加藤茂さんの著書の中で「十七歳の遺書」について言及している部分

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神田理沙のばあい

以下引用。149ページ から 157ページ
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2 神田理沙のばあい

 「昭和四五年九月二十二日
”何のために生きているのかわからない”
”もう、誰も信じられない”
”愛がむなしい”
”死にたい なぜだか私にはわからないが”
”でも負けたくない 苦しみに”
”強く 生きたい”
”お母さん お母さん”」

 この絶叫とも悶えともいえることばを最後に、神田理沙は自殺しました。「私の青春の日々をしるす『心のアルバム』、たった一回こっきりで去ってゆく私の『時間の足跡』」と自ら呼んだ彼女の日記は、純真な傷つきやすい小さな魂が、自分でも「なんだかわからない」うちに、いつのまにか死の渕へ追いやられてゆく現代のある種の子供たちの「生の亀裂」現象を、痛切に訴えています。
 公立高校三年生であった理沙は、「ずばぬけて頭がよく、高一から高三までいつもクラスの”ベスト5”に入っていた」が、それを少しも自慢しない、ひかえめな子で、「実によくできた子」でした。そのうえ、「育ちのよい顔をした美人だったので、クラスのあこがれのまとだった」といいます。文学書もよくたしなみ、福永武彦、中村真一郎、井上靖、柴田翔、または三好達治、丸山薫、谷川俊太郎、新川利江などを愛読しました。彼女の遺稿集、『十七歳の遺書』には、彼女の並々ならぬ詩才を語る、なん編かの詩がのっています。
 彼女は、自他ともに認めた東大志願生で、受験をひかえて平均睡眠時間、四時間という猛勉強を余儀なくされましたが、この過労が彼女の心身をいつしか蝕み、死へつながる重いノイローゼの主因になったことが、日記から読みとれます。最近、目がひどく疲れて授業にも身が入らず、歩いていても「一瞬ボーッと目の前がかすんでくる」、友達もみな自分と同じだと訴えている、と書かれています。つぎの七月一〇日付の日記は、現代の受験”戦争”を前にした”兵士たち”の実態を鋭く看破し、抉り出しています。

 「このごろ新聞を見ていると、高校、大学受験のための悩み、そのためのトラブルがまるで日課のようになっている。きょうの朝刊にも受験ノイローゼの子どもを殺した母親のことや、受験勉強の苦しみに耐えかねて自殺した高校生のニュースが三つものっていた。
 しかし、世間のこうした受験の緊張感とは逆に、うちのクラスの人たちの教室での風景は、まことににぎやかである。
 昼休みだからとはいえ、きょうもマンガをよみふけるもの、トランプ、将棋からギターを仲よくかなでるカップルまでいた。机の穴にエンピツで消しゴムをホール・インさせるテーブル・ゴルフに余念のないものもいるし、教室の後ろの掲示板もさまざまな自動車の写真でいっぱい。
 あっちこちで車座になって話している会話も、まことにたわいのないものが多く、受験の悩みなどほとんど話し合わないのが普通。私たちの学校がいわゆる県下でユビ折りの名門校であるという自負と安心感からだろうか。いや、そんなことはない。だれもかれも、胸の底には、いい知れぬ不安とあせりとファイトをもっているはずなのだ。それを少なくとも人に気づかれないようにしているのは、それだけ内部での闘志がはげしいからではないだろうか。それが証拠には、きょう出た学校新聞に”XY生”の仮名で、だれかが心のなかを紹介している。
 『ぼくたちは、スポーツ、政治、経済、チャーミングな女性と、なんでも目をそそがずにはいられない。しかし、最も熱を入れ、真剣になっているのは、幼稚な、そして最高に単純なゲームなのだ。トランプ、ショウギ、パズル、クイズなど、実にくだらないことに時間をついやすのは、ひとつには、偽装であり、ひとつには逃避なのだ。つまり、いつも頭のなかにイモリのようにこびりついてはなれないあのコト、受験のことを忘れたいからだ。それにしても、みんな仮面をかぶることのなんとうまいことか。他人のみか自分すらごまかそうとしている。受験なんて、この世からなくなってしまえ! 永遠に……』」

 彼女のいう「受験勉強の苦しみ」とは、たんに睡眠時間を一日四時間に切りつめてまでの暗記、知識の詰めこみという物理的な労苦だけではなく、来春に下る審判への「いい知れぬ不安とあせり」だけでもなかったはずです。それはむしろ、内部では「はげしい闘志」、競争心を燃やしていながら、表面では単純な「くだらない」ゲームに夢中になっているふりをしている、その「偽装」、ごまかしあい、だったろうと思われます。「みんな仮面をかぶって」いて、「他人のみか自分すらごまかそうとしている」――彼女の澄んだ眼には、それが耐え難い汚濁に映じたのでしょう。別のところ(九月二〇日付)でも、彼女は「調子をあわせ、ごまかしあい、どうしてみんな、自分のなかに、あんなにたくさんのウソを飼っているのだろう」と書きます。「虚偽」や「汚濁」というものは、原口統三の自殺のところでみたように、まだ汚れを知らず表裏のない純真な青・少年たちの一部を厭世的にし、ノイローゼにし、ひいては自殺に走らせるに足る、意識的動機の一つになりうるのです。このばあいの自殺は、自己破壊によって「世間」や「大人たち」に復讐しようとする自罰=他罰の形をとるはずで、子供たちの自殺には、このタイプがいかに多いことでしょう。
 あらずもがなの受験の準備と”戦争”は、ちょうど長過ぎる助走距離が肝心の跳躍の前に走者を疲れきらせるように、わが国の子供たちをまだ始まったばかりの人生にすでに疲れきらせます(たとえば、いわゆる「五月病」など、大学入学直後によく起こるノイローゼ)。それだけではありません。それはまた、心と心との深い結びつき、真の友情から、彼らを閉め出してしまいます。彼らのあいだに、例の「万人の万人に対する闘争」状態、互いに疎外しあう関係をつくり出す一つの元凶にもなっているのです(たぶんマルクス主義者なら、子供たちのこの人間疎外現象も、もとをただせば、資本主義体制そのものの矛盾と悪の一つの現われでしかないのだ、と力説することでしょうが)。
 しかしそれでも、彼女はけなげに、自己を叱咤し、鞭打ちます。右の七月一〇日付の日記の最後を、こう結んでいます。

 「やっぱりみんな苦しいのだ。しかし、この苦しみに負けてはならない。いまが大事なときなのだから。負けるのは落伍者だし、ましてや自殺なんて弱虫のすることだもの…。」

 <受験戦争に敗北するものは人生の落伍者>(じじつ、ある進学塾では、教師が「○○大学、△△大学に入れなければ人間をやめろ」と教えるそうです)という誤った一面的な社会通念に呪縛されて、現代の子供たちは、必死にもがいている観があります。塾やマス・コミから、また「本音」むき出しの家庭内から吹き込まれたこの社会通念が彼らの大前提にされているから、勉学意欲と成績の低下についておとながときに親身に慰めてくれても、彼らにはそれが皮肉にしか聞こえず、本音は別のところにあると思ってしまいます。学業不振に泣くのは人生の負け犬の証拠で、ひとの慰めも皮肉にしか響かないとすると、自意識や自尊心とその能力や努力との関係をうまく調和できない子供たち、あるいは過敏で落ち込みやすい子供たちは、どこへ苦悩を打ち明けたらよいのか、どうすればよいのか、こうして彼らは、あの暗闇へ消える孤独の渕へはまったまま、抜け出られなくなるのです。まるで網のなかでもがけばもがくほど、それで自分自身を身動きできなくさせてしまう小鳥たちのように。
 受験にまつわる苦悩は、生きる大きな喜びの一つである恋愛からも、彼女を疎外させます。東大生の「彰さん」との逢瀬と語らいのひとときは、とかくすさみがちな彼女の心をなごませるけれども、受験期が済むまでは会わないと自制しているうちに、二人の心はしだいに疎遠になってゆくようです。
 はじめの頃には彼の名が日記にしばしば出てきます。「眠ろうとすればするほど、思いははてしなくひろがり、軒をうつ雨だれのように、同じことを……。」彼との文通が始まって、「郵便箱をのぞくのが日課」になってくるが、九月に入ると、七月二〇日に別れて以来、彼からの返事がなぜか、跡絶えます。二度手紙を出したのに、二度とも「受取人不明」でもどってきます。「きのうもきょうも、不安とあせりで心のなかが柱時計の振子のようにゆれうごいてばかり。もし試験に失敗でもしたら、恥ずかしくて買い物にもでられない。」
 九月一〇日、母親が突然、胆のう炎で入院します。このショックが勉強のスランプと「彰さん」の音信不通に重なって、彼女の心の翳りを濃くしてゆきます。
 九月一五日に、病院の母へ持参する下着を探しているとき、理沙は思いがけなく、「彰さん」からの二通の手紙をタンスの隅に発見します。彼は、学生運動家の友人の件で警察につきまとわれるので、急に住所を変えていた、ということが判明しました。だが、彼女は、母がその手紙を見せてくれなかったことに、「脳天をたたきつけられたようなショックをうけ、”母すらも信じられないのか”と、たまらなかった。」「母への憎しみと彰さんへの思いが、私のこころのなかで、行ったりきたりした。」「母とて私の心を乱すまいと考えたすえの行為」であったことは、承知していたけれど。
 このころから、彼女の生活の歯車が大きく狂いだします。睡眠不足、気分の悪さ、吐き気、ふさぎこんで級友とも口をきかなくなります。いま危機が彼女を襲います。
 私たちはみな、私たちの人生を支え、私たちに生きるおおまかな方向や意味(sens)を示してくれる、最も基本的な一種の精神的母胎を堅持している限りで、生きていられます。この精神的母胎は、その上ではじめて、日常生活の諸事万般が調和的に営まれ、「生きがい」や「生きている張り」が可能になる、生の地盤のようなものです。ふだんの平穏な生活ではその存在さえ気づかれない、この生の地盤に、いわば地震が起こり、亀裂が入るとき、生は無意味(non-sens)となり、自殺が生じるのです。彼女の生活の土台に生じた亀裂が拡大すればするほど、彼女の自我の広がりと価値領域が狭小になってゆくさまが、最後の日々の日記から読みとれます。
 「いったいどうしてしまったのか。私は自分の知らぬまに狂ってしまったのか。」
 「九月十八日……感激が、感傷が、そして後悔や思い出といった、人間的要素までが、自分の内部からつぎつぎと抜けていく……」
 「九月十九日……私はもうだめ。すべてに行き詰ってしまっている。なにもかもがうっとうしく、わずらわしい。机に向かっても、数字がくるくるまわり、活字がぼやんとかすんで見える。また、夜がくる。母のいない、ねむれない夜がこわい。」
「九月二十一日……
なにを見るのも
聞くのもわずらわしい
つかれた
ねむい
ねむることだけが
いま私には
ただひとつの救いなのだ」

 そして冒頭に引用した、死にたいと同時に生きたいという自殺志願者特有のアンビバレントな、悲痛な訴えを最後に、彼女はこの世を去っていったのです。
 「私から彰さんをかくし、母をはなし、勉強する力をうばってしまった」ものは、いったいなに?と彼女は問うています。もし彼女にこの「なにものか」の正体がわかっていたら、彼女はたぶん、まったくべつの「自己解放」の道を選んだことでしょう。受験戦争などないのが一番いいのですが、もし現代の教育が、たんに受験勉強を強いるだけでなく、またその前に、それの人生における位置と意義を子供たちに充分さとらせ納得させることができていたら、純真だけれども弱い少年少女を、その無益な悲劇から救出することに、これほど無力ではなかったことでしょう。
 神田理沙の自殺は、彼女自身の言葉から判断する限り、受験戦争にまつわる今日の教育体制の歪みという社会的原因が、傷つきやすい内向型のその性格を陰に陽に圧迫し、それに重くのしかかっていた危機的状況に、恋の悩みや母の病気などの個人的動機が追いうちをかけることによって成立してしまったように思われます。

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引用終わり。

目次

以下引用。
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第1章 自殺とはなにか

第2章 人間はなぜ自殺するか

1 自殺の条件
2 自殺の要因
3 自殺の形而上学的目的

第3章 子供の自殺と現代の状況

第5章 自殺に勇気がいるか

参考文献


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引用終わり。
制作 : RISA-1972