だ。貴女がそこへ坐るから私まで雨のかかる所に坐らねばならぬではないか。」
 貴女ならどうしますか?

一九七三年 九月二十四日
 お早う。晴天です。今日は水間寺へ行きます。明日から学校。私は戦いをひかえた兵士のような気がします。
 友へ。当分交換日記をやめませんか?大学へ入ってはたしてどれだけプラスになるか、疑問を持ち始めたこの頃です。今このまゝのやり方で、勉強もあまりせず成長したら、将来しなくてはならぬこともできない人間になってしまいそうで怖いから。

一九七三年 十一月八日
 中間報告。
 「女について」(ショーペンハウエル)という本を読みました。作者は女を目の前の事に対してしか興味を示さぬ存在としてみています。男にある正義感、忠誠、といったもろもろの感情が女にはないのです。私、読んだ当初はとても腹が立ちました。でも「ところで自分の胸に聞いてみると、全くこの私がそうした人間です。」(ゲーテの「会合の問答遊びの答」より)それ以来私は常に「どうしたら皆の心が傷つかないですむだろう」ではなく「どうしたら一番正しいのだろう」と考えようとしています。考えてみると数々の歴史的改善はいつも正義感にあふれた人々によってなされているのですものね。そして、自分のこれまでの行動を反省しています。「正義」という観点に立って見ると、同情心からなしたことのゆがみが真すぐに目に入ります。

 映画の「失われた団らん」見ましたか? 私とてもためになったと思います。さしあたり私は非行には走らないでしょうから、それは捨てておきます。人物は皆善人でした。(恐ろしいことに。)善人達の中で、少年が非行に走るような雰囲気が作られたのです。善人であるだけではいけない、集団の中で幸福になる為には善人であるだけではいけないのです。殊に家庭という限られた中では人と接することのむずかしさは言い表わせません。尊敬と思いやり……これが家庭生活の基本であると思います。母と子がうまくいかなかったのは尊敬の念が互いに欠けていたからであり、父と母の間に思いやりが足りなかったからです。尊敬と思いやりと正義。これがあれば学校生活でも私は満足いく生活ができるかしら? これから究明する問題です。
 私がこのノートによってどんな気持を味わっているか知っていますか? 書くこと――。嬉しいのです。楽しいのです。本能的に楽しいの。狂っているのでしょう?私はこの頃、空想することと本を読むことにしか楽しさを見出せなかったの。それがこのノートに向うと……。ノートに向って物事を掘りさげて考えるってことがどんなに楽しいか……まるで水を得たメダカみたいな感じよ。深いということは素晴らしいこと。
 私はここ数ヶ月何を考えてきたのかしら? こんな長い間何も書かないでいて、見つけたことは右に書いてあることだけ? 何をやっていたのかしら? たまらなく自分が歯がゆいの。「伊賀史絵、もっとしっかりしろ!」だから明日から毎朝七時半に家を出て学校で見つけたことを書くことにしょう。自分の目を磨かなくてはいけない。

一九七三年 十一月二十六日
 最後に。あるいは第二次中間報告。
 この頃精神が安定して、皆の前で自分を殺せるようになりました。原因は毎朝の日記にあると思うの。不思議と現実に起こったことは書かないの。結局私にとって、周囲なんてどーでもいいと思ったりして。(私はやっぱり私だな。)一人ぽっちがすごく楽しくて、孤独がとても快くて、一匹狼なんて考えてみたり、それでもってやはり生きています。
 私は今、本が読めない状態にあります。佐々木さんと条約を結んで、勉強の為にテレビも雑誌も一切見ないことになりました。これを破ると重罪が与えられます。この間、私が禁を破ってしまったので、地図の気候区を全部暗記させられました。(必死)。またノートを交換して、ヤマと思う所の問題を一日二十問づつ出し合っています。そのセイか、実力の結果が上っていました。(もっとも実力は交換を始める十日ほど前にあったのだけど……関係あったかしら!?)点数は悪いようだけど、偏差値はいいみたい。三国は行けるだろうとのこと。ガンバロウ!!
 吉原幸子の詩集を買いました。家で読めないので、ひたすら学校で読んでおります。
 今悪い風邪が流行っています。体に気をつけてね。

一九七四年 一月八日
 このノートに出会い、手をふれたとたん、あたたかいものが胸を包みました。旅の終りに昔の幼ななじみに出逢ったのです。握手すると、どんなに大切な人であったかが解るのでした。一緒に居るだけで心が安らいだのです。だから無造作に鞄の中へは押しこまず、静かに捧げ持って帰ったのでした。手を触れていると幸せでした。貴女と私の友情の象徴を、今近くに、出来る限り近くに持っていると思うのでした。
 世界が狭く(でもより神秘的に)なって来ました。何故って、視力…0.3and0.4。一米と離れない所にある本の背が読めなかったり…。

一九七四年 一月十一日
 私は貴女に殆ど何もかくしませんでした。このノートは私自身です。貴女という友がいて、本当に幸せだと思います。いろいろな言葉を作りました。でもだんだん自分が汚れていくような気がします。テストの為に、自分の心に対する束縛をゆるめてしまったのです。一昨日、醜い自分を肯定しながら”戦うひま”がないとして必死に勉強していた時でした。不意に声が聞こえました。「そんな風にして取られた点数は何の役にも立たないのですよ。」続いて私の右頬が力いっぱい殴られたようでした。私以外の声が私の耳に囁いたのは数ヶ月ぶりでした。聞こえてはいけないと思いつつ、でもその言葉が正しいのでそれに従いました。”ああそうだった”と心の中の靄が晴れた思いでした。
 この頃好きな人の事で苦しみました。好きになんかなっている時ではないと思ったから。第一回戦で勝って今は静かです。でもいつまた?と思うと武装は解かれません。

一九七四年 一月十三日
 お手紙有難う。

  城門が
  ガラガラと崩れ落ちていき
  十字架が見えました
  向うの森から
  戦士達は
  私の中を通りすぎて行き
  庭にいると
  何もかもが氷のように透きとおってきます
  たった一人で いつまでも
  長い一本の髪を
  裂き続けていました
  その音が
  あまり遠くに伝わったので
  あなたの部屋の窓の灯が
  狂ほしいほど
  近くに浮ぶのです。

 友へ。
 先生は腎明に反対なさいました。併願は御指示に従ってプール学院へいきます。

 友へ。夢は光のように直進します。直進するから目をそむけられない。今の夢は輝かしい鏡のように私の醜さを映し出してくれました。自分を捨てたい。過去もろともぬぎ捨てたい。自分が思い通りにならないので泣く。私は我儘なんです。泣いたって始まらないのに。泣かずに正面きって宣戦布告!

一九七四年 一月十六日
 目鏡をかけるとおぼろげな記憶がよみがえります。ああこれこそ私のかって持っていた世界だと……。佗びしく思いました。今日は雨なので先生の目鼻も解りません。字も殆ど読めなくなりました。道で会う人も解りにくいので、確実に永久に失ったものをただ憎んでいます。もう少したったら利点を見つけて、こんなことにも感謝できるでしょう。でも今はだめ。まだブロンテの世界にいます。
 戦わねばなりません。私は三つの物を相手に絶えず気を張詰めています。
 一、怠惰との戦い。勉強せねばなりません。――私は視力の代償を確実に取り立てるつもりです。
 二、素直になること。相手の幸福を願うこと。その為に努力すること。――『良い人格とか善行とかは、その人の心から滲み出たものでなければならない』
 三、好きな人のことを考えない。――この約束が二十四時間守られたことがあったでしょうか?

 だんだんに私の中で神は確かなものとなってきました。その分他の神が薄らいだような気がします。私の内だけの、万人の神ではない神が私の中に根を下ろしてしまいました。いづれ旅立ちの日はきます。多分今ほど神を必要としない日々が。

 「幸せは罪ではない」……と。私はもうがむしゃらに悲しみを追い求めない新しい詩に向おうと思います。この間ふと気がついたのです。詩は不幸でなくても書ける、と。特異な精神が必要……とは思います。だからもうわざと自分を悲しみに追いたてるようなことは、これまでのような意味ではやめようと思います。私は鎮魂歌を書きたいの。読んだ人の心が鎮められるような詩。

一九七四年 一月二十三日
 ある日ふと気がつくと(私はいつも「ふと」気がつきます。)私は幸福でした。眠りから覚めたようにその事がはっきり解りました。私は自由でした。自由すぎるくらいに。自分をもっと苦しめる為に、自分の心を怠けさせない為に、今私は一つの束縛を自分に課します。家では勉強以外のことはしないこと。

一九七四年 一月二十四日
 激しい言葉が書きたくなりました。「血」とか「殺人」とか「憎しみ」とか。わけもないのにまわりの空気を切り裂いて隣の人を殺したい。

一九七四年 二月十一日
 今日も昨日もほとんど勉強しなかった。悔恨に胸をつぶされる思いです。こうやって自分を慰める作業ばかりしている。私は人間の情を持って生れてこなければ良かったのにね……。大切なことをほっぽり出して愚かなものにふけっている自分はみじめです。何度あがいても、何ど血糊を流しても、このどろどろとした膿は消えない。昔、女の子の絵をかかげていたずらっ子は言った。「笑ってやって、笑ってやって、笑ってやって……」今私は自分の絵をかかげる。いたずらっ子はもう居ない。言葉のリフレインは白々しく投げ出されて在る。忘れさせて下さい。私が若い少女であることを。昔の怪談が恐くて震えていることを。

 途中から詩になってしまった。悲しみにも苦しみにもその時固有の色合があると思いませんか?。私は貴女に言いたいことを十分語れないのをもどかしく思います。私は平気で純粋ではない。でも、今までとは別の意味で生きることに夢中になりたいの。

 M君は明星(鳳か泉陽クラスとのこと)志願です。そのことを知った日からどっか狂ってしまった。願書を出す時、同じ組になったのが悪かった。消えろ虹。クロロフォルムのぬけ道がどこかにあった。たとえば節穴とか何でもないところに。

一九七四年 二月二十一日
 内申は多分9になるだろうとのことです。その多分のことが起これば三国を受けます。夢が本当になるとは思ってもみませんでした。今、本当になるそのことが怖いのですが、でもやりとげてみせます。今から泉陽を受けることになったら、私は勉強の目標を失ってしまうでしょう。だって先生は確実だとおっしゃるんですもの。
 私は何かを捜さねばなりません。私の人生の最大の目標となる何かを。それはけして到達できないものでなくてはなりません。それは私をより謙虚にさせるものでありましょう。私は三国へ行く必要を感じます。三国は私の狙った最初の目標です。最初から失敗すると自信を失いそうで怖いのです。

一九七四年 二月某日
 友へ。今日三国の願書を書きました。私は昔、何かを真剣に願うと必ず叶えられるといいました。もう一度いいます。心から何かを願うことは半分叶ったも同じことだと。三国へ行くと決ってからより完全に(好きな人と)引裂かれてしまいました。私の中の一人の鬼っ子。押えつけてもやまない好きな人のこと。最悪の場合には小刃を使います。痛みによって多分忘れるでしょう。痛みと勉強への熱は同化して一つの物になるはずです。だから二倍のエネルギーで勉強できるはずです。

 ナイフを、よく切れるナイフを下さい。もっと苦しみ、もだえ、血を吐く苦しみを下さい。絶えず痛み続ける傷を下さい。かすり傷はいや。中途半端な傷はいや。胸を貫ぬくよく切れるナイフが欲しい。
 どーでもいいけど、血って邪魔ね。カッターは錆びるし、第一カッター(制服の方)が 汚れてしまう。。そしてその割に痛みがないんだもの。もっと目の覚めるような痛みが欲しい。一番痛い所は何処? 指が血まみれ。(傷の上を引掻いたのです。)やはりカッターで引掻こう。三国に落ちたくないんだもの。傷の上をカッターで引掻くと、やっと少し望み通りの痛みにめぐり逢ったような。痛みよ、この心の苦しみと一緒に雑念を追い払っておくれ。血が流れてきた。もう一休みしよう。

 To Naoko.今、混乱しています。長い間、本当に長い間、何もかもを拒んで生きてきた。この一週間の勉強期間、卒業の苦しみ(いいえ、好きな人と別れる悲しさ)さえ時を測って。……一時まで悩もう。それ以上はだめだ。

一九七四年 三月某日
 友へ。合格しました。ありがとう。


昭和四十九年 高校一年

一九七四年 四月某日
 貴女は夜通し苦しんだ事がありますか?痛みに眠れぬ夜の、しらじらしい夜明けを感じたことがありますか?でもこんなに苦しんだので、きっと許して貰えると思います。許して貰いたい。でももしこの罪が消えなかったら?私は自信のない百姓に似ています。麦だと思って畑一面にその種を蒔いたのですが、後になってから蕁麻だったかも知れないと思い、非常な恐ろしさにおそわれているのです。何故ってどちらにしても自分の蒔いた種は素手で刈り取らねばならないのですから。それで生えない方が良いとさえ思っているのです。童話の終りによくあるように、後悔のあまり病気になって何度も吐いて徹夜で苦しんだのです。
 霊が慰めてくれます。彼(女?)は苦しみの傍で何ごとかを囁くのです。聞こえないふりができない言葉を。例えば今も彼(女?)は書いている間に高まった苦しみを知り、こういいました。「お前が今苦しんでいるのはたかが自分の不幸ではないか」と。本当にそうでした。私の手が蕁麻に裂かれることは私が我慢すれば済むこと。すると苦しみの大半が失われて行きました。今冷静な気持で、神様にすべてをおまかせできると思います。私はいつも、何か自分のまわりに暖いものを感じています。それが神なのか霊なのか……でも何かが私を守っていてくれるようなのです。例えば先日制服を取りに行った時、線路際に小さな気持の良さそうな小道を見つけました。それは確かに駅に続いて居そうだったのです。でもその時私をとどめる何かがありました。”もし急ぐなら…”と。確実な方の道を行くと、その先で例の小道と交っていて、しかもその小道が工事のため遮断されていました。また今日電車の切符を買う時、せき立てる何かがあって小走りに行くとホームに電車が着いていました。でもこんな事があったからといって、自分に何か能力があるのかも知れないなんて思わないことにしました。自分を守ってくれる神か守護天使かに力があるに違いないのですもの。神様は身の程を知らないものには確実に罰をお与えになります。
 ノストラダムスのこと関心があると貴女は書きました。あれを読んだ当時、私は大変恐ろしくてどうにもならない気持でした。目を閉じると未来が見えるような気がしました。私は三つの光景を見ました。一つは弟の死ぬ様子。もう一つは、天から燃えている火の玉のようなものが降ってきて、人々が恐れている様子。もう一つは私の死ぬ様子です。私は、私の見えるものは弟にも見えると思いました。(妙な言い方ですが、私は弟を私の秘蔵っ子のように思っています。)そこでトランプ占いの後、弟に、目をつむって未来が見えるかどうか聞きました。最後に弟はこういいました。「ビルが燃えている――上から燃えているみたい――あ、上から何か細長いものが落ちてきて、お姉さんの頭にあたった。」私もそれを見ようとしました。やっと暗い中から何かが浮び上がってきて、私は自分を見、その後起ることを見ました。そこで目を開いて二人で私の服や髪型など教え合ってみるとピッタリ一致したのです。その色まで。私が「でも男の人に助けられるに違いない。」というと弟は、「うん、若い男の人だ。でも外国人みたい。」「髪が黒かったもん外国人じゃないよ。」「髪の黒い外国人も居るよ。」なんて話もできるくらい。私は自分に予知能力があるとは思ってはいないから、何とも説明のしようがなくて放ってあります。

一九七四年 四月某日
 To N.
 私は貴女に友そのものを求めています。知り合いではないのです。(――ひとつお願い。「私の求めている貴女」なんて書かないでね。)貴女が貴女なので、私は私なので、私は貴女を必要とします。たとい貴女が、私の求める貴女を知ったと、感じたと……そうだとしても自分を偽らないで、私を知り合いの位置にひきずり落とさないで下さい。たった今悟ったところです。親友というものの根本が互いの一致ではないことを。

 詩一
  仮面が石のようにゆらいでいた
  はぎ取ろうとして のばす
  その指はもう指ではなく
  掻きむしる布さえ糸で作られることを拒む
  もう行けない 進めない
  壁のようにつき立った壁に背を向けて
  狂ったようにちぎる
  我が身の肉を
  麻薬のような安心に
  溺れることがそれだ

 詩二
  私の胸の中に
  ひと筋のたて琴があって
  あなたが透き通った糸をつまぐって
  空気をふるわせるたび
  チェンバロの音色で
  響きいだすのでした。

   貴女には降る雪が見えない
   ほんのささやかな風に
   うちふるえ ゆらぐ貴女
   別れの言葉を告白してから
   見えないものに向うわたしに
   貴女はいないはずなのに
   いるのです。

 御免ね、途中で放り出しちゃって。書いていると抗しがたい苦々しさがつきあげてきて、詩の誘惑に勝てなかったの。どうも私は始めっから静かな詩は書けないようです。まず苦しみを濾過しないと……。
 あ、それでもって、さっきの続きですけどね――私は交換日記にまず意見、考えを語る場を求めています。貴女は真面目に読んで下さるから。そして福岡さん。私の偽らぬ文を真面目に読む。そのことだけで既に貴女は私の一番の友なのです。もしかしたら一生の……。腹の中で「この気違いやろう!」なんて思っても、貴女は優しいから表に出さないのかな? 私は貴女にこれといって何も求めようとは思いません。何を求めたらいいかも解らない。きつくてドグマに満ちた言い方でしょう? (許して下さればいいのだけれど)私が自分を抑え、あたりさわりのない平凡なことしか口にせず、そういうものに飽き々々して向うのがこのノートです。だからそんな意味ではずいぶん私は貴女に無礼です。いちいち(こう書いたら貴女はどんな気持になるだろう)なんて考えませんし、考えたくもありません。そしてそのまゝ次の日の貴女の反応に期待をかけています。何も求めていないのに期待をかけるなんてスフィンクスの謎みたいですね。私はエディプースにもなって説明してみます。私は貴女に具体的にこの文にはこんな反応を、なんて求めていません。次の日の文に共感があろうと反論があろうと、無視があろうとかまいません。私はそれを見て大変面白いと思います。中身は関係なく、一種超然としたそんな反応じたいを私は期待しているのです。貴女は(私も貴女に対してそうですが)私がどんなに常識はずれな、あるいは複雑怪奇なことを書いてもそれを完全に消化してくれます。解らないことはそれなりの形で貴女の体内を通りすぎてゆきます。これがクラスメイトたちのように「あの人はわけの解らないことを書く――私はあの人が解らない――解らないからこわい」なんて恐怖心や嫌悪の情に結びつくと、こっちもやりきれないんですがね。貴女自身でいて下さい。貴女の意味の無いお喋りや、時々ペンをついて出る真情や哲学的なものの見方なんか、とっても貴女らしくてステキだと思います。

 級長ですか? とても素敵。がんばってね。

 春ですね。淋しさが身にしみます。もうすぐ夏で、夏のすぐ次が秋なんですもの。倒れ伏して人を思いました。思いきり愚劣になってみたい。少女趣味になって、絵のように降る花びらの下、涙ぐみたい。私は何を考えているのか、何を言っているのか、解らなくていい。何もかもを無に還元したい。思いはきっと完全に昇華していくことでしょう。昇華! 理性を取りもどしたくない。暴力の前に無防備に立っていよう。打たれたら涙を流して叫ぼう。……なんてことを書きながら、解らない字を辞書で引く私。せめて一度、理性なく嘆き悲しみたいなあ。――もうやめよう。当分はこの状態続きます。きっと当分支離滅裂。いいなあ福岡さんは冷静で。
 時々自分をかなぐり捨てたくなります。

一九七四年 四月十八日
 やっとすべてが終ったと感じられるようになりました。終ったことの苦しみが終わった時、石のテーブルの上には白々しい寒さが在った。貴女が左で”苦しいことは押し込めなきゃあ”と決心しているのに、私は一人で騒ぎたててなんだか恥ずかしい。でも本当に必死でしたよ。もうすべては終わりました。いつか、もっと時を経てからお話します。――こういうことをしたんだよって、笑い草にでもしましょう。後悔はしていません。私は自分の判断が、長い目で見て正しかったと知りました。

一九七四年 四月某日
 学校用に作詩 自己との対話

  夕方になると
  あの日の記憶がよみがえってきます
  子供のころの 透きとおった教室
  それからうす暗い講堂
  校外学習の野山
  その風景の中に あなたはいつも居るのに
  そうしてじっと こちらを見ているのに
  私はいつも
  倒れそうなあなたの灰色の墓標を
  支えもって よりかかって
  それしか見えないふりをする
  僅かに唇を噛んで
  言いはっている あなたはこの下だと
  だから日々と同じように確実に
  記憶は積み重なる
  あなたの目もまた 増えていく
  その重みに私はたわみ
  さらさらと心の欠ける音
  墓石に額をあずけ
  目を見はってもそれしか見えないのに

 さらに自分のために

  もうすぐ破壊はやってくる
  石のテーブルの上の
  ひからびた石斧が
  最後にふりあげられ
  墓は真二つに割れ
  わたしも割れて
  たぶん あなたの目はうつろになる
  きっと耐えきれない静けさだろう
  その時は
  そのむきあって倒れたもう要らない墓石は
  それこそ真のあなたの墓
  あなたの死体
 
  今日はなんだか疲れちゃったのに
  かなしむのはもういやだなあ (熱より)
 
 私は今クラスに拒絶反応。でも気違いになりたくない。何を期待すればいいのか。休み時間の途方もない浪費。こんなに急いでいるのに 色は変らない。何か本当のものがあっただろうか。本当のもの。信頼できるこころ。
 友へ。感傷的になると詩を書かなきゃ気のすまない私です。うさばらしだ!

 細かく震えながら流れてくる空気の大群
 ざわめきはあたりに満ち
 奇形の花は 開こうとします。
 手をさしのべるのは誰もいない方角
 閉じられた白い空間に。
 思いきったように振りかえると
 こんどこそ本当に白い喪服が似合ってしまう。
 その背のいたみに
 口を開いたまま 硬直すると
 風が吹いてきて
 わたしを削っていくのでした。
 粉々になったわたしに
 でもやはりひとかけらづつの
 悲しみだけは残っていて……

一九七四年 四月十八日
 クラブのために学校へ行っているような感じです。いいえ、クラブと授業のために。学問をするってとても楽しいこと。半ば本能的な楽しさなので自分を疑っています。クラブは文芸部です。さっそく文化祭のために詩とエッセイと小説(原稿用紙三~六枚)の依頼を受けました。クラスには友達になれそうな人は居ません。(そしてそれを喜んでいます。)心配しないで下さい。私は人並みの付合いはしています。中学の頃、私は自分が気違いでなくただの変人だと考えたいのなら、一から十まで人並みに生活してみなければ、と考えていました。そこで今実行しています。今までの所あまり目立ってないみたい。一年そんな付合いができれば気違いではないと実証出来ます。
 この頃とても忙しい生活を送っています。八時から十二時頃まで勉強。だから夕食までが自由時間です。ドストエフスキーを読み終えたので今、トルストイに挑戦!

一九七四年 四月二十一日
 お早う! 朝のラッシュにはうんざりしました。電車なんてもう顔も見たくない。(いや、悪いのは人間だ!)
 三国丘の雑誌を見て笑いこけてしまいました。だって大地震が今起きたら?というアンケートに、”そうだ、ウルトラマンを呼ぼう”の類が二つもあったのですもの。さすが雑誌部。愉快な企画がいっぱいです。

 授業中居眠りが目立ちます。(私は別、目をつむって授業を受けていただけなのです?)授業はかなりのスピードです。ことに英数が目立ちます。英語Rは半頁程の音読の後、だいたいの文意を云い、それから重要文型のしくみを一つか二つくわしくやっておしまいです。一行ずつ解明して下さるかと思ったのに!数学は教科書の問題なんて無視。時たま難しい問題があると宿題にされる程度です。でも古典は退屈で困ります。内職などして気を紛らわしています。
 今日誘惑に負けて生物の問題集を二冊も買いました。中身を見ると急に『こんな問題をやってみたい』という欲求が高まったのです。でも片方は八九〇円もしました。入試にも使えそうと自分を慰めています。もう一つ誘惑に負けたもの。古典の問題集。暇な時の手すさびに。今度のクラスのムード、気に入りました。では問題集にもどります。  体育は播本先生というおばあさまの担当です。とてもやかましくてこわいので「私は二度と同じことは云いませんからね。」と二度目に注意なさった時も必死で笑いをこらえたものです。
 付、もうすっかり苦しみのかけらも残っていません。熟考の後忘れることにしました。

一九七四年 四月二十四日
 お早う。私も貴女に習って授業風景を少し書いてみます。
 現国、井出先生(女)。通称お井出。ちょっと姉御的で、見たとたん不可解にも”良い先生だな”とピンときました。彼女、授業の合間にサラリと筆記しておきたいようなことを云います。――人は出逢いを大切にしなくてはならない。もしその出逢い(人や本などとの出逢い)に感動したら、友に云うなり書きとめておくなりすべきだ。それはとても大切なことである――などなど。うまく書けないけどちょっと素敵でしたよ。でも今日の抜きうちテストには参りました。書取りですが、例えば「氾濫」とか「遮断機」とか……教科書を見て下さい。ふり仮名がついているんですよ。古典、これまですごく暇でした。でもこれから本腰を入れて下さるとか、期待しています。英数の恐ろしさはもう貴女に話しましたね。今では予習型から復習型に早変り。今度ユークリッドの互助法です。でも数と式はいいとして、三角比がややこしくて必死!
 明後日、紀泉高原へ遠足。三国ではエンソクなのです。登山なので私服です。

 火曜日は御免なさい。学校から直接Yへ行って、余った時間は遊びました。明日はセヴィラの理髪師を見てからYに急ぎます。このノートを持って行くのは、多分八時半頃だけどいいかしら?学校では放課後講堂で、音楽部や演劇部の設し物がよくあります。自由に見に行けば良いらしいのです。ここでは講堂と体育館は別で、講堂は校舎の三階にあるのですよ。

一九七四年 四月二十五日
 今家庭科の時間。自習なので図書室にきています。図書室では”れくいえむ”に夢中になってしまいました。
 今は昼休み。クラスメイトはそろってご勉強と相成りました。昼休みに数学なんて真っ平ですから一人で遊んでいます。今この部屋に男子三人(将棋をさしている)と女子五人(勉強四人+Me)です。一年二組のここからは色々な木々が見えます。実はちょっと不思議な木が見えたので解明に行こうと思ったのですが、自転車置場の向うで柵がしてあって行けなかった上、予鈴が鳴ってしまいました。無念!でもあきらめない。
 必修クラブは体育方面に決めました。本当は演劇部がやりたいのだけど、YMCAとの両立が難しそうなので当分様子を見ることにします。今演劇部のセヴィラの理髪師を半分見ました。Yは学校から二駅半の所にあるですが、四時二十分までしか見ることができません。でもとても愉快でした。さすが高校生!
 今貴女をヒントにして小説を書いています。文集に載せる予定。(ということは全生徒にくばるという事です)気を悪くなさらないかしら?

 嘘について
 Yの同級のM・Uさんは私の学校の同級生M・Oさんと友達です。ところがこの間M・Oさんから、M・Uさんが授業にならないからYをやめるのだと聞かされました。M・Uさんに問い正して見るとこう云うのです。「あの人にはそう云っておかなきゃいけないのよ。私がYへ行くって聞いたらすごく焦るねん。今日も休んだと云っといてね。」 あいた口が塞がらないとはこのことですよ。今日私はもっとはっきり聞きました。「あの人はね。私が勉強していなかったら調子良いねん。三年になってからもよく電話してきて『勉強してる?』って聞いて『ううん、ちっとも』っていうと安心するねん。そう云わなきゃ焦って駄目なんよ。」だからあの人の為なんだと云わんばかりの善意にあふれた顔でした。でも醜かった。堂々と嘘を肯定して友を中傷しているあの人も、友達がサボッているのを喜ぶM・Oも。友情ってこんな冷たいものだったのかと考えました。私だって自分でそれに気ずかぬだけで、きっと恐ろしい欠点を持っているのかも知れない。ただ、嘘とはこんなに堂々としたものだったのでしょうか。私は今まで事実をたじろがず見ることのできる人間になることを望んでいました。誠実にもなりたかった。私ならまわりの人に甘い嘘を云ってもらうより、痛い真実を云って欲しいと思います。嘘を吐く信頼できない友なんて価値があるのでしょうか?
 ただ恥ずべきことに、私だって完全に何時も真実ばかり云うとは限りません。今日だって嘘を吐くことを考えていました。もっとも後から考え直しはしましたが……。実は私は必修クラブを奉仕部にすることを決めました。つい数十分前です。でもきっと両親は不賛成です。また私にしても、社会奉仕なんて偉そうなことを云いたくありませんでした。だから最初はそれは第二希望だと云ってごまかそうかと思いました。(そう云うと両親は安心なのです。)でも事実は事実として公認することにしました。

一九七四年 四月二十六日
 今日は登山でした。とても楽しかった。13km歩いたのですが歩き足りないくらいです。十一人でお菓子をまわしながらの雑談も楽しいものでした。手に持てないほど貰ったので家で配っています。帰りがけ、創作に興味のあるという人を一人見つけました。私達は私服です。集合は鳳駅。点呼は普通山中渓頂上で人数を調べるのに、それもしないで、帰る時「おーい降りるぞう。」と怒鳴ってバラバラに降りて行くので面食らってしまいました。紀伊の駅で名前をつけて貰ってそのまま解散。つくづく高校生なんだなと痛感しました。驚いたことは、帰りのホームで数学のノートを広げて復習している男子がいたことです。

一九七四年 五月某日
 私はクジ引で集会委員に決まりました。だからこの所毎朝七時に家を出るの。慣れたらもう少し早く行って朝に見つけたことを書きたいと思います。
 今、Yにいます。さて、やっとお喋りする気力が出てきた…と思ったのにもう授業です。文芸部でうどんをおごって貰いました。いい人ばかりですが、何となく溶け込みにくいムードです。私は小嶋先輩のファンです。彼女ペンネームが「青山」なんです。「トランプをする集団」なんて素敵。文集ができたらおみせしましょう。村田先輩の作品は少女趣味です。井出先生から散文詩にした方が良いとの指示を受けていました。ところで私の作品は未だ先生に見せていません。皆でまわし読みをしたところ、「雨」は適格に書けていて、「清い春」(随筆)は理屈っぽいとこのと。
 とんぼ切れですけど、先生に見つかったので。

一九七四年 五月二十一日
 かなり前ですが、変なことがありました。私がバレーボール部のマネージャーにと頼まれたのです。断っているけれど、理由を聞くと無下にもと思えてきて……やはり断ってくる。これだけでも貴女は驚かれると思うのですがつけ加うるにその部は男子バレーボール部なんです。理由はといえば私の奉仕部にバレー部員が沢山居て、感じが良かったからとのこと。断ると「何故ですか」と詰め寄られます。(執念深いのだ!)まわりの人がニヤニヤと見ていくのできまりが悪いのです。早くこんなことは終りにしたいなあ。私には逃避癖があって、長く男子と話していたくないから「考えてみます」と逃げ出してしまうのです。今日はだから先輩のマネージャー(女子)の方へ自分から行くつもりです。

 今凄く不愉快な気分です。今日帰りがけ、男子四人に映画に誘われました。あと女子を誰か捜して欲しいとのこと。家に帰って早速スリに電話をして、予定の二十八日に遊ぶことにしました。男子なんかとまだ付合いたくない。(貴女には何時か不賛成をいただいたけれどM君のことを未だ忘れていないことを告白します。)

一九七四年 五月某日
 今中間テスト中です。一日二課目づつなの。戦いが始っています。
 母に奉仕クラブのことを知られていまいました。とても皮肉をいわれました。(予想適中!)「自分が偉いという満足感を味わいたいわけね。」とかいろいろ。

一九七四年 五月二十八日
 今日ボーヴォワールの「人はすべて死す」を数度目に読み返しました。そして始めて愛について少し理解できるようになりました。よく考えてみると、私は今まで誰をも愛さず生きてきたのです。弟や両親や友人への愛ではなく、もっと崇高な愛が存在するようです。今まで本でよく読み、理解できないから反感を持っていた「お互の為にのみ生きる」という言葉も解りかけてきました。こんなに多くの書物にくり返し書いてあるのだから確かに真実があるに違いないと、もっとよく考えるべきでした。愛はけして頭脳で分析も支配もできぬ理不尽なものです。

 もしかしたらひと夏Tで過すことになるかも知れません。昨日母に呼びとめられました。「おまえは夏休み、何処かへ行く計画があるの?」会話はこのようにして始められました。「いいえ……?」母はいくつかの親戚の所在地をあげました。岡山県の吉川、名古屋、犬山、T……「一ヶ月ほど他人の家で暮らしてみるのもお前にとっていいことだと思うの。」「追い出す気?」私は渋面を作りました。他人の中で暮らすなんて夏を台無しにするようなものです。「勿論洗濯なんかは自分でするのよ。夕御飯の後かたずけなんかもちゃんとして……」かまわず続ける母に私はもう一度尋ねました。「追い出すのね?」そうでないことを知っていたから。何度かの問答があった後、遂に母はこういいました。「でもね。おまえはいつかここを飛び立って行かねばならないと思うの。その時の為に親としては心構えをしておきたいのよ。」真面目に話し合うことが少いので、私達はちょっとしたことにすぐ笑って面映ゆい気持を紛らそうとするのでした。それから私達の会話は親類の家の状態へと向いて行きました。母はわけもないのに笑いながら喋り、私もそうでした。私は直ちに私にとってのこの意味を理解しました。これは私にとって独立の練習になるでしょう。すぐさま私は、だだっ広い家を持ち、一度しか行ったことのないTが適当だと心の内に決めるのでした。あそこなら親しい人も居ず、部屋が沢山あいているのでそこを一つ借りて下宿することができます。これは私にとって大変有益になるでしょう。私はすぐには決心を言わずに部屋に戻りました。ふと未来の自分に思いは飛んでゆきました。私は自分が高名な大学に進み、何か大きな活動を始めるような気がしました。そうなった自分はあまりに強いので却て淋しくなりました。次に私はもう一人の自分を思い浮べました。一人の人間に満足して一生静かに暮す姿でした。時々詩を投稿してみるのですが、注目されるような物ではありません。それでも満足でした。ほんの一足の違いで私の一生はこのように違ってくるに相違ありません。成功の為に努力を続けるか徹底した家庭人になるか、それは私の才能と神様の思召し次第です。そして何となく、中途半端な人間にはならないと思うのです。

一九七四年 六月一日
 先日A君が私のBest friendの青山さんに交際を申し込みました。彼女最初は普通の友達ならと云っていたんですが、後から聞いてみると、男性と付合うなんてことはしたくない。大学に入ってからで十分だとのこと。それが手紙で放課後図書館にきてくれといわれてことが大きくなったのです。(A君は国語だけは最高点を取ると放言していた人です。イツカウチ勝ッテヤル――)結局この話は殷れたけれど、男子と女子の考え方の相違というものを考えさせられました。一年二組は男子が積極的で女子がしり込みしているようですね。映画も誰も行かなかったし(私がやめるというと皆つながってやめてしまいました。)いいことなのかな。悪いことなのかな。とにかく男子にとっちゃ不運でしょう。

一九七四年 六月某日
 この頃M君のことで悩んでしまいます。好きになれば良いのか忘れてしまうべきなのか解らないの。一体あの人はどういう人なのだろう? 時には内部でいつも戦っている。ちょっと哲学的で多く空想的で議論好きな人かと考えるし、次の日には我儘で人付合いが悪いので友達のできない考える値打ちもない人だと思えてくるの。今更どーでもいいようなものだけどはっきりさせたいなあ。そして理性はあの人のことをこんな風に定義しているので尚仕末が悪いの。あの人は我儘な所もあるし、自分に打ち勝とうとする所もあるだろう。良いことをしようとして却って軽蔑されてふてくされたこともあっただろう。大の空想好きでそれに溺れることもあるだろうなんて。人間て結局そんなものなんだ。善と悪との混沌。以前(あの人を思うことは)利益がないのでやめようとした。すると私の内のわけの解らないものがこぞって反対して幻聴が起るの。それは醜いやり方だって。でも心に誠実であろうとするとわけが解らなくなってくるの。きれいなやり方っていうのは結局悩みが伴うものなんだな。そのきれいなやり方で私は男子バレーボール部のマネジャーになったの。生返事ばかりしているうちに”気を持たせておいてやめる?”という立場に追い込まれたの。それは卑怯であると。でも承諾した時の富田君の様子は本当に気持が良かった。飛び上って”バンザイ”と叫んで、教室をとび出して自分のクラスにとびこみながらわめき散らしていた。単純男なのだ。むくわれたような気がした。けれど今日駅で大内田君から話しかけられた時はあまり嬉しくなかったな。駅で男子と二人きりで歩きながら話すというのは素敵な立場ではないので、適当あしらって逃げ出してしまった。こんなことで勤まるのかしら?

 自己を抜放ち、又鞘に納める一時があります。私は時々自分を抜かずには居られない。そして他人に打ちかかるのです。私は打ち返してくれる相手を望みますが、そんな人は居ません。やむなく私は自分を鞘に納め、構えを解いて歩きはじめます。

 文化祭是気来て下さいね。私達白雪姫をやるの。とても真面目なのよ。
 誕生日プレゼントがやっと着きました。でもクリスマスプレゼントと兼用になりそう。少し高価になってしまったのだ。
 この頃著しく体調を乱してしまった。早引したり保健室へ行ったり、でも劇の練習だけはまだサボッてません。見てると面白いのよ。影絵ならぬ影人形劇なので、声と人が別人なの。すごく大げさなゼスチュアをする人が居てね、皆が笑うと下を向いてセリフを読んでいる人が真赤になるの。

一九七四年 六月七日
 いつのまにか沢山のことが夢になっていきました。昔希望であり、目標であったもの。それがこんなに簡単にくずれてしまうなんて。私は今何も持っていないのです。一つのことを考える時、髪の最後の一本迄引裂かれているのを感じます。でもどうすることもできないのです。無力感は首かせのように私を締めつけています。「おみくじはいつも凶」

  音たてず 辷る時の中で
  手をふりあげて一かけらを
  捕み取ろうとするあなた
  遠い夜店の灯がぽつんと灯っていた
  赤いしぼりの帯しめて
  幼年時代の私が通り過ぎる
  そんなふうに いつも疲れきって
  私は後ろをふり返ろうとする
  位置を間違えたまま
  あなたと私は身構えを解く
  その時
  後ろから襲いかかる夜盗に似たもの
  数え終っていないのに
  今日は何匹の甲虫が訪れたか
  そして引きずられて行く無限大の彼方に
  一日が傾いて星のない夜が始まる

 お早う。今日駅で紫陽花を見ました。紫陽花には朝の光が似つかわしいのね。消え入りそうにか細いやさしさで青い紫陽花は咲き開いていました。
 今、学校の劇の時間、喧騒の中へ二匹の動物(ヒト科ホモサピエンス、オトコノコ)が紛れこんで来て、ひっくり返るような騒ぎです。テロだ。スパイだ。赤軍派だ! 彼等は八年位を生きたと思われるいたずらの老練家です。小倉さんを追いかけてとうとう追い出してしまいました。これはよくこの附近で起る公務執行妨害で、新聞部ではおやつを献上してやっと退散して貰ったとか。でもつけ上がるから私のクラスではそうはしないのだ。

 巻尺を持つと急に何かを測りたくなった。人と人との心の距離は測れないかしら?

一九七四年 六月十二日
 さて貴女に一つの物語を書きましょう。これは今現在ここで起こっていることです。主人公は赤塚東司雄君がモデルです。男子だからって誤解しないでね。人間のかくしている性格を見ぬくことは(男子であろうと女子であろうと)面白いことです。特にこの人は始めから自分を、それも故意に偽っていました。これは完璧な自我を持った人間が次第に分裂していく物語です。誰の責任でもない破局がある日訪れた……。

 茂雄は新しいクラスに入って行った。ドアを開けると、空気は向うのかた隅にかたまっているようだった。そこに男子生徒が四、五人、輪になって話している。近づくと光博の姿が目に入った。彼は今気さくそうに笑っていたが、身体全体からは強いエネルギーのかけらが放射されていた。”なるほど”と思いながら、茂雄はゆっくり話の輪に入って行った。
 「国語は絶対最高点を取ってやる」クラスの半分がふり返るほど唐突だった。驚いてふり返る皆の視線に耐えて光博は笑っていた。茂雄は驚いて光博を見つめた。笑っている光博は自然でありすぎた。作られた笑い? ”なるほど”と再び茂雄は思った。”弱いな””強くて弱い人間”と茂雄は断定した。”多分自分が弱い人間と知っているから故意にあんな強がりを云ったに違いない。”
 光博の吐く蜘蛛の糸のような見えない糸にからめられたように、茂雄はそれから光博に興味を持った。そんな時に文化祭の季節がやってきた。
 「その脚本はけじめがないのではありませんか?やっぱり観客心理として笑う所は笑って、真面目な所は真面目でないと、ただ流されているだけではおもろないんとちゃうやろか?」教室に光博の声が響き渡った。茂雄はやっと笑った。”観客心理ときたな”脚本を書き直す為に数人の女子が立候補した。
 「男子推薦では誰かありませんか?」文化委員の女子学生が疲れたように数回目にくり返した時、茂雄は一つの悪戯を思いついた。”ひとつ奴がどう出るか見てやろう”
 「光博君はどうですか? 観客心理もよく知っているようだし……」

 又この次、時間があったら書きます。

一九七四年 六月十四日
 今日は。今、皆、文化祭の練習に一生県命……と言いたい所だけど、どうもそうでもなさそうです。監督待ちというか……そんな感じ。「ごめんねミシェル。あなたが死ぬ時私はあなたのかげろうになろう。」
 ミシェルは白雪姫、栗原恭子、声伊賀史絵。
 お話の続きは又この次ね。

 友へ。スタンドに頬を寄せてこの手紙を書いています。
 今、昔の日記を読み返していました。貴女に解らぬよう好きな人への気持を打明けた所など美しいと思います。あの頃の、好きな人が顔を赤くして通り過ぎさり、ふりむくと見つめられていたりした時の喜び。でもそれにもまして美しいと思ったのは、種々のことからもう決してあの人がこれ以上私に近づくことがないと教えられ、かつ信じた後の、もっと真剣な暖い気持です。それから卒業の日のでき事も。いつか人の心を傷つけないだけの時がたった時に、このことも貴女にお話しましょう。
 どうやら私は生涯計算を免れないようです。私が去って行った人に対して始めて心の鍵を解いたのは、もうその人に私が馬鹿なことができなくなってからでした。居なくなった人に対して盲目になったとて、何の差しつかえがありましょう。あの人のイメージが私の内で美しくなり過ぎたとしても、破壊をされる恐れはないのです。
 結局ここまで書いてみると、私はあの人をまるで信頼していなかったのですね。その不信さえ見ないふりをして故魔かしていた私です。でも今だって故魔かしは続いています。私があの人を想う気持じたいが嘘なのです。それを知りながら、相変わらず同じことをしています。もしも私が今、友達に於て満たされているなら、あの人を想う必要などないでしょう。私は本当は、誰か私以上によく考え、はっきりとした意見を持ち、議論のできる人を夢見ているのです。私が全力で打ちかかり、反論し、追い抜こうと身構える人。そういう人への幻影を、かろうじてあの人の中に持ち続けているのは貴女も知っての通りです。私はそういう人への希望を、誰かに対して持ち続けずにはいられないようです。

一九七四年 六月二十日
 お早う。「かすかなけれども愛らしきものの音、胸を吹きすぎぬ。」
 この頃自分を故魔かしてばかりです。自分に対して嘘をつかねばならないのは、頼るものがない流動的な気持です。でもそれは本当にhave toだったのでしょうか?苦しみを受け入れる勇気があるなら、私は私自身に嘘をつかずに済むはずです。本当に強くなれば存在しないはずの恐怖が、私を嘘にかりたてるのです。
 私は夢のようなことばかり書いています。私の願う友なんて、結局居ないのかも知れない。もし居ても、私は彼女にも満足できないかも知れない。私はないものねだりをする愚かな子供です。昨日(いいえ、ずっと前)私はトランプ占いをして、貴女が私の理想の友達内至それに近い人だと教えられたことでした。
 自習なのでまわりが皆勉強しています。f(x)イコール何だった? なんて。でもね、友達よ。私は勉強ばかりしたくはないのですよ。こうやって貴女と話すこと、自分の内部をさぐることそれだって多分無用な知識に劣らず大切なことだと信じています。あなた達が勉強ばかりしているのなら、私はあなた達が哀れでなりません。この十五才という年は二度と来ないんですもの。でも彼らはそんな私の哀れみなど、苦もなくはねつけるでしょう。彼等は私の思うよりずっと満足しているのです。少くとも勉強家でない人間より幸せです。でも彼等が勉強という唯一の支えを喪失したら一体どうするのかしら? 赤軍派は受験から解放された大学生に多いんですよ。無知は幸福の源ともなります。識ることは、解らないことを増やすこと。試験に気をとられて新聞も読まない彼等の幸せは、意外と完全なのかも知れません。

一九七四年 六月二十一日
 昨日Yで遅くなって、とても貴女の所に持って行く気力はありませんでした。ご免ね。今視力0.2(もしかしたら0.1)眼医者に行かなくては。勉強のしすぎとは言わないけど、宿題なら言えそうね。」

  お話の続き
 光博は立ち上りながら言葉に詰った。が、すぐに元気よく辷るように喋り始めた。
 「その劇白雪姫でしょう? 白雪姫やったら僕ようしません。」
 「どうしてもやって欲しいんです。」
 「え?どうしても? 困ったなあ、タイトル変えられませんか?」
 「それは無理や。皆で決めてんもん。」
 言い争いは数分続いた。結局光博は脚本書くことを承知した。

一九七四年 六月二十四日
 貴女も大変ですね、色々と。いいえ、”も”ではないのかも知れない。私は喜々として学園生活を楽しんでいるのですから。  つかぬことを書きますが、今日地理の時間に先生が「つかぬことを聞くようだがなあ、マッチ売りの少女って知ってるか?どんな話や。言ってみい」とタラちゃんに質問なさったので、あわてて辞書を引いて”つかぬこと”を調べたのでした。これもつかぬことですが、デンマークの気候で、マッチ売りの少女が朝早くから夕方まで冬に働くことは絶対おかしいのです。  二組の応援歌が後ろの黒板いっぱいに書いてありました。つかぬことだが素敵なのでここに書く。

   一、つごもり活用の詩(つごもり―月末)

  つごもらない時 つごもります
  つごもる時 つごもれば
  つごもれと言われて つごもろうと思って
  つごもると つごもった

   二、死にがみ活用の詩

  しにがまない時 しにがみます
  しにがむ時 しにがめば
  しにがめと言われて しにがもうと思って
  しにがむと しにがんだ

   三、トレミ活用の詩

  トレミまない時 トレミます
  トレム時 トレめば
  トレミよと言われて トレミようと思って
  トレむと トレんだ(トレインだのイ音便)

 トレミ活用だけ不規則なのだ。女子もこんなことして遊べばいいのになあ。席に座っていると、夏休みの旅行の相談(男子十一人位で)。「夜行で行こう。」「ユースホステル使おうか。」と耳に入ってくる。男に生れたかった。

一九七四年 六月某日
 今日戎野さんの夢を見ました。彼女に話したら途中からめちゃ笑いに笑い出すんですもの。私もつられて笑ってしまった。
 夢―学校から帰る途中、駅に着くと忘れたことを思い出した。バレー部にお茶を持って行かなくては。駅のロッカーに鞄を入れて鍵をかける。学校へ急ぐ。ところが学校は大騒ぎ。ていてつ棒の上に並んで坐っていた戎野さんと大和さんと道野さんが、急にパッと消えてしまったと。捜しまわる皆。ふと思いついて、急いで駅へ行ってロッカーを開ける私。すると中から五ミリ程の三人が、ていてつ棒に坐ったまゝ飛び出して行った。段々大きくなりながら飛び出して行った。
 戎野さんも私の夢を見たんですって。
 堺東のバス停に居たら、向うから私が泣きながら駈けて来たんだって。「どうしたん?」て心配して聞いたら、「よその赤ちゃんが病気で泣いてるの。」
 もうすぐ期末テスト。今度こそがんばらねば。

一九七四年 六月二十五日
 ずいぶん長い間を生きてきたような気がする。よくノンちゃんに「伊賀さんは冷静だから……」といわれたものでした。昨日もおかし(柏原さんのこと)に五百円借りたら「へー伊賀さんでも忘れ物するん? 常に冷静で用意周到な伊賀さんが?」ですって。皆の目に冷静さと映っているのは、それは私の無感動でしかないのに。思えばずっと私は無感動になりつつあるのかも知れない。環境への無感動と心への敏感さ。環境にも心にもそうならざるを得なかった。私はどんな風に生きたらいいのだろう?どんな人間を目標にすべきなのだろう? ――少くとも今はテストに夢中にならなくては。これ以上遊ぶことは三丘生として許されない。

一九七四年 七月四日
 今日は。テスト前になると、まわりの反動でこれを書きたくなります。でも九日から十四日迄は貴女が持っていて下さいね。中間クラスでも下に十人しか居なかったから今度はやらなくては。

 いたいたしいほどの幸せに勉強にはげむ少年少女……。客観的になってこう書きたくなります。他人にも悩みがあることをつい忘れてしまいそう。でも人は皆、自分を中心とした世界を夫々持ち歩いているのですね。電車の中で肩ふれ合う人のその肩に、その世界を感じたりするのです。ゼラチンのような半流動的な固形物として。こんなに多くの個々の人間をひとからげにすることなんかいけなかったのに、哲学者はどうして概念的に人をとらえることができたのかしら?多人数を怖がって震えていた私の震えは無駄だったのかしら?

一九七四年 七月某日
 長い間ノートを一人占めしてしまってご免なさい。テストの結果があまりよくなかった。なんだか疲れちゃった。古典だけが八八点で今のところ私の最高。貴女もがんばって下さいね。何か役に立てたらと願っています。二年からYに行ってみたらどうですか?(私は二年からやめるけど。)ある私立の女子が、Yに行って阪大に入ったのだって。さしでがましいようだけど、せめて勉強の面だけでも貴女の力になれないかしら。だって私は貴女に迷惑をかけてばかりですもの。貴女に三国丘のテスト問題を参考にしていただくことなど空想しています。何か実質的なことでお役に立てたらいいのに。

 学校は佗しい所なので、私は渡り鳥が異郷の水辺に降り立っているような気持でいる事に決めました。深入りはしないことにします。
 明日から講習と水泳。貴女の所ではどうですか。沢山思考したのに皆忘れちゃった。人間と外界とのつながりについて――もっと大切なことを思考して、結論まで後1/4か1/5だったのに、テストが間に入ったので忘れてしまいました。
 ――人が歩いていて、彼女に重大な影響を持つ人とすれ違ったとすると、彼女は喜び、悲しみ、学び、あるいは損われることがあるかも知れない。しかしもし彼女が盲いていたとすれば、彼女にとっては人とすれ違ったという事実は存在しないに違いない。ある人が彼女を嫌っていると彼女が思い込んだとしたら、彼女がそれを信じている限り、事実と同じ重味を持ち、従って彼女にとっての事実となる。このように外界と人間の心にはかなり隔った距離が存在する。
 時々右に書いたことを応用して、居る人を居ないと、逃げようとする心の胸ぐらを捕まえて承認しろと詰めよると、私は確かに承認する。「なるほどそこに居る。それだけだ。」そして人(固体)と私の間に距離は尚存在し、私は物体としてのみ人を見つめる。げに自己とは操りにくきものかな。
 また忘れるといけないから、覚えていることだけでも書いておきました。

一九七四年 七月十七日
 私の旅はむこうの都合でストップになりそう。八月一日から三日迄、京都に行きます。もしかしたら尾瀬へ友と行くかも知れません。
 三年の模擬テストの発表がありました。五十嵐君が殆どのトップです。東大受けるんですって。いいなあ。私も二年になったら朝から晩まで勉強するがり勉家になろう。今はエネルギー作りの為に遊ぼう。……なんて調子のいいことを考えています。
 お話の続きを書こうと思ったけど今日はもう暇がないから。毎日講習の問題で手いっぱい。一学期は下の五〇番の補習がないから少し楽。またいつか油絵画きませんか。夏休中に二、三枚仕上げたいと思っています。

一九七四年 七月某日
 お早う。夜です。私達の旅は夜の谷間へのめりこんでいます。だって”夜がくる”のではなく、地球が自転して太陽から目をそむけるのですものね。
 私、詩が書けなくなってしまいました。ね――私の手に一体何が残っているのでしょう。悲しみは一番奥の扉の内側で、息をひそめてか細く震えています。それが表に現われないのは打算的になりすぎたかしら?幸福になりすぎたから?手をさしのべて背伸びせずにはいられません。負けてはいられない。この豊かに波打っている糸の底から浮びあがらねば。最後の夏休みですもの。いいえ、意志の力で、最後の夏休みとせねばならぬこの時ですもの。急がなくては時に追いつけない。このまゝ茫然と時を見送りたくないのです。いつでもするべきことがあるのですよ。休むべき時もあるし、走らねばならぬ時もある。これからの時間は一番貴重で無いがしろにできぬ時です。私は運命に負けたくないの。
 色々な言葉が私の頭の中で渦を巻いています。でも何も書けない。色々のことがあったのよ。

一九七四年 七月某日
 三国丘の人って手本にすべき人ばかりなのね。ひきもきらずの勉強家って冷静な常識人間。でも少し淋しいな。友達に聞いてみたの。「ね、いつも遊ぶ時何してるの?」
A「テレビ見たり、ギターを弾いてみたり。でも日曜なんか何していいか解れへんねん。」
H「いつもボケッとしてるわ。」
 小説家になりたいと言っていた松岡さんも、結局二日めで芥川龍之介の研究を放棄する。「する時間無いわ。」と。彼等に勉強以外のことに興味を持たせるのは至難のわざだとこの頃思えてきた。日々勉強に励んでいる勉強家さん。私はこれでついて行けるのかしら?強い力がむやみに私を勉強へ駆立てる。自分の趣味、いいえ、自分の一(判読不能)を大切に生きるか大学受験生となるか。どちらが正しいのか考え込んでしまう。

――参考――
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一九七四年 七月某日
 お早う。このノートを開くと確かに貴女が居ました。長い間蜜からなかった貴女。今日わ。沢山本を読んだのね。「アリスの日記」見せて頂ける?昔少し興味を持って眺めていたの。
 YMCAは私のウロ覚えの記憶によれば、大阪に四校あります。入る時には英数科なら、英語と数学の、英専科なら、英語の試験があり、競争率はかなり高いようです。(今年の一年は二倍だったらしい。而し堺校は四校の中で一番低度の低い学校)クラスはAクラスとBクラスに成績で分けられ、学期ごとのテストで変動があります。……なんてガタガタ書いても仕方がないからパンフレットでもあればそれをはさむことにしましょう。

 いろいろな人間を発見します。ここに一人の友達が居て、とても協調性があって善人でいつも穏やかなのです。もしかしたら彼女には隠すべき秘密がないのかも知れない――なんて、あり得ないこととは知りながらそう考えていました。でも本当にそうだったのです。あとで私、彼女自身の口からそれを聞きました。勉強の話、先生の噂――そんなものが彼女のすべてだと、信じられないようなことです。彼女は環境に順応して流れるように生きています。人並に驚いて人並に悲しんで、何ものにも執着せず……。幸せな人。いつも遠い所から色々なことを眺めているみたい。

 持って行くつもりで頁をめくっていたら、あまりにも裏が凸凹で、何だか悪いような気がするのでもう一頁書きます。本当は貴女のバースデープレゼントにもう一冊詩集を注文したんです。中を見て貴女に合っている方を送ろうと思って。もう一冊は中嶋幸子の”花しづめ”でした。吉原幸子はあまりにも激しいので貴女の性格と好みに合うかどうかかなり疑問だったので。東京の中嶋幸子さんの所に直接注文したところ、詩集と一緒にお手紙を下さり、本の扉には”伊賀史絵様”と署名して下さいました。私は”捜す”という詩を一つくっつけてお礼の手紙を書きました。今日また中嶋幸子さんからお返事がありました。私の詩をとても褒めて下さったので、喜んでいる私です。


一九七四年 七月某日
 今日は。貴女の影響もあって、暗くひっそりとした台所で洗いものをしていました。私はあんな単純な仕事が時々したくなります。その間色々なことを考えました。

 ”赤づきんちゃん気をつけて”を読みました。あの本は、大きな青春とか人生といった塊を、一刀のもとに切り落としているように思えました。私には反射的に、それとは対称的に塊の隅をほんの僅か噛み破いて消化している鼠のような自分の姿が浮びました。小説の最後の方の純粋さに共鳴しました。――いつか私は、自分の”赤づきんちゃん気をつけて”を書こう。でもそれはこの本のように話しかける調子にはならないでしょうし、内容も全く違ったものになるでしょう。下手をすると歯を喰いしばるような感じになってしまったりして。私は自分では、自分の表現が硬質で直線的な方だと思えるのですから。金泥という言葉は、何だかべたっとした卑しげな響きと字を持っています。M君の事を想う時はどんなに輝いたことでもどこか金泥の匂を伴っているのです。時々重苦しくなってきます。心の奥底の方で何者かに繋ぎとめられているように。
 他のことを考えましょう。私はここで色々な事に思いをめぐらし、二つ三つの小さな結論を得ました。(例えば私の偏見についてとか)。がそれはごく枝葉的なもので、特に書く必要もないようです。さてここで英語に疲れた目を挙げると、或る日の午後の景色でした。陽は流れ木々が樹立し、カンナ咲き、紫蘇の生い立つ。それなのに空白なのです。それらは私に決して何の意味も感動も与えず、無きに等しいのです。私は庭に降り立ち、葉をちぎり、手の中で細かく砕きます。ほら確かに存在するじゃないか。だが私にとって何の意味も持たないこの行為が一体何だろう。何の意味もないものがどうして私の前に存在したと言い得よう。無に等しいのだ。
 きっとサルトルの「嘔吐」やボーヴォワールの「人はすべて死す」にかなり強く影響されたんだ。

一九七四年 八月九日
 「赤頭巾ちゃん気をつけて」。初めて中二の時読んだ時はあまり好感を持たなくて途中でやめました。でも最後まで読んでみて、これも一つの素晴らしい文学だと思った。若者の純なところ、みずみずしさ、そういった物を余す所なく伝えている。シェークスピアが好きで、椿姫に涙を流したと堂々という若者の素直さ。女の子に舌を出してみせて一生県命痛みを隠しているところ。本を選んであげるところ。若者らしいと思いませんか?学生運動による激しい自己主張への憧れと”でもそれが一番の策だと思っているのだろうか”と考える柔軟さ、いや物を見つめる視線の素直さ。そして自分に誤ちを許さない純さは、その後の”若気の誤ちと、後には苦さと甘さの交ったものとして遠くから見ることを今から自認しているのではないか”という所にも表れている。苦さというものの美しさを取り扱った素敵な本だと思う。ね、福岡さん。いつか大人になった時に解るよ。今の私達がどんなに純であるか。沢山の本を読んだ。吉行淳之介も伊藤整も谷崎潤一郎も太宰治もモームも……。それらの小説の主人公とこの本の主人公にある物を比べてみると確かに違うんだ。そしてそれらを比較することによって、私達が何を持っているかということもその位置も解る。だから私はこの頃焦り気味なんだ。
 こんなにむきになって弁明する気はなかったんだが、まあいいさ。

 この三日間、スリの所に居ました。杉山さんは私にとって第二の家族みたいなもんです。一緒に居て嫌気がささないのはスリくらいのものですよ。二人で思う存分遊びました。二人で粘土をこねまわして舞台装置を作ったりお城を作ったりしました。この年でこんなことをするのは私達くらいのもんです。明日から名古屋へ行きます。祖父に数学を教えて貰う為です。意外にも祖父は、県でも一流の数学教師で、東大に何人も送り込んだとか。従兄のかばちゃこと薫君は京大を受けます。私もがんばらなくては。

一九七四年 八月十九日
 朝起きて、下駄箱の上を見るとこのノートがあった。「ひどいよお。このノート。」と弟がそばにきて言う。「どうして?」「僕がコロッケを買ってきて扉をドンと押すと頭の上から降ってきやんの。」

 この間盆踊りに行った。頭の上には玲々と星が光っていた。「ねえ。下に”座”や”ほし”や”せい”のつく言葉を捜そうよ。ござ。歌舞伎座。オットセイ。図星……いっぱい沢山。弟は杉山さんの弟と駈けまわっていた。「高志には狂暴性がある」と杉山さんが嚇かすように両手をふりあげた。高志は返す言葉が見つからない。するとスリの弟は言った。「いい加減にせい。」私達は笑いさざめき歩いていた。ふと貴女を思った。貴女ともこんな風に隔てなく付合えればいいのに。でも何だか随分隔てができてしまったようね。ね――私が色んなことを書きすぎるからかしら? 貴女と私と何か共通のことで語り合えれば良いのに。でも何が共通のことだったでしょう。”愛するとは互に見つめ合うことではない。一緒に同じ方向を見つめることだ。”私の見つめる物と貴女の見つめるものは、今めちゃくちゃに喰い違っているような気がします。感じ易い貴女へ、今私はもう一度質問します。貴女の趣味は何ですか。好きなことは?どんな友達を持っているの?どんな生活が好き?どんな家に住みたい?貴女という人をもう一度認識しなおしたいね。ね、貴女を自己紹介して下さい。

一九七四年 八月二十八日
 今日は。色々書いてくれて有難う。でも私やはり自分が偽善者のような気がするの。厭世家とはどんな人間か知っているか――それはすべての人間が彼自身と同様にいやらしいと考え、その為に彼らを憎む人間である。(ショウ)。私はこの厭世家なの。
 石川達三の女性論について。結局大部分の女とはそんなものじゃないかな。ただし自分をそんな風に見られるのは絶対に嫌だ。私は女である前に人間でありたいと思う。あ、福岡さんと同じ言葉になってしまった。でも大部分の母親達は、子供を育て家庭を取りしきり、家事をこなし、その他に何をしているの?

 昨日は、いいえ今日はYのテストでした。私英語きっとBに落ちたわ。だって英語で書くべき所を全部日本語で書いてしまったんですもの。しかもそれが全体の1/3を占めているのに。三丘生の恥だ!
 今日スリとコックリさんをやったら、台風の大きなのがくるとのこと。

一九七四年 八月某日
 当分Youの家行けそうにないわ。宿題ためすぎちゃったの。
 Mのことをよく考えます。何度やめようとしたことでしょう。私、自分が何を聞いているのか解らなくなりました。幻の声が聞えるのは私が気違いだからでしょうか。それが執拗に離れようとする私をMに繋ぎとめるのです。ね、私はこの頃彼等が見えるのよ。同じ目で人を見ると、どんな人間もぼやっとした緑色のものに包まれているような気がします。外国の学者達はその存在を幽体とか説明しています。目のちょっとした加減で、こわいくらい色々なものが見えてきます。コックリさんをしていると、窓から白いボヤッとしたものが入ってくるのが見えます。すると十円玉が動き始めます。出て行くのも解ります。霊を取り扱ったつのだじろうのマンガを読むと、色々な私の見たものが、そこにあると書いてあるものに符合します。遠くで起っている事が解ることもあります。後で本人に話すと、時間と動作と言葉まで一致して、殆ど間違えることはありません。どんな風にしてかというと、突然ふっとその人が目の前に浮んでくるのです。その人は歩いていたり喋っていたりします。バレーボールの試合などに行って念力を使うと、いつも少しは形勢が良くなります。ゲームの時、私が夢中になっていて絶対とまってほしい数があると、「とまれ、とまれ」と念力をかけます。とまることは私とスリと弟の間では周知の事実です。三人で協力して念力をかけると、とまる確率はずっと多くなります。霊なんか信ずるつもりはないのに、何故私はこんなことを書いたのかしら。今まで書いたことを貴女がどう受け取るか心配です。気違い扱いされるかも。でもまあどうでもいいや。

一九七四年 八月某日
 今晩は。冗談はやめましょう。私は夏休み前半スリと毎日遊びまくっていたのよ。それでもってやりたい事の1/3もしてないの。まだ星のまとめもしてないし、ゲームも作ってないわ。お城だってまだよ。あともう一ヶ月欲しい。

 昨日未確認飛行物体を見ました。東の空に木星よりずっと明るい星がギラギラ光っているのです。あれ?テレビ塔か何かかなあ、と思って自転車を停めると、見つけられるのを待っていたかのようにすうっと木星くらいの明るさになって動き始めたのです。上下に少しふらつきながら、動いて止ってまた動いて電柱の陰にかくれて、それからいくら待っても出てきませんでした。
 いよいよ二学期ですね。一学期の通知表は7と8しかなかったから今度がんばらなくてはならない。

一九七四年 九月某日
 太陽の傾く曇り日の六時、ゆうやけぐるみの唄うたおう。かわいそうな兎、ああかわいそうな狸、かちかち山の背中の夕焼。
 YMCAは両方ともAクラスでした。

 沢山の流れ星が流れ、沢山の七夕が過ぎました。いつもいつも同じお願いをしているのに叶えられたことがないの。
 この頃弟とよく散歩に行きます。弟に甘えている私です。だって弟の方が年上らしいんですもの。

  霧がおりなくても 見えるようにして下さい。
  いつもいつも 同じ言葉を呟きながら
  白い花びらを裂くことに 疲れてしまった
  花びらの傷は
  いつもボンドで無器用に張り合せられて
  何世紀歩いても
  ちぐはぐな花がいっぱいで………

  遠い目をすると風が吹く
  私を通り抜けて 長く長く風が吹く

一九七四年 九月某日
 三国丘でも服装はかなりまちまちですよ。上に制服でなくてカッターを着てきたり、夏はサンダルをはいてきたり、真青の靴下をはいてきたり、だからボーネクタイを忘れても目立たないの。もと高中の演劇部のTさんは、冬になると上着の下に薄い水色のカッター(ネクタイなし)を着てくるのがおきまりです。もっとも服装は〔生徒の自由意志にまかせる〕方針ですが……。

 三国丘の間での私――イガ、イガと可愛がられている。私はボケッとしていて忘れ物が多いのでまわりの人がめんどう見てくれます。時々厄介な問題について議論したいという欲求さえ起らなければ、私は彼女らの中でかって無かったほど幸せです。”議論”するには、彼女等はあまりに常識的で、同調主義といいたくなるほど礼儀正しいので、時には腹が立ってきます。破格の思想を持つには真面目すぎるのです。話題は勉強が大きな比重を占め、自習時間は過半数が勉強するようです。二、三の人を除けば、男子の話など薬にするほども出ません。(夫々付合っている人は居ますよ。)ここで私は自分の言葉で話ができる反面、どんどん標準型の陽気な人と話し下手になってゆくのを感じます。こんな風にして個性ができていくのかな?三国の人は感情的な人が居なくて(私はかなり感情的な方です)陽気な人もどこか一本芯が通っています。私は最後には三国で五十番以内に入りたいと思います。そうすると東・京・阪大クラスだから。

一九七四年 九月某日
 Mのことが忘れられない。心が貼りついてしまったみたい。年を経るごとに、いよいよ理性的に好きになっていって……。私は自分の感覚にかなりの信頼をおいているのでよけい……。ふと今、私は考えるのです、私がもっと頭が良かったら、心に傷を持っていなかったら、こんなに感覚的でなかったら……。こんなことを言ってもきっとわけが解りませんね。バカバカしい。もうこんな話はやめよう。どうあがいたって、私にはどうもならない不可抗力。私は私を傍観するしかない。そうして感傷的なお嬢さんは、時々耐えきれずによりにもよって人目に晒されたノートに下らないことを書きつけるのです。呪わしい奴だ。いつか殺してやる。

 身体ごと大きなものに賭けたい。生命を完全燃焼させたい。何かをしたい。せめて生命にかかわる何かをしたい。それでなくても高校一、二年はあまりに短かく……先ず何を為すべきか。
 今日スリが泊って行きました。私はこの頃何故スリが私に必要なのか理解できたような気がします。彼女が去っていった後には、学校に必要なおとなしやかな私しか残っていません。彼女は私の余分のエネルギーを吸い取ってくれます。彼女と私は議論し、創作し、空想します。もっともエネルギッシュな私が去って、後には生真面目な私が残ります。このような分離を好ましく思います。

一九七四年 九月某日
 今日は。矢沢宰の詩のこと、もしメルヘンが本物の彼の詩なら、(ありそうなことです)私達の知る矢沢宰の詩は「光る砂漠」によって培われたもの。どちらが本物だと誰がいえましょう?ただ売る為の本として、彼の詩がよりきれいにされたことは、あり得ることだと思います。でもあの純さが大人の手で作られたものだとしたら、人間って本当に解りませんね。それでもって彼はやはり天才ではなく、一人のありふれた少年だったのでしょう。

 この頃やっとまともな友達ができました。平野由美子さん。ちょっと姉御的な感じの世話好きないい人です。ユーモアの感覚が合うの。少しスリに似ています。明後日から野瀬へ行きます。
 今日は弟がボディ・ガードをしてくれない。仕方がないから一人で持って行こう。
 習作「苦痛」が完成しました。最初の描写が非常に良いと井出先生に褒められたので喜んでいます。先生に見せると的確に直して下さるのでなんだかとてもすっきりするの。いつの間にかあの先生が大好きです。
  文芸部の活動のおかげで
   エネルギーを得ている史絵

一九七四年 九月二十日

 おかし(柏原さん)に彼女の交換日記を見せて貰いました。エキサイト。――少し長くなるかも知れませんが抜萃。

 先日”かもめのジョナサン”を読ませて頂きましたが、あのジョナサンはより崇高な自分を求め、そこに時間を超えた自分の姿を見出している。この精神、というより人生観(生き方)を我々は学ばねばならない。だが最近は0無主義などというように、若者は(若者さえも)そのようなことは現実にはできない。can notだ!と 思っている。而しcan notであっても我にはやらねばならないのだ。それが人生なのではないだろうか。御一考を。
  かわい

 かもめのジョナサン男へ一言。より崇高な自分とは何ぞや?時間を越えた自分の姿とは具体的に云うとどんなことなのでしょうか。私無学なもんで、そういうむずかしい言葉理解できませんの。でもあなたの言わんとすることは解るような気がします。  New York
 さてご質問についてですが、時間を超えた自分の姿とは何かということについて、現在の時間偏重の世の中、というより、時間に支配されている世の中に於て通用していくものの考え方(人生観)によってその姿を追い求め、討論するのは全く無意味であることをまず言っておきたい。しかしNew Yorkさんが”解るような気がする”と書いて下さっているのが私には大変心強い。また”解るような気がする”ということは、New Yorkさん自身が時間を超えた自分の姿にいくらか近づいていることを示すものである。それでは時間を超えた姿とは具体的にどういうものか。それをこの場に於て示せといわれても私にはできない。はっきり言って私にも解らない。しかしもしNew YorkさんでもKiyomiさんでもYumiさんでも西尾氏でもサトミサマでもが時間を超えた自分の姿になった時に、時間に支配されている現在の世の中を非常に劣ったものだったと思うようならば、私は時間を超えた自分の姿をより崇高な自分の姿だとは思わないだろう。いや、絶対に思わない。ご一考を。  かわい

 「我思う。故に我あり。」このデカルトの言は、すべての存在を無意味にさせる無限の意味を持っている。そもそも物質的存在というものは人間主観判断によるものであって、人・空気・光・地球・宇宙……etc すべて彼の魂の感じだけに存在している。つまり彼に見えるもの、その色、形、触れた時の感じ、それは彼だけのものであってかつ、彼には自分自身の感じ一つしかないのである。それ故に、もし彼が、人間の姿が手が二本、足が二本、そして胴が一つで頭が一つと、彼にとっては非常に極自然に見てきたものも、単なる彼の主観的判断である。彼が光を感じ、風のざわめきを聞き、花の香りを感じたとしても、それはやはり彼がそう思いこんでいるだけにすぎない。故に彼以外のものは存在していないということなのである。だから世界というものは、すべて彼にとって感じているものだけが唯一であり、彼の精神だけによってすべては決まるのである。  かわい

 私、こういう文章を読んでとても興奮しました。こんな風にまともに正面きって論じあえる場があるなんて。同類を見つけたような思いです。ついつい飛び入り参加し(無論おかしの許しを得て)書きたいことを思いきり書いて、無名氏とサインを記しました。内容はというと、このノートに書いた外界と自分とのつながりの文をきちんと整理し、それに正邪美醜の曖昧さで補足して、結論は世界は主観的だというMrかわいの意見に賛成。その他、前頁の疑問を受けて、私達のような若い世代に於て問題は決定するものではなくて考えるものだとか。Mr西尾氏への批判なども少し書きました。相手が男子だというのに浅はかにもムキになってしまって……それを今日、おかしが六人に見せて、そのあげく私の名をバラしてしまったのです。「ごめんね。でも皆感心していたよ。」ここまで聞いて私はあわてて人ごみの中に紛れこもうとする。(どおりで六人の目つきがおかしいと思った。ホラ今でもこちらをチラチラ見てる……)するとおかしが「ちょっと 私今責められてんねんよ。逃げることないでしょう。」そこまでで、私はまたあわてておかしの声の聞えない範囲に逃げのびました。でも恥だった。そこからテントまでの間、Mr西尾が追い抜かしたり立ち上がってみたり、何か言いたそうにウロチョロするのです。私? 無視。その後も時々視線を感じました。おかしとは夕方仲なおりしました。「ごめんね。でもあれが刺激になって又話がはずみそうよ。」ほどなくMiss New York、サトミ氏その他の人の顔を覚えました。New Yorkさんはいい人みたい。でも恥ずかしかった。もう二度とおかしのノートになんか首つっこまないから。

一九七四年 九月二十四日
 地理の先生は質問して突飛な答えを聞いて楽しむ為に学校へきているようです。時々素敵な答えが出ると「面白いなあ」と目を細めて唸ります。「なるほど新しい学説やな。」
 私、文学学校に行けそうです。母は「勉強の邪魔になる」と苦い顔。でも自分の道は自分で切り拓いて行くべきですよね。高校では勉強ばかりだった、などいうもったいない時間の使い方はしたくない。何でも経験して何でもやってのけて、それでこそ”生きた”と言えるのではないかしら? 私は未来を所有しています。この宝を無駄使いしたくはないの。今”カモメのジョナサン”を訳しています。することがありすぎて息苦しいくらい。今度、”MY詩集”に詩を送って批評して貰うつもりです。実力、残りは悪かった。地学55(平均51)英語40(同42)生物69(同64)。でも勉強よりもっと大切なことが確かにあるような気がします。

一九七四年 九月某日
 今日は。福岡さん。今苦汁に満ちた気持です。おかしのノート、とても羨しく思います。それが身近にあって、しかも手の届かないものだけに悔しい。男子ってみんなあんなによく考えているのかしら?仲間に入りたいと切望します。でも所詮(それはM君のことと同じ)叶わぬことであって、私はそれを目標として行動を起すことができません。誰か戦う相手が欲しくなってしまった。その逃避、夢の吐け口としての文学学校です。文学学校は小野十三郎氏を中心とする講師達が、書くことの好きな人を集めていろいろ勉強する学校で、天王寺の近くにあり、週二回、六時半から八時半頃までです。

 Mr.Mについて少しお話しましょう。私が不器用にも忘れることができないのは、Mが私の性格に誰よりも似ていると思うからですがそれも根拠のないことではないのですよ。ずっと昔小学校六年の三学期の頃、私はMが小説を書いているのを発見したのですから。どうでもいいことかな? 関係ないけど、ただ貴女に「お仲間が沢山いるのね」などといわれると無性に悲しくなってしまう。私は夢中で憧れながらそういう「お仲間」が一人もいないからであり又素敵な創作仲間がクラスにいるのに手が届かないからなのである。とり乱してしまう。今日はどうも始めから狂ってしまった。というのも、仲間に入れてくれないかなあという淡い期待を、おかしがものの見事に裏切ってくれたから。頼んだわけでもないのに。何だか何を書いても仕方のないような気がする。

一九七四年 九月某日
 何を書いてもしかたがない。
 確かに私にあのノートは必要だ。いいえ、あれに類似したノート。こんな贅沢いっちゃいけないのかしら?授業中にも創作していられる私だから? でも創作だけではものたりない。思考の競い合いが欲しい。(私はだんだん贅沢になる)。おかしのノートはもう駄目。期限は来週の木曜日――でも多分私に縁がなくなった。前にも一度、こんな風に切に願って叶えられないことがあった。(それは今も叶えられていない。)くり返されるのが恐ろしいので別行動を取ろう。あなた、私はあなたまで精神分裂症にひっぱりこんでしまったのかしら? 声が聞こえるということは、思考の流出が行われているのです。(本で調べたの)

一九七四年 九月二十七日
 女が鏡の前で身仕舞に夢中になっている姿が私には哀しく美しく見えます。こんな風に典型的に女であるということ、他のものにはなれない女が純粋に女である時の女が哀しい。限られた性質と形を与えられて従順に、更に美しく装うことで女はますます限定され、世のしきたりにがんじがらめにされてゆきます。女が美しく、と心がける時、女はきっと童女のようなひたむきな表情をしているはず。疑いもなくそれは女のもっとも美しい表情の一つ。
 書くことが沢山あるのに何も書けない。何をどうしたらいいかも解らない。もう何もかもどうでもいいんだ!

一九七四年 十月三日
 直子へ。何というか、書く時間が無いのです。明日はもっと遅く、夜九時頃の帰宅になると思います。宿題と体育祭の用意に追われて、やっと学校で新川和技の詩を写したところです。遠藤周作の「海と毒薬」読み返してみたいと思います。

一九七四年 十月六日
 一日に起ることは嬉しいことも悲しいこともおしなべて罰なのです。

  昔 まだ月の無かった頃
  オルソーという人間が居たと私は貴女に語りかける。
  そうすれば当分
  私は語り 貴女は耳を傾け
  当分の間私達は満されている。
  私が愛すると貴女はそれを受け
  我が打つと貴女は苦しみ
  そのようにしてすべてを終らせることはできませぬ
  か? とりもなおさず 私は貴女なのです。
  おなかが空いたら自分の腕をむさぼろう
  悲しくなったら私に慰めてもらおう
  愛は一人につき
  悲しみも一人につきる。

 確か夏休み前だったかしら?貴女の為にある記録を書いているといったのは……でもね。もういいのです。昔のことを掘り返して何の役に立つのかしら。たとえ書いたとしても解ってはいただけないでしょう。もう終りかけているのです。ごめんなさいね、あなた。私はやりかけてやめることが多すぎるの。ねえ、あなた、書くことが沢山ある筈なのに何も書けない。いつからこんなに恥づかしがりになってしまったのかしら。貴女にむかうと、喜こびとか悲しみとかその心だけを解って欲しく思います。すると詩が流れ出そうになるのです。
 昨日、なんだか怖くなってしまった。ある人が友人を批判していたの。始めて三丘生が人の悪口をいうのを聞いて失望しました。「かげでいうのは良くないんやけど」と言いながら言っているのです。こんな風に原因と結果のすべてをあなたにあからさまにすることができればいいのに。

 貴女の考え方、人間とはこうあってはいけない、あああってもいけないと、一生懸命(?)考えている貴女を美しいと思います。前向きに、人間の一員としてがんばっている貴女。そして”人間とはそんなもんさ”と醜さを肯定してしまっている私。(だから私は人間が嫌いなのです。だから自分だけで満たされていたいのです。この間必修クラブで募金運動をしました。「募金お願いします。お願いします。」大半の人は顔をそむけて通り過ぎて行きます。顔をそむけるのは良心があるからです。人間とはそんなものです。本当のことを言うと、私は綺麗なことしか考えない人間になりたい。けれどもそんなことは私の甘えかも知れませんね。――馬鹿々々しくもムキになってしまった。……と書くと、貴女はムキになることが何故馬鹿々々しいのかとひっかかるでしょう。私は、今自分の書いたことにかなり照れてしまって、書いた自分を嘲笑っているのです(判読不能)貴女を私の(判読不能)人間と一緒にしているわけではありません。でも(かなり私もひねて大人っぽくなってきたのかな?)貴女も含めてすべての人間が本能的にわけもなく恐ろしい時があります。(いや、これこそまだ子供である証拠だ!)

 沢山の格言を読みました。そうすると、どの言葉も今日ふっと意味を為さなくなったのです。私は自分に一番合う格言を、自分で作り出さねばなりません。人間を憎み、すべての人間を憎みきった時、はじめて私は人を愛せるでしょう。そうしてはじめてその時善人になれるでしょう。
 くだらないことを書いたので神様の罰が当ったのか、それとも一三巻めのノートという奇なる数のセイか、このノートを手に入れた途端、風邪+胃炎を起し、月曜日学校を欠席し、文学学校入学式も欠席してしまいました。読めますか?ベッドで書いているの。

  目を閉じると
  一斉に花々が うなだれてしまう
  暗くて小さくて
  ちぎれてしまいそうにはりつめているお前。
  もう忘れてしまった。
  目をそむけて
  お前はからっぽの涙を流す。
  その後は
  手をさしのべて こみあげてくるものを
  抑えつけて静かになる。


     ×   ×   ×


  長い長い間 見えないふりをしてきました。
  見てはいけないものを
  見れば殺されるものを。
  せっかく真白に咲いていたのに
  華々しく金泥で汚してしまいました。
  いつも人は帰らない。
  一人っきりになると
  やたら何もかもが大きくなって
  失ったものが解ります。
  解る私を、殺そうとして、のどもとまで手をやって、
  ……とりやめる私です。
  何もかもとりやめ。
  膺物の静けさを ちぎって破り捨てたく
  膝に手を置いて 考えている私です。

 今日わ。一人でノートを持って、一人で書きこんでいる私。ご免ね。気に入った詩がちっとも書けないの。腹が立つなあ。何もかもおしまい。一人になりたいのに。客観的に自分をみつめたくないの。食べたい時に食べて眠りたい時に眠って……反抗? 何の為に?―――本読んでくるね福岡さん。あそこは一人だから。

 祖母というのは私にとって神秘的な何ものかです。老齢というのは呪縛にも似た不思議なものです。私は祖母の中のその老齢を敬愛したいと思います。私は祖母の中の若い日々、幼い日々を愛せると思います。
 今日読んだ本は「シッタルダ。」その中に妙な言葉があって私には理解できないのです。現在も過去も未来も一つということ。現存している中にすべてがあるということ。また家に帰ったら写してみましょう。私は火曜日も学校を休んでしまったの。でも却って良かったと思います。「シッタルダ」を一度読んでみて下さい。問題点が沢山あります。

――参考――
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一九七四年 十月十八日
 今日は。テスト一週間前です。修学旅行に行った先輩がたに、おみやげを貰いました。文芸部からはお菓子、バレー部からは鈴です。マネジャーまで貰えるなんて思っていなかったなあ。

一九七四年 十月二十三日
 今日わ。二十五日から中間テストです。にもかかわらず一昨日文学学校へ行きました。講義の題は”物をして語らしめる。”かなり勉強になりました。これは私の考えですが、これからの詩は単純で、しかもシュールレアリスティックであるべきだと思います。現代人の心の中のカオスを端的に表現するとすれば、どうしてもシュールレアリスムになってしまうのではないかしら。これは一人の十五才の女の子のかなり独断的な予想ですが、これからの詩は現在のシュールレアリスム詩の、更に言葉の洗練、単純化、より解り易さ、へと進むのではないでしょうか。またそうあってこそシュールレアリスム詩が完成されると思うのです。詩は何よりもまず”唄”であり、伝達の一つの形式だと思うのです。これからのシュールレアリスム詩は、より感覚的な、”言葉の具体的な意味は解らなくても読んでいて何となくわかる”詩の方向へ進むのではないかと思います。
 今日は二時間しか寝なかった。この頃連日十二時過ぎなの。眠いのでお茶を沢山飲んだら、一時過ぎに寝たのに四時にしか寝つけなかったの。時間がもったいないなあ。

一九七四年 十月二十六日
 地理はうまくいかなかった。数学は目茶苦茶だった。生物は何もできなかった。国語はあてずっぽうばかり書いた。以上今日と昨日のテスト報。――やがて秋の日が、しんとまろく澄みはてた、珠のような秋の日が立たずむことだろう。
 追伸、地学は全然解けなかった。古典はまちがいばかりで悔しかった。Comp.は皆がよくできたと喜んでいたのに一人まちがった。以上二十八日テスト報。

一九七四年 十月某日
 友へ。昨日文学学校へ行きました。学校から直接行ったのでノートを渡すのがおくれてしまいました。帰るともう十時二十分。そのまま夕食をたべて寝てしまいました。次の日はYでこれはまた早くは帰れなかった。朝起きがけに置いて行けばよかった。とても忙がしくて、ゆっくり眠る暇もないこの頃です。

一九七四年 十一月八日
 お早う。住学から帰る時、たつのばしを通りました。コンクリートの河床が河岸段丘にも似て、その成り立ちを考えるのでした。
 ずいぶん色々なことが起りました。私の心は”秋の葉しも散れるようにぞあり”なのです。わけが解らなくなってしまうことが沢山。貴女にとても逢いたく思います。貴女の傍に坐って夢を確かめたく思います。――住学の文化祭の美術作品、綺麗なのがありましたねえ。
 遠い春のひと日。To be or not to be!

 生物、クラスの女子最高でした。八十二点。男子には八十六などという点を取る人がいました。平均点以上が多いので喜んでいます。でもまだ全部は返してもらってないの。

一九七四年 十一月某日
 今晩は ノートを持って行きたいと思っているのに、ちっとも時間がありません。土曜日は多分白菊の文化祭に行きます。日曜はバレーボールの部別大会です。キャプテンのMr.山戸はキャプテンを降り、今度の大会には出ません。無期停学になったのです。何故かといいますと、修学旅行でお酒を飲んだからです。これはみんながやっていることで、見つかる方がドジなのです。

一九七四年 十一月十五日
 今日は。クラスで十六番でした。平均点以下が何と古典!と数Bと英語です。
 御陵の上に洗濯物が干してありました。複雑な気持です。死者の墓の上に干し物を干す冒涜と、死者の肉体の変化した土の上で、また生の営みの続けられていく素晴しさ。
 カミュの「異邦人」を読みました。素敵でしたよ。

一九七四年 十一月某日
 YMCAのパンフレットは春に一部百円くらいで売られますので、また買って行きましょう。何か勉強のお手伝いできないかしら?今どんな所を習っていますか?
 何かを建設したいと思うのに何をしたらいいのか解りません。何か、美しい何かを創りあげたいと思います。
 今日はマラソン大会でした。昨日、今日の大会に備えて校庭を九周しました。(約三六〇〇米)。一人で走ったのでかなり余裕のある走り方をしてしまって。でも最後の方になると足や胸の痛みに慣れてきて、むしろある自虐的な喜びさえおぼえるのです。今日は四百人中一六九番。全然走れなかったけれど、心と肉体と両方苦しめたような気がします。

 色々なことを識って沢山書きたいのに。何だか少しも出てこないのです。捕えどころもないほど早く、知識が頭の中で渦をまいている気持です。沢山の条約が破棄され、イデオロギーもぐらついて、今、自分が急速に脱皮しているとは思うのですが、その為に崩れていくものが多すぎて、永続的に確立している「これは」というものが見つかりません。いつか貴女に沢山のことを堰を切ったように告白すると思うのですが、今、私に起る目まぐるしい事件があまりに近すぎて何も書けないのです。それとも終った日には何もかもがどうでもよくなって、そのまま書かずに終るでしょうか。

一九七四年 十一月二十六日
 貴女の書いて下さった文を読んで。ずいぶん励みになりました。私はまた方針を変えるつもりです。もう期末テストまであまり”時”がないのですが、一生懸命遊ぼうと思います。

 クレムリンへの手紙(ソルジェニーツィン)を読みました。
 しかもその戦争(中国・ソ連間)たるや――イデオロギー戦争なのであり、何を守るための戦争かといえば――何よりもまず死んだイデオロギーを守るための戦争なのである。……現にこの十五年来、あなた方と中国指導者の間には、誰が先進的世界観の父祖たちをより正しく理解し、解釈し、継承しているかをめぐって論争が続いている……そして六千万の我が同胞が、不易の真理は我々の反対者が主張するようにレーニンの本の三五五頁にではなく、五三三頁にこそ書かれているということの為にむざむざと命を捨てることになるのだ。(中国との戦争)より。
 色々考えさせられる本でした。私は政治面に暗いからこうした本を読まなくては、と思いはす。

一九七四年 十二月三日(またノートを止めおいてしまった夕方に)
 今日わ。この頃決めてしまったことが多すぎて、このノートを書く暇が少しも無いの。
 もうテストです。生物は欲を出して免疫からやり始めたのでホルモンの途中までです。あと五分。すぐに発たないと文学学校にまに合わないの。陽の落ちた教室は静かです。十八日テストが終るので、それからサリンジャー借して下さい。あ、これだけ書くともう時間がない。今度成績が落ちそうな気がします。宿題が溜まりすぎて、いっぱい遅れてしまいました。しかし勉強だけというのはまだ絶対いやなのだ。友好関係をひろげるA・Bの計画についても、ふしぎな物語も再び今度にまわされてしまう。二つともまわされてもうボロボロ。いつか再び書く時、まともな形で在るかしら?

一九七四年 十二月八日
 青年白書についての記事、読みましたか?小・中・高・大学生のうち、一番勉強量が少いのは大学生で、一日四時間だそうです。大学へ何の為に行くのか考えこんでしまう。私はもしかしたら理科系へ行くかも知れません。文学という主観的なものについて、どれほど学べるか疑問なのです。文章を細切れにする文法より、宇宙の構造をさぐったり、不可解な事象を探求する方が夢中になれるのではないかしら? 而し、しかし、私の行きたい天文学部があるのは記憶によれば東大、京大、阪大、東北大のみなのですよ。貴女に「面白い宇宙論」のことをお話しましたか?試験が終ったら「シッタルダ」についても「宇宙論」についても長い文章を書きたいと思っています。杉山さんと私とは宇宙に夢中です。ただ方向は違うんですよ。私はもっぱら理論の方、スリは今、星雲を分類した多量のカードを作っています。

一九七四年 十二月某日
 今日「ライ麦畑でつかまえて」を読み終えました。彼の人間の見方が好きです。ところどころ、あ、そうか、と、人をすっきりさせるところがありますね。大人の世界って正視に耐えないものだなあって、やっと今気がついたんですよ。私、周りを見まわすと、見まわすだけで一歩も動かなくても”気の滅入ること”がいっぱいです。何故なのかと驚くほどなんです。いつのまにか世界の反対側で起っている戦争にも慣れてしまっている私達です。この間、議会に反する思想の持主が、それだけで精神病院に収容されることを知って、ずいぶん驚いた私でしたが、それについて何の行動も起さなかった私は、その時からそのことに慣れ始めていたのですね。生きていく上では慣れる人は利口者で、やきもきするのは単純な愚か者のようですよ。でも「利口者は自分を世の中に適合させようとし、愚か者は世の中を自分に適合させようとがんばる。だからすべての進歩は愚か者のおかげだ。」の句を信じて、世の中を進歩させようと愚か者になろうとすることは、アントリーニ先生またはウイルヘルム・シュテーケルの曰く、「未成熟な人間の特徴」なのでしょうか?

一九七四年 十二月某日
 夜です。闇の中で熟と目をあけていると、ぼんやりと家具が浮き出てきます。ぼんやりしているのは物体が空気に溶け出しているからです。こうして物は自分を解放して呼吸しはじめるのです。夜になると、こうした家具の色を包みこんで空気が黒くなるので、人間達の目は見通しが効きません。空気の粒はだんだん大きく、重たくなります。だから物の形が大掴みにしか捕えられなくなるのです。

 今、パール・バックの「大地」を読んでいます。何かに操られているという気がしてなりません。しかもそれは大して根拠の無いことでもないのです。一体どこからどこまでが本当の自分なのでしょう。あたりには秋の暗い暮れ方の空気が満ちていて、闇の中の墓石のように、音もなくひっそりとかくれた沢山の人々がいます。

一九七四年 十二月某日
 今日は。このノートを再び何でも書けるノートにしたくて筆を取ります。話し相手になって下さいね。  霊(?)の声がまた聞えているんです。見まわすと、二、三十人の霊(?)達が私を見守っています。死んだ祖父も居ます。彼はある時、私が霊(?)達に教育(?)されている時、手伝わせてくれ、とやってきました。  まずナルという綽名の、難波一郎という物体が在ります。ナルは私の親戚ですが、親戚だと解って私は有頂天に喜びました。(ナルと親戚だということは、私がきっとどこかあの立派な人格に似ている所があると思うのです。)それから多分七堂という姓の、大王さまと呼んでいる物体もあります。姓は祖父の他はこの二人しか知らないのですが、難波、七どう、と続いた所で、南海線の駅の順により浜寺あたりではないでしょうか。よくお姉さんと呼ぶ、ゆり子という物体もあるのです。それから年取った杖の方という人もいます。それから自称次郎とかまさお、みちをとか、ロンイエイン・アーネストとか、おすみという年取った人もいます。いつのまにか増えてきて、生きた心地もありません。大王さまはとても影響力が強くて、その気になれば(何度もその気になりましたが)私を全く動かさないことができます。この影響力は物体にもあります。例えばテープレコーダーの回転を遅くして、私に音楽を聞かせないことになっています。「何故か」と聞くと、言えないので頭をかかえこみます。何かわけありげですが、どうもばらしてはいけない秘密のようです。見ているとずいぶん意思が強くていい人のようです。  霊達の中に居ると、人の中に居るのと同じなのに全く安らいで暖いものに包まれているような気がします。一人々々があまりにも真っすぐな人々なので、自分をふり返るとはたして自分は人間なのだったろうかとあやぶまれてきます。私はナルに一番なついています。

一九七四年 十二月某日
 今日は。今日は良いお天気です。ふしぎとバレー部の大内田君が、私とひらのさんに岡山へ行ったおみやげをくれました。天気が心配です。冬休み前に、顔も知らないのですが味谷君という人から手紙がきて、卓球クラブに忙しいので文通だけでも、ということなので承諾しました。どんな人か興味があります。

  逝く
 昨日も今日も沢山の人が去っていきます。
 遠くで川の音
 一斉に白椿が花開いては
 うなだれて枯れていきました。
 少し縮れて、茶色くなった花びらに
 見えない液が滲み出て
 空気はしっとりと漏れています。
 貴女の逝った方向に背を向けながら
 静かすぎるので
 耳をすまして
 待っています。

一九七五年 一月某日
 今日は。今、相対性理論の研究をしています。物体は移動速度が光速に近づくと重くなり、また小さくなります。光速になると物体は消えてしまいますが、これらの反応は相対的なものです。移動とか位置とかはそれ自体意味を持たず、静止している物体と光速に近い速さの物体とでは時間にひずみが生じます。それは光速が絶対的なものであるからです。友達と一生懸命議論しています。授業中さえノートを交換して。このようなことを話せる友がいることを嬉しく思います。よりこさんです。書くことにも天文にも、偶然同じことに興味があったの。
 私の文通相手は卓球部のキャプテンです。かなり真っすぐな人のようで、身障者のことなど話し合います。”卓球がそこにあるからする”といった人です。

一九七五年 一月某日
 今日は。もうすぐ実力テスト。昨日、今日と、急に沢山の木々が黄ばんでしまった感じです。手が消えて、足が消えて、私が消えてしまうと、あとには凍りついたように立ち止っているまだらの犬ばかり。そのあとすぐにブリザードが吹き荒れます。
 今度の土曜か日曜、ヨーロッパ美術展に行きません?私の帰るのは貴女より遅いのかしら? 何時頃帰るのですか?

一九七五年 一月十八日
 「収容所群島」を読んでから、私はすっかり共産主義嫌いです。中国にしても同じようなものだと思います。「収容所群島」を一度読んでみませんか。議会はその主義を守り、独裁を続ける為に、他の党に所属する者、または所属しそうな者、議会に反しそうな者を全部収容所に送りこんだのです。罪のない者にも拷問が行われました。眠らせなかったり殴ったり、彼の愛する者を苦しめたり。彼はそうして罪を認める書類に署名させられるのです。

一九七五年 二月二日
 この頃(いいえ、今)ナルへの手紙を許されました。ナルはストーブの火を見つめていて、それから不意に何かを投げ捨てたみたいに「もういいや」といって笑いました。ナルを見ていると心が和んで暖かくなります。ナルが大好きなのでこのことは霊達の心配の種です。嫌いになるようにあの手この手をつくされましたが、全く無駄でした。でも私はどうして好きになってはいけないのか全く解らないんです。

一九七五年 二月某日
 沢山のことを話したいのにね。悪霊たち、こわかった。こわかった。とても。毎朝(朝から日暮れは始って)傷だらけで起上る。ね、そこでいつも空気に黴がはえているの。――いのちを明け渡すと悪霊になる。沢山のこと、みんな物語りたい。――もうすぐ狂いそうな気がします。
 こんなに長い間ノートを持っていながら少ししか書かないなんて。学校をずっと休んでしまって、今、精神安定剤と食欲増進剤(?)と睡眠薬を飲んで生きています。とても忙しいの。いいえ、暇すぎるの。このまま正常に生きていけるかしら?私は十六才なんですよ。

一九七五年 某日
 沢山のものを無くした。無くしたその分だけ私は私に執着している。沢山のことを経験した”私”がいとほしい。どんな宝を山と積まれても私は私以外の誰とも代りたくない。悪霊から受けた気の狂うような恐怖やいたみを真っすぐ抱きとめて私のものにしたい。二度と忘れないでおこう。苦しみを味わい儘くしたので、今の私はもう何も恐くない。そしてまだ苦しみが続くのなら、割れるような頭の痛みとか幾重もの確かな予言、愛する人と別れて頼っていた人をもぎとられてしまうことなどが続くなら、あとは苦しみを味って楽しむ感覚機能の形成を試みるだけだ。沢山のことが教えてくれた。『不幸なんて本当はない』と。苦しめばそれだけ沢山の幸福をみつけることができる。自分の身体が自由に動く幸福や、霊の声の聞えない静けさの幸福や……私はいつでも幸せだ。そして精一杯生きている。少くとも善いことを(他人の心のやわらぐことを)やろうとしている限り、反省はあっても、不思議なことに後悔はない。
 いのちとは不思議なもので、木や花にも魂がある。その一つ一つを大切にしたい。木も草も自分を中心に一生懸命生きている。私のまわりの沢山の自我や命を大切にしたい。弱肉強食の世界で、私達が他の動物の自我を蝕み食して生きていることは、罪になるのかならぬのか。何故なら人間はいつも次の欲望を求めて長生きと一緒に沢山の苦労を背負いこんでいる。食べる為に殺されたって似たようなものさ、と私は思う。

一九七五年 三月十四日
 今日の午後は「地の糧」を読むことを夢みながら眠ってしまいました。「チボー家の人々」の一巻に少し出ていたのを知っていますか?ダニエルがよく引用した書です。一巻を読み終って、はじめて「チボー家の人々」の本当の良さが解り、愛着を持ちました。あまりに書いてある環境が私とかけ離れすぎていて、とっつきにくかったのですが。「地の糧」は「ナタナエルよ……」という、とりつき易い始まりです。交換日記と一緒に少し読んでみましょう。一からむずかしいなあ。
 『ナタナエルよ。どんな所でもよいが、それ以外の場所に神を見出そうと願ってはならない。』――それ以外の場所とは何処なのか?天?
 『私は罪よりも罰の中に快楽を感じていた。』――ここにも逆説が見られる。とことんまで行きついた人は引きかえすしかないのか?それともリーマンの輪のように、表をつきつめていったら裏だったのか。「簡単には罪を犯さないということで誇りに酔っていた」!?
 『ナタナエルよ。君は丁度自分を導いて行く為に自分の手に持った灯りについて行く人のようになり給え。』――その灯りの範囲で常に選択できるならそうしょう。選択することは恐ろしいが、選択しないことを選択することはもっと恐ろしい。それは運命に身をまかせてやけになり、自暴自棄になることだと私は思う。
 『異端者の中の異端者だった私は、かけ離れた意見や思想の極端な変化や相違などに、常に引きつけられた。どんな精神も他の精神と違っている点がなければ私には興味がなかった。』――ずいぶんと”共感”する。ここで共感に” ”をつけたのは、次の文に『共感はいけない』と出てくるからだ。ジッドは外から見ただけで、その精神を理解できるかも知れない。でも私にとっては意見の交換が必要なのだ。その為に”意見の交換を望む”という”共感”が要る。
 『憂欝とは冷めた熱中に他ならない。』――それは目標を達しながら満足感が無い時に似ているだろう。
 『あらゆる物は裸になれる。あらゆる感動は豊かになれる。』――ということは、感動を抑えている着物のようなはがれ易いもの(私は時々それを感じたことがある。)をはがせば、底にある豊かな情感が己の目にふれる、つまり本当に感じられる、というのだろうか。抑えているものとは、礼節や常識や習慣などというものではないだろうか?
 「チボー家の人々」巻二に移ります。そこでこのノートを貴女の家に送ります。十七日二時頃、お邪魔していいですか?

一九七五年 三月某日
 沢山のことが起りました。まずM君のことから書き始めねばなりません。さてある日突然M君の声が聞えてきました。私はそこで手紙を出しました。返事が返ってきました。二人はテレパシーで通じているようです。もう好きではなくなっていたのに。ある意味では気が合いますが、もう付合いたいとは思いません。私の研いでいる刀はどうも彼には鋭すぎるようで、打ちかかっていっても応えてはくれないでしょう。面白くありません。何処かに深く考えている人はいないかなあ。私を引っぱっていく程の思想と、議論への熱中と頭脳を持っている人はないか……。難問です。(捜入”どこかに美しい町はないか”茨木のり子)

 私にとって”家”というものは何だろう?貴女にとって”家”とはコップのようなものでしたね。”コップの中の嵐”という言葉を思い出します。私はこの家でごく自然に育ち、家出なんて考えてみたこともなくて(絶対生活できっこないから)本当は結婚なんかせず、どこかの社員にでもなって、詩を書きながら一生ここに居たいなどと考えてしまう、それでも追い出されたら四畳半の部屋を本で埋めて、夜間大学などに通いながら勉強しつつ働くのです。東大に入りたいなあと思います。京大も阪大も全部だめなら、天文学はあきらめて文学学校ね。

一九七五年 三月某日
 「灼熱の氷惑星」を読みました。「ソクラテスの裁判」も読みました。以来ソクラテスに興味を持ち、世界文学体系のプラトンをひっぱり出してきました。でもパイドンの中で、弟子達が「確かにその通りです。」「疑いもなくその通りです。」などと連発するのには参ってしまいました。私なら反発するのに。「何にもましてその通りに思えます。ソクラテス。」などと書いてあると、シミアスの馬鹿、と言いたくなります。
 惑星の本は、高橋実氏が最近発表した新説で、地球の水は、周期的に地球と衝突または関接衝突する天文Mによってもたらされたというもので、その最後の回がノアの洪水だというのです。こうしてみるとすべてが説明できるのです。北アメリカの石炭層も、サハラ砂漠も鉱物の分布も、ゴビ砂漠の恐竜も……。天文Mの周期は三千年です。


昭和五十年 高校二年

一九七五年 四月某日
 泣き方。
 『幼女が泣きながら走る時、それは常に仰向けである。涙を覆う掌があることを知ることが幼女との訣別であるなら、彼女は今もなお、その掌を知ろうとはしないのだろうか。』
  吉原幸子論 石原吉郎

 より子さん宅を訪問す。面白くなかった。思ったほど個性の強い人ではない。
 フルメジン飲んで眠り通した。時々何もかもが嫌。

一九七五年 四月某日
 人は憎むべきものだ、というのは嘘だ。いつもどこかに違和感、耐えきれない嫌怠を抱いてきたはずだった。でもそれはどこまでが本当で、どこまでが”在る”と思っていた輪郭なのだろう。人を憎むことは、好きになることより難しかった。行為を嫌うことはできるのに。どうして人間はあんなに複雑なのか。どうしてあんなに悪いことをしながら善い人間であり得るのか。今度はその複雑さが恨めしい。普通、人嫌いは人への欲求不満からくるのだろうか。ところで今度は欲求不満という言葉が問題になる。人への欲求不満を持たない者、つまり人にたいした期待を持たない厭世家だっているはずだ。でも私の人嫌いはいつも人への欲求不満と失望からきている。私の他人への期待はいつも裏切られたので、その度に傷ついたので、人など皆嫌いになってしまって何の期待も持たなければ、多分静かに外側から好きになれる……と思っていた。

一九七五年 四月二十三日
 筍は丁度いいくらいに煮つけて、あと冷凍庫へ。どうもありがとう。でも私は胃炎を起して食べられない身の上です。
 時々、何もないのに泣きたくなるね。おいしいパイや、優しい先生や、何もかもあっても、ね。
……………泣きたいよ。

 大人になんかならない。常識的に、ただ生きていく人間になどなりたくない。要領よく満員電車の人ごみをかきわけて真先に入ってゆき、いつも自分の給料だけを気にしている大人になんかなりたくない。子供のままでいるんだ。満員の中で押しもどされて、最後に押し込む仕事の人に押し込んでもらうような、自分の世話が下手な人間になるんだ。大人の中には空ろな洞穴があると思う。それは大人が小さく自分の中にちぢこまって、エゴイストだったり、見ようともせず見たいとも思わない為に盲になって暗くなってしまった部分なんだ。

 真暗闇。手さぐりのような気がする。一年ほど前、情より正しい方に重きをおくと書いたっけ。正しさの方が確固として不動のように見えたから。でも今は違う。理屈なんてどこにでもつくものさ。それより人に優しくありたい。人のいたみに感じ易くありたい。一年たったらまた見解が変るかも知れないが、今絶対そう思うんだから平気さ! 戦争だって情のある人には起せない。それが正しいと信ずる狂信者になら起せる。

一九七五年 四月二十五日
 私には不愉快な人たちと不愉快でない人たちとの差があまりありません。もうそういう差を持つことを忘れてしまったようだ。つまりは本当に親しい人がクラスにいないんだ。そこで誰も彼も同じに見えてきてしまって私は外側から一歩さがった形で、全部の人を優しく好きだ。

 「ナイン・ストーリーズ」「量子力学入門」を買いました。でも全部学校で読まなくては。本当は「複合汚染」も買いたいけれど手がまわらなくて。そうかと思うとマンガの「アラベスク」が買いたくなったりして。

 病気でずっと寝ています。熱が下りません。

一九七五年 五月二十七日

   夕べに

  埋もれてしまった安らぎ 静けさ
  今日ここにあるものが
  何故明日はここにない?

  夕やみ
  空気に粉れてくる
  青黒いなまこの大群

  疲れてしまった 疲れてしまった
  もう誰も 何者をも笑わない

  砂場に
  柄のないスコップと
  片っぽの足が置き忘れられている

  ぽきんと骨折させた小指をうしろ向きに
  あざ笑ってやった。
  ねえあなた。そんなことしかできないの?

  形のないもの オブラートのようなものが
  くねりくねって通り過ぎる。
  心の外も…… 内も……

 友へ。生きているということ。感覚を持ち、愛憎を持ち、生きているということの大きさ。日々どんなに打ちのめされてもよみがえってしまうのです。私は痛み、苦しみ、必ずまた安らぎます。この安らぎが続けば良いのに、再び私は苦痛を感じ、あえぎ始めます。毎日が同じで限りがありません。それでも生きています。起きていようと寝ていようと、心だけは生きています。

一九七五年 六月五日
 昨日、三時間も授業を受けられたので皆とても喜んだの。でも帰ってから寝ついてしまった。
 心。切り刻まれた深い傷。いつもそうだった。そうでなかったなんて嘘。そうでないふりばかり長いことしてきた。

  詩学へ投稿した私の「無題」の諸評。
 嵯峨 簡単に書いているな。淡い哀愁がある。
 鈴木 これは失恋の詩なんですかね。失恋なんだろうな。
 斉藤 死んだ恋人を恋うる歌なのか、失恋の歌かさだかでない。そしてくる日くる日が過去の重さに支えられている短い詩なんですけれども、まとまりがあると思います。「何度埋葬しても/消えてゆくものは同じ」という、これはロジックに合わないんじゃないか。「埋葬」したら「消えてゆく」というよりも、その人の顔が逆に浮び出すんじゃないか。
 花田 何を「埋葬」するのか。「あなた」なのか何か。それから何が「消えてゆく」のか。論理不明だからね。
 斉藤 非常にロジックに合わないんですよ。
 花田 そう、あとは「しずかな からだに/にぶい いたみだけがある」という。まあ失恋の歌かも知れないし。
 斉藤 誰かを思い出すのであれば「消えてゆくものは同じ」ということではなくて、埋葬しても埋葬しても顔が浮んでこなきゃいかんわけですよ。「ふいに顔を上げ」ても「あなた」の顔があるわけでしょう。「埋葬しても/消えてゆくものは同じ」ということはないわけですよ。また出てくるということでないと解釈のしようがなくなるんですよね。
 花田 何か「消えてゆくもの」があると感じたんでしょうね。それを書いてほしかった。
 鈴木 「一日中 黒い杉の木の上に/青ざめた夕日が浮んでいた」というのは、これはロジックには合わないけれど、面白い、逆にね。この行はアンロジックが成功したわけだ。だけど全体として甘い詩だな。甘くて表現不足ね。「心から糸のように/いのちが流れ落ちていって」これは解らないね。
 嵯峨 しかしこれは素直な詩だよな。この「何度 埋葬しても/消えてゆくものは同じ」というところに僕は何かあるうまさがあるような気がした。それから「黒い杉の木の上に/青ざめた夕日」と、それとそういう心理とも対象的に記憶の中でかなりいい感じになったから……。

 ゆうに一頁をこしてゴタゴタ書いてある。また一つ投稿した。「かちかち山の唄」もいづれ推稿して出そうと思う。何だか一歩を踏み出した感じ。

一九七五年 六月十日
 今日は。寝たっきりです。相も変らずホーミットとレスミットと、時にはフルメジンのお世話になっています。

 『地上で私の知っている最も美しいものは、ああ、ナタエルよ!それは私の飢えなのだ。』
 『ナタエルよ。未来に再び過去を見出そうとしてはいけない。各瞬間から過去に似ていない新しさを捕い給え。』
 『あらゆる幸福は遭遇するものであって、各瞬間に、まるで路上で出会う乞食のように君の前に現れるものだ。』
 ――あらゆる幸福は積極的に認めて味わうものだ、というのが私の幸福に対する考えだ。
 私達の学校の文化祭も十四、十五日です。

一九七五年 六月十七日
 好きでないことばかり起きてしまう。
 モーパッサンの「女の一生」とドストエフスキーの「白夜」を読んだ。青い春なもんかと思っていた。それほど青春もやはり辛いものだと思っていた。辛かったと思っていた。でもそれは違うんですね。やり直せる、未来が手つかずに残っている、ということがどれほど重大なものか。どれほど沢山の夢と希望をはらんでいることか。夢こそ人生を甘く色付けるものなのでした。夢見るものは叶えられぬことだけ。希望は沢山。そうしてひとときひとときを大切に生きてゆけないかしら。ひとときひとときの幸福の重みを、ずっしりと背中に負って……。一生かかってもやりきれない仕事の為に努力したい。医者になりたいとも思う。詩人になりたい。とてもなりたい。ただ一つ、これを一生の仕事と打ち込めるものがほしい。何もせず、しかもたいくつで満足している女にはなりたくない。年を取ってもできるやり甲斐のある仕事がほしい。
 「できるだけ、他の物は素通りしてきたつもりだった。自分になじまないものは捨てた。自分という一点を深く掘ろうと思った。私にとっての幸福とは何か? 答が無かったので逆の方向へ行ってみた。どうせなら不幸になりきってやろう。すると前方に幸福が見えた。……中略……いつも不幸、つまり自分を苦しめていないと安心できない。幸福に溺れたくない。何もせず簡単に幸福にひたるのは嫌だ。」
  十四才の日記より

一九七五年 六月二十六日
 今まで書いた”声”のことは全部嘘だと思って下さい。
 「ボヴァリー夫人」。サルトルの「壁」「部屋」「水いらず」「奇妙な友情」を読みました。サルトルの短編はサリンジャーや白夜よりも面白かった。<それまでに私はあなたを殺すでしょう>の展開にぞっとした。
 この頃マンガにしたいような夢をよく見る。  あなたはいいなあ。似たような友達が居て。三国には一人も居ない。いいえ一人居るけど……。淋しくて仕方がない時がある。一人取り残されたような感じ。
 今「氷河期へ向う地球」を読んでいます。
 何も考えずに寝てばかりいる。もう死んでもいいな、などと思う。

一九七五年 六月二十九日
 「詩学」に詩が載ると、知らない人から「投稿してくれ」と手紙がきました。季刊紙「存亡」といっしょに。ろくな詩が書けてないので投稿はできそうにもないけれど嬉しかった。
 沢山書きましょう。早く書きましょう。ノートが毀れる寸前です。
 生きるってことは激しい行為ですね。
 自分の情感を余すところなく味わいたい。それがみずみずしい魚のように生きるということなんだ。

 私は今、川のように何もかもを素通りして流れています。――今日はサンドイッチ。おかあさんが居ないのにパンを買わなくていいかしら――こんな心配さえやめた。胃が、腸が、すぐに反応して痛くなる。
 「氷河期に向う地球」を読み終えました。今「四次元の世界」を読んでいます。

  夜

 ある夜、暗闇は空から降りてきて
 地面の中まで滲みこんだ。
 花のかおりの空気が歌いはじめると
 夜はその歌を聞いて
 ゆりかごのようにゆっくりと傾いた。
 目隠しをされている私がそこにいる。
 あそこにもいる
 みんな目隠しをされて
 お祈りのように手を組んでいる。
 人を捜している。

一九七五年 六月某日
 今日スリがきました。有意義な話し合いができたと思います。私達は無意味な話題に満足している友達の感情が理解できません。辻さんは私のことを「住む世界が違うようだ」と変人視しているようです。変っているのは私なのか。私には皆の方が不思議に思える。変っているのは私だ。だからこそ時々孤独なのだ。
 男に生まれたかった。その方がずっと知性的と思えるから。

一九七五年 七月二日
 ボーヴォワールの「娘時代」借していただけませんか。彼女の母がそれを読んだ日、彼女は母に近よらず花束だけを送ったというところの、母をして「親が子供を理解しないというが、それはお互いだよねえ。」といわしめたところの本。

 「四次元の世界」読み終りました。派手なところのない、その為に信頼できる本でした。

一九七五年 七月五日
 どこまで本当で、どこまでが嘘なのか解らなくなってきたので、とある霊感による相談所に行きました。(その頃はもう霊や声と話すことをやめていたのですよ。)
 ”声”を聞いたことは幸せなのか不幸なのか。多分不幸なんでしょうね。このことで私はより大きく友達との淵を深めてしまった。内部に苦しみの体験を囲っている女になってしまった。心の底から友に打ちとけられない人間。もう嫌だ。

一九七五年 七月某日
 テスト前なのであまり書けません。先生が留年したくないなら二学期よほど勉強しなくてはならない、とおっしゃいました。
 時々、私も人の期待に答えてものを言うなあ。(第一他に言うことがなかったりして。)

一九七五年 七月十八日
 貴女に気違い扱いされたのではないかと思います。それは私が半ば日記的にこのノートを扱っているからであり、貴女に隠しごとをしつけていないからですよ。母は声が聞えると打明けた時、すぐに私を京大附属病院へ連れて行きました。が何の異状もなく帰ってきたような仕末です。そこで私は自分の霊感力を信じてしまいました。でも今から話す記憶は全部貴女に預けて、私はせいせいして、何も聞えない人間になるつもりです。
 というのは善霊もあれば悪霊もあり、どちらかというと後者の方が力があるからです。丁度去年の春、私は度度私に忠告してくれる”声”を感じていました。その”声”が見えるようになった頃、彼等は私に「この力を使って人に良いことをする気はないか」といいました。承諾すると、私に念力や透視や、予知の訓練をほどこしてくれました。ちょっとでも他人に悪感情を持ったりすると殴られました。一ヶ月すると、貴女にも話したように、女の子の腹痛の原因が解ってしまうということなどが起りました。この時まわりに居たのは、ゆう子、大王さま、ナルでした。ナルには私は特に甘えていました。綺麗な景色を見たらナルの所へとんで行くし、まるで兄のように慕って周囲を心配させました。控え目で無口だったナルの真面目な黒い瞳。こんな優しい思い出を全部貴女に預けます。私はあの日々の楽しさなどみんな忘れて、声も聞えなくなりたい。

 二学期からよほどがんばらないと留年するそうです。病院の先生に、あなたは何をして遊ぶのかと聞かれた。ム!あまり幼稚なので言えない!そこで「目隠し鬼」と言った。それも本当にしたんだもの。すると「貴女の年頃ではめずらしい」と言われた。実情を知ったら何を言われるか?私と杉山さんとでする比較的大人っぽい遊びとは、音楽を聞いてそのイメージを絵にしたり、マンガの共作をすること。時には物語の共作、家の設計もします。貴女は友達と何をして遊ぶのですか?

 留年してもしなくてもどちらでもいい。大学に行けても行けなくてもどちらでもいい。何の為に大学に行くのか解らないままでは勉強する気にならない。私は今、何の為に生きているのか解らない。死んでも死ななくてもどちらでもよい。からからに涸いた感じで詩が書けないが、書けなくてもよい。一体人生とはどんなものなのだろう。何が尊とくて何が卑しいのだろう。
 勉強する気にならない。何の為に大学へ行くのか解らないから。どうにかしなければならない。人生に於て何が一番大切なのだろう。もしかしたらこのように問いつめて行く姿勢なのかも知れない。

 雨です。雷です。素敵な日ですね。「かちかち山の唄」を推稿して出したのが、文学学校の文集に推挙されました。こんなに私の詩が認められるなんて不思議千万です。
 留年するのかしら、しないのかしら?
 この頃全く無気力になってしまいました。悲しいことです。こんな調子で夏休みを過したくない。

一九七五年 七月某日
 再び昨日の続きの素敵な日です。何か難しいことをやってみたい。走り出したい気持です。――私はやっぱり”書くこと”が好きです。何か生き甲斐を見つけたいと思います。

 雨の夕方、雨の匂いがたちこめて
 羊歯が生臭い息を吐いている。
 土の中まで押し入って、泡立って
 今日一日、地面は病の床に着く。
  (杉山さんと名古屋へ行って二日目に)
 かたことと
 落ち着きのない机のように、音たてて
 人間は消えていった。
 ひと粒の泡も残さずに。
 触角の長い蝶が
 ようやく色づき始めた私の中からとび出して
 あたりを満す。
 さわさわと
 さわさわと。
 安らかな眠りが
 しっとりと
 指先にまで
 滲んでくる。

一九七五年 某日
 今日は杉山さんの所ですきやきパーティーがあります。ついでに泊っていかないかとのこと。楽しそうです。今から大学進学の疑問を問いつめては損だ、と杉山さんはいいました。確かにそうです。でも損だから考えないなんて卑怯です。私はやはり天文学部がいいな。どうせ留年するのなら、やりたいことをやろう。無気力、無意志なんて一番いけない。少しづつ回復して、少しづつ考えるようになってきた。以前は考えることに、もう無我夢中になっていたもの。今でも霊に行動を妨げられるととり乱してしまう。頭で考えなくては、頭で。

 母には負けてしまう。母は私の将来を私以上に考えている。結婚なんて考えてもいなかったのに、そのことも云う。どういうものか私にはまだ経験がないのだけれど多分結婚とは不自由なものらしい。平凡への道だ。こんな母は頼り甲斐があると思う。頼らないで一人でやって行きたいな。甘えっ子にはなりたくない。

一九七五年 某日
 「ワダチ」を読んだ。私は自分が気が狂っているのではないかと思う。病院では正常といわれ、霊能者(?)には霊だと云われ、それでも声が聞えるということは狂ったことなんだ。人には解って貰えない世界だと思う。自分でも解らない。
 私にとって霊とは、私の言動を批評してくれる何ものかであったはず。その点を超えてはいけなかったのかも知れない。恐ろしいことは沢山ある。例えば、しんどくて身体が動かない。学校へ行けない。こんな時、まるで私が声に操られている人形のように「高校は卆業させてやろう。大学へは行かせない。」と聞こえるともう駄目だ。最初は恐怖と悔しさで興奮したものだ。でも今は違う。別の生き方を知った。そして知ったことで私の生活力は増したはずだ。
 母の妹で自分の意志で大学へ行くのをやめた人がいる。話すのを聞いていると結構筋道立っていて理論的だ。人というものは、大人というものは、こんなにも筋を通して物を考えているのだろうか。驚嘆した。

一九七五年 某日
 短い夏休みの間に、いつの間にか迷うことが多くなってしまった。今まで持っていた物事の価値を定める基準のようなものが無くなったのか、それとも四無主義になりかけているのか。そしてこれは前進なのか後退なのか。ひと頃の、大学へ行きたいという希望も、はっきりしないものに変ってしまった。これはどうやら勉強というものの価値が私の中で変ったからだろう。ある日突然、まわりの世界が疑問符だらけになった。一つ一つ考えてゆきたいと思うが、以前のように割り切れた答が出るとも思われない。
 留年することに決めた。やっといつもの自分に戻れたような気がする。何故今まで決めることができなかったのだろう。私はあまり沢山の人の意見を聞きすぎていたのだ。人の意見を聞くと、聞いているうちはもっともだと思う。もっともな意見がいくつも出てくる。そこで困るんだ。自分の意見が粉れて、見失ってしまう。人の忠告は親のであろうと信じこむものではない。私が留年するというと、夏休みに私と遊んだ友達全部が妙な顔をする。(元気がいいのに……などと。)そんなことも留年決定のブレーキになっていた。でも留年とは他ならぬ私のことであって、自分の人生を他人の顔色で決定するなんて下らないと思う。他人がどう思おうと自分は自分だ。自分の人生はたった一つしか無いんだ。それを大切にしたい。留年騒ぎでこんなことも学んだ。

一九七五年 九月某日
 今日学校へ行って留年の話を先生にした。すると枩野先生、再びもっともな意見を論じ始めた。自分のことだけど「もう知らない!」といいたくなる。運命の神様、お気に召すまま。

一九七五年 九月某日
 私の気が狂っているのか、本当に霊感力があるのか憂鬱です。
 ノート遅れてご免なさい。学校を休み続けているんです。留年すると思います。保健の時間をあと三時間休むと単位がとれなくて留年するんですって。
 今は書くことが見つからない。留年のことをもっと前向きに考えたいと思う。
 私の詩が、また「詩学」に載りました。

一九七五年 九月某日
 文学学校のスクーリングに行くと、貴女は是非もう一年来なさい、と言われましたので、もう一年文学学校へ行きます。

  けもの達のお話

 いつも遠くにあるものばかり欲しかった。
 目を閉じると
 見えないけものが見える。
 けもの達と遊ぶ 真昼。
 けものたちも
 遠くにあるものと同じ、青い色をしていた。
 私は屡々、夕方と明け方をとり違えた。
 ねむの木に、蝙蝠がぶら下っている。
 一時あらゆるものから声が聞えて来ました。それは結局嘘だったのです。苦いいたみとひきかえに、一つ一つの正体を見ぬいていかねばなりませんでした。そのいたみと、もっと激しい別の精神的な痛みで、私は学校に行けなくなり、今も行けません。大王さまは全部俺がやった、といっています。

  空気がかけらになって散っていった。
  私はシャボン玉の中にいる。
  ひっそりと
  「時」の砕かれた残骸から
  何やら光るものを捜そうとして。
  身体の奥に細かく震える細胞を隠しながら、
  透きとおった月が登る。

 中学の頃にも同じようなことがありました。ひどいことが続きすぎたのか、精神的に私が弱かったのか、ほんの一瞬だけど私は気が狂ってしまいました。すぐに大王さまとゆう子お姉さんが心の中に入ってきて私を引っぱり出したのです。その気が狂うほどの恐ろしいことも大王さまは自分がやったといっています。霊と付き合うのは恐ろしいことです。気を狂わせたり学校を留年させたり、隠やかじゃありません。こういうことを思い出すと霊がみな悪霊に見えてきて、自殺したくなります。しきりに「何も見えない、聞こえない」と連発します。

 昔は沢山の物を持っていた。
 透きとおった風を見ることのできる目や
 淋しい暖かさに触れることのできる指先や。
 血色のひびが入って
 私から私がはがれ落ちていってしまう。
 立ち止ってみると、指先が濡れている。
 髪が濡れている。
 しっとりと潤った大気の中で
 蔦のつるでかごを編めば
 昔 がすくいあげられると信じ
 手頃な石に腰をおろす。
 あれからもう三世紀たった。

 何もない私。考えも生き方も生き甲斐も、何もかも解らない。急に解らなくなった。赤味を帯びた柔かい肌で意地とか意志とか芯になるものを持たず、生き方とか思考とか身を覆うものもなく、くらげのようで、放り出されている。

――参考――
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一九七五年 九月十日
 一番苦しい時、私は一人ですもの。霊のことをいったって、気違い扱いされるだけ。貴女にも話せないようなことが沢山あります。

 文学学校で。「あなたは良い資質を持っています。こんな風に書ける人は少い。是非きなさい。貴女のモヤモヤしたものを放っておいてはいけません。」石原先生はこうおっしゃった。今度は研究課に進み、小野十三郎先生に直接教えて貰うことになりそうです。
 この頃、詩を書くという新しい喜びが見つかりました。

 寝てばかりです。勉強していてもベッドに引きずり込まれます。こんな風にして過したくありません。
 貴女に味谷君との付き合いをやめたことは話したかしら。あまりに性格が違いすぎたので。

一九七五年 九月十八日
 貴女に気が進まない頼みごとをしなくてはなりません。親子喧嘩を少ししたのですが、結局頼むことになってしまいました。交換日記を全部他人に見られてもいいでしょうか。もし良かったら、二、四、六、八、十、十二巻を借して下さい。というのは、中山ドクターが是非見たいというのです。こんな頼みごとをする事が残念です。遠慮しないで下さい。

一九七五年 十月二十二日
 何だか何もかも見失ったような気持です。ずっと寝たきり。クラスのみんなはずいぶん親切です。
 どこに向って行ったらいいのか解らない。ぶらぶらと宙に浮いている気持ち。

 残念ながら読む暇がなかった。一応返しておく、とは中山先生のお言葉です。長い間迷惑をかけてごめんなさい。

一九七五年 十月某日
 西尾君は、幸福は自己満足だ、といいました。幸福になるには信念を持つことだ、ともいいました。最後に自分は幸福だった、といって死にたい、ともいいました。幸福なんて大きなものがひとことでいい切れるはずがないと思って反論を捜しましたが、なかなか見つかりません。
 西尾君はよく倫社の先生と議論します。(授業中にですよ。)上の言葉も大半はその時聞いたのです。聖書も旧約から全部読んだし、デカルトも孔子の論語も読んだとのことです。今、交換日記をして下さいと頼もうかと考えています。本当は今日いうはずだったのですが折がなくて……。結局いわないかも知れません。

一九七五年 十一月十一日
 今日は。
 この頃必死で嫌なもの(勉強や学校)から逃げようとしているみたい。もっと前向きになりたい。寝てばかりいます。
 そうだ。私はエネルギーを得なくてはならない。何から?書くことから。
 このところ、ずっと休学していました。学校から逃げていたのです。寝てばかりいました。何の気力も無かったのです。とほうもなく、くたびれはてた気持ち。
 十六日にハイキングに行きませんか?文学学校主催。コース、私市駅前←→クロンド池。日時、十一月十六日、午前十時半、私市駅前集合。所持品、食べもの、飲みもの、他。

一九七五年 十一月十七日
 まわりに沢山の人が居ます。この一人々々が、夫々の世界を持ち、喜怒哀楽を持ち……その一つ一つを大切にしたい。
 囲りの人とうまく話ができない。話をしているそばから飽きて嫌になってしまう。ハイキングの時そうでした。何か理解できない大きなものが私の周りにあり、その圧力の下で収縮しているみたいな気がします。
 西尾君との交換日記のこと、「めんどうくさいから」と断られてしまいました。すると急に身体が軽くなったようで私はむしろ喜んでいました。
 こんど詩の「殺人」が文集に推薦されました。


一九七五年 十一月二十二日
 この頃創作意欲が沸いてきました。今断片的に「ゆう子」を書いています。立派にしようとかそんなことは思わず、ただ楽しんでいます。
杉山さんの書いたギャグマンガ「減氏物語」が雑誌に載ったそうです。何と主人公が私と高志(弟)。髪を長く三つ編みにした私が黄色式部として登場します。

 詩というものを、考えながら書くようになりました。前みたいに思いのままを書くことがなくなりました。研究課なんかに進んでしまって、いい詩を書かなくては、と思います。
クロンド池へハイキングに行って、二人一組になってボートレースをしました。何故か一等になったのでジュースとゆで卵をおごってもらいました。帰りには綿菓子ももらいました。楽しかったです。

一九七五年 十一月二十四日
 昨日は一日「銀の森の妖精」を書いていました。前には弟が坐って何やら物語を執筆しています。原稿用紙に一枚書くごとに交換して遊びました。書く仲間が居て、楽しく過せました。貴女の方ではこの頃何か書いていませんか。貴女がどんな風に、どんな態度で学園生活をしているのか知りたいと思います。
 だんだん昔の欲望が戻ってきました。今まで何もしたくなかったのに、書きたいし、勉強(相対性理論の)もしたいと思いはじめています。人はいつも迷っているようですね。

一九七五年 十二月六日
 名古屋に行っていたので遅くなってご免なさい。学校にはもうほとんど行っていません。

  しわがれた声で あなたは答えた
  長すぎる指をひろげながら
  あなたの声は
  ずっしりと重かったのに
  その意味がとれない

  口の中に砂ばかりが溜まってきた
  私の皮膚が黄ばみ
  音たてて
  一本の木が枯れた
  見まわすと一人だった

 人間として、何が大切なのかしら、私にとって大切なものが、本当に大切なものがあったかしら。

一九七五年 十二月六日
 散文詩。
 こたつに入って何をするともなく寝ころんでいると、読んだマンガの断片や、通りすぎた人々の顔が、とりとめもなく浮んで消える。そうして渦にまきこまれるように眠りにまきこまれて、意識が遠のいていく。長い夜が始まる。あなたは何処に行ったのですか?何処に居るのですか?こんなに暗い中で何をしているのですか?雨の音が遠ざかる。その昔、船出したカスピアン王子が出逢ったというその暗闇に、私も居るのだろうか。あなたの後姿が見える。いつも後姿。こんなにも荒れてしまった私の心。解ってほしかったのに。見捨てられた孤児の汚れた頬に浮ぶ涙。いつも黙っていた。掟を破りはしなかった。あなた、戻ってきて下さい。捨てて行かないで下さい。私には追いかける足がなく、ひきとめる腕もない。なつかしい人々よ。あなたがたとのつながりはもう切れている。何処に行ったらいいのですか?何をいえばいいのですか? 夕暮、しのび寄ってくる暗闇もふり払わず、一人で泣いていたい。遅すぎた。回復が遅すぎた。一人占いにも飽きてしまった最後の夜に、ひとり膝まずいて祈るふりをしていた私。

一九七五年 十二月十日
 本ばかり読んでいます。昨日「風と共に去りぬ」を読み終りました。勉強は全然していません。時々、これでいいのだろうか、と心配になってきます。

 先日、「殺人」他二篇の詩の評が返ってきました。
「三篇とも、これは伊賀さんの生得のものらしい病的な神経で対象に立ち向っている詩である。その対象が何であるか、もう一つはっきり解らないが、いずれにしても作者がそこに敵性を感じる存在であることはまちがいないだろう。「殺人」という詩をみると、それは男か女ではないだろうか。恋人だって「敵」なんだから もし間違っていたら、それは伊賀さんの詩の書き方が抽象的だからだ。才気を内攻的なおとなしい性格の中に含んでいる人と見た。小野十三郎」

 ここ数日、たいていスカーレット・オハラと共にアトランタやタラに行っていたので、あまり書くことがありません。スカーレットの激しさ、生命力の強さに感嘆もし、いやな気持にもなっていました。
 家族というものの暖かさに、涙の出るような感激を持ったことがありました。私に最初の嬉し涙を流させたのも祖母の言葉だったと記憶しています。

一九七五年 十二月某日
 今日は。遊び相手がなくて困っています。試験が終ったら家にいらして下さいませんか。
 どこを捜しても あなたはいなかった。
 私の錆びついた身体から
 茶色い植物が生えはじめ
 根をからませ 命を吸いとり
 だんだんに私はくずれてゆく、
 もろくこなごなになって散り果ててしまう。
 待って下さい。
 もう一度だけあなたを捜させて下さい。
 走り出そうとして 倒れてしまった。
 倒れながら 手をのばして あなたをさぐる。

一九七五年 十二月某日
 今日は。私もこの頃は自殺ということを考えなくなりました。というより、忘れてしまったという方が正しいかしら。いつのまにか大人になるつもりで色々なことを考えます。家族を見ては、私も結婚したらそんな人間になろうと決心したりする。それでも駅などに居ると、線路にとびこみたい衝動を抑えるのに苦労することがある。
 こんな風に、無為に静かに生きていきたくない。

 私と杉山さんとの共通点は、第一に遊び好きであることです。昨日も凧上げに失敗して帰還。そのあと毛布や椅子で家の中にテントのような家を作って遊びました。告白すると、私と杉山さんと弟の三人は、今でもままごとまがいの遊びをするんですよ。昨日も原始生活ごっこをやろうということで、スリが猟に行き、高志が祭司になり、私達二人は祭壇に膝まずいて「神様、神様、石頭の神様、頭の上に天然パーマをのせた神様(高志は髪が縮れています。)どうぞ明日も大猟であるようにお願いします。アーメン、ソーメン、冷そうめん、うどんにラーメン、ハンバーグ」と祈ったものです。久しぶりに男の子らしくふるまえたと思っています。不思議なことに、杉山さんと居ると私はだんだん男っぽくなっていきます。

 いつのまにか十七才になった。陰謀だ!

一九七五年 十二月二十一日
 焚火をしてさつま芋を焼きました。手を真黒にして食べながら、大声で歌を歌いました。
 暇で困っています。連日杉山家に電話をかけています。「もしもし。」「はい。」「今日遊べる?」「はい。」「じゃあ今から行くからね。」「はい。」……「はい」だけで電話が終ったりして。貴女がくる時もトランプやゲームなどではなくて、貴女としかできないような特色のある遊びをしたいのですが。  数週間学校へ行かずに暮していて思うのですが、家族間の暮しではどうしても学校へ行っていた時より中味の薄い生活になってしまうと思います。学校に行き、いろいろな刺激を受けてこそ成長し、自分なりの哲学も生まれてくるのですね。

一九七五年 十二月二十五日
 今、ボーヴォワールの「第二の性」を読んでいます。二十一日に、学校へ行った方がいいというような文を書きましたが、それは私の甘えだったと、今思います。著るしく物事を考えなくなってしまいました。病気のせいといえば体裁は良いのですが……。それに結婚すれば女の居場所は家庭しかなくなるのですから。
 この頃みじめです。時がこんなに早く過ぎていってしまうから。それなのに何もできない。焦ってしまう。だんだん悪い子になってしまう。

 クリスマスおめでとう! 昨日は母と苦心してケーキを飾りました。この頃よくこんなことをします。

一九七五年 十二月三十一日
 今日はもう大晦日です。二十八、二十九日は大掃除、三十、三十一日は一日料理をしていて手のあくひまがなかったのです。錦玉子を作ったり、パイを焼いたり、シュークリームをふくらませたり。今日、従兄がきました。

 詩を勉強するのは、文学学校へ行くのは、四、五年早かったと、今思います。他人の詩も満足に読みこなせない子供なのに。自分の詩はかくあるべきという礎もなく、ただ流されて詩を書いていました。こんな詩を投稿することはやめた方がよい。

  くちなしの匂いが空気に滲んで
  あなたの長い黒髪がひと筋の川になる

  何度数えなおしても
  ひと粒はふた粒に変らないで
  そのまま夜が更ける

  樹々の囁きが小さくなると
  音もなく鏡が割れて 透明になる

 詩を書いているとなお限りなく楽しい。詩を書くことは情感をおしひろげることだ。自分の情感に包まれて、それをノートにピンでとめることだ。

 いつのまにか正月になり、いつのまにか一七才になる。いつのまにか結婚した女になってしまうのだろうか。いつのまにか年老いた女になっているのだろうか。

 一日。あけましておめでとうございます。よいお年をお迎えください。
 これまで一生懸命に生きてきた私。それを好ましく思う。無反省だろうか。

一九七六年 一月某日
 今日は。また物語を見せて下さいね。時間があればあるほど沢山のことができるとは限らない。二年になったら勉強に打ちこもうと思っています。
 ここ数日、調子が悪くて寝ついていました。もっと勉強しないといけないと思う。まわりを見まわすと焦ってしまう。

 友達への不満がある。ぶっそうな話だけど、時々友達の顔を殴ってやりたい衝動にかられる。駅に立っていると快速電車が通りすぎていく。その前に身を踊らせて飛びこみたい。これも衝動。コックリさんで昔いわれたように、本当に十八才の二月に自殺するのでしょうか。あり得ると思う。

 私はもしかしたら、性格が重すぎ、暗すぎるのかもしれない。私はお喋りではない。他人のお喋りも聞いていられず、他のことを考えている。思い出のノートを作り始めたことは書いたかしら? 昔の空想を絵や文に整理しています。今では昔のこういう空想が、私の宝であるような気がして。私が空想の名を呟くと、その世界と私の世界との間の扉が音もなく開くのです。空想の家の絵を書いていると、この窓からはどんな景色がみえたか、この部屋でどんな事件が起こったか、この空地でどんなことが催されたか、一つを思い出すとまた次の一つが出てきて書ききれないありさまです。

一九七六年 一月某日
 今日は。青山さんと一緒にいると心が暖かくなります。愛のようなものが私の身体を満すのです。こんな風に他人に暖かい気持を抱いたのは、おそらくはじめてです。その気持を大切にはぐくみたいと思います。

 今日、死にたいと思った、これまでの一生をふり返ればマイナスの面が多いような気がした。けれども……これからがある、とも思った。未来に私は沢山の希望をかけている。色んなものをはかりにかけた上で、私は生れてはじめて、積極的に”生きよう”と思った。昔なら、死ぬ機会を待っているうちに、死にたい気持がなくなっていくケースだったのに。”死にたい”から”生きたい”に変ったのは重要事項だ。三国へ入った時から私は自分に自信を持つようになった。そんなきっかけで、死にたい、逃れたい気持がなくなっていったのだと思う。いい大学に入りたい。心理学科へ進みたいと思う。

 高校に入ってから、ごく短い期間を除いて男子を好きになることがなくなった。誰をみても私という人間を理解してくれそうにない。しかし興味はある。西野君に交換日記を頼んだのも興味があったからだ。丹野君にも興味がある。将来偉大な小説家になるのだという。

 いつも自分が逃げ腰であるような気がしてならない。

 風の吹く野原で
 私はずっと目を閉じて待っていました。
 足もとに
 白い花のひらく音がしました。
 そっと膝まずいて
 昔の物語を紡ぎ始めると
 急に声を失って
 動物たちは死んでゆきました。
 足跡は枯葉に覆われてゆくえも知れず、
 どこからか聞こえていたバイオリンもやみました。
 静かでした。

  とりとめのない唄

 あなたは水からあがると
 小さな吐息をついた
 夜が
 階段を降りてくる
 長い物語が始まる

 ぎんやんまの目にひびが入った
 そのまま透きとおって空気に溶けていく
 盲のぎんやんま

 うしろ姿を追いかけていったのは誓って私じゃない
 空気の色が
 急に濃くなった
 私は一人でうつむいた

 あなたのセリフを聞こう
 風が吹いている
 ガラスの扉が音もなく開く
 宇宙からの波長が届く

 そして深みに溺れていった

一九七六年 一月某日
 今日は。学校へ必死で行っているという感じです。ともすれば保健室へ行きがち。

一九七六年 一月某日
 幼い頃から憧れてきたものが私にはあった。こうして火の前に坐っていると思い出が流れはじめる。昨日、それはうつろい易く、かげろうのように毀れ易いものだった。今日はまた別の思いが私の中にある。

 そしてあなたは坐っていました。霧の中に見えかくれするあなたの髪は解けていて……。もう物語は聞きたくないの。唄をください。

 私は私の変った行為に、ありふれた動機などつけてほしくないのです。

 今日は。私は、私が昔持った目的や、昔行った変った行為を大切に誇らしく思っています。手首を切ること。幻聴の世界……私はこういった痛み、苦しみの経験によってますます自分を他者から区別し、もう誰にもなりたくないと思うのでした。鶏が卵を暖めるように、私は私の体験を大切にあたためてゆきたいのです。こうして私はなおさら自己と他者の間に深い溝を築きました。自分が個別的になるにつれて、自分というものは大きく、より豊かに私の目に映ってきたのです。でもこんな私が、どうでもいいような他者と交わりたく、解ってほしいと感じるのは何故でしょうか。自分というものを一層複雑にしたいと願っている私が、時に心の底から”理解されたい”と願うのです。
 理想の配偶者、など考えたことのない私が、この頃理想の男の人ならよく考えます。というのもまわりの男の子に不満だからです。みんな私の横を通り抜けていく人で、私の核芯は理解してくれそうもないのです。

 私は冬枯れの季節が好きです。枯れたせいたかあわだちそうの野原を見ると、胸が痛くなってくる、それほど好きです。でも雪景色は嫌い。甘すぎるから。鋭い寒気の中で、さえざえと林立するせいたかあわだち草が好きです。

一九七六年 一月某日
 私が過去に沈みこむのはそれだけ現実に惹かれるものがないからでしょうか。私にとって値うちのあるものが少いからでしょうか。退屈な友達にあいづちを打ち、忍耐の限度を試されているようなのです。友達に接すると心をおろしがねですりおろされているような気持になります。私の心が柔らか過ぎるからでしょうか。そこで私は、乾いた時に水を欲するように杉山家へ電話をかけるのです。杉山さんとする遊びはたいてい私を夢中にさせます。きっと発育不順なのでしょうね。私は彼女よりうんと幼稚で精神年令が低いのです。まだあたりさわりのない話をするほどさめてはいない――といったら弁護になるかしら。それとも好き嫌いが激しすぎるのかしら。貴女がいつか話してくれたゲームの中に、急に授業中に立ち上るのとか、先生に鉛筆を貸して、返してくれたらそれを持ってにっこりするのなんかやっていられないと思います。それでいてせいたかあわだち草の茎なんかを結構喜んでふりまわすのですからね。私には多くの人がその遊びに夢中になると急に冷めてしまう傾向があります。みんなの方向について行っても、ふと考えこんでしまうのです。そして周りに人が多くなると、逃げだして自分の中にとじこもってしまうのです。杉山さんに「どんな所がいい?」と聞かれると反射的に「人が居なくて本が沢山あるところ。」と答えてしまう私です。

一九七六年 二月某日
 今日は。遅くなってごめんなさい。学校から帰るとすぐダウンしてしまって……予習が精一杯の毎日です。その上今日は杉山家に直行してしまった……反省。
 今は杉山さんの影響か、現実も良いものだという考えに変っていて、気持がすっきりしています。このところ毎日、メアリーポピンズによれば”ベッドの悪い方の側から起きた”気持でした。することなすこと気に障って、いても立ってもいられない気持。杉山さんは私にとっての精神安定剤です。

 やはり私は精神年令が低いのだ、きっと。大人たち(クラスメイト)とはうまが合わない遊びたいさかりの子供なのです。どのクラスメイトと一緒にいても苦痛でしかない。感情の周波数が違うんだ。ところで質問。私は貴女と一緒にいても苦痛でしかないだろうか。殆ど日記上の付き合いばかりで遊ぶことは数えるほどしかありませんね。たまに合うとなつかしさでいっぱいで、気が合うかどうかなどとは考えることもない。でも交換日記がこんなに続いているのは、たぶん似ている所があるからでしょうね。でももし、毎日顔を合わせ、いつも一緒に居なくてはならないとしたらどうかしら?

一九七六年 二月某日
 友達というのはやはりどこか似ている点がなければならないと私は思っています。貴女と私は書くことが好きな点。でなければこんなに長く交換日記を続けられなかったと思うのです。貴女と同じく、私も友と一緒にいるのが耐えられない傾向にあります。そこでも私と貴女は似かよっています。それとも誰でも他人といることは嫌いなのでしょうか。そうは思えないのです。ところで、私にはどうも私達のつながりが貴女のいうようにS極とN極だとは思えません。それは貴女を誤解しているからかしら? でもあまり気が合うとはいえない、ということはいえると思います。貴女がきたあと、私はとても疲れてしまうから。”存在”だけで満足する友達など理解できません。

 昨日から私は何も考えずにいた。道端の花がゆれる。こうして貴女を捜していると、淋しい唄が聞えてきてしょうがないのです。貴女はいつも黙っている。もう一人の私であるあなた。捕まえても捕まえても逃げられてしまう。もう疲れきってしまった。貴女はやはり遠い風景の奥から、こちらをじっと見つめている。

 散文の中の貴女とは私であり、他人であり、一つの理想であり、友達であり、幻です。

一九七六年 二月某日 土曜日
 ある人のいうところによりますと、友達といつも一緒にいるのは常識だそうです。学校はいつもの通り。このほど現国の先生が、一時間に「ま」と三八八回いいました。下らないことを数えています。

 病気は終った。そろそろもとの生活に戻ってもいい頃。もとの理想をかかげ、もとの考え方に戻ろう。今までずいぶん自分を甘やかしてきたような……。いい人になろう。やさしい人になろう。

一九七六年 二月某日
 弟は小学生なのにずいぶんよく勉強します。今の私よりずっと勉強家です。英語、声楽、ピアノ等……。本人は三国へ入って少くとも私より良い大学へ入らなければ恥だといっています。母は全然いわゆる”教育ママ”ではないのですが……。英語も音楽も自分からやり出したのです。そこで私が「えらい高志。」「立派な高志。」と呼ぶと、「不健康だ、寒けがして風をひいてしまう」とひどく嫌がります。

 木、金、土と名古屋へ行きます。
 授業についていけないで困っています。よく保健室に行くので授業がぬけてしまい、ますます解らなくなってきました。あと一年ある、と自分で自分をなぐさめています。留年することに甘えているのは嫌なんですが、近頃の私はとんと私のいうことをききません。今日もマンガを買ってしまった。もがいてもこたえないような、他者のような自分。これが病気の間に作りあげられてきた私なのか。

一九七六年 二月某日
 スピーカーが音楽を流しています。まわりには数組に別れて喋っている人間たち。こうしていると、自分が本当にどこにも属していないような気がします。いきいきとしている貴女が羨しい。私の方は、やっとエンジンが作動しはじめたばかり。車でいえばチョークをひいている頃。
 もう疲れきってしまった。学校へ行くのが一仕事。いけないなあ。こんなことでは。
 他者を大目にみること。いつも一定の寛容さをもって他者を眺めること。そうすればこのいらだちが直るかもしれない。

 人と付合うのに苦労する。あたらずさわらず調子を合せて自分を抑えつけているのがどうにもやりきれなくなる。はじめは人を傷つけないようにしようと、ごく素朴な動機から始めた習慣だったが、今では無意味となったどころか、かえってそれが人を嫌いになる原動力となっている。『あなたなんか大嫌いだった。』と面と向ってその人にいう場面をよく空想する。人と離れる度に暗くなる表情を感じる。”自分の顔”をとりもどしただけなのだ。  思えば人と楽しく接していたのは中学一年の時だけだった。花田さんと終日詩や短歌や小説の話をしていた。楽しかった。結局私が楽しめる話題とは書くこと以外にはないのだろうか。

一九七六年 二月某日
 心の中にいつも黒いものが渦を巻いているような気持。何かあれば噴き出そうとしている。友のちょっとした行為がひどく気に障る。
 この頃自分に甘くなってきた。甘く、というより無視するといった方が良いだろうか。予習をどのようにしてやるか、復習をどうするか、再び二年になったらどう勉強するか、そんなことしか考えていないのではないか。しかもそれほど勉強にも打ちこめていない。水のように一日が流れていく。

 この頃朝起きても夢を憶えていない。何やら一生懸命にやっていたという記憶だけが残って、何をしていたのか思い出せない。大切なものをなくしたという気がする。
 私はどんな人を求めているのだろう?書くことの好きな人? どうもそれだけではないような気がする。でも、今まで私の親しい友になった人は皆書くことが好きだった。ユーモアのセンスが同じこと、これも大切、それから真面目に物事を考える、絶えず問題意識をもって物を見る……でも、そんなものが何もなくても私は人を愛せる。ただ、そうしたものが無い人ばかりだったら私は干からびてしまう。これは事実だ。貴女がいて杉山さんがいるからこそ私は精神の正常を保っていられるのではないか。
 杉山さんと、マンガと小説とを合作しています、他の人間に対する杉山さんの目は鋭い。今一番何をしたいかと問うても答えられない人が多いとか、やさしいから文科系へ行くのはおかしいではないかとか……。

一九七六年 三月六日
 突然マンガに丁度良いストーリーが浮んできて興奮してしまい、あまり勉強できなかった。SFのネタにしてもいいな。
 円地文子の小説をこの頃よく読む。「女面」と「女坂」が好きだ。前者では女の持つあやしさ、妖気がよく現れている。「妖」の中には的確な、胸のすくような心理描写があった。  杉山さんと私とは外見が違うのに似たようなことをします。相談するわけでもないのに同時期に星の研究を始めたり、源氏物語の口語訳をやったり、むずかしい物理の本、量子力学の本などを読み始めたり……。

 このまま大人になってしまうのかしら。大人になるのが面映ゆく思えます。何かをはぎとられることのように思えます。それで、ストッキングははかないとがんばって、タイツに執着したり、恋愛小説にそっぽをむいたり。いつのまにか母より大きいぶざまな身体を持つようになった。もう十七才なんだ。十七才……本当とは思えない。十七才という大人になりかけの年をまだ遠いもののように見つめている私。

一九七六年 三月某日
 「ベストフレンド」を買いました。貴女の書いた中に出ていたので。でも眠くなって最後までは読めなかった。退屈な本だと思います。今「楡家の人々」を読んでいるが、その方がずっと面白い。これは私の読み方に問題があるのだろうか。何というか、説得力が弱いと思う。本当に人を説得する本というのは、ただ信念や思想を並べるだけではいけないのだと痛感した。買って失望してしまった。
 九日から名古屋へ行ってきました。帰ってきたところです。自動車で行ったのであまり疲れなかった。またどこか旅行に行きたい。秋芳洞など一人で行ってこようかと考えています。


昭和五十一年 再び高校二年

一九七六年 四月十一日
 今日は。私の後ろの席の石川さんはとても空想好きです。はじめての日、私が席に鞄を置くとすぐに見つけてやってきて、「あなた伊賀さんでしょ?私貴女の来るのを待ってたの。でも想像していたとおりの人だったわ。いろいろ考えてたのよ。」と。それから先生が休まれたので一時間語りあかしました。彼女は赤毛のアンの大ファンで、アンのような子供の空想を聞いてやれる母親になりたいといっていました。毎夜モンゴメリーに感謝の祈りを捧げるそうです。でもあれは感謝になっていないのかも知れない、モンゴメリーのような大作家にして下さいとお願いしているのだからとか。彼女は童話作家になりたいそうです。家には桜の木が一本あって、それには「落日の女王」という名がついているそうです。だから私も鞄を持ちあげてみせて、「これ、みどりちゃんというの。といいました。すると鞄にまで名前をつけるのかと笑っていましたが、でもだいぶ名前のロマンチックさが違いますね。私はついでに「赤デカオモ」と「デカオモ」の話をしました。両方とも家のクッションの名前です。片方は赤くてデカくて重いから、もう片方はデカくて重いからです。両方とも弟がつけました。笑って、「その二つのクッションに対面したいわ。」といっておりました。
 彼女はとても美しい話をします。「死んだら人魚姫のように空気の精になりたいわ。そして六百年間人間を幸福にするの。夕方には夕日の衣をまとうのよ。人間は死んだら蒸発して虹になるの。」「どうしてそんなことを童話に書かないの?とても綺麗よ。「小さい時書いてみたんだけど、書こうとしたら一枚の絵になってしまったの。それをお母さんに見せたら『何?これ』といわれて、結局”うわばみの絵”になってしまった。」「じゃあ私がワトソンのように筆記するわ。」こんな会話です。石川さんは「夜は神聖な時間よ。」といいましたが全くそうです。

 私の病気がやっと解明されました。「間脳機能障害」というのです。間脳に膜ができる病気です。それから知能指数が非常に高く、一四〇以上で、情緒が非常に低く、アンバランスなのだそうです。考えるに知能テストというものは慣れるに従って上手くなるものではないかしら。どうもそう思えます。情緒性が低いということは、人と感情の持ち方が違うということなのだそうです。私は観念の世界に住みすぎて、もっとお掃除とか土いじりなどをすべきなのだそうです。そこで一日目だけ頑張って、屋根の上までふき掃除をして叱られました。でもあそこはいつも寝ころんで星を見る所なのできれいにしておきたかったのです。

 弟と秋吉台へ行きました。秋芳洞はすばらしかったですよ。あまりの素晴らしさに立ち止って見とれていると、すぐに弟が戻ってきて「姉どん。早く行こうよ。時間がないよ。」とひっぱりにきます。(そのくせ早過ぎて、着いた頃にはユースホステルはまだあいていませんでした。)弟ときたら感動というものを持たず、何かを見ると、「おっ、あれはシュークリームのようだ。いや、バースデーケーキだ。」と喜ぶのです。私は柵がしてない所はあちこち行き、岩があるとよじ登ってもみました。鍾乳洞の美しさのため、少し野性的になっていたのです。その度に弟が、「姉き、いけないよ。」といいながら自分も登ってくるのです。私は近視と乱視があるので名称の札が読めず弟に聞くのですが、「あれはねえ、鯉の滝のぼりだよ。いや違う鰻の滝のぼりだよ。間違えた。海月の滝登りだよ。」あんまりではないですか。近寄ってみると海月の滝登りではないですか。黄金柱という素晴らしい柱があって、あまりの美しさに登っているとパッとフラッシュが光りました。誰かに写真を撮られたらしいのです。今頃は秋吉台一帯に「こういうことをしてはいけません」と悪い見本としてはり出されているのではないでしょうか。
 ユースホステルに着くと、私は心細さのため弟に是非一緒に居てくれ、と頼みました。ところが薄情者の弟は私を無視して男部屋へ逃げこむのです。仕方がないので私は三〇冊くらいあった「少年マガジン」と「少年サンデー」と「少年チャンピョン」を全部ヤケ読みしました。夕食までに大部分を読破できました。その時弟が何をしていたかといいますと、隣の子と「お互い暇だなあ」と寝ころんでいたそうです。夜もその子と相談して「パジャマを着るのはめんどいからこのまま寝ようか」と、そのまま寝たそうです。ところがよくよく聞いてみると、その子というのは大学生ではないですか。せめてお兄さんくらいにいえばいいのに。
 男部屋では一人をのけて全員がそのまま寝たそうです。男って本当に不精者ですね。最後に一人だけパジャマに着替えた人は、ずっと坐って鏡を見ながら髪をといていたそうです。これも少し異常ではないでしょうか。夕食は肉ものの少い哀れなものでした。夕食後皆でミーティングやゲームをしました。ユースホステルでは大抵二段ベッドですが、柵つきなのにごく稀に落ちる人があるそうです。ドシンと音がするので行ってみると、女性などは可愛いもので落ちたまま寝ておりますが、男性となると恥ずかしくてあわてて蒲団を持ってはしごを登り眠ったふりをするんだけれども、手の方がブルブル震えているんだそうです。毛布のたたみ方も習いました。それから皆握手をして、名前と顔を覚えるゲームをしました。短時間のうちに八人の名前を覚えた男性が商品を貰いましたが、その八人が全部女性なのです。九人目は男性だったけど忘れてしまったそうです。夜は皆グループを作っていて、私は一人淋しく天体の本を読んでいました。朝は一番遅くまで寝ていて、あわてて起るともう全員蒲団をたたみかけているではありませんか。あわててたたんでみると毛布五枚のたたみ方が皆違っていて、やり直して、三階から一階の食堂に馳けおりて並んで考えてみると、食券を忘れていて、又三階まで登りに登って……とにかくいい運動でした。弟に逢えず、弟が洗面用具を持っているので顔も洗えず、貰った朝食はみそ汁一杯と香のものだけ。後からご飯と卵があることを知りましたが取りに行くのがめんどうくさいので食べずに終りました。少しは痩せたでしょう。ホールに行くとやっと弟に逢えましたが、地獄谷に行くか行かないかで口論になりました。八時半になっていたでしょうか。弟が私をからかって逃げ出したので腹が立ち、男部屋まで追いかけて行きました。誰も居ず、弟が一人寝そべっていました。弟の言葉を借りると、その時私はバタンと扉を開けてぐるっとあたりを見まわしてから、ニタッと笑って引き下ったそうです。あとで母がそれを聞いて「貫禄十分だねえ」と笑いころげておりました。
 ユースホステルでも時々ふらふらして、時には本当に倒れてしまったくらいですから、帰りはもうめちゃくちゃで、やっとのことで家にたどりつきました。途中から弟が荷物を持ってくれました。ところが羽衣へ着いて十字屋(本屋)を見ると急に元気が出て十字屋へ入ったので、弟は「ひとに荷物を持たせておきながら」と大変怒って先に帰ってしまいました。家に帰ると弟が、「姉どんの荷物、本屋の前に置いてきたよ。」というではありませんか。そこはいつもの弟のこと、後姿も見とどけたことだし、しらけ鳥が飛びまわっているなあと思いながら落着いて坐っておりました。暫くすると弟がにやっと笑って、「もうこのくらいで出してやろう。」と、こたつの中から私の荷物を出してくれました。大変しらじらしい旅の終りでした。
 皆が私の病気のことを心配して下さるようです。新学期が始まって最初の日も私は休んでしまったのですが、もとの(一年と二年の時の)友達五、六人が様子を見にきてくれたそうです。私を入れて落第した人が四人、後の三人は成績の為にかと思うと三国の恐ろしさにぞっとします。何しろ勉強の鬼の集りですものね。私も交換日記を続けられそうにないのです。貴女も入試だし、両親も交換日記をやめろというし、勉強以外の本は一切読まないことにしました。杉山さんもやりたいことは皆やめて、一年間勉強するといっています。今、家族が私の様子を見にきて、勉強していないのでブツブツいっています。どうしたらいいのでしょう。二年になったら皆必死ですものね。(もっとも一年からそんな人が大部分だけど。)貴女も交換日記が無い方が勉強に身を入れられるのではないかしら。杉山さんも受験さえなかったらドイツ語・ギリシャ語・電波天文学・SFやマンガや源氏物語の口語訳や、何でもできるのに、本当に時間がもったいないといっています。”大学生になったら”というのが今や二人の合言葉になったようです。この間は七時半までスリの家でねばっていろいろ討論しましたが、結局私達はこれ以上遊ぶわけには行かないようです。大学生になったら二人で旅行して、また椅子や毛布で家を作ったり酒場を開いたり……(幼稚ですなあ。)でもそんなこと考えていたら何だか佗びしくなってしまう。とにかく、この交換日記をどういたしましょう? もし二年間やめたとして。片方が鹿児島大学へ行ってもう片方が国後島大学へ行って<そんな大学あったかなあ???>そんなことになったらこの交換日記はどうなるのだ。やっぱり大学になってもずっと続けたいのが私の本音。あなたはどうですか。これは重大問題だと思うから是非お返事を下さい。
 私はこの頃皆に変ったといわれます。明るくなってお喋りになったとか。

一九七六年 某日
 今日は。沢山の人と接し、沢山の人に失望しました。
 私は京都大学か東京大学の天文学部へ行くことに決めました。二つの大学のレベルはほぼ同じです。上位五〇番くらいに居れば合格率はほぼ五〇%、浪人すれば楽々だそうです。今年我が校では京大に四十二人入りました。いつか心理学部に行きたいといっていたのは、どこの大学にも学部があり、お金にもなるからだったのです。でも私はやはり天文学部が好きです。京大では天文学部には第一講座と第二講座とがあり、第一講座の方は理論、第二講座は観測が中心で、互に仲が悪いとか……。私は学者になりたいから無論理論の方へ行きたい。考古学、哲学といろいろ考えましたが、やはり天文学がよいのです。一生かかって何かを研究するということは、どんなに楽しいことでしょう。有名にならなくてもいい。お金は無論要らない。結婚もどうでもいい。ただ勉強したい。考えていたいのです。弟にこの決心を打ち明けると、「よけい売れが悪くなるぞ。顔が顔なのに。」だって。(アノヤロウ、イツカブッコロシテヤル。)私の知能指数は京大生の平均を上まわっているのですから、あとは意志の問題です。よってこの交換日記も続けられそうにありません。もし続けたとしても、勉強の為に家では絶対に書かないことにします。学校での僅かなまあいをぬってなら続けられないこともなさそうですが、書く量が少くなり、かつ遅れがちになることは避けられません。どちらにするかは貴女の意志に従います。どうか私のこの決心(大学への決心)がいつまでも続きますように。そして私の意志が強く”空想への誘惑”をはねのけられますように。
 貴女でなければ私はこんな強引な書き方はしなかったでしょう。貴女はいつまでもこんな強引な私を受け取めて下さった。私が何も隠さず自分をぶっつけるのは、いつもこのノートです。(といっても私には、貴女の知らない嫌らしい面があるにはあるのですが。)私はこのノートに、自分の若さをそのまま、荒削りにしてきました。他の人なら敬遠するようなことも、貴女は黙って受けとめてくれました。

 私のまわりの友という友は、吉原幸子のオンディーヌの詩一つでさえ、読みかけて閉じて、「むずかしい」と嫌がる人が大部分なのです。私は時々、(貴女のことは知りませんが)何にも夢中になっていない友が、奇妙な、生白い、ぶよぶよした生き物に思えてなりません。杉山さんだけ例外で、私と杉山さんとは夢中になることがありすぎて、忙しくてたまらないのです。暇な人とは、何とかわいそうな人でしょう。ところで杉山さんは年甲斐もなく「海のトリトン」に夢中になっていて、全回もらさずテープに録音しています。夢中になったことがどんなに下らないことでも、そうして夢中になれることは素晴らしいと思うのです。

一九七六年 六月四日
 先ず本を長い間ありがとう。でもトールキンの小説は、C・S・ルイスより面白くありません。主張がないから。「カッコーの巣の上で」は何となく最後を疑いの目で迎えました。精神病者でもない者が、それほど簡単にロボトミー手術などを受けるでしょうか。こんな殺人行為が現実に許されているだろうか。これは現実を遊離した映画ではないだろうか。こんなことで、興味が半減してしまいました。

 前回を読むと、かなり勢込んで、交換日記を書かないといっています。でも現実はベッドの上にばかり居て、予習、復習、宿題さえやっていないのです。病気の為にやれなかったというのは多分嘘だった。今、それが解ります。テスト勉強も全くしなかった。これは恐ろしいことです。恐ろしい点にむすびつく。現国がわずかに七一点という有様です。寝てない時は学校に行ってるんだ。学校にいない時は寝てるんだ。というような生活、の不毛さ。この不毛な生活が破られたのは確か五月三十一日でした。文化祭にクラスの劇をやるから夕鶴の台本を書いてくれ、と頼まれたのです。理由は、やりたそうな顔をしてるから。(まさに!)それで日曜日の午後からコーヒーを飲んで、寝ずにがんばりました。ひどい胃痛でしたが、十時頃、木下順二の「夕鶴」の縮小が完成。でも私が書きたいのは、そこから先の物語なのです。それを下地にした。ヘッセの言葉を借りれば、「地上の事象はすべて一つの比喩である。その比喩は心に用意ができてさえいれば、世界の内部に入れる開いた門である。」ということなのです。十時から夜明けまで、洗面器を横に置いて胃液を吐きながら、私は「続夕鶴」を書きました。夢中でした。それが家で起き始めた最初でした。次の日学校へ持って行くと、指野君(監督)に長すぎるからという理由で、何の断りもなく後半、続夕鶴の部分を削られてしまいました。あたりまえのことですが、泣きたいほど悔しかった。次の日、断乎抗議。よって後半の「続夕鶴」だけをやることになりました。作者の意志も聞かず、勝手に削るなんて、著作権問題です。おまけに私は助監督になりました。実質的には、照明や舞台装置の監督を指野君が、台詞や動作の指導を私がします。余談ですが指野君は魅力的な人です。昔、男子に対してとても気むずかしかった私が、この頃色々な男子を好きになるようになりました。どの人にもそれぞれ良い所があります。例えば、惣ど役の有木君ですが、台本に”間”と書いてあると、しばらく黙っていた後に私の方を向いて「もういってもいい?」と聞いたり、男子の持ってきたお菓子を、同じ助監督の山本君が、「これ食べてもいい?」「さあ?」……間……「これ食べてもいい?」「さあーね。」……間……「これ食べてもいいんか?」「いいやろ。食べえや。」それでやっと袋を開ける。なんて調子で、男子もかわいいものです。

 男子といえば、今三年の宮田君と友達になりたく思っています。作家志望の文芸部の人。彼の作品「鴉」は、中二コースに載せられました。深味のある作品で、私はこの作品に惚れこんだのです。昔の”好き”な気持とは程遠いのですが、女友達と同じような感覚で友達になりたいと思い、策を弄しております。
 追。やりたいことはやることにします。そうしないと、どうにかなってしまいそう。

一九七六年 六月某日
 友へ。文化祭の劇は土曜日の最後だそうです。こられますか。
 今日また指野君と議論(というほどのものでもないのですが)をしてきました。指野君とは大変話が合い、リズミカルないい合いができます。ユーモアのセンスが合うのではないでしょうか。私は指野君が好きです。その顔と身体つきと、もののいい方とユーモアが好きです。それだけで、どんなに一人の男の子が私の目を喜ばせることか。私の知っている指野君とは、顔と身体つきと、もののいい方とユーモアの感覚、これだけで全部です。友達になって、話を交わしてみたいと思います。気に入らない所もあるのですが(それは鞄に縫いぐるみをぶら下げていること。ああいうことは、まともな男の子のすることではありません。)私だって杉山さんや貴女のすべてを気に入っているわけではなし、友達になる分にはかまわないと思います。ただ指野君という人は、私をくつろがせてくれても、私の闘争心を満足させてくれるかどうか……これは観察を要すると思います。どちらにしろ、私が好きになったことは、私のたいくつしのぎではあるわけです。

一九七六年 六月某日
 今日は。貴女に書こうと思ったことはみんなやめました。この淋しさだけが私の財産。何という日でしょう。
 指野君を想う気持。本当は男の子を好きになっている自分に嫌気がさして、押えようかと迷ってしまいます。過去のことを書くのは得手ではないけれど、書いてみましょう。指野君を好きになってから、ある日ふと、バスの中で思ったのです。好きになると、指野君はこんなにもいつも私の頭と心の中に宿っているのだから、もしかしたら人を好きになることは軽蔑すべきことではなく、人生において重大ば大切なことではなかったのかしら。私は今まで、好きになると自分で自分が思うままにならないので、好きになることを軽蔑していたのです。好きになることは自分に負けることでした。けれども今では、この気持を抑えつけるまいと心に決めました。
 それからどうだったか。二、三週間前のことなんか忘れてしまった。とにかく、自分の気持を抑えるべきかどうかの心のゆれ動き。もうやめよう。いや、好きになるのは良いことだ。指野君はどうやら私のことが、どちらかといえば嫌いなようで、(それは私と話している時の顔を見て見当をつけたのです。)そんなことで心がゆれ動く自分がいまいましくて、でも、”あの人は私が嫌いだ。だから私もあの人を好かない”と、自尊心を盾にひらき直ってしまうことが何だかとても不純なことに思えて、それもできないのです。そのうちに、私が指野君を好きということを指野君に知って欲しくなりました。付き合ってほしいのではない。ただ、指野君を好きな人として私を眺めてほしい。それからこんな気持が発見できたということは、私が”好きになる気持”について一つ知り、それだけ経験が深まったのだから、好きになったことは良いことだったと、こうも思うのです。でもこんなことが書けるということは、それはM君ほど指野君を好きではないということなのですね。M君を気にかけてから五年半。昔はM君のこととなると、理性を無くすのが恐くて何も書けなかった。そして書くとなると、まさに理性を失ったなあ。あの頃もっと真摯だった私。好きな人のことは囁き声でしか語れなかった。いつか貴女にM君のことを語りましょうか。大切な友に打明けたとて、M君は怒りはしますまい。一人占いをすると、古来M君はいつも吉、指野君と宮田君は凶。こんなことに動かされている私です。でも確率を無視して、いつもこうなるのは何故かしら。トランプ占いは当るのかしら。こんな風に好きな人のことを話せる自分がとても嫌。もっと純で激しくありたかった。しかたがないのね、大人になったから。宮田君は大変虫が好かないのですが、作品を見ると素敵。指野君は大変虫が好くのですが、作品は良くない。どちらも文芸部。こんなに男の子のことばかり書いて、軽蔑なさいませんか。でも男の子の世界にまで自分を広げたいのです。

一九七六年 七月某日
 今日は。有木君は面白い人です。例えは「続夕鶴」のことですが、つうが去って行くところ、人間の足で歩くとバタバタしているから、ローラースケートをはかせようとか、またつうの織った布を捜す場面で、ふんどしを見つけてそれを皆に公示しようとか云うのです。本番ではそれで鼻をかむ所作までやってのけました。練習の途中では「この劇の意味が解りません。意味の解らない劇はやることができません。」と喰い下るのです。石を地面にぶつけて、「これがよひょうやろ。」次の石を叩きつけて「これがつうやろ。」もう一つ石を叩きつけて「これが木ィやろ。」思わずこちらも石を叩きつけたくなってしまうではありませんか。「監督さん。あんたは解りますか?」「え? いや、あの、その……」「解っていないのに監督をやっているのですか?」と、なかなかきびしいのです。
 策を弄したおかげで、宮田君と友達になれました。彼はなかなか文章に対する感覚、客観性が強いのです。強すぎるくらい。こういうわけです。まず私は宮田君に「鴉」を借りに行きました。すると宮田君は無いと云います。「原稿でも。」「出しました。」「返してくれるんでしょう?」「捜してみます。」二、三日して宮田君はやはり無いといいます。だがしかし、友達に頼んで活字になった「鴉」を借りてくれるそうです。この間、実はクラスメートに頼めば、「鴉」などやすやすと手に入ったんだけどな。こういう風にして、悪がしこく宮田君に近づいたのです。あとは何とか手の切れぬよう、次から次へと工夫して……。宮田君も通りすがりに私を呼びとめて「おい、これやるわ」と、「鴉」のエピグラムを書いてくれたりして……、不心得にも無くしてしまったけど。あれはランボオの詩だったかしら?宮田君も結構喜んでくれているみたい。それから小説のこととなると夢中になると見える現象も示してくれました。恰好の友達材料です。でも所謂”好き”とは違います。あのギョロッとした目が、美術の先生に似ていて気にくわないのです。

 コロニーの岡田先生(私の、今かかっている病院の先生)に不思議なことを全部お話しすると、霊だとも幻聴だとも決めつけることはできないとのこと。素朴な疑問を持って対しなさいとおっしゃいました。

一九七六年 七月某日
 お嬢さん、今日は。村上龍、興味深く思います。でもそれより、キェルケゴールの「誘惑者の日記」を読んでいるのですが、これが凄いんですよ。彼の恋愛論の象徴……と申しましょうか。でも受験をひかえている貴女に、これ以上妙な本の招介はよしましょう。この招介という字、合ってますか? 宮田君に出す手紙なら辞書を引くところだけど(彼は厳しいですからね。)貴女に向うと怠慢になってしまう。まあいいや、引いてみょう。……あっさり間違っていました。紹介なのです。
 頭痛なんか早く直すべし。名古屋にたちます。
 詩を書きました。一つ自分でも気に入った詩句があります。

  日常茶飯事となった愛
  の舌先が
  ねっとりと私をなめまわす

 こわいのです。こわいのです。”声”が恐いのです。もうどうしょうもなくなった。
 雨。
 驟雨。

一九七六年 七月某日

 今日は。お嬢さん。お元気ですか? 今私は、息もつけぬ状態にあります。あの”声”がまた聞えてきて。フォーリーブスのことで、トシ坊とコーちゃんなる人物がいると”声”がいうので、杉山さんに問い合せてみると、まさしくいたのです。どういうことなのでしょう。今、私は恐くて……。

一九七六年 某日
 今日は。お嬢さん。不思議なことが起こりました。このことから何を摘みとったらいいか、解らないのです。どうも私の頭脳は冷静さを欠いているようです。私はどうあるべきなのですか。
 より子さんの部屋で、幸福について話し合いました。

一九七六年 八月某日
 今日は、いろいろなことが起こりました。あの”声”は本物なのかしら。”声”のする予知がほとんど当るのです。
 沖永良部島行きは、飛行機の切符をとりそこねて行けぬ破目になりました。そこで、幼馴染の雅ちゃんに誘われて、キャンプへ行きました。四泊五日。でも四日目に胃痛。加えて(この方がもっと重大)M君の妹さんがキャンプに加わったので早速退散しました。彼女、クリスチャンとのこと。その兄は如何に。
 海では心ゆくばかり泳いできました。海の水がもっと美味しかったら、もっと沖へ行けたのに。緑色の海。キャンプ場にはハンモックがあり、泳いでいない時は終日それに執着していました。

一九七六年 九月某日
 書けない……書かない……書かせて……ほしくもない……呪い……いつも……いつも……助けて……憎んで……暗さ……暗さ……暗さの、重さの、苦渋の……。
 殺して……殺さないで……ただ……。
 あなたが知っていると思うと、何も書けない。

 ふと、昔を思い出して。昔、貴女が親友(深友?真友?)になってくれっていいましたね。私が断った時、それが精一杯貴女を大切にした私の心であったと、いいきってもいいと思うのです。親友になって、なった途端の打明け話。によって、早々に理解り合ってしまうことが恐かった。貴女をとっておきたかった。慎重に交わりたかった。それだけです。と、今ならいえる。
 つき離してきたことによって、長く友達であり得た、と思いませんか? ただ私が全く激情的にこの日記にぶつかってきたこと。馬脚を四本とも表わしてしまったことも事実です。気がつかないうちに、私の方から貴女を強引に親友にしてしまった。良かった、と思います。ぶつけて書いたことが、たとえある時期、貴女の軽蔑をかったにせよ。

 ”声”を聞いているうちに、ふと人間を見つめる目が薄れて、この内容が希薄になってもよい、と思うのです。
 知っていますか。
 知っていますか。
 信じました。
 大切なことは人には知られたくない。心に守っておきたい性格です。少しづつ、少しづつ、臆病にほのめかしたこともあった。M君のこともあからさまには書けません。貴女がどうでも良い人なら話せたに違いない。どうでもいい人なら、どうでもよく受け取ってくれるからか、どうでもいいことになってしまうからか。杉山さんにも話せません。貴女と杉山さんと、ずいぶん大切な人なのですねえ。

 私の好きな人は、きっとハイネの詩が好きな人だと、苦々しく思うのです。だからこそ大切にしておきたい。そっとしておきたいのです。目をそらしたい(これは大切だからですよ)人なのです。
 ひとつのものに向うことは、極めようとすることは、いやなものですね。

 また別の、貴重な宮田君が去って行きそうです。追う足を、二本とももぎとって、ね。その時には男であって、あの人の心に土足で踏み入りたかった、という愚痴です。



第二章 続夕鶴


場所

 与ひょうの家の前

人物

 つう
 与ひょう
 運ず
 惣ど
 りん(子供)
 子供たち



 与ひょうのもとから去っていこうとしているつう。

与ひょう  つう……どこさ行くだ……おおい、つう、おらも行くだ。おい、つう、つう……

つう だめよ。だめよ。あたしはもう人間の姿をしていることができないの。またもとの空へたった一人で帰っていかなきゃならないのよ……さようなら……元気でね。

与ひょう つう。おい、待て、待てちゅうに。

つう (思い直してか、また与ひょうのもとにもどってくる。)与ひょう。すべてのものの奥にわたしが居るの。あんたがその気になって、あんたの心が本当のものを知りさえすれば、あんたは私に逢えるのよ。……じゃあ……本当に……さようなら……(消える)

与ひょう おい、つう、そりゃあどういう意味だ? つう。つう。どこさ行った? つうよう……つうよう……(うろうろする)

 惣どと運ずがとんで出て与ひょうを抱きとめる。

運ず おい……

惣ど き、消えてしもうた……
 運ずの腕の中に失神したような与ひょう
 子供たちが馳けてくる。

子供たち (声をそろえて歌うように)おばさん。おばさん。唄うとうてくれ。おばさん。おばさん。遊んでくれ。おばさん。おばさん。唄うとうてくれ……

 しんとした間

子供のひとり (突然空を指さす)あ、鶴だ。鶴だ。鶴が飛んでる。

惣ど や、鶴。

運ず 鶴だ。

子供たち 鶴だ。鶴だ。鶴が飛んでる。(くり返しつつ鶴を追っかけて去る)

運ず おい、与ひょう。見や。鶴だ。

惣ど よたよたと飛んで行きよる。

 間

惣ど ところで。のう、二枚織れたちゅうはありがたいことってねえけ。

運ず (一心に鶴を目で追いながら)ああ、だんだんと小さくなっていくわ……。

与ひょう つう……つう……(鶴を追うように一、二歩ふらふらと……布をしっかりとつかんだまま立ちつくす)

 暗転
 与ひょう、家の中に坐り、じっと壁を見つめている。
 惣どと運ずがやってくる。

運ず (床に足をかけながら声をかける)なあ、与ひょう。

惣ど あれからもう三日もたつちゅうに。

運ず 壁ばかり眺めて、どうしただ?

惣ど まだ布を売りに行かんとか?

与ひょう おら、つうを探しとるだ。つうはすべての物の奥にいるちゅうた。なら壁でも見つめとれば、つうが出てくるかもしれん。

運ず (なだめるように)だども本当のもんが解っとんなければ、見つからんいうた。

惣ど都へ行けば本当のもんが、きっと見つかるだ。な、都さ行こう。

与ひょう 本当け? 都さ行けば見つかるんか?

惣ど そうだとも。きっと見つかる。なあ、運ず。

運ず そ、そうだとも。都には本当のもんがごろごろしてるけに……。(あわてて横を向く)

惣ど 今日にでも、はよう布さ持って行こう。

与ひょう いかん、いかん。この布はいかん。つう織ってくれたとに……(布をつかむ)

運ず 二枚もあるとじゃけに、いいわさ。

与ひょう いやだ! 出て行け。出て行け。これはおらとつうのもんだ。これだけはおらとつうのもんだ。…惣どと運ず、あわてて外に出る。お互い顔を見合わせて、ふり返りながら去っていく。

与ひょう (子供のように半泣きになって) つう。つう。何故行った。おらが悪かった。おらが悪かった。あやまるけにもどってきてくれ……つうよう……つうよう……(壁にもたれて顔を伏せる。ふっと顔をあげ)都さ行ってみようか。都にはほんまもんがあるちゅうた。そうだ。都さ行ってみよう。

 与ひょう大事そうに布を部屋の隅に隠す。
 黄金の袋をとりあげて、勇んで出ていく。
 行きがけに運ずと出逢う。

運ず どこさ行くだ。

与ひょう 都さ行ってくる。

運ず (喜ばしげに大きな声で) やっとその気になったか。そんならおらも一緒に行く。一緒に行って、布をうまいこと売ってやるわ。

与ひょう いんや。ほんとのもん捜しに行くだ。布は売らねえ。ほんとのもん、ほんとのもん、ほんとのもん、……(唄うように)

 運ず、あきれて見送る。それから自分もそそくさと去る。舞台、少し暗くなる。遠くからかごめかごめの歌。詩が読まれる。その大意は……。

  暗い森をぬけ 広い川を渡り
  与ひょうは一人都へ行く。
  長い長い旅。
  都には人。沢山の人。大きな屋敷。漂う琴の音。
  本当のものは見つからない。
  つうよ。つうよ。いつ逢える。
  本当のものは見つからない。

 舞台明るくなる。与ひょうが帰ってくる。
 のろのろとした足どり。疲れきった様子で、火のそばへ腰をおろす。

与ひょう 都にはいろんなものがあった。いや都に行きつくまでにも、いろんなものがあった。つうの手つきに似た枝ぶりの木があった。つうの呟きに似た音の川のせせらぎがあった。つうの面ざしに似た人がいた。お屋敷から漂う楽の音は、ひとときおらをつうのそばにいた時のような気にしてくれた。だどもつうはおらん。木や川はつうじゃねえ。(壁を見つめて、それを手で撫でながら)そうだ。この壁の、このへこみ具合だって、何となくつうの指の形に似ている。(しばらく壁を撫でている)

りん おじさん。おじさん。(外から声をかける)

与ひょう そして子供の目はつうの目に似てる。だからおら、子供が一層好きになるだ。(りんの方を見る)なあんだ、うすのろのりんか。

りん おじさん、おじさん、大事なごようじよ、ちょっと来て頂戴。

与ひょう なんだ。なんだ。(言いながら、りんに引かれて出てゆく。途中で運ずと惣どに出逢い、立ちどまる。)

惣ど やあ、与ひょう。本当のものは見つかったか?

与ひょう いんや、まだだ。ずっと捜してるだ。ああ、そうだ。ほんとのもん。ほんとのもん。

惣ど 布を売れや。ほんとのもんは金で買えるかも知れん。いんや、おらがきっと買うてきてやる。

与ひょう ほんとけ?……いや、いかん、いかん。あの布はいかん……でもほんとのもんが手に入るだ……いや、あれはつうの織ったもんだ……だどもほんとのもんを知って、つうに逢えるかも知れん……ああ!

りん ほんとのもん? ほんとのもんて何?ねえ、何よ… ねえ……(せつく)

運ず (よわって)嘘でないもんがほんとのもんだでよ。

りん わからん。そんなら文句はほんとのもんけ?(惣ど少し身をひく。与ひょうはっとする)

惣ど ほ、ほんとのもんだともさ。けんど与ひょうには、それが解らんらしいわ。お金はほんとのもんさ。ほんとのもんだけを大事にすりゃええものを、与ひょうは帰りゃせんつうに、つまり……もうほんとじゃあないもんにしがみついとるのさ。

運ず そ、そうだ。その通りだ。

惣ど なあ、与ひょう。いいかげんに目を覚まして布を売れ。おらたちがいいように売ってやるけに。

与ひょう (きっぱりと)やだ。絶対にいやだ。文句は本当のもんけ? さあ、りん。行こうな。(二人去る。惣ど腕組みをして考える)

  間

惣ど おい。いよいよこれは最後の手を使わにゃならんぞ。

運ず え?

惣ど おまえ、与ひょうの家にくわしいだろ? 布がどこに隠してあるか解らんけ?

運ず まさか、おめえ……

惣ど そうさ、おまえ。ちょいといただくのよ。なに、悪い事じゃねえ。与ひょうには金が入るし、おらとおまえも儲けられる。一石三鳥ってことよ。

運ず そいでも、ひとさまのものに……

惣ど ええじゃねえか。おい……

運ず そいでも……(二人もみ合う。そのうち与ひょうとりんが戻ってくる。)

惣ど (そっぽを向いて)ちえっ。(立ち去る)

りん そうよ。この枯木なの。(りんは大きな枯木の枝をかかえている)

与ひょう ふうん

運ず しばらくとまどっていたが、与ひょうの袖を引いて脇に叫び)ええか、与ひょう。あの布はしっかり持っとけよ。(すぐに惣どの後を追う)

りん おじさん。あたいの話聞いてよ。この枯木なの。

 与ひょうはあわてて隠し場所から布をひきずり出し、しっかりかかえて戻ってくる。

りん この枯木が、おじさんの所に居たいって言ったんよ。

与ひょう 冗談じゃねえ。枯木にものがいえるか。うすのろのりん。

りん でも言ったんよ。ねえ、ここへおいてあげてよ。ねえ。(一語一語に力を入れて)
 ほんとうにいったんだから。

与ひょう(おうむがえしに)ほんとうに? ほんとう?(急に優しい口調で)そうだな。りんにとっちゃ、ほんとにそう言っただな。いいよ。この枯木はおじさんと一緒にすまわせることにすらあ。

りん りんにとってだけじゃないわ。木は誰にでもものを言うよ。木だけじゃなくて、何でもものを言うわ。ほんとうよ。

与ひょう 解った。解った。もう暗くなるから帰らんと……。

りん いやっ。ほんとに言ったんだから。(与ひょう、りんをじっと見つめる。少しの間。りん、急に元気をなくす。)

りん もう帰るわ。

与ひょう ……

 りん去る。与ひょうは枯木を家にかつぎこむ。 

与ひょう はあ、ごつい枯木だわい。この木はつうのどこに似とるかいの。(言いながら布を抱いたままごろりと横になる。)それにしても、りんの目はつうによう似とるなあ。

 暗転、枯木の向きが変っている。与ひょう相変らず寝ている。惣ど出てくる。

惣ど あれから一ヶ月にもなるちうに、与ひょうは枯木をいじくりまわしては一ん日にらめっこばかり。がきらと遊ぶ遊ぶ時にも家の前を離れんし、夜は夜で布を抱いて寝る。すきも見せやがらん。

 惣ど、腕組みをしてあちこちうろつきまわるが、所在なく去る。与ひょう起上る。

与ひょう ほんにこの枯木はええことをした。少うし向きを変えると、違ったつうの仕種や曲線が表われてくる。忘れてたことを思い出す。……(淋しそうに)だが、やはりつうではねえ。(間)

与ひょう そうだ。この枯木一本が、こんなにもつうの仕種をよう表わすのなら、心は?心も表わしてはいねえだろうか?(手でふれてみて)このとんがった所は、怒った時のつうのようだ。この小枝の折れた傷口はつうの隠れた悲しみの傷口だ……この荒れた木肌は……このくぼみは……(与ひょうは夢中で枯木を撫でまわす)……そうだ! 木は喋っている。いく種類ものことばで、喋っている。つうのようでもあるが、ほかの誰かのようでもある。

つう (いつのまにか表われて)そうよ。木は喋っているわ。

与ひょう (叫ぶ)つう! (馳け寄る)

つう 地上のものはすべて一つのたとえよ。そのたとえは、永遠に変らない本当のものを、まことを表しているのだわ。木は枯れ人は死ぬけれど、そのまことは変ることはないのだわ。それは私の故郷で、私そのものなの。さあ、あんたもいらっしゃい。

 つう、手をさしのべる。与ひょうはそれに引かれて、布を掴んだままふらふらとついて行く。二人消える。――間――ほどなく惣どが登場。与ひょうの家をひっくり返してあちこち布を捜しまわる。次いで運ず登場。

運ず 何してるだ?

惣ど (手を休めて運ずを見る)

運ず 与ひょうは……死んだよ。

惣ど ならええじゃねえか。身寄りのねえ男の遺産の布を、友達が、貰おうってんだから。

運ず (ぼんやり惣どを見ながら)布は……そこにはねえだよ。

惣ど じゃあ……?

運ず (云いにくそうに)与ひょうがしっかりと抱いて死んどったよ。与ひょうは、えらい、ええ顔しとった。あいつの捜してたほんとのもんとかが、死ぬ前に見つかったのかいのう。

 惣ど、布を取りに行こうとする。

運ず (きつく)布を取りに行くんじゃねえ。そんな事すっと、村ん者にふれてまわるからな。(惣ど、余儀なく立止る)

運ず (ぽつんと)与ひょうは……ほんに女房を好いとったじゃなあ。




第三章 詩集「哀歌」


この自分であって他人であり、女であって
男であるあなたに寄せる相聞歌を、母と
福岡さんに贈る。
―――十三才から十六才までの詩集―――
  (年代順)


エレジー


 ある小さな瞬間に
 わたしはかたく目をつぶり
 遠くを見ていました
 真白い花が咲いていたので
 それを摘みながら
 もういないあなたと
 会っていました



寂しさ


 そっとわたしの心を通っていったものが
 白い蝶だったのか
 あとをみつめても
 花びらひとつ
 残っていませんでした
 ふりむくのが
 いけないことだと知っていたら
 ふりむかなかったのに
 手にとまった
 蝶を
 ふりはなって
 ほゝえみたいのです




 いつのまにか
 そこは秋でした
 枯葉はいつものとうりに
 風の吹くたびに
 落ちてきました
 そこで
 古い切り株に腰をかけて
 何も
 夢みてはいないのです



小さな願い


 小さな蝶が舞いおりてきたので
 あの蝶は
 本当にわたしのためにきたので
 身を隠したのです
 どうしても
 白い蝶とわたしが
 願ってやまないので
 何もかもが通りすぎていく予定です
 わたしは そうならないことを
 望んだのでした




 窓からは
 外が見えるはずでした
 朝でもないのに
 透明で
 何もないのです
 首を出して
 あなたを呼ぶと
 こだまもなく
 声といっしょに
 からだごと
 空白の中へ
 すいこまれていきそうでした
 そうはならなかったのです




 雨が降ります
 天から糸をひくように
 地上から天へ
 何万本もの糸が
 命といっしょに
 吸いとられていき
 あとには
 白い野原しか
 残りませんでした




 朝が
 涙をこぼしていました
 その涙の中に
 わたしは宿り
 地球を
 引き潮にしました
 海の中を歩いていっても
 あなたが帰ってくる気配は
 ありません



時間


 わたしの涙を
 青い野原が吸いとり
 絶壁となって
 わたしの前に直立し
 わたしはひとりで
 宇宙の時間をかぞえていました



埋める


 わたしはいま
 埋めにいく
 あなたに昔感じた
 あの顔を
 二度とあなたの目を
 意識せず
 何百年かを生きるために

 そこに
 ひとつの顔とともに
 それにまつわる
 思い出のすべてを
 わたしは埋めた

 現在を生きぬくために
 その顔が
 ひとことをいろいろに
 囁く前に

 しっかりと鍵をかけた
 箱の中で
 その顔がわたしを
 苦しめることが
 できないように

 けれど今でもときに
 地中でふたが開き
 思い出が一つづつ
 逃げ出してくる

 ろうかでも
 どこででも
 わたしは鍵をもつ
 男に会う
 会うたびに
 ひとつづつ
 思い出の逃げ出る
 音がする
 わたしのところにやってきた思い出を

 いつのまにか
 とらえて離さない
 わたしの中の弱い部分

 わたしに害のあるものを
 すべて埋めたつもりで
 実は不幸ばかり残して
 幼い思い出が
 土の中にある

 いのちに必要なすべてを埋めて
 新しい顔を造るために
 しかし造ったすべての顔が
 あの顔をうつして死んでいた

 わたしの顔もさらっていった
 埋められた顔のあとに
 肉体だけのわたしが
 それからずっと生きている



アデュー


 青いとんぼの目は
 もうその世界で
 さまようものを
 みつけられない
 針金のように
 青みを帯びた
 蝶の五本の指は
 彼女のハープを
 かき鳴らし
 あの人は細くゆれながら
 立っていました



初夏の日に


 こがねむし飛ぶ
 夕日の中で
 あなたは起きあがる
 翅のないとんぼの
 青い目の中に住むわたしに
 きのう
 生きることをやめた手紙がきた



紺色の世界


 ふいにとんぼが飛んできて
 わたしの目をさました
 わたしは友と
 星蝕の話をしていたので
 もうすぐ夜が明ける
 オリオンのことでしょうか
 足もとから
 時間の粉がとんでいって
 わたしはもう
 死んでいく人間にふさわしく
 目を閉じていました



誓い


 青く
 透きとおった鳥の
 さすらいの
 欲望を
 髪の毛で編んだ
 籠に摘みとり
 幾世紀もの間
 死んだあなたを
 待っているのです



喪失


 昔
 わたしには
 青い夕暮れが
 いつでも手にとれたのです
 森の中には
 ひとひらの蝶がいて
 わたしはそこへ
 髪を売りにいきました
 あなたは
 とうとうやってこなかったので
 やさしい歌は
 書けなくなりました



旅立ち


 白い
 夕焼けを
 ながめて
 木の中に
 かくれている
 あなたにむかって
 星だけの夜は
 かたむきます
 何もない野原に
 一筋の
 髪をさらすわたしは
 あなたに言おうとしたことを
 みんな忘れて
 氷河期へ
 旅立っていきました



無題


 静かに歩いていると
 空気のかたまりだけが
 見えるのでした
 遠くを指さすと
 それは とてもかすかに
 ゆれながら
 遠のいていくのでした
 ひっそりと
 口を閉じて
 失ったもの
 忘れたものを
 おもい出そうとしているうちに
 わたしの寿命は つきていきました



捜す


 わたしのまわりのこの風景の
 どこかにくい違いがあって
 空気の流れの源は
 確かにそこから出ているのでした
 近くには何もないので
 手さぐりをして 白いあかるみをゆくと
 かくれんぼの声が続いて
 「もういいよ」
 と 土の中にかくれた
 まちがいたち
 だから
 土まみれになって
 毎日毎日
 掘りつづけたのでした
  (「詩学」掲載)



戦争


 いつまでたっても
 この夕日の中に
 笛吹きは去らない
 笛吹きが笛吹くと
 こんどこそ
 すべての少年が
 森の中へ入ってしまって
 女の子は
 壁の中にかくれる

 夜が来て
 そのまま太陽も死ぬ
 女の子は
 しゃぼん玉の中から
 ぬけ出せずにいる



哀歌


 たて琴の
 糸の切れる
 かすかな音が
 いろいろな花を
 ふるわせています
 ここにいてはいけないと
 涙を摘みとっていた
 まっ白い老人は
 わたしに教えてくれました

 でも
 もう動けないほど
 わたしはかわりはてていたのです



無題


 うす青い
 金星の蛾の爪に
 凍結したためのひび割れが
 つくられました
 冷たすぎる風が
 静止して
 わたしが去っていきます



無題


 霧がおりなくとも
 見えるようにしてください
 いつもいつも
 おなじことばを呟きながら
 白い花びらを裂くことに
 つかれてしまった
 花びらの傷は
 いつも茶色いボンドで
 不器用に貼りあわせられて
 何世紀歩いても
 ちぐはぐな花がいっぱいで

 遠い目をすると風が吹く
 わたしを通りぬけて
 長い長い風が吹く



哀歌


 私の胸の中に
 ひと筋のたて琴があって
 あなたが
 透きとおった糸を つまぐって
 空気をふるわせるたびに
 チェンバロの音色で
 響きいだすのでした

 あなたには降る雪がみえない
 ほんのささやかな風に
 うちふるえ
 ゆらぐあなた
 別れのことばを告白してから
 見えないものに向うわたしに
 あなたはいないはずなのに
 いるのです



無題


 ふいに顔をあげると
 いつもあなたがいる
 何度埋葬しても
 消えてゆくものは同じ

 一日中 黒い杉の木の上に
 青ざめた夕日がうかんでいた
 心から糸のように
 いのちが流れ落ちていって
 もう なにもない
 しずかなからだに
 にぶい いたみだけがある
  (「詩学」掲載)



昔は


 昔は
 たくさんのものを
 持っていた
 透きとおった風を見ることのできる目や
 さびしいほどのあたたかさに
 触れることのできる指先や
 血色のひびが入って
 わたしからわたしが
 はがれおちてしまう
 たちどまってみると
 指先が濡れている
 髪が濡れている
 しっとりと潤った大気の中で
 蔦のつるで籠を編めば
 昔 がすくいあげられると信じて
 てごろな石に腰をおろす
 あれからもう三世紀たった



苦痛


 すると 鉄ぐしをつきさした
 痛みがはじまる
 灰色の夜明けに
 肺胞のような
 うつろな空洞がたくさんあって
 冷い北西のすきま風
 こんなに明るいのに
 なぜ何もないのかしら
 空洞のひとつひとつに
 原始の人のように
 わたしがうずくまっている
 赤々と燃える火だけはなくて
 空洞の痛みが
 たてに数列
 わたしの中を走る

 まむしのうろこ
 やもりのうろこが
 はがれおちて
 あとには粘い
 軟体動物のような
 わたしの肌
 針でひっかくと
 血のような跡が
 くっきりとふくれあがる
 紅い綱がはりついたように

 苦々しくもう一度
 服毒しよう
 かえらないものを
 もっと確かに
 残酷にするために



かちかち山の唄


 小さなたぬき
 おばあさんのお汁つくった
 「悪いな おばあさん
  こうしなくちゃ
  お話がつくれない」
 日暮れ
 小さなたぬき
 無精して
 山のふもとの石ころに
 すわりこんでは
 「知っているともさ
  知っていたさ
  おれ うさぎに殺られる
  ああ
  もうどうでもいいんだ」
 石ころひとつ
 ころげて落ちた
 「お話の通りに
  おれ りっぱだったよ
  殺したもの
  野ねずみ一匹
  おれの足の指
  齧りやがる
  齧るがいいさ
  もうじきうさぎがくる
  おれ 背中燃されて
   れて死ぬ
  あ
  紺青の日暮れ
  おれのこころ
  それをいっぱいに包みこんだ
  だけさ」
 (大阪文学学校文集掲載)

――参考――
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おわり


 跡を残さない
 火傷とか
 ゴムでしばられていた指とか
 絞殺された昔とか
 岩のように そんなものが
 ごろごろしている
 ここは荒地
 荒地らしく
 蛇も住んでいる
 きつねもねずみも住んでいる

 昔の風が
 妙にやさしく通りすぎたので
 その風を
 呪ってやった

 おしまい おしまい
 サーカスはおしまい
 道化はおしまい
 幕じまい



無題


 しわがれた声で
 あなたは答えた
 長すぎる指をひろげながら
 あなたの声は
 ずっしりと重かったのに
 その意味がとれない

 口の中に砂ばかりが
 たまってきた
 わたしの皮膚が
 黄ばんできた
 急に音たてて
 一本の木が枯れた
 見まわすと
 ひとりだった



無題


 そこに立っていると
 臭いにおいの下草が
 ぬるぬると生えてきた

 そこでは
 空気は濃い灰色で
 重く冷たかった

 手をのばすと
 下草が強くからみついて
 空気がからみつく
 空気の波が胸を打つ

 こうして圧縮されて
 石になっていった
 指一本 動かせない



寒気


 ドアはみんなしまっていた
 うつろな
 なめらかな
 黒い空間に
 ひとかたまりの寒気がさすと
 死んでいた男が
 目を覚ます
 四角い小さな部屋の中
 他殺のけはいで
 壁がたわむ



叫び


 今 開いた
 原色の花
 嘔吐
 まわりの色が
 褪せていく
 けして許さない人を
 抱きおこすと
 死臭があたりに
 満ちた
 かびのはえた空気の中で
 ひざまづくと
 叫びの欲望がねじれながら
 たちのぼっていく



殺人


 夕日の
 ぶよぶよした
 皮を破って
 どろっとした液が
 流れおちてしまうと
 あとには
 まっ白な
 夢のない夜が続く
 誰かが夜を割って
 のろしをあげている

 いつも同じしぐさ
 同じ微笑で
 あなたはわたしを殺す
 何回も 何回も
 ざっくりと殺す
 (大阪文学学校文集掲載)



位置


 君の位置は
 あそこです
 あなたの位置は
 ここです
 わたしの位置は
 遠いむこう

 位置から脱落したものの
 見えない寒さ
 位置から離れる時の
 頬をかすめて去る
 鋭い時間の刃
 太古の者に落されたような
 奇妙な落書
 わたしがわたしである位置から
 離れた時は
 常に身がまえよ



――作者あとがき――


 この詩集を書きながら、自分の詩の甘ったるさに何度も吐き気をもよおした。母いわく「よくまあ詩集に載せて恥ずかしくないものだという詩があるよ。」そこで「甘いのでしょう?」「いやそれとも違う。うす青いとか、透明なというのが多すぎるのよね。それでいて何というか人間らしい泥くささがないのよ。」これは岡田先生によれば観念的、詩学の選者にいわせれば甘くて表現不足、小野十三郎先生によれば抽象的ということなのだ、詩の書き方についていえば、自分の感情を正確に表現することよりも、ひとつの異質の世界を創造することに重きをおいた。これは私の空想の箱庭なのだ。抽象的なのは自分のなまの感情をひとに知られたくなかったことに始まる。――たとえば男の子に宛てて書いたものでも全部貴女としてある。この詩集では正直にひら仮名に直したが……。だいたい甘い詩は中学生の頃の、「苦痛」以後の暗い詩は高校生になってからのものと思ってほしい。これはそのために留年する羽目になった、高一の後半から現在に尾をひく大病による。
  昭和五十一年六月十五日




付 海から来た妖精
十二才を迎えた史絵に 母より


 妖精が泣いた。真珠の涙が頬を伝って落ちた。大人はオロオロし、何が悲しくてそのように泣くのかとたずねた。妖精は「悲しくて泣くんじゃない。あたしは素直になりたいの。どうして素直になれないのかしら?」


 妖精は、どうしてもある朝海へ帰って行きたくなった。海へ帰って、いっそ蟹になってしまいたい。蟹になって、真暗な海底をガサゴソはいまわっていい。でなければ魚になり、冷い肌で冷い水の中を真すぐ泳いでいきたい。


 妖精は自年の無智について不知のまゝ一生を終りたいと希う。無智は美徳であり、幸福の源だ。「あたしは人間としてかなり”まっとう”である。」と信じるのと同じくらい幸福だ。
 「ところであたしは本当に人間?」「さあ? 君がもしビーバーでないとすれば多分人間だろう。そうそ決まったらできるだけ早いうちに証文にして残しておくことだ。」


 愛は間尺に合わぬもの。
 執着は割なくも理不尽なもの。
 肩に落葉が……イイエ、チットモカマイマセヌ。


 幼な子が妖精にたずねた。
 「海はどんな入れものに入っているの?」
 「海はどうしてこぼれてしまわないの?」


 シカゴにも何と沢山の人間のいることか。この写真の一つ一つが生きていて、話し、笑い、愛し、裏切り、喜び、悲しみ、友達になり、疎遠になっている……。がともかく生きている。羽衣とちっとも変りはしない。


 夢の中で――。
 凍え、渇き、疲れ、やっとの思いでたどりつき、戸を叩くと教授が招じ入れてくれた。
 「さあ、火のそばへ。」
 「いいえ、火が欲しいのではありません。
 「香り高いコーヒーを?」
 「コーヒーが欲しいのでもありません。」
 教授は妖精を見、長いこと見つめたあとで悲しそうにいった。
 「君はいくつになったかね?」
 「四十。いや三十二。」
 (そういえば妖精はすっかり年をとり、おばあさんになっていた。)
 「しかたがない。地質学をやるかね。」
 「噫……。」
 妖精は声にならぬ喜びの声をあげ、そのまま床に座りこんだ。
 安堵のようなものが底の方から沸いてきた。


 地質学。教授の研究室は安らぎの部屋である。終日フラスコを見つめる。鉱石を見つめる。変哲もない花崗岩の中に何千年来秘められている真理をさぐるのに夢中になる。
 ここでは生きていることを忘れそうだ。


 幸福と不幸、喜びと悲しみ、愛とを憎悪……それらは西と東ではなく、一つの坩堝から今生まれたばかりの渾沌だ。だからそれらは同時にやってくる。妖精は愛し、憎悪し、悲しむ。愛し、憎悪し、悲しむ。


 この世に生を受け、アリガトウ。
 さんざめく雪の華やぎ、アリガトウ。


 突然、皮膚がペロリとはがれ、のっぺらぼうになる。妖精は度を失う。度を失いながら、かすかな、かすかな記憶がよみがえってくる。――これは昨日の朝もあった……その前も……。
 そうだ、こんなことは日常茶飯事だ。


 妖精は時間の足りないことを嘆く。美しい日本語を一つ考えつくために、せめて数時間余分にあればよい。ラテン語の辞書を横へ置き、せめて強いられぬ予定外の数時間があればよい。
 だが、本当に今ここに、予定外の数時間があったなら、今度は消費するのに困るだろう。
 ああ、忙しい。忙しい。


 妖精は幼な子を抱きあげて頬ずりする。まちがいなく、それは世界でもっとも柔らかく、もっとも美しく、そう、花びらのような頬だ。何の意図もない美しさだ。


 妖精にはどうしても人々のつながり方がわからない。若い母親の腕の中で眠っている坊や。
 十三才の少女たちの友情。
 公園で腕をくんでいるお二人さん。
 ゴルフに忙しいダンナサンとPTAに忙しいオクサン。
 着古した背広の中年男とその母親。
 ゲバルト、ローザとキャラメルママ。
 おじいさんとおばあさん。
 エトセトラ、エトセトラ……。
 もろくて根強い。冷たくてあたたかい。理性的で盲目的。穢なくて麗わしい。水くさくて情にもろい。新幹線でどん行だ。美しくない関係もあるというのに美しい関係もあるという。おまけに否応なく、残らずきずなの中に置かれてしまう。
 この上人を愛したらどうしよう。


 静かに扉を開けて部屋に入ると、母親がふり向いてたずねる。
 「何かご用?」
 「いいえ、何も。」
 「………」
 「きたの。ただきたの。」
 母親は読みさしの本に帰り、ムスメはかたわらでムンクの画集を開く。
 「とてもいい絵だわ。」
 と七才の娘がいう。
 何と確かなきずなであることよ。そして何と焦らだたしく、何と徒らな日々を曠しくしていることよ。


 どうぞ召しあがれ。ミルクのたっぷり入ったチョコレート。
 イエ、イエ、毒は入っておりませぬ。


 朝霧の中を駆けてゆくと、不意にこちらに背をむけて放尿している若い男が浮びあがる。彼は気づかないので、妖精は見つからぬよう、足音をしのばせて通り過ぎようとする。その時、立ちのぼってくる快感、つまりタチションのもたらしたであろう快感への思いやりがこみあげる。すると若い男は、もう以前の未知なる男ではない。ポンと肩を叩いて
 「ヤア、おはとう。あたしよ。」
 と声をかけたいと思う。だが妖精の思いやりはいつもむくわれない。彼は一人で快感を享受し、妖精は一人で快感のオスソワケにあづかる。……ということを世間では、縁もゆかりもない。という。

 校庭に壮大な公孫樹があってね。少しづつ黄ばみゆくのを飽かず眺めていたよ。公孫樹の黄は紅葉の紅よりも純粋に美であった。
 あの頃妖精は、丁度今のあなたたちくらい、無垢で、純真で、疲れていた。


 野原には はこべの花が
 白く 小さく せいいっぱいに。
 忠岡町の駅柵に もたれて遠く
 とんでいきたい。


 妖精は女を特に敬愛している。女は、運さえよければ十分受苦的生きられる。この世に生を受けた負債を、愛と、献身と、出産の痛みと、待つ悲しみとで償おうとする。

 運の悪かった女は、いたし方なく学問を身につけ、医者になり、判事になり、出世する。


 妖精は、女を特にかなしんでいる。女は歩く時も女的に歩く。立ち止まる時も女的に立ち止まる。愛するときも女的に、だ。
 アルベルチーヌがいよいよ接吻を受ける時、その表情には、ある職業的な無欲、良心、寛大といったものより以上のもの、ごく習慣的なすべてを飲みこんだ、たくましい”女”の顔が表れる。そしていう。「アタシはいつでもあなたを信じていてよ。」
 だから妖精は、女を特に保護に価する生きものだと思っている。
 君たちも、いつか女から愛されるよ。


 妖精はどこにでもいる。
 海からきた妖精は、やがては海へ帰って行かねばなるまい。


 一般にこの世にあると信じられている愛、良心、正義、誠実、無私、執着……といったようなもの――それらはけしてありはしないのだが――妖精は、やがてそれら、美しいものたちを必死で探し求めるであろう。だが、無いものねだりをしても無駄なことにいつか気付くであろう。するとその空虚(あると信じていたものたちの不在)を、悲しみが満しはじめるであろう。
 妖精は、それら美しいものたちのために、生涯を台無しにしたはずだからね。


 妖精には時おり、理屈に合わぬ執着が生まれる。妖精の脳髄は、いつも電気回路のように整然としているわけではないので、その理不尽のナゾが解けず、ただ、割りなきこと。と思うだけだ。
 愛はなぜ”いと易きところ”にでなく”いと難きところ”にとまるのか。なぜヘンリーでなく、ボリスを愛するのか。同じように美しい男なのに。


 男も女も本当にチグハグに生きているね。まるでステンドグラスの内側をのぞくみたいだね。男たちは鉛色の呼吸をしているよ。女たちの唇は生れた時からのように紅いよ。そして男たちは、ひっかけてもらいたくてウズウズしている女たちを期待通りにひっかけてやってね。だから新婚旅行への旅立ちは、いつもあのように感動的なんだね。


 妖精が幼な子を抱く。すると幼な子のまつ毛に真珠が一粒とまっている。それを見ると妖精はもっと強く、ギュッと幼な子を抱きしめてやる。それでおしまい。もっと多く愛するためにはお互いの皮膚が邪魔をする。


 妖精の思いはいつも彼方へとどかない。一メートル先で横へそれる。思いはいつも自分の内でのみ終始すべきなんだな。


 え? 何ですって? 妖精であるあたしが人の友達を信じることができるか? そりゃあ信じるわよ。あたりまえよ。
 では大勢の友人に囲まれているかって? そうだなあ。あたしは大勢と友だちになり、大勢と友だちであることをやめた。だから今では一人なの。今ではむしろ、あなたたち世間一般の方が身近かなの。
 朝出逢って「おはようございます。」
 ゆうべ別れる時「さようなら。」
 時にあなたは誰でしたっけ?


 色々なものが妖精のまわりを充している。色々な悩みが生活の間隙を埋めている。妖精には心配ごとが山ほどあり、いつも不幸で毎週死にたくなる。
 朝起る時の恐怖(起きあがる。そのことがかなしい。)
 人に出逢った時、どんな話をしたものかという心配。他人の仕草の些細なことがあたしの気に障りはせぬか、というおそれ……。
 噫、これでは生きていられない。


 美は、心に何の用意もなく、さあ、美しいと思おうと、身がまえた時にではなく、不意にやってきて、横暴にも人の心を打つ。花や風景が美しくないというのではない。(それはいつもあまりにも当然の美しさだ。)
 百本近い皺に刻まれた、痩せた、好色な、鮎釣りの老漁夫。
 猛々しくも孤独な目つきで競馬新聞に見入る若い男。美は個性的なものだ。一人の美を他の一人が承認するとは限らない。
 「アタシがこんなに美しいと思うのになぜアナタには美しくないの?」


 音楽を聞きながら窓辺に坐っていると、二月の夜空は硬質陶器の海のよう。星屑の間あいをぬって、青い魚が泳いでいる。魚は涙をこぼさないという、ホントカシラ?
 年月がめぐり、十年後の夜にも、アタシは今のように窓辺に坐っているかしら?


 妖精にこの世の美を全部あげよう。
 音楽の美。数学の美。マヤ、プリセツカヤの腕。ゴッホ。ゴーガン。雪舟。興福寺の阿修羅。ロストロ・ポーヴィッチの弦。ブナの原生林の樹間を通して仰ぎみる五月の空。




あとがき(その1)  伊賀元一

 父として娘の死を哀しみつゝ、男として、これを表わす事あたわず、改めてその遺稿に接するにも耐え難きものあり、
 次の三句を以てこれに代ふる。

白桃の沈むや沼に娘をつくり

時雨るるや虹の扉を過ぎて逝く

埋めん哉稿の余白の黒淡く



あとがき(その2)  伊賀三江

 

一、出版するこころ

 史絵が死んで一年半ほどの年月が過ぎた。長い間病気であったので、こんなに大きくなったにもかかわらず、自分よりも背たけの伸びた娘をいつも両の腕に抱きかかえていた。
 少くとも意識の上ではそうであった。突然死んだときにはまだ私の腕は史絵の頭を抱いている形のまゝであって、中には抱くはずの史絵だけがすぽっと居なくなってしまった。そうしていつまでもいつまでも空になった史絵を抱きつづけていた。
 一年半もたつ間に私は次第に史絵の不在に慣れていったが、どうしてもまだ納得することができず、そんなバカな……と思ってしまう。私はどのようにして、私自身に史絵の死をいいきかせようか。冷静に考えれば誰でも一度は死ぬのであるし、私たちは東洋人だから何となく生の延長上に死を考えることに慣れてもいる。生と死とは一本のものだと思いもする。なかんずく史絵は不幸な性質であったから、この世で楽しくてならぬ一生を終えたであろうなどとは考えられない。にもかかわらず今、史絵がここに居て「今夜のおかずなあに?」 などと聞いてくれたら……などとありようもない幻を追いかけてみたりする。思えば色々な日々があった。YMCAへの手続きの帰り、白いこぶしの花の中を二人で歩いて帰ったこともあった。何と贅沢に楽しい日々を無為にしていたことであろう。
 史絵は私に、いえ私たちに、交換日記と多少の詩などを残してくれた。交換日記は福岡直子さんとの間に中学一年の冬から死に至るまで五年間にわたって続けられたものだ。こんなに長く続いたのは、何かを表現したいという二人の熱意もさることながら、お付き合いの言葉ではなく、真実の言葉でしゃべり続けたいという史絵の欲求に福岡さんがよく答えて下さったからだろう。そうして福岡さんという人が、史絵の心を惹きつけるほど純で真摯なものを持っていらしたからであろう。生きている間、史絵はこれをまるで自分のこころであるかのように、福岡さんのこころであるかのように大切にしていたので、私たちは誰一人これを犯すことをしなかった。高志さえもが”お姉さんの交換日記”を大切に尊重していた、亡くなってから福岡さんの許しも得て全部をコピーに取り、あらためて蹂躙することとなった。おまえがもし生きていたらおまえの存在がこれから先人々に与え続けるに違いない感動の何十分の一かを、今これを公にすることによってとりもどさねばならぬ。それは僅かな時間でもこの世に生きたおまえの、罰といってもいい責任なのだよ。
 交換日記にかぎらず、私が史絵の主張を全部公にしたいと思ったのは史絵の死後すぐにであった。私は母親だ。人が他人に対して疎い以上に母親は子供に対して宿命的に疎いものだが、私は史絵が常に理解されることを願ってかなえられなかったことを知っている。病院ででも家ででも云っていた。文学について人生について、哲学について友と語り合いたいのだと。にもかかわらず、ついに一人の友もなく、孤独の中で死んでいった。だからこの出版は私の怒りでもある。三国ヶ丘高校でも大勢の級友たちに囲まれてはいたが、なおも同質のまだ表れぬ友に対してひたすらアンテナをはりつづけていた。教室の後ろの黒板に「創作をする思索好きの人、友達になって下さい。」などと、子供のようなやり方で書いたのもそれであろう。毎日肩を落して帰ってきて、「今日も誰も何もいって来なかったわ。」というのが常であったが……。そういう史絵に対する私のアドバイスはといえば「京大か阪大へ行きなさい。そこへ行けば誰か一人くらいは見つかるに違いないわ。」だった。三国ヶ丘への進学も私が薦めた。担任の先生は女の子だし無理をせずに……という意見であったが、私にはあの娘がたとえば短大などへ行って。純真で無邪気できらびやかなお嬢さんたちの間で幸せであろうなどとはどうしても思えなかった。必ずどこかで優秀でかつ不幸な魂と出逢わねばならなかった。結局そこへ行きつかぬうちに死んでしまったが……。そういうわけで、この度の出版は誰一人少女のこころを解ろうともしなかった世間への怒りであると同時に、おそまきながら伊賀史絵という人を、あなたたちに解って貰いたいという切なる希いの行為でもある。

 

二、幼児の頃

 史絵は私が生んだ。二十年ほど前の寒い頃だ、私はその頃、母親になる資格などまったくないほど若かったので、子供を生むという実感もわかず従って何の心構えもなかったが、そういう無責任な無自覚も、おまえが生れた瞬間にすっかり変ってしまった。あの日から始ったね、私と史絵との生活が……。私はとても恐くて心配で、生れてきたものがあまりに私のこころを打ち続けるので、そうした生んだという驚きの中で、ある日全く唐突に宇宙の輪廻とか深遠とかをのぞいてしまった。それは魂が凍るほど恐しくて森厳な一瞬であった。あれ以後あの体験は二度とはやって来ないのだが、今思うにあの恐怖の実体はこの宇宙の輪廻の間に確かに存在するものであり、普段私たちはただ鈍感で、あるものに気づきもしないで生きているだけかも知れぬのだ。ともかく私はおそるおそる母親になり、こんなに完璧で感動的なおまえを明日から育てるのが私であることをすまなく思いながら、本当にたどたどしく育てはじめた。私には母親の権威などまるっきりなくて、毎日申しわけなく思いながらおむつを替えたりミルクを作ったりした。
 ところで私はおまえがものごころつくかつかぬかの頃に、おまえの抱いている不幸な真珠のような質に気づいた。ただあどけなくて可愛い幼児の中に、どこかキラリと光る真珠があって、親というものはそうしたものを平気で見過ごしてしまうべきなのに、まさに間違いなく死へ導くはずのあこや貝の真珠に、ある日はっきり目を止めた。気づくと、それはもう決して目をそらすことの出来ない特異な質であり、その日から私はおまえの真珠をこの上もなく大切にしはじめた。私が気づこうが気づくまいが、私が尊重しようがしまいが、あの真珠は天性のおまえの質であり、あこや貝はいつか自分の手で、自分の苦悩の体液で大粒の真珠を育てあげてしまったであろうに、私はそれを大切にしたから、ためらうことなく幼児であるおまえに向って人生について、深遠について語りかけた。だから私たちの会話は、三才の幼児を膝に乗せてのものにしては、いつも少しばかり形而上学的な香りを帯びていた。私たちはいつも深い話をし、史絵はいつも深いうなずきを返した。あの真珠は、まぎれもなくおまえを不幸に導いていったが、私は単純な幸福ばかりをおまえに望んでいたわけではないので、おまえが”死に至る病”の中にいてさえとても満足であった。おまえはいつも私の願った通りの娘であった。
 小学校一年の頃、はじめて詩を書いた。詩とはどんなものかと尋ねるのに困って、私は何と説明したんだっけ、とにかく心の中に思ったことをそのまゝに、などといいかげんなことを云ったら

  
  うつくしいこころはハート型かしら?
  そしてきたないこころにはギザギザのとげがいっぱい生えているのかしら?

 といったね。それを書きとめたのが史絵のはじめての詩だ。この時も史絵が「お母さんの手は大きいなあ」などと書かずに、まったく子供らしくもなくその目が自己の内奥にだけ向っているのを見て満足であった。
 おまえが幸福であったのはこの年頃までだ。
 春、近所のお兄ちゃんに手をひかれて出たまゝ暗くなっても帰らず、家中大騒ぎをしていると、両腕にあまるほどのれんげ草をかかえて帰ってきて、けろりとして言ったね。「春がこんなに楽しいものだとは知らなかったわ。」と。
 二年生の誕生日にはクラスの全員を家に招待して、すっかり私をあわてさせた。が三年生になった頃からおまえの波長は次第に周囲の子供たちと合わなくなったのか。変っている子は平凡な子供たちの間でいつもいじめられなければならない。「きっと私が泣きもせず先生にも言いつけず、たけだけしく向って行くこともなく、ただ黙って耐えていたからよ。泣けばいじめっ子は必ずそので納得するの。泣きもしない、反抗もしない私は、きっと不気味で、だからいつまでもいつまでも寄ってたかっていじめたのね。」というのはずっと後になってからの史絵の言葉なのだが、白状すればその頃私はそうした不幸にまったく気ずいていなかった、一度だけ担任の先生から「史絵さんは仙人のようで……」 といわれたことがあったが、そのことばもさほど私の胸を打たなかった。中学三年の時の史絵の日記の一部を抜萃してみよう。「……前略、人が何かを言った時、こんなに傷つくことがあるのは私が感情的だからだけではないのです。私は人間に恐怖を感じているんです。忘れていませんとも。小学三年からずっと四年間、私を苦しませ続けた”級友”を、忘れていませんとも。ことに最初の二年間のことは忘れません。私をいじめた人が主として男子だったので、私は今でも男子と話せない。男子がこわい。クラスの集団がこわい。集団がどんなに恐ろしいことを個人にできるか、私ははっきり知っている。こんなことを書くのは罪……かも知れない。でも私は時々こんなことをした男子に向って、自分のかたわを見せつけてやりたい。せめてそんなことでもしなければつぶれてしまいそう。後略……」
 こんな不幸を、家に帰るとそぶりにも見せなかった。いくらでも私と担任の先生との力で環境を明るくすることができたのにと思うと無念でならない。その体験がおまえをいっそう内攻的にし、空想の世界への逃避へ追いやり、やがて空想にひたると必ず聞こえてくる”声”の世界へ、つまりおまえの”病気”へと追いやった。少くともそれに大きな力があったではあろう。
 その中でたった一人、一度も史絵をいじめなかった少年がいた。M君だ。現実の世界ではほとんど交流らしい交流もなかったM君に、後に史絵が大変一人よがりな執着を託してしまった背景には、こんな幼児期の苦い痛い体験がある。
 五、六年生になると、おとなしい少女が四人ほど史絵の友達になった。史絵はその中のリーダーで、明けてもくれても廃墟とかへ出かけて、空想の要素の多い遊びに興じていた。しかし、卆業を間近にしたある日、突然四人と絶交した。理由を聞いても「あの人たちが下品なことをしていたから」 という以外は教えてくれなかったが、その絶交は大変固いものであり、和解を願う他の少女たちの訴を頑なにはねかえした。この事件はクラスにちょっとしたセンセーションを巻き起こしたが、誰の説得にも耳を貸さず、とうとう先生にも私にも絶交する理由について打ち明けなかった。こういう少女を、担任の先生もほとほともてあましておられたようだ。「目をあげると、いつも先生が私の方を見ていてね、目があうと必ず笑いかけていらしたのよ。もっともその笑いはいつもおべっかのようで、私はすぐ顔をそむけるのが常であったのだけれど……。」 そんな少女であった。

 

三、にぎやかで孤独であった中学時代

 中学では急に大勢の少女たちと友だちになった。杉山さんがいた。花田さんがいた。家で勉強するときにはいつも五・六人の少女を伴ってきた。杉山さんが特徴のある早口で、「伊賀さん」とはじめて尋ねてきた日の情景が目に浮ぶ。何だか滑稽で、私はクスクス笑いながら二人を見ていた。杉山さんとはその後、学校が別になっても、史絵が留年して学年を異にすることになっても、終始変わらぬ友情が続いた。吉川(伊賀の実家、岡山県上房郡)へも一緒に行った。名古屋へも行った。何といって紹介したのか、名古屋の私の両親は杉山さんのことをスリッパちゃんと呼んでいた。いえ、今も呼んでいる。両親も妹も、史絵にこんな友だちのいることをとても喜んでくれていた。晩年(この言葉はうら若い少女に対するには本当にそぐわないが)学校へ行くことも思うにまかせず欝々の日々を送っていた時、急に思い立って「ちょっとスリの所へ行ってくるわ。」と出かけたりした。杉山さんは受験をひかえた忙しい高校生だったから史絵のようにいつもいつも遊んでいられるわけではなかったろうけれど、いつも史絵の健康を願い続け、暖かい友情と好意を注いで下さった。杉山さんが居て、史絵の毎日はどんなにか明るさを増したことか。ありがとう。杉山さん、ありがとう。「伊賀さんが大学へ入ったら、また二人で旅行しようねえ。その時私の方は卆業が近いかも知れないけれど……」
逢う度に言っていた二人であったが……。
 福岡直子さんとは丁度この交換日記の始る頃友達になった。長身でもの静かで潔癖で、空を仰ぐよりは下を向いて歩く方が多いといった人だ。福岡さんとのこの交換日記を、史絵が大変に神聖視していたことは前述した。「お姉さんは本当に良い友達を沢山持っていたんだなあ。」と、あの頃の史絵と同じ年齢に達した高志がいう。「僕のまわりに大勢いる水臭い奴らとは雲泥の差なんだよ。」と。
 高校に入ってからも青山さん、平野さん、小山より子さん。小山さんが史絵にくれたたった一本の紫のムスカリは、今年もまた花壇の隅で花をつけた。皆さん、ありがとう。史絵の孤独は多彩な友人とは無関係のものであったようだ。

 

四、始めてのデート

 史絵は美人であったから高校生にもなると時々男子から手紙を貰った。入学式の日に見染めた、という人もいた。一生懸命書いて下さった男子には申しわけないが、私は時々そんな手紙を読ませてもらった。「こんなものが迷いこんだのよ。どうする?」「あら、ラヴ・レターね。読んでいい?」 その度にデートを薦めるのはいつも私であり、尻ごみするのはいつも史絵であった。一度だけ、ふられる恰好の悪さや、親(つまり私)などに読まれるかも知れぬ危険を犯してまで、史絵のために手紙を書いてくれた男の子の真情について話したら、「そいうえばそうねえ。では顔だけは見てくるわ。」と出かけていった。その帰り、ニューセンターの前でバッタリ出逢った。おまえは天気が良いのに雨靴をはき、チグハグなブラウスとスカートでとても野暮ったくみえた。「どこへ行ってきたの?」と聞く私に、史絵は少し顔を赤くして抗議した。「嫌ねえ。お母さんが行けっていったんじゃない。」それならどうしてもう少しおしゃれをして行かなかったのか。始めてのデートをしたなどという華やぎはどこにもなくて、いつもよりずっと不美人にみえた。すると不満顔の私に向っておまえはいった。「好きとかきらいとかを、外観だけで決められてはたまらないわ。だから汚なくして行ったの。」 と。本当に困った娘であった。

 

五、文化祭 あら文化祭

 少しは期待して入った三国丘高校も、慣れてみるとがっかりすることばかり多いようだった。入学式の日に両腕に持ちきれないほどの教科書を貰って、思わず「わあ、こんなに沢山勉強できるの? 嬉しいなあ。」と云った史絵であったが、史絵が高校生活にもっと多くを期待したものは、勉強以外のものであった。しかし高校という所には、二十年前の私たちの頃さえ勉強しかなかった。今の高校生活に勉強以外の何があろうか。史絵という娘はとてもそんな生活では覆いきれない多くのものを持ちすぎていた。口ぐせのように友と議論をしたい、語り合って考えを深め合いたいと云っていた。
 三年に満たない高校生活の中で、もっとも情熱を燃やしたのは文化祭だ。もともと芝居は好きで、中学では演劇部の部長だった。一年の文化祭は「白雪姫」。クラスの男生徒が書きあげたアンロジカルな芝居で、結構面白かった。この文化祭の練習がある間だけはとても楽しそうだった。
 留年して二度目の文化祭では待望の脚本を史絵が書くことになった。題は「夕鶴」に決っていて、多分長すぎる木下順二の「夕鶴」を、文化祭用に短く縮小するくらいの仕事を与えられたのであろう。嬉しそうで、夜になるとすぐ作業にかかった、その頃も健康状態はけして良好ではなく、少しの心の負担がすぐに生理的に胃痛や頭痛となって行動を制限するので、学校は行ったり行かなかったりの毎日であったから、私に出来る何かを手伝いたいと思った。夕方から始めてまず「縮小」だ。史絵が口述するのを私が筆記して、夜半になって終った。私が手伝えるのはここまでだ。翌朝起きてみると、史絵はまだ書き続けていた。胃液を吐き続けながら書いたらしく、横に置かれた洗面器からは部屋中にすえた匂いが広がっていた。とうとう一睡もせず、でき上がったばかりのきたない原稿を鞄につめて学校へ行った。
 しかし夕方、肩を落して帰ってきた史絵は、すぐベッドに倒れ伏して泣きはじめた。
「どうした? 脚本がだめだったの?」
「長すぎるといって監督(指野君)に後半を全部削られてしまったの。もうだめだわ。」
 そういって泣き続けた。私は慰めようもなくベッドの端に坐っていた。やがて少しづつ話し始めた。今あるものをそのまゝやるなんて本当につならないことだ。木下順二よりは上手く書けないにしたって、自分の手で作りあげたものであってこそはじめて高校生の文化祭として価値があるというようなことを……。
「明日、もう一度行って指野君に話してごらん。おまえの力で指野君を説得してごらん。」
 いつのまにか泣き止んで聞いていたおまえは、少し明るい顔になって、「そうねえ。そうしなければねえ。」といった。
こうして「続夕鶴」は日の目を見た。練習が始まるといつのまにか助監督になっていて、自分の書いた芝居を自分で演出した。文化祭の間はとても楽しそうで、毎日学校から帰ると、ちっとも意のまゝにならない有木君の話などを目を輝かせてしてくれた。
 詩集「哀歌」もこの時作った。この頃二度ほど「詩学」に投稿して、二度とも掲載されたが、これらはどちらも中学の時の作品だ。近作をも含めて、少しは世に問うてみたい、仲間に読んでもらいたいと思ったのだろうか。この作業も大変な仕事であった。二日ほどの徹夜の後、ようやく文化祭の日の朝に出来上がった百部ほどの「哀歌」を持って学校へ行った。講堂の前に自分で机を並べて詩集を積みあげ、高校生らしくもない下手くそな字で書かれた(ご自由にお取り下さい。一部五十円)という札をぶらさげた。昼頃もう一度見に行くと、三十円に値下げしてあった。あまり売れなかったらしい。
 文化祭は二日続きであったが、史絵の体力と気力の限界はここまでであった。第一日めの夕方、「続夕鶴」の公演が済んで家に帰ると再び起き上れずといった様子で夏を過し、秋を過した。文化祭の第二日めですら、夕方車で行って売れ残った詩集を回収してくるのがやっとであった。文化祭の時だけ生き生きしていた史絵。仲間と何かを作りあげる時だけ目を輝かせていた史絵。文化祭は、史絵の高校生活のほとんど全部ではなかったか………。一緒に劇をやってくれた人も、詩集を買ってくれた人もありがとう。劇を通じてクラスメートと交した楽しい論争とか好意とか、意見の喰い違いとか……そんなものをいっぱい胸にたたんで鬼界へ逝った。

 

六、病気

 居ないものたちの声を聞いてしまう、ということだけが史絵の病気であった。私は史絵の病気を医者のようには理解できない。また世間一般がそうであったように、ただのノイローゼや学校嫌い、と片づけることもできない。心を入れかえて勉学にはげむよう忠告して下さる先生もあったが、心を入れかえるだけではどうにもならぬ症患を、ことばを以てしては先生に解っていただくこともできなかった。コロニーの岡田先生の診断は「間脳機能障害」ということで、これを私の大変に貧弱な理解で敷衍すると、抽象的思考の世界と具体的体験の世界のアンバランスから生じる精神のストレスということになる。が何故思考と感情のアンバランスが幻聴を生むのか、さらに見えない精神の世界での幻聴ばかりではなく物理的にレントゲン撮影上の異状となって識別されるようになるのか。こころの世界と身体の世界とのかかわりが、いつまでたっても理解できない。にもかかわらず幻聴は現実に倦怠感、無力感となって、甚だしく生活の上での日常性を損なった。
 声さえ聞えなければ病気ではなかったわけだが、声は空想の世界にひたりはじめると必ず聞こえはじめるのであり、空想、つまり内的世界こそ史絵が生涯かかって育てあげてしまったものに他ならない。無論、環境の色々な要素が、より早い時期に史絵をそこへ追いやってしまったかもしれぬ。原因を追求する時に識者がよくやる問題点の指摘とかをなすならば、私は自分の育てかたの中に、家族の交流の中に、はたまた自分の生き方の中にいくらでもそれらを見出すことができる。私は毎日”自分が殺したのかもしれない”と思う。そう思う底から”あの病気こそ史絵であった”という思いも沸いてくる。だから私は、病気になって、とうとうそこから抜け出せずに死んでしまった史絵を、今日もなお褒めつづけている。

 

七、身にあまる厚意の中で

 本書ではM君以外は、できるだけ実名を用いるようにした。どうでもいい人とか、亡くなられた方とか、大変な悪口ばかり書いてあったKさんなどもローマ字のイニシャルにしたが、その他は先生や友人へのニックネームなども史絵の使用をそのまゝ活字にした。多少礼儀に反するところがあったとしても、生きていた史絵とのかかわり合いの責任だと思って許していただきたい。M君への執着は史絵が一人で蜃気楼のように育てあげてしまったものであり、M君はそのことに何らかかわらない。大変な迷惑をおかけしたと思うので、お詫びの意味もこめながら伏字にした。しかし、指野君や宮田君への好意と関心はまさしく現実のものであった。その思想や挙措動作が史絵を喜ばせることがあったとしたら、それはあなたたちの存在の責任だ。そう思って真すぐ実名を用いた。
 さらに何度も迷った末、本書末に「海から来た妖精」をつけ加えた。これはこの交換日記の始まる一年ほど前、六年生の終り頃に私が史絵に書いてやったものだ。不幸の兆などまるでない(気付いていない)頃に、史絵の要望に応じて(高志の誕生日に童話を書いてやったら、私にも何かを書いて、とねだったのは史絵だ。) 軽い気持で書いたものだ。今読み返してみると、心を打つ史絵の文章にくらべてとても雑いとは思うが、私と史絵の結びの一端を示すものでもあるのでつけ加えることにする。妖精は史絵であり私だ。これは私から史絵への伝授であると同時に願いでもあり、遊びであると同時にある平凡な一日の平凡な描写であったりもする。ある日、私が坐っていると、史絵が部屋に入って来た。「何か御用?」「いいえ、何も。……来たの。ただ来たの。」 私たちは平和だったねえ。
 パッケージング社の斎藤さんがこの本に大変力を入れて下さるので、私の後悔は日増しに増してくる。少しづつ立派な本ができ上がってくるにつれてもう少しおまえの表記に忠実であれば良かった、という後悔だ。おまえの文章には誤字や仮名使いの間違いが多いので訂正した。そのついでにせっかく旧仮名使いで「……でせう。」などと書いてあるところまでが新仮名になり、せっかく「ろうそく」と仮名書きであったのが漢字になってしまったりした。これは母さんの鈍感さのせいであると同時に、おまえの文字がきたなくて読みづらかったせいでもある。こんなに雑い母親を持ってしまったこともおまえの宿命なんだから。
 この本を作るについて、大変大勢の方々から多大なご厚意をいただいた。小野十三郎先生、岡田喜篤先生、お二方にお願いして序文をいただいた。小野先生は史絵が大阪文学学校に行っていた時の師だ。最初、私は史絵が文学学校に通うことに大反対であった。青二才の分際でそんな立派な学校に通うことが何となく僭越なことのように思われたからだが、後にはバックアップした。文学学校へ行く日には学校から直接行くので、夜十時を過ぎてから足をひきずって帰ってきた。文学は史絵の生そのものでもあった。
 コロニーの岡田先生には最後の半年か一年足らずの間、病気を通してお世話になった。先生は、ただの医者と患者という立場を越えて、いってみれば、この世に存在していた伊賀史絵の、ただ一人の理解者であった。残念なことには、先生は史絵にとってはやはり医者でしかなく、友だちではなかったということだ。親とか医者とかいうものは、そんな意味で大変無力なものだ。史絵が欲しがっていたのは、同じ年代の友だちなのだから。
 校正については私の旧友、上田ノブ子さんの手をわずらわせた、私は自分の校正に自身がもてず、誰彼の人を思い浮べた。私がこの本の校正をたのみたい人は、ただ文学についての知識が豊富なだけの人ではだめなのだ。少女の心の声に、真すぐ耳を傾けてくれる人でなければならなかった。私は旧い交友関係の中から上田さん一人をたぐり寄せ、無理なお願いをした。上田さんは私の期待に本当によく応えて下さった。
 この本は自費出版である。いくら自費出版といっても本作りの作業はすべて企業ペースにのせられるのが普通であって、注文主、つまり私の側からいえば、原稿を渡したが最後、本は私の手から離れてしまうものなのだが、この本に関しては、およそ本作りという場において、素人の一個人のなし得ると考えられる作業のほとんどを私がなした。これはパッケージング社の斎藤玄孝さん(代表取締役社長)の信じられないほどのご厚意である。割りつけも、校正及びその訂正も、フィルム修正も組付けも……。割付用紙にページを一枚々々貼りつけていくとか<ノンブルを打つという>本作りには、思いがけない細かい仕事が数えきれぬほどあり、私はその一つ一つを斎藤さんに教わりながら、また手伝って貰いながら、長い時間をかけてその大半を自分でなした。おかげで私はわが娘の本に心ゆくばかり携わることができた。これはまたこの本の制作費のローコストにつながると同時に、仕上がりのいささかのきたなさにも確実につながる。所々で文字のならびがゆがんでいたり、頭がそろっていなかったりする。このことは本を読んでいただく方には大変無礼なことかも知れないが、もし本文中にそうした不ぞろいを見つけたら、そこにも私の斎藤さんへの感謝がいっぱいに漂っているのだと思って許していただきたい。
 さらに、表紙はデザイナーの石橋謙太郎さんと西井一剛さんが、扉の肖像の絵は磯田耕司さんが、共に無料でひき受けて下さった。私一人でやっていたら表紙は絵なしになるか、せいぜい私のできそこないの版画かを飾るかくらいになっただろうが、おかげで並んでいるどの本よりも気品のある、本当に史絵の本というにふさわしい本ができ上がった。三人のデザイナーもまた斎藤さんも、いってみれば私には一面識もない(無かった)人たちだ。今、不当にも大勢の皆さんからいただいた身にあまる厚情を感謝することは無論だが、一体何が、こんなに大勢の立派な大人たちを走らせてしまったのか、という思いも沸いて来る。諸葛孔明の例を引くまでもなく、大勢の見識ある仲達たちを走らせたのは、年はもゆかない死せる史絵なのだよ、死んだおまえはこのようにして永久に生き続けなければならないのだよ。何故なら、他人のこころを打つことは、生きている人間だけがなし得るのだからね。本当の意味で生きたといえる人間だけがね。
 今、いただいたばかりの小野先生の原稿に接して、涙があふれてならない。史絵は私にとっては今日もなお死者ではない。死者ではないことがいつまでも悲しみを誘うのだと思う。私は我が娘に死に別れるというこんな不当な運命を甘受したり承服したりすることなどできない。況んやあきらめるなどということは、できようはずもない。しかしこうした、まったくプライベートな私の無念とか悲しみとは別のところで私は伊賀史絵という人の生き方を全部認めている。その死まで含めて全部を認めている。おまえは私の娘だ。そして永遠に私の誇りだ。おまえはとても立派に生きた。立派だよ。

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引用終わり。
制作 : RISA-1972